鳴らしていない時間が、絵になる——探幽・バビューレン・バルラハほか九点の楽器
笛を吹く菩薩、杯を掲げるヴァイオリン弾き、そして楽器を持たない音楽家の肖像。楽器の写った九点を数えると、鳴らしている最中は四点だけで、残りはみな構えたままだった。絵が選ぶのは、音の前後の、止まっていられる時間である。

雲の上で、笛を吹いている
縦長の紙に、細い線だけで人が描かれている。
大きな輪光を背にして、雲の上に座っている。
頭には笠、体には薄い衣。
その口もとに、横笛が当てられている。
指は、笛の穴の上に静かに置かれている。
衣の線は、下へ長く流れて雲に溶けていく。
彩色はごくわずかで、ほとんど墨の線である。
上の余白には、賛と署名がある。
音を出しているはずなのに、画面はしんとしている。
雲も衣も、揺れずに止まっている。

館の記録の分類の札には、笛と菩薩の二語が並ぶ。
描いたのは、江戸の初めに幕府に仕えた狩野探幽である。
地蔵菩薩は、人を救う仏として広く信じられてきた。
その菩薩が、笛を吹いている。
説法でも、祈りでもなく、音を出している姿である。
絵が音を持たないことは、絵は音を持たないと数えた回で確かめた。
ここで数えたいのは、その先である。
絵の中の楽器は、鳴っている最中の姿で描かれるのか。
そして楽器は、音のかわりに何を語らされているのか。
弦の張り、指の位置、口の形、抱えた腕。
楽器の写り方を、九点で数えてみたい。
弦を持つ手と、もう一方の手の杯
二点目は、こちらをまっすぐ見る男である。

羽根飾りの付いた帽子を、斜めにかぶっている。
肩は片方はだけ、青と白の袖がのぞく。
左手にヴァイオリンの棹を握り、右手には黒っぽい杯を掲げている。
弓は、どこにも見当たらない。
口を開けて笑い、歯が一本欠けている。
顔にはひげが伸びかけている。
館の記録では、バビューレンはユトレヒトの生まれである。
カラヴァッジョの新しい画風をオランダへ伝えた、最初の世代の一人だという。
半身の人物を画面のすぐ手前に置くと、生き生きとした即興の感じが出る。
ゆるく色の派手な服は、この楽師が社会の周縁にいることを示すと記録は読む。
大胆な視線、ひげ、欠けた歯の笑い。
そのどれもが、行儀の外にいる人の印だという。
豆知識の欄によれば、同じ模特がほかの画家の絵にも出てくる。
大きな口ひげと欠けた歯で、すぐに見分けが付くのだそうだ。
さて、この人は演奏していない。
弓を持たない手で、杯を上げている。
つまり音楽の途中ではなく、休みの時間である。
それでも、この絵は音楽の絵として記録されている。
楽器を持っているというだけで、絵は音楽の側に立つ。
弦は四本、はっきり描き分けられている。
棹を握る左手の指も、押さえる位置に置かれている。
つまり画家は、弾ける形を知って描いている。
鳴らしていないのに、鳴らせる持ち方である。
寸法は80.4×67.1センチ。
半身像としては、やや大きい。
酒の杯と楽器を持つ人が、これだけの画面を占めている。
楽器を持たない、音楽家の肖像
三点目は、その裏返しである。

