画家を知る

年の欄に、二つの年が並ぶ——カミーユ・コロー《ソドムの炎上》

1843年と1857年。いったん描き上げた絵に、十四年後もう一度手を入れている。九点の年の欄には四通りの書き方が現れ、支持体も四通りに分かれる。同じ手の四十年を読みたい。紙に描いて板に貼った二点も含まれる。

ソドムの炎上
カミーユ・コロー《ソドムの炎上》メトロポリタン美術館蔵

年の欄に、二つの年が並ぶ

一人の画家の作品を九点、記録の欄で並べてみる。

そのうち一点の年の欄は、こう書かれている。

1843年と1857年。

二つの年が、接続の語で結ばれる。

つまり、いったん描き上げたあと、十四年後に手を入れた。

前の回の記事で、二つの年が並ぶ例を何度も見てきた。

彫刻では、原型の年と彫った年だった。

刀では、刀身の年と拵の年だった。

こちらは、同じ画家が同じ絵に二度向かっている。

同じ手が、十四年をおいて戻ってくる。

描き直しは、どう記録されるか

絵に手を入れることは、珍しくない。

売れ残れば、直して出し直す。

注文主の求めで変えることもある。

しかし、その痕跡は表からは見えにくい。

古い絵具の上に、新しい絵具が乗る。

館は、なぜ二つの年を書けるのか。

展覧会の記録が残っているのだろう。

一度目に出品され、二度目にまた出品される。

そのあいだに、姿が変わっている。

館は、根拠を書かない。

書かれるのは、二つの数字だけである。

ソドムの炎上
カミーユ・コロー《ソドムの炎上》1843年と1857年。かつては別の題で呼ばれた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦92.4センチ、横181.3センチ。番号は29.100.18。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《ソドムの炎上》メトロポリタン美術館蔵

横長の大きな画面である。

全体が褐色に沈む。

中央に、白い石の塊が横たわる。

崩れた建物の一部だろう。

その手前に、人物が三人立つ。

いずれも右へ向かって歩く。

先頭の一人は、両腕を広げる。

二人目は、顔を手で覆う。

三人目は、赤い布を頭に掛ける。

その右に、暗い人影が一つ立つ。

遠景の空に、赤い光が横に走る。

上部と右に、黒い木の枝が広がる。

題が、かつての題とともに書かれる

いま見た一点の題には、括弧が付く。

括弧の中に、以前使われていた題が入る。

つまり、題が変わっている。

同じ場面でも、呼び方が変わることがある。

聖書の記述の解釈が変われば、題も変わる。

館は、古い題を消していない。

前の回の記事で、かつての帰属という役割の欄を見た。

作者の欄で取り消された名を残すのと、同じ考え方である。

消せば、過去の資料と接続できなくなる。

だから、括弧に入れて残す。

一つの題の欄に、二つの時期の判断が同居している。

同じ主題が、二度描かれる

九点のうち二点は、主題が同じである。

いずれも、横たわる人物と風景の組み合わせだ。

題も、前半が同じ語である。

後半だけが違う。

一方は海辺、他方は風景の中。

年の欄は、1865年と、1865年から1870年。

近い時期に、続けて描かれている。

そして、寸法も近い。

縦38.7センチと30.8センチ。

横59.4センチと61.5センチ。

つまり、同じくらいの横長の画面である。

前の回の記事で、同じ主題の反復について何度も書いてきた。

海辺のバッカスの巫女
カミーユ・コロー《海辺のバッカスの巫女》1865年。館の記録では、板に油彩。縦38.7センチ、横59.4センチ。番号は29.100.19。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《海辺のバッカスの巫女》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

中央に、人物が裸で横たわる。

上体をやや起こし、右腕を頭の後ろへ回す。

顔は左を向き、目を閉じる。

頭に、細い青い帯を巻く。

体の下に、斑のある毛皮が敷かれる。

足もとは、緑の草地である。

草地に、小さな白い花が散る。

左上に、木が枝を広げる。

右には、海が水平に広がる。

空は灰色で、雲が厚い。

右下に、署名と年が読める。

風景の中のバッカスの巫女
カミーユ・コロー《風景の中のバッカスの巫女》1865年から1870年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦30.8センチ、横61.5センチ。番号は29.100.598。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《風景の中のバッカスの巫女》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

