美術史・技法

卓に古器を並べて、集う——朝鮮王朝の画帖八葉

卓の上に青銅の器と巻物が並び、その前に人が集まる。中国に由来する主題を、朝鮮王朝の絵師が描いた八葉の画帖である。虫損や剥落を抱えたまま残る紙を、失われた部分ごと見ていく。手元で開く絵の見方を考える。卓上の器の一つひとつに、描き手の関心が表れている。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

卓の上に、古い器が並ぶ

一枚の画帖の葉から始めたい。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。縦35.2センチ、横30.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金、1915年購入。館の記録では朝鮮王朝の作とされる。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

縦35センチ、横30センチほどの絹である。

正方形に近い形をしている。

画面の右上に、大きな卓がある。

その上に、器や巻物や箱が並ぶ。

青、緑、赤の小さな品が、隙間なく置かれている。

卓の手前に、白い衣の人物が座る。

その左に、黒い帽子の人物がいる。

さらに左には、屏風のような仕切りが立つ。

画面の下には、庭石と鉢植えがある。

人物は全部で十人ほど。

いずれも小さく、顔は数ミリしかない。

何を見ている絵か

館の題は、文人の集まりで古物を見る場面としている。

古物とは、古い青銅器や陶器、書画のことである。

集まって、それらを取り出し、鑑定し、語り合う。

そういう催しが、東アジアの文人の世界にはあった。

つまり、これは美術を見る人を描いた絵である。

見る側と見られる側が、同じ画面にいる。

いま美術館で私たちがしていることと、構図が重なる。

八図はいずれも、その集まりを描いている。

朝鮮王朝の絵である

ここで、大事なことを書いておきたい。

館の記録は、この八図の文化を朝鮮としている。

時代は、朝鮮王朝である。

制作は十八世紀とされる。

作者名も記録されているが、漢字の表記は特定できない。

当サイトでは、推測で名を当てることはしない。

分かるのは、朝鮮王朝の十八世紀の画帖であることである。

そして、それが八葉まとまって残っていることである。

中国の主題を、朝鮮で描く

主題は、中国の文人の集まりに由来する。

古物を並べ、鑑賞し、詩を作る。

その情景は、中国の絵で繰り返し描かれてきた。

朝鮮の画家も、その主題を受け継いだ。

当サイトの
模倣と創造でも、この受け継ぎ方を扱った。

主題を借りることは、当時の東アジアでは自然な行為である。

借りたうえで、細部が土地に応じて変わる。

衣の形、建物の造り、器の並べ方。

八図を細かく見ると、その差が見えてくる。

傷んだまま