締め切りのない絵——ドーミエの油彩
約四千点の風刺石版画で生きた「新聞の人」は、その裏で、売るあてのない油彩を描き溜めていた。三等車両の母子、貧者の群れ、絵を値踏みする人々。転写用の格子が透ける未完成の画面まで、ドーミエのもう一つの顔を八点で読む。

木の座席に、人がぎっしりと
一枚の絵から始めたい。

横長の画面である。縦65.4センチ、横90.2センチ。
三等車両の車内が描かれている。木の固い座席に、人が詰めて座っている。
手前の一列が、この絵の主役である。
左の若い母は、頭巾の陰で乳飲み子に乳をやっている。
まぶたを伏せ、子の重みを腕全体で受け止めている。
中央には老婆が座る。大きな籠を膝に抱え、その上で両手を組んでいる。
しわの寄った手である。長く働いてきた手だと、ひと目でわかる。
老婆は誰とも話さず、まっすぐ前を見ている。
その右では、少年が首を折って眠り込んでいる。
奥の座席には、帽子の男、頭巾の女の顔が幾重にも続く。
窓から白い光が差し込む。だが車内の空気は重く、茶色く濁っている。
外の景色は、ほとんど描かれていない。
誰も話していない。それぞれが、それぞれの疲れの中にいる。
鉄道は当時の新しい乗り物だった。三等車両は、その一番安い席である。
座席は板張りで、暖房はなく、乗客は荷物ごと詰め込まれた。
新しい機械の中に、昔から変わらない庶民の顔が詰まっている。
ドーミエはこの車内を、気の毒な見世物としては描いていない。
老婆の組んだ手は、静かで、どこか堂々としている。
貧しさの記録である前に、まず人間の絵である。そこがこの絵の品格だろう。
画面に、格子が透けている
この絵をよく見ると、奇妙なものに気づく。
画面の全体に、細い縦横の線がうっすらと走っている。格子である。
老婆の顔の上にも、母子の上にも、線は等間隔に引かれている。
これは、素描を画布へ拡大して写すための方眼だと考えられている。
小さな下絵にマス目を引き、大きな画布にも同じ割合のマス目を引く。
マス目を頼りに、構図を一区画ずつ写していく。昔ながらの転写の手順である。
方眼は本来、作業のための線だ。絵の具の下に隠れ、完成時には消えるはずのものである。
それが、この絵では人物の顔の上に透けたまま残っている。
つまりこの絵は、転写の途中、あるいは下塗りの途中で筆が止まっている。
色は置かれ、顔の表情まで描かれているのに、作業の線がまだ消されていない。
未完成のまま残された。格子は、その動かぬ証拠である。
完成作なら隠されるはずの舞台裏が、ここでは表に出ている。
絵がどうやって作られるのか、その手順を画面自身が語っている。
未完成が、壁に掛かっている
普通なら、未完成の絵は工房の隅で忘れられる。
人に見せるものではないし、売り物にもならないからである。
だがこの絵は、メトロポリタン美術館の壁に掛かり、画家の代表作と呼ばれている。
未完成であることが、この絵の欠点ではなく、魅力として語られている。
考えてみれば、不思議なことである。
なぜ、仕上がっていない絵が、これほど人を引きつけるのか。
途中の状態が公開されているのは、それ自体が幸運なことでもある。
多くの画家の「途中」は、塗りつぶされるか、破棄されて、残らないからだ。
答えの半分は、描いた人の事情が画面にそのまま残っているからだと思われる。
その事情を知るには、描いた人の本業から話を始める必要がある。
描いたのは、新聞の人だった
オノレ・ドーミエ。1808年にマルセイユで生まれ、1879年に没した。
ガラス職人の子として生まれた。正規の美術教育はわずかで、ほぼ独学だったと伝えられる。
1830年代から、パリの風刺新聞に石版画を描き続けた。
シャリヴァリ紙などの紙面で、政治家を、法律家を、気取った小市民を笑いものにした。
悪徳実業家ロベール・マケールの連作など、当たりものも生んだ。
大げさな顔、誇張された体つき。読者はひと目で笑い、翌週を待った。
その筆の速さと的確さで、ドーミエの名はパリ中に知られていた。
1832年には、国王を風刺した版画のために投獄されている。
収監は半年に及んだと伝えられる。それでも筆は止めなかった。
石版画は、石の板に脂のクレヨンで描き、そのまま印刷機にかける版画である。
描いた線がほぼそのまま刷れるので、速報に向く。新聞の時代の花形だった。
ドーミエが生涯に描いた石版画は、約4000点にのぼるとされる。
単純に数えても、四十年あまり、週に何点もの絵を出し続けた計算になる。
締め切りは毎週来る。時事は待ってくれない。描けば刷られ、街に出て、消えていく。
つまりドーミエの本業は、油彩画家ではない。新聞の絵描きだった。
問い——締め切りのない時間に、何を描いたか
ここで問いを立てたい。
毎週の締め切りに約4000点を差し出した人が、油彩では何を描いたのか。
石版画は刷られ、売られ、笑われ、翌週には忘れられる。速さの絵である。
油彩は逆だ。乾くのを待ち、塗り重ね、時間をかけて育てる絵である。
速さの職人が、遅い絵に向かったとき、何が起きたのか。
締め切りのない画布の上で、この人の筆はどこへ向かったのか。
風刺の続きか。それとも、まったく別のものか。
答えを先に言えば——売るあてのない、庶民の群像である。
そして、その多くは未完成のまま残された。
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