風景の画家が、人物を描く——カミーユ・コロー
銀灰色の風景で知られる画家の、人物画である。生前はほとんど人に見せなかったと伝えられる。同じ楽器、同じ頭の布が繰り返し出てくる。画室で組み立てられた場面の作り方を見たい。年の欄の書き方が四通りある点にも触れる。

風景の画家の、人物画
この画家の名は、銀灰色の風景で知られている。
木立、池、朝の靄。人物は入っていても、点のように小さい。
ここに並べる九点は違う。どれも人物が画面の中心にいる。
しかも、全身か半身で大きく描かれる。風景は背景に退く。
同じ画家の仕事とは思えないほど、性格が違う。
九点の年は、1857年ごろから1872年ごろに及ぶ。晩年の十五年ほどにあたる。
つまり、風景を描き続けたまま、並行して人物を描いていた。
途中で転向したのではない。二つの仕事が同時に走っている。
生前は、あまり出なかった
こうした人物画は、生前の展覧会にはほとんど出されなかったと伝えられる。
画室に置かれ、人に見せることが少なかったという。
売るための絵ではなく、自分のために描いた絵に近い。
だから点数は多くない。当サイトが公開している作品でも、風景のほうが圧倒的に多い。
もっとも、館の記録には展示の歴史が書かれていない。ここでの説明は伝聞にとどまる。
九点の記録から確かめられるのは、年と寸法と技法だけである。
誰が買い、いつ館に入ったかも、多くは取得できていない。
こうした情報の薄さも、生前に流通しなかった絵の特徴かもしれない。
画室で描くということ
人物を大きく描くには、模特児が要る。
同じ姿勢を、何時間も保ってもらわなければならない。
だから、屋外では描けない。画室に来てもらうことになる。
九点の背景に風景が入っていても、その場で描かれたわけではない。
人物は画室で、背景はあとから。おそらく、そういう手順である。
同じ道具が、何度も出る
九点を並べると、繰り返し出てくるものがある。
弦楽器が二点、頭に巻く飾りが四点、書物が二点である。
弦楽器は、丸い胴に短い棹の付いた形である。イタリアの楽器と考えられる。
頭の飾りは、布を巻いたものと、葉を編んだものがある。
いずれも、画室に置かれた小道具だと考えられる。持ち主は画家である。
同じ道具が別の絵に出てくるのは、同じ場所で描かれた証拠になる。
旅先で見た人を写したのではない。画室に来た人に、道具を持たせている。
つまり九点は、外の世界の記録ではない。組み立てられた場面である。

女性が立ち、こちらへ体を向ける。
衣は白に近い生成りで、袖が広い。腰に赤い布が巻かれる。
胸元に赤い飾りが下がる。首から掛けたものである。
頭には黄色い輪のような飾りが載る。
両手で、丸い胴の弦楽器を持つ。棹は右へ伸びる。
指は弦に置かれるが、弾いている構えではない。
背景は暗い緑と褐色で、木立らしい形が薄く見える。
足元には、低い草が描かれる。
顔は下を向き、目が伏せられる。表情は読み取りにくい。
題には、放浪の民を指す語が入る。当時のヨーロッパで広く使われた呼び名である。
いまでは、その語は差別的な含みを持つと考えられている。
ここでは館の題を訳しつつ、その事情を書き添えておく。呼び名は時代とともに変わる。
布を巻いた頭
九点のうち四点で、女性は頭に布を巻いている。
色は赤、黄、白。巻き方はそれぞれ違う。
髪を隠すのではなく、額の上で結んで垂らす形が多い。
これも画室の小道具だろう。一枚の布で、人物の性格が変わる。
同じ模特児でも、布の色を変えれば別の人物になる。
弾いていない楽器
九点のうち二点に、弦楽器が出てくる。
どちらも、演奏している場面ではない。持っているだけである。
楽器は、音を出すためではなく、形と意味のために置かれている。
イタリアの衣装と組み合わせれば、南の国の情景になる。
実際にその土地で描いたわけではない。画室で組み立てた場面である。
この画家は、若いころにイタリアで数年を過ごしたと伝えられる。
そこで見た衣装や風物が、後年の画室に持ち込まれた可能性はある。
ただし、九点のどれも現地で描かれた証拠はない。記録は制作地を書いていない。

九点で唯一、室内がはっきり描かれる一点である。
中央に、女性が椅子に座る。体を左へ向ける。
膝の上に、弦楽器を置く。胴が大きく見える。
その前に、木の画架が立つ。斜めの脚が床に伸びる。
画架には、風景らしい絵が載る。緑と灰色で、細部は見えない。
左には、暖炉らしい構造がある。棚に小さな像や器が並ぶ。
床には犬が一匹立つ。白と黒の斑である。
壁は灰色で、上部に小さな額が並ぶ。
女性の衣は、白い上衣と緑の裾である。頭に赤い布を巻く。
画室を、そのまま描く
この一点は、絵を描く場所そのものを見せている。
棚の像、画架、壁の額。仕事の道具が並ぶ。
そこに、衣装を着た女性が座る。仕事場と、作り物の場面が同居する。
画架に載っているのは風景画である。この画家の本業がそこに示される。
風景を描く場所で、人物画が描かれている。九点の性格を最もよく示す一点である。
棚に並ぶ小さな像は、素描の手本かもしれない。あるいは土産物かもしれない。
犬がいることも、この場所が仕事場であると同時に生活の場だったことを示す。
見せるために整えた画室ではない。散らかったままが描かれている。