白っぽい膝丈のズボンに、濃い上着。
若い男が、譜面台に肘をあずけて立っている。
脚を組み、体をわずかにひねっている。
視線は、こちらを見ていない。
どこか遠くを、夢見るように見ている。
そして、手にも足元にも、ヴァイオリンはない。
館の記録では、描かれているのはジャン・ヴィダルという音楽家である。
これから輝かしい演奏家の道を歩み出す時期だったという。
流行の装いと、夢見るような目つき。
それが、この人の現代性と芸術家らしい気質を示していると記録は読む。
作者のオジェは、ダヴィッドの弟子である。
師の説いた理想化された形や歴史の主題から離れ、同時代のパリの文化を描いた。
たるんだ靴下や、なめらかな襟まで、細かく写している。
チョークの線を重ねる密度を変え、紙の地の色を生かしたと記録は書く。
豆知識の欄には、この素描が長く演奏家の一族の手に残ったとある。
本人にとって、大切な一枚だったのだろう。
九点のうち、音楽家その人を描いてなお、楽器の写らない絵はこの一点である。
楽器の代わりにあるのは、鉄でできた譜面台だった。
譜面台は、音楽を支える道具ではあるが、鳴りはしない。
三本の脚と、譜面を載せる斜めの板。
飾りの唐草が、脚のあいだに渡されている。
その金物に肘を置く姿は、たしかに音楽家の肖像である。
紙は縁を含めて91.5×64.4センチ。
素描としては、堂々たる大きさである。
銘の欄には、紙の透かしのことも書かれている。
1801年という年が、紙そのものに漉き込まれている。
描かれた1808年より、七年古い紙である。
琴が、六つの芸を代表する
四点目は、江戸の錦絵である。

畳の上に、細長い楽器が横たえられている。
女がその前に膝をつき、右手を弦の上に置いている。
薄紅の打掛が、後ろへ長く流れる。
髪には櫛と簪が並ぶ。
背景には、花の咲く枝と、御簾のような垂れ幕が見える。
右上には、丸い題箋と、四角い題箋が刷り込まれている。
館の記録では、この一枚は中国の六芸をもじった揃い物である。
礼、楽、射、御、書、数の六つが、昔の学びの中身だった。
その楽、つまり音楽を代表するのが、弦の楽器である。
中国では琴という楽器がその役を務めてきた。
この絵では、それが日本の箏に置き換えられている。
そして弾いているのは学者ではなく、当世の女性である。
古い学問の型を、流行の姿に置き換えて見せる。
見立てという遊びが、ここでも働いている。
弦は、はっきりと数えられるように摺られている。
柱の位置も、一つずつ描き分けられている。
音は聞こえないが、弦の張り具合は目で読める。
そして、この女性は弾き始めていない。
右手は弦の上に置かれただけで、指は曲がっていない。
爪も、撥も見えない。
構えたところで画面が止まっている。
紙は36.6×25センチ。
版元と改印の印も、記録は書き留めている。
売るために刷られた紙の中で、楽器は学びの象徴として働いていた。
二人で鳴らせば、それは仲のよさになる
五点目は、白い磁器である。

背の高い長椅子に、着飾った男女が並んで腰かけている。
女は、丸い胴の弦楽器を膝に抱えている。
男は、細い管を口に当てている。
二人の顔は、たがいのほうへ向いている。
椅子の背には、花と貝殻の飾りが盛り上がっている。
足元にも、細かい花が付いている。
館の記録では、女が持つのはリュート、男が吹くのは木の笛だという。
リュートはギターの古い形だ、と記録は説明する。
そして、二人で合わせて演奏することが、求愛と親密さを表すという。
この種の磁器の人形では、よくある約束事の身ぶりだとある。
つまり、これは音楽の像であると同時に、恋の像である。
合奏という行いが、そのまま二人の仲を語る。
音は聞こえないのに、関係は読める。
高さ20センチ、横29.2センチ。
食卓の上に置いて、囲んで眺める大きさである。
磁器は、焼くと縮み、細い部分は折れやすい。
弦も、笛の管も、指も、その細い部分にあたる。
それを承知で、工房はこの主題を選んだ。
難しい形をあえて焼くことが、腕の見せ場でもあった。
音楽の像は、工房にとって技術の看板でもある。
九点のうち、二人以上で音を出しているのは、この一点だけだった。
祭壇の頂に、弦を持つ者がいる
六点目は、木彫である。