前の一点より、さらに横に長い。

中央から右に、人物が裸で横たわる。

上体を起こし、右腕を頭の後ろへ回す。

顔はこちらを向く。

体の下に、斑のある毛皮が敷かれる。

前の一点と、姿勢がよく似ている。

左には、水面が広がる。

その奥に、木立が黒く茂る。

右上の斜面に、小さな人影が数人いる。

いずれも踊る姿である。

左下に、署名が読める。

姿勢が、二点でほとんど同じ

二点の人物を見比べてみる。

上体を起こし、右腕を頭の後ろへ回す。

顔の向きだけが違う。

つまり、同じ姿勢を二度描いている。

素描か、記憶をもとにしたのだろう。

前の回の記事で、同じ図を二度作る例を何度も見た。

版画では、版が同じだから同じになる。

型による工芸でも、型が同じだから同じになる。

絵画では、手が同じだから似る。

そして、似るが、同じにはならない。

館の記録は、二点の関係を書かない。

題の前半が同じであることだけが、手がかりである。

画面の比が、二つに分かれる

九点の縦横比を並べてみる。

横が縦の二倍を超えるものが三点。

そして、縦が横より長いものが二点。

残る四点は、そのあいだにある。

極端に横長の三点は、いずれも風景である。

紙に描いた二点と、横たわる人物の一点。

縦長の二点は、肖像と、大きな物語画ではない。

肖像の一点と、木立の一点である。

つまり、主題が比を決めている。

風景は横に広がり、人物は縦に立つ。

館の記録は、その対応を書かない。

数字を並べれば、傾向は見えてくる。

紙に描いて、後から貼る

九点のうち二点は、技法の欄が長い。

紙に油彩、そのあとに、貼り付けた、と続く。

一方はカンヴァスに、他方は板に貼られている。

なぜ、紙に描くのか。

戸外に持ち出しやすいからだ。

板やカンヴァスは重く、かさばる。

紙なら、何枚も持って歩ける。

そして、帰ってから丈夫な支持体に貼る。

館の記録は、その事情を書かない。

技法の欄の一句が、そこを示している。

前の回の記事で、支持体を重ねる話を何度か書いた。

アルバーノ湖とカステル・ガンドルフォ
カミーユ・コロー《アルバーノ湖とカステル・ガンドルフォ》1826年から1827年。館の記録では、紙に油彩、板に貼り付け。縦22.9センチ、横39.4センチ。番号は22.27.2。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《アルバーノ湖とカステル・ガンドルフォ》メトロポリタン美術館蔵

横長の小さな画面である。

中央に、湖が横たわる。

湖面は灰青で、静かである。

その向こうに、緑の斜面が高く立ち上がる。

斜面は、木で覆われる。

頂に、建物が並ぶ。

白い壁と、四角い塔が見える。

手前は、なだらかな草地である。

草地に、低い木が点在する。

空は淡く、雲が薄い。

紙の縁が、板から少しはみ出して見える。

縁に、紙の跡が残る

いま見た一点の写真には、紙の縁が写る。

貼り付けた紙が、支持体より少し小さい。

だから、周囲に段ができる。

寸法の欄の数字は、紙の大きさだろう。

支持体の大きさは、書かれていない。

前の回の記事で、寸法の欄が何を測るかを何度も見てきた。

作品として測るのは、描かれた紙である。

支えの板は、数えられていない。

しかし、写真にははっきり写る。

記録と画像で、見えるものが違う。

イタリアの風景
カミーユ・コロー《イタリアの風景》1825年から1828年ごろ。館の記録では、紙に油彩、カンヴァスに貼り付け。縦12.7センチ、横27センチ。番号は50.71.2。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《イタリアの風景》メトロポリタン美術館蔵

九点でいちばん小さい画面である。

縦は十三センチに満たない。

横長で、縦の二倍以上ある。

中央に、明るい岩の塊がある。

岩は白く、面が四角く割れる。

その周囲は、褐色の地面である。

左右に、なだらかな丘が連なる。

丘は緑がかった灰色である。

奥に、遠い山が青くかすむ。

空は淡い黄で、上へ向かって明るい。

左下に、署名が読める。

紙の縁が、白く見える。

大きさが、二十倍に散らばる

九点の寸法を並べてみる。

いちばん小さいのが、縦12.7センチ、横27センチ。

いちばん大きいのが、縦180.3センチ、横270.5センチ。

面積でいえば、百倍を超える。

小さい二点は、戸外で描かれた紙である。

大きい一点は、展覧会に出すための作品だ。

用途が違えば、大きさも違う。

そして、技法の欄も違う。

紙か、カンヴァスか。

前の回の記事で、支持体と大きさの対応について書いた。

こちらでも、同じ関係が見える。

荒野のハガル
カミーユ・コロー《荒野のハガル》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦180.3センチ、横270.5センチ。番号は38.64。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《荒野のハガル》メトロポリタン美術館蔵

