画家を知る

立ち上がる馬を、石に描く——オラース・ヴェルネ

前脚を上げた馬が、いままさに走り出す。十九世紀初めのフランスで、石版画という新しい技術にいち早く手を出した画家の六点。動きをどう止めて見せるか、そして石に描いて摺るとはどういうことかを見る。馬という主題を選び続けた理由にも触れておきたい。

無人の馬の競走の出発
オラース・ヴェルネ《無人の馬の競走の出発》メトロポリタン美術館蔵

馬が、立ち上がっている

一枚の絵から始めたい。

無人の馬の競走の出発
オラース・ヴェルネ《無人の馬の競走の出発》1820年。油彩・画布。縦46センチ、横54センチ。メトロポリタン美術館蔵。キャサリン・ロリラード・ウルフ・コレクション、1887年遺贈。オラース・ヴェルネ《無人の馬の競走の出発》メトロポリタン美術館蔵

画面の中央に、白い馬がいる。

前脚を高く上げ、後脚だけで立っている。

首をひねり、口を開けて歯を見せる。

たてがみが乱れ、宙に散る。

その左右に、人が数人しがみついている。

赤い上着の男が、手綱を引く。

別の男は、馬の首に抱きつく。

右には、栗毛の馬がもう一頭。

こちらも前脚を上げている。

背後には、赤い布を垂らした桟敷が並ぶ。

そこに、大勢の見物人がいる。

地面には、倒れた人がいる。

出発の直前

題は、競走の出発とある。

無人の馬を走らせる競技である。

騎手は乗らない。

馬だけが、決められた道を駆け抜ける。

出発の直前、馬は綱で押さえられている。

その綱が離される瞬間に、馬は暴れる。

この絵は、その瞬間を描いている。

つまり、動きの絵である。

止まっているのは、桟敷の見物人だけである。

動きを、どう描くか

静止した絵で、動きをどう示すか。

方法はいくつかある。

一つは、不安定な姿勢を描くこと。

前脚を上げた馬は、そのままでは立っていられない。

だから、次の瞬間に動くことが分かる。

もう一つは、方向を散らすこと。

この絵では、馬、人、綱がそれぞれ別の方向を向く。

まとまりがないことが、混乱を示す。

当サイトの
動きをどう描くかでも、同じ問題を扱った。

描いた人について

オラース・ヴェルネは、一七八九年にパリで生まれた。

一八六三年に、同じくパリで没した。

祖父も父も画家である。

つまり、三代続いた画家の家系である。

若いころから馬を描き、軍の場面を得意とした。

のちに、フランスの美術学校の長として、ローマへ赴任している。

生前の名声は高く、注文も多かった。

六点は、その中から選んだものである。

馬という主題

ヴェルネの絵で、馬は中心的な主題である。

競走、狩り、戦い、駅馬車。

いずれにも馬が出てくる。

馬を描くには、解剖の知識が要る。

脚の関節の数、筋肉の付き方、蹄の形。

そして、走るときの脚の順序。

十九世紀の前半には、まだ写真がない。

だから、観察と記憶だけで描くことになる。

石版画という新しい技術

二点目は、絵ではなく版画である。

駅馬車
オラース・ヴェルネ《駅馬車》1818年。石版画。像の寸法は縦33.2センチ、横50.9センチ。紙全体では縦41.9センチ、横61.4センチ。シカゴ美術館蔵。版画素描クラブ寄贈。オラース・ヴェルネ《駅馬車》シカゴ美術館蔵