翼を大きく広げた人が、宙に浮くように立っている。
赤い衣が波打ち、金の縁取りが光る。
胸の前に、丸い胴のリュートを抱えている。
右手の指は弦の上、左手は棹を押さえている。
顔は下を向き、髪が肩に垂れる。
木の地に、彩色と金がのせられている。
館の記録では、これは祭壇の頂に置かれていた像である。
南チロルの、ラーナという村の教会の主祭壇だという。
彫刻家は1503年に契約を結び、八年で仕上げる約束をした。
代金は1600グルデンだったと記録は書く。
作者はバイエルンの生まれで、メランに移り、この地域で最も大きな工房を営んだ。
そしてこの天使は、その代表作の一部である。
アルプス地方で最大のゴシックの祭壇だったという。
ほかの部分も、あちこちの館や個人の手に散らばっている。
来歴の欄には、第二次大戦中に教会から外されたか売られたか、とある。
音楽を奏でる天使が、戦争のあいだに祭壇から離れた。
いま像は、教会の高みではなく、館の展示室に立っている。
見上げるために作られた顔が、目の高さで見られている。
高さは75センチ。
祭壇の頂に置かれれば、下から見上げる小さな影になる。
だから顔は下を向き、衣は下へ広がるように彫られている。
見る位置まで計算に入った形である。
そして楽器は、天使の持ち物として彫られた。
音を出すのは人だけの仕事ではない、という考えがそこにある。
九センチの紙に、ギターがある
七点目は、うんと小さい。

葉書より小さな紙に、いくつもの図が散らばっている。
上には、身をかがめて何かを覗く男。
その隣に、立ち姿の人物。
下のほうには、大きな帽子の男が、丸い胴の楽器を抱えている。
弦をかき鳴らす手が、素早い線で描かれている。
線は細く、迷いがあり、消し跡もそのまま残る。
館の記録の分類は、男とギターの二語である。
これは素描帳の一頁で、画家が二十歳の前後に描いたものである。
のちに大きな油彩や版画で名をなす人の、初期の手つきが残る。
思いつくままに、頁の空いたところへ図を足していく。
つまりこれは、発表のためではない絵である。
九点でいちばん小さく、いちばん私的な一点だ。
それでも、楽器を抱えた形は間違いなく読み取れる。
丸い胴と、まっすぐな棹。
その二つを描けば、絵は音楽の絵になる。
顔も、指の数も、ここでは要らない。
楽器の輪郭は、それだけ強い記号である。
紙は9×12.4センチ。
九点でいちばん小さいこの一枚が、いちばん速く描かれている。
天井に、音楽の間をこしらえる
八点目は、部屋のための絵である。

三枚に分かれた、横長の習作である。
中央には、金色の地に人物が並ぶ。
長い衣の人が立ち、その前に子どもらしい姿がひざまずく。
左右の細長い画面にも、舞う姿がひとつずつ。
赤や青の衣が、金地の上ではっきり浮かぶ。
太い木の枠に、三枚がまとめて収められている。
館の記録の分類には、詩神、女神、寓意の三語がある。
これは、ある邸宅の音楽室の天井のための下絵である。
つまり、実際には見上げて眺められる絵だった。
音楽の部屋には、音楽の神々を描く。
天井を見上げれば、詩と音楽をつかさどる者たちがいる。
音は空気を伝わるが、部屋そのものが音楽を名乗ることもある。
面白いのは、この習作に楽器がほとんど見えないことである。
見えるのは、衣と、身ぶりと、金の地だけだ。
天井の音楽は、楽器ではなく、寓意で示された。
寸法は、中央の画布で30.5×43.2センチ。
天井いっぱいの絵の設計図が、机の上の大きさに縮めてある。
金は、絵の具と一緒に画布へ塗られている。
天井の高いところで、ろうそくや灯りの光を返すためだろう。
音楽室は、夜に人の集まる部屋である。
暗くなってから見上げる絵だと考えれば、金地の意味も分かる。
館へ入ったのは2019年の遺贈による。
音楽室の天井は、とうに人手に渡った。
残ったのは、その部屋を計画した小さな三枚である。
口を開けた青銅
最後の一点に、楽器はない。