横長の大きな画面である。

九点でいちばん大きい。

中央から右へ、岩の多い荒れ地が広がる。

岩は黄褐色で、面が鋭く割れる。

左に、大きな木が二本立つ。

葉は濃い緑で、丸く茂る。

その根もとに、崩れた石積みがある。

右下に、女性が立つ。

黒い衣をまとい、両腕を上げる。

その足もとに、幼い子が横たわる。

上部の空に、鳥が一羽飛ぶ。

空は淡く、地平線が明るい。

主題が、聖書から来る

いま見た一点の題は、聖書の人物の名である。

荒野に追われた女性と、その子。

前に見た一点も、聖書の場面だった。

九点のうち二点が、そこから題を取っている。

残る七点は、風景か、人物か、肖像である。

つまり、この画家は主題を選ばない。

風景も、物語も、肖像も描く。

館の記録は、主題を分類する欄を持たない。

題の欄に、それぞれの名が入るだけである。

前の回の記事で、題の欄について何度も書いてきた。

分類するのは、読む側の仕事である。

トゥーサン・ルメートル
カミーユ・コロー《トゥーサン・ルメートル》1833年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦38.4センチ、横29.5センチ。番号は1976.201.13。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《トゥーサン・ルメートル》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

背景は褐色で、平らに塗られる。

中央に、若い男性が座る。

体はやや右を向き、顔はこちらを見る。

髪は黒く、乱れて広がる。

顔は青白く、頬がこける。

首もとに、白い襟が立つ。

黒い上着を着て、前を留める。

その下に、胴着が見える。

右手を、椅子の肘に置く。

椅子は木で、彫りがある。

右上に、署名と年が読める。

署名が、九点のうち数点で読める

九点の写真を拡大すると、署名が見える件がある。

画面の左下、あるいは右下。

そして、年が添えられる件もある。

館の記録には、銘記の欄がない。

つまり、署名の内容は写されていない。

写真を見て、読み取るしかない。

前の回の記事で、銘記の欄が使われない例を何度も見てきた。

絵画の部門では、この欄が省かれることが多い。

素描や版画の部門では、細かく写される。

同じ館の中で、部門によって扱いが違う。

そして、その差は記録を作った時期の差でもあるだろう。

オンフルール:カルヴァリー
カミーユ・コロー《オンフルール:カルヴァリー》1830年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦29.8センチ、横41センチ。番号は1974.3。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《オンフルール:カルヴァリー》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

手前に、高い木が数本立つ。

幹は細く、上へまっすぐ伸びる。

葉は上部にだけ茂る。

木のあいだから、海が見える。

海は淡い青で、水平線が高い。

右に、十字の形が立つ。

その周囲に、人が数人集まる。

左手前の地面に、人が二人座る。

いずれも黒い衣を着る。

空は明るく、雲が薄い。

左下に、署名が読める。

支持体が、四通りある

九点の技法の欄から、支持体を抜き出してみる。

カンヴァスが五点。

板が二点。

紙をカンヴァスに貼ったものが一点。

紙を板に貼ったものが一点。

同じ画家が、四通りの支持体を使い分けている。

そして、年で見ると傾向がある。

紙の二点は、いずれも1820年代である。

板の二点は、1830年と1865年。

カンヴァスの五点は、1833年から1870年に散らばる。

若いころは紙、そのあとは板とカンヴァス。

前の回の記事で、支持体と時代の関係について何度も書いた。

ピカルディの池
カミーユ・コロー《ピカルディの池》1867年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦43.2センチ、横63.5センチ。番号は14.40.813。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《ピカルディの池》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