横長の画面である。

四頭の馬が、左へ向かって走る。

前の二頭は、脚を大きく伸ばす。

後ろの二頭は、車を引く。

車は大きな箱形で、車輪が四つ。

屋根の上に、人が何人も乗っている。

いずれも帽子をかぶり、体を傾ける。

車内にも、人の顔が見える。

背景は白く、地面だけが薄く示される。

墨一色で描かれている。

石に描いて、摺る

石版画は、十八世紀の終わりに発明された技術である。

平らな石に、脂を含む画材で絵を描く。

そこへ水と油性の絵具を与える。

すると、描いた部分だけに絵具が乗る。

木版のように彫る必要がない。

紙に描くのと同じ感覚で、版が作れる。

だから、線の勢いがそのまま残る。

この一枚の馬の脚の線を見ると、その速さが分かる。

新しい技術に、早く手を出す

一八一八年という年に注目したい。

石版画がフランスに入って、まだ間もない時期である。

ヴェルネは、その早い段階でこの技術を使っている。

新しい複製の技術は、画家にとって収入源になる。

一枚の絵から、何百枚も摺れる。

そして、広く名前が知られる。

十九世紀の画家は、この仕組みをよく使った。

当サイトの
版画で名を広めるでも、近い話を書いた。

屋根の上の人々

この一枚の面白さは、人の配置にある。

車の屋根に、七、八人が乗っている。

いずれも体を傾け、揺れに耐えている。

帽子を押さえる人、身を乗り出す人。

つまり、乗り心地の悪さが描かれている。

駅馬車は、当時の長距離の交通手段である。

速いが、揺れる。

その日常の感覚が、絵の主題になっている。

白い紙を、そのまま使う

石版画では、描かない部分が白く残る。

この一枚では、空がほとんど白い。

雲も、地平線も描かれない。

つまり、紙の白がそのまま空になっている。

そして、馬の脚の下に薄く砂埃が示される。

その砂埃も、細い線を斜めに並べただけである。

省略が徹底している。

主題は馬と車であり、それ以外は要らない。

見物人という群衆

最初の一枚の背景を、もう一度見たい。

桟敷に、数十人の見物人が描かれている。

いずれも小さく、顔は数ミリしかない。

しかし、姿勢はそれぞれ違う。

身を乗り出す人、立ち上がる人、隣と話す人。

群衆を描くときは、この差が要る。

同じ姿勢を並べると、模様になってしまう。

そして、群衆が静かであるほど、手前の混乱が際立つ。

背景の静と、前景の動。

その対比が、この絵の骨組みである。

二枚の風景画

三点目と四点目は、風景である。

ポンティーノ湿地の狩り
オラース・ヴェルネ《ポンティーノ湿地の狩り》1833年。油彩・画布。縦100センチ、横137センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。オラース・ヴェルネ《ポンティーノ湿地の狩り》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の中央に、倒れた大木がある。

幹は白く、皮が剥げている。

根が持ち上がり、宙に突き出す。

その周りに、生きた木が茂る。

葉は濃い緑で、光が差し込む。

左の奥に、赤い衣の人物が小さく見える。

手前の水辺には、白と茶の犬がいる。

右には、切り株と枯れ枝が積まれる。

人物は、ほとんど目立たない。

狩りの絵なのに、人が小さい

題は狩りとあるが、人は小さい。

画面の大半は、木と水と草である。

つまり、風景画に近い。

主題としての狩りは、口実に見える。

十九世紀の前半、風景画の地位は上がりつつあった。

しかし、主題のある絵のほうが格が高いとされた。

そこで、狩りという主題を添える。

こうした折衷は、当時よく行われた。

対になる、もう一枚

四点目は、その対である。

ポンティーノ湿地への狩りの出発
オラース・ヴェルネ《ポンティーノ湿地への狩りの出発》1833年。油彩・画布。縦100センチ、横150.65センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。オラース・ヴェルネ《ポンティーノ湿地への狩りの出発》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらも、倒れた大木が中央にある。