床に座った男が、片膝を両手で抱えている。
上体はやや後ろへそり、顔は上を向く。
目は閉じられ、口は大きく開いている。
体は簡単な面で作られ、細部は削ぎ落とされている。
服の皺も、髪の一本一本もない。
あるのは、抱えた膝と、開いた口である。
館の記録では、バルラハはドイツの表現主義を代表する彫刻家である。
1906年ごろから、人の体を通して内面を伝える道を探り始めたという。
膝を引き寄せた姿勢と、閉じた目と、開いた口。
その三つが、深い集中を示していると記録は読む。
そして記録は、この作者の後年にも触れている。
ナチスに強く反対し、退廃芸術と決めつけられた。
ドイツで教えることも、展示することも禁じられたという。
この像が館に入ったのは、1937年である。
まさにその禁止の時期に、青銅の歌う男は海を渡っていた。
九点のうち、音を出す道具を持たないのはこの一点である。
楽器の代わりにあるのは、開いた口と、体の構えだけだ。
そして九点のなかで、いちばん音が聞こえてくるのも、たぶんこの一点である。
面を削ぎ落とした体は、どこも鳴りそうにない。
鳴っているのは、開いた口の中の空洞だけである。
その空洞を、青銅は形として持っている。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
楽器が写っている絵が七点。
写っていないのが二点。
譜面台に寄りかかる音楽家と、歌う男である。
楽器の種類も数えておく。
笛が二つ、弦の楽器が四つ。
笛は横笛と木の笛、弦は箏とリュートが二つとヴァイオリンである。
打つ楽器は、九点に一つもなかった。
鼓も、鐘も、ここには来ていない。
叩いて鳴らす道具の回は、鐘の回で別に立てる。
太鼓も鉦も、この集まりには来なかった。
弦と笛が、絵の中の音楽を代表している。
演奏の最中かどうかも数えられる。
はっきり音を出している最中なのは四点。
笛を吹く菩薩、箏に手を置く女、合奏の二人、歌う男である。
残る五点は、構えているだけか、楽器から手を離している。
音楽の絵は、意外なほど、鳴らしていない時間を選ぶ。
理由は、たぶん形にある。
弾いている手は速く動き、絵にすると輪郭が崩れる。
構えた姿勢のほうが、長く止まっていられる。
踊っていない踊り子を数えた回と、事情はよく似ている。
動きの盛りは、絵にとっていちばん扱いにくい一瞬である。
だから絵は、その前後を選ぶ。
弓を置いた手、弦に触れる直前の指、吸い込んだ息。
九点の楽器も、たいていその時間にいた。
素材も並べておく。
油彩が二点、素描が二点、木版が一点。
木彫が一点、磁器が一点、青銅が一点、そして紙の掛軸が一点である。
音の出ない材料ばかりで、音楽が作られている。
もっとも、青銅と木だけは例外かもしれない。
鐘も笛も、同じ材料から作られる。
歌う男の青銅は、叩けば鳴る材質でできている。
大きさの幅も大きい。
いちばん小さいのは、9×12.4センチの素描帳の一頁。
いちばん大きいのは、表具を含めて204.5センチの掛軸である。
土地も数えておく。
日本が二点、オランダが一点、フランスが一点。
ドイツが二点、オーストリアが一点、イギリスが一点、アメリカが一点。
年代は1503年の少しあとから1928年まで、四百年を超える。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に音楽や楽器の語を持つものから集めた。
打つ楽器が一つも来なかったのは、集め方の偶然かもしれない。
演奏の最中が少ないという傾きも、九点の中の話にすぎない。
ただ、絵が音を出せないことだけは、確かである。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、どんな曲が鳴っていたかは書かれていない。
菩薩の笛の調べも、二人の合奏も、歌う男の一節も分からない。
分かるのは、楽器の形と、指の位置と、口の開き方だけである。
音は、その日のうちに消えてしまった。
消えない形のほうだけが、四百年たっても手元に残っている。
次に楽器の写った絵の前に立ったら、指の位置を見てほしい。
弦を押さえていれば、その人はもう弾き始めている。