全体が銀灰色に沈む。

中央から右へ、水面が広がる。

水面は静かで、岸の影を映す。

その周囲に、細い木が立つ。

木は幹が曲がり、上部に葉が茂る。

葉は細かい点で表される。

左に、木の塊が濃く広がる。

右下の岸に、人が一人いる。

体をかがめ、水辺で何かをする。

空は白く、雲との境がぼやける。

輪郭の線は、ほとんどない。

題に、地名が入る三点

九点の題を並べてみる。

地名が入るものが三点ある。

イタリアの風景。湖と町の名。港町の名。

いずれも、実際に行った場所である。

残る六点には、地名がない。

風景であっても、場所が書かれない。

つまり、記憶や想像で描いたものかもしれない。

館の記録は、その区別を書かない。

題に地名があるかどうかが、唯一の手がかりである。

前の回の記事で、題が説明を含む例を何度も見てきた。

地名も、その説明の一種である。

そして、地名のある三点は、いずれも早い時期の作だ。

出所の行が、七つに分かれる

九点の出所の行を並べると、七つになる。

ある収集の遺贈が三点。

別の遺贈が二点。

基金による購入が二点。

寄贈が一点、寄贈を原資とした購入が一点。

受入の年は、1913年から1976年まで。

六十年以上の幅がある。

そして、三点は同じ遺贈である。

前の回の記事で、その収集について何度も書いてきた。

一人の収集家の好みが、館の収蔵品に厚みを作る。

同じ画家の作品が三点まとめて入れば、比べられるようになる。

比べられるから、こういう記事が書ける。

年の欄の書き方が、四通りある

九点の年の欄を、書き方で分けてみる。

一年で書くものが三点。

ごろ、が付くものが三点。

幅を持つものが二点。

そして、二つの年を並べるものが一点。

四通りである。

前の回の記事で、年の欄の四つの書き方について書いた。

同じ画家の九点の中に、その四つがすべて現れる。

つまり、書き方の差は画家の差ではない。

その一点ずつの事情の差である。

署名に年があれば一年、なければ幅。

そして、二度手を入れれば二つの年になる。

番号が、受け入れの順を語る

九点の番号を並べてみる。

14.40.813。22.27.2。29.100.18。

29.100.19。29.100.598。38.64。

50.71.2。1974.3。1976.201.13。

前の二桁は、受け入れの年である。

1914年、1922年、1929年、1938年、1950年。

1974年からは、四桁で書かれている。

つまり、途中で書き方が変わった。

一人の画家の作品が、六十年かけて集まってくる。

次の数字は、その年の何番目の一群かを示す。

29.100 の三点は、同じ一群に属する。

同じ収集から、同じ年にまとめて入った。

そして、末尾の枝だけが違う。

18 と 19 は隣り合う。

598 は、遠く離れている。

一群が、六百点近くあったことになる。

前の回の記事で、番号の枝が何を数えるかを見てきた。

枝の数字は、その一群の大きさをそのまま映す。

風景の中に、小さな人が入る

九点のうち、人が描かれるのは七点である。

肖像の一点は、人が主役である。

聖書の二点も、人が主役だ。

横たわる二点も、人が画面の中心を占める。

残る二点では、人は小さい。

水辺でかがむ一人。

十字の周りに集まる数人。

斜面で踊る人影。

いずれも、画面のごく一部を占めるだけである。

風景が主で、人は添えものになる。

しかし、その人がいることで、大きさが分かる。

木の高さも、岸の広さも、人と比べて測れる。

館の記録は、人の有無を書かない。

題に人の名があるかどうかで、見当をつけるしかない。

そして、その見当は外れることがある。

池の題に人が入り、地名の題にも人が入る。

数えるには、画像を見るしかない。

色が、年とともに沈む

九点を年の順に並べ、色を見てみる。

早い時期の紙の二点は、淡い黄と褐色である。

輪郭がはっきりし、岩の面が四角く割れる。

1830年代の三点は、褐色が濃くなる。

暗い葉と、明るい空の対比が強い。

そして、晩年の一点は銀灰色に沈む。

輪郭がぼやけ、葉が細かい点になる。

同じ画家の四十年が、色でたどれる。

ただし、これは九点だけの話である。

館が持つこの画家の作品は、もっと多い。

九点は、九点でしかない。

それでも、並べれば何かが見えてくる。

見えたものを、記録の欄と照らし合わせる。

数字が合えば、見たことに裏が付く。

合わなければ、どちらかを疑う。

その往復が、読むということだろう。

板が、四十年をまたぐ

支持体が板の二点を、年で見てみる。

一点は1830年ごろ、もう一点は1865年である。

三十五年が空いている。

そのあいだの作は、紙かカンヴァスだ。

つまり、板を使わなくなったわけではない。

小さい画面のときに、板を選んでいる。

板の二点は、縦が三十センチ前後である。

カンヴァスの五点は、四十センチを超えるものが多い。

大きくなれば、板は重く、割れやすい。

材料の性質が、選び方を決めている。

館の記録は、その理由を書かない。

技法の欄と寸法の欄を並べれば、対応は見えてくる。

一枚に、何人が関わったか

九点の作者の欄には、いずれも一人の名がある。

同じ画家である。

絵画では、作者が一人であることが多い。

前の回の記事で、二人並記の例を何度か見た。

しかし、それは例外に近い。

では、絵画は一人で完成するのか。

カンヴァスを織る人がいる。

木枠を作り、張る人がいる。

板を挽き、下地を塗る人がいる。

絵具を練り、瓶に詰めて売る人がいる。

十九世紀には、絵具は買うものになっていた。

その全部が、記録の外にある。

作者の欄の一人が、それらを使って描いている。

最後に、九点の年をまとめておく。

1825年から1828年ごろ。1826年から1827年。

1830年ごろ。1833年。1835年。

1843年と1857年。1865年が二点。1867年ごろ。

四十年以上にわたる。

若いころの小さな紙から、晩年の銀灰色の風景まで。

同じ人の手が、これだけ変わる。

館の記録は、変化を書く欄を持たない。

一点ずつを、同じ形式で書くだけである。

変化を見るには、年の順に並べるしかない。

並べる作業は、いつも読む側に委ねられている。

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