幹は白く、枝が折れて突き出す。

左右に、黒く太い木が立つ。

その幹はねじれ、上へ伸びる。

奥には、明るい水面が見える。

手前の地面には、犬が数頭いる。

赤い衣の人物が、右奥に小さく立つ。

縦の寸法は先の一枚と同じ100センチ。

横は150センチで、こちらのほうが広い。

二枚を並べる

二枚の年は、いずれも一八三三年である。

縦の寸法も同じ。

主題も同じ地域の狩りである。

つまり、対として注文された可能性が高い。

一方が出発、他方が狩りの最中。

時間の前後を、二枚で示している。

物語を二枚に分ける作り方である。

もっとも、横幅は違う。

厳密な対ではないのかもしれない。

死んだ木を、主役にする

二枚に共通するのは、倒れた大木である。

いずれも画面の中央に置かれる。

白く、皮が剥げ、根がむき出しになっている。

生きた木より、死んだ木のほうが目立つ。

これは、意識的な選択だろう。

朽ちた木は、形が複雑である。

枝が折れ、幹がねじれ、洞ができる。

描く対象としては、生きた木より面白い。

そして、時間の経過を示す。

湿地という土地

ポンティーノ湿地は、ローマの南にある低地である。

十九世紀には、まだ排水が進んでいなかった。

水がたまり、木が倒れ、蚊が発生する。

人の住みにくい土地である。

そこへ、狩りに出かける。

つまり、この二枚は辺境の風景でもある。

整えられた庭や田園ではない。

荒れた自然を主題にすることは、当時の新しい傾向だった。

光の差し込み方

二枚とも、木立の奥から光が差す。

葉の隙間から、明るい面が覗く。

そして、手前の水面に光が反射する。

つまり、明暗の差が大きい。

暗い森の中に、明るい抜けを作る。

この構図は、森を描くときの定石である。

暗いだけでは、画面が読めなくなる。

抜けがあると、奥行きが生まれる。

犬という小さな存在

二枚とも、手前に犬が描かれている。

白と茶の斑の犬である。

大きさは、画面の中で数センチしかない。

しかし、この犬が場面を狩りにしている。

犬がいなければ、ただの森である。

主題を示す最小限の要素として、置かれている。

同時に、大きさの目安にもなる。

犬の大きさから、木の巨大さが分かる。

二枚の傷み方

二枚の風景の表面にも触れておきたい。

いずれも、全体に褐色がかって見える。

上塗りの保護層が黄変したためだろう。

とくに緑は、黄変の影響を受けやすい。

もとの葉の色は、もっと冷たい緑だったかもしれない。

そして、暗部は沈んでいる。

木立の奥の細部は、いまはほとんど読めない。

制作当時は、もう少し見えていた可能性が高い。

見えているものが当初の状態とは限らない。

画家の肖像

五点目は、人物画である。

ジャン=ルイ=アンドレ=テオドール・ジェリコー
オラース・ヴェルネ《ジャン=ルイ=アンドレ=テオドール・ジェリコー》おそらく1822年か1823年。油彩・画布。縦47.3センチ、横38.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。1998年購入。オラース・ヴェルネ《ジャン=ルイ=アンドレ=テオドール・ジェリコー》メトロポリタン美術館蔵

男の顔が、正面をやや外して描かれる。

頭に、暗い色の布を巻く。

髪は短く、額に落ちる。

眉が寄り、目の下に影がある。

髭は赤みを帯び、口の周りに広がる。

首元には、白い襟が立つ。

その下は、黒い衣である。

画面の下部は、絵具が塗られていない。

画布の地が、そのまま見えている。

未完成のまま残る

下部の塗り残しに注目したい。

白い下地が、はっきり見えている。

つまり、この絵は完成していない。

顔だけが描かれ、衣と背景は途中である。

肖像画では、こうした状態のものが残ることがある。

制作が中断した、あるいは習作として描かれた。

館の記録には、その事情は書かれていない。

見えているのは、途中の状態そのものである。

描かれた人物について

この人物も、画家である。

一七九一年に生まれ、一八二四年に没した。

つまり、この肖像の一、二年後に亡くなっている。

三十二歳の若さである。

馬を主題にした絵で知られる。

そして、大きな遭難の場面を描いた作品がある。

ヴェルネとは、同じ時期にパリで活動していた。

年齢も二歳しか違わない。

同世代の画家が、同世代の画家を描いている。

画家が画家を描く

画家どうしの肖像には、独特の性格がある。

注文ではなく、交流の中で描かれることが多い。

だから、形式ばらない。

正装ではなく、日常の姿になる。

この一枚も、頭に布を巻いた姿である。

仕事場での格好だろう。

そして、未完成のまま残っている。

売るための絵ではなかったことが、そこからも分かる。

彫刻家の肖像

六点目も、人物画である。

ヴェルネの胸像とともに描かれたベルテル・トルヴァルセン
オラース・ヴェルネ《ヴェルネの胸像とともに描かれたベルテル・トルヴァルセン》1833年、またはそれ以降。油彩・画布。縦96.5センチ、横74.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルドルフ・J・ハイネマン寄贈、1962年。オラース・ヴェルネ《ヴェルネの胸像とともに描かれたベルテル・トルヴァルセン》メトロポリタン美術館蔵

男が、机の前に立つ。

白い上衣を着て、袖をまくる。

髪は白く、肩まで伸びる。

顔はこちらを向き、目を大きく開ける。

右手に、細い工具を持つ。

その手を、机の上へ伸ばす。

机の上には、白い胸像がある。

胸像の顔は、右を向いている。

背景は暗い緑で、平らである。

絵の中に、彫刻がある

机の上の胸像に注目したい。

白い石か石膏で作られた、男の頭部である。

館の題によれば、これはヴェルネ自身の胸像である。

つまり、描いている画家の顔が、絵の中にある。

彫刻家が、画家の胸像を作っている場面。

その場面を、当の画家が描いている。

つまり、二人が互いを作品にしている。

肖像が入れ子になっている。

描かれた彫刻家について

この人物は、一七六八年に生まれ、一八四四年に没した。

デンマークの出身で、ローマで活動した。

古代の彫刻に倣った作風で知られる。

十九世紀前半の欧州で、最も名の知られた彫刻家の一人である。

ヴェルネがローマに赴任していた時期に、二人は交流した。

この絵の年は一八三三年、またはそれ以降とされる。

ローマでの交流の記録でもある。

白い上衣

この人物は、白い上衣を着ている。

正装ではない。

彫刻の仕事着だろう。

石を彫れば、粉が飛ぶ。

だから、汚れてもよい服を着る。

そして、袖をまくる。

つまり、仕事の最中の姿である。

肖像画としては、くだけた設定である。

先の未完成の肖像と、性格が近い。

職人としての彫刻家

彫刻の仕事は、体を使う作業である。

槌と鑿を持ち、石を削る。

粉を浴び、汗をかく。

一方で、彫刻家は芸術家でもある。

その二つの面を、どちらで描くか。

この絵は、仕事着を選んでいる。

つまり、手を動かす人として描いている。

当サイトの
浮き彫りに彫るでも、彫刻家の仕事に触れた。

工具を持つ手

彫刻家の右手を見てほしい。

親指と人差し指で、細い工具を挟んでいる。

握りしめてはいない。

つまり、力を入れる前の状態である。

彫刻の仕事では、力の加減が要る。

強く打てば、石が欠ける。

その微妙な加減が、指の形に出ている。

肖像画では、手の描写が人物の職業を語る。

顔だけでは、彫刻家とは分からない。

六点の技法

六点の技法を整理したい。

油彩・画布が五点。

石版画が一点。

つまり、油彩が中心である。

しかし、この画家は版画も多く手がけた。

軍の場面や、馬の絵が石版画になっている。

版画は安く、広く売れる。

油彩は高く、注文で描く。

二つを並行して行うのが、当時の画家の稼ぎ方だった。

六点の寸法

寸法も見ておきたい。

最も大きいのが、縦100センチ、横150センチの風景。

次が、縦96.5センチの肖像。

そして、縦47センチ前後の小品が二点。

石版画の紙は、縦41.9センチである。

つまり、大作と小品が混ざっている。

大作は展覧会に出し、小品は手元に置く。

用途によって、大きさが決まっている。

六点の年代

年代を並べてみたい。

一八一八年、一八二〇年。

一八二二年か二三年。

一八三三年が三点。

つまり、二つの時期に分かれる。

一八二〇年前後と、一八三三年である。

前者はパリでの仕事、後者はローマ滞在中の仕事だろう。

土地が変われば、主題も変わる。

競走と駅馬車から、湿地の狩りへ。

三代続く画家の家

ヴェルネの家系について、もう少し書きたい。

祖父は海の風景を描いた画家である。

父も画家で、馬や軍の場面を描いた。

そして、本人も同じ主題を継いだ。

つまり、家業として画業が続いている。

工房の道具も、顧客も、受け継がれる。

十八世紀から十九世紀の欧州では、こうした家系が珍しくない。

親の名前が、子の仕事を助ける。

同時に、比較もされる。

同時代の画家たちとの関係

十九世紀前半のパリには、複数の潮流があった。

古典を重んじる立場と、動きと色を重んじる立場である。

ヴェルネは、その中間にいたとされる。

馬や戦いを描く点では、後者に近い。

一方で、仕上げは丁寧で、輪郭が明瞭である。

当サイトの
動物を描くでも、同時代の画家を扱った。

同じ主題でも、方法が違う。

六点を見るときは、その位置を意識したい。

軍の場面を描く画家

ヴェルネの代表作の多くは、戦いの場面である。

大画面に、多数の兵と馬を描く。

国の注文で描かれたものも多い。

当サイトでは、そうした作品を扱っていない。

当サイトが公開している作品の中に、含まれていないためである。

つまり、六点はこの画家の一部でしかない。

競走、駅馬車、狩り、肖像。

いずれも、代表作とは言いにくい。

そのことは、書いておきたい。

収蔵品から見る、ということ

美術館の収蔵品は、その画家の全体ではない。

たまたま市場に出たもの、寄贈されたものが集まる。

だから、代表作が欠けることもある。

当サイトが扱えるのは、その中のさらに一部である。

権利の条件を満たし、画像が公開されているものに限られる。

六点は、その条件を通ったものである。

見えているものが全部ではない。

そう断ったうえで、六点を見ることになる。

収集家の名前

六点の来歴に、繰り返し現れる形がある。

個人の収集家からの遺贈と寄贈である。

一八八七年、一九六二年、一九九八年。

そして、二枚の風景は館の記録に年がない。

十九世紀末から二十世紀にかけて、欧州の絵が米国へ渡った。

その多くが、個人の手を経て館に入っている。

収集家の好みが、いま見られる作品を決めている。

誰が何を買ったか。

それも、美術史の一部である。

六点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

六点の中の、脚を見比べてほしい。

立ち上がる馬の脚、走る馬の脚。

そして、倒れた木の根。

さらに、彫刻家の腕。

いずれも、力のかかる部分である。

この画家は、力の伝わる場所を丁寧に描く。

蹄が地面を蹴る瞬間、根が土から抜ける形。

そこに、動きと重さが集まっている。

顔ではなく、脚と根を見る。

そういう順で見ると、六点はひとつながりに見えてくる。

馬の絵も、木の絵も、力の絵である。

そこが、この画家の主題だった。

蹄の下と、根の下を見てほしい。

どちらにも、地面を押す力が描かれている。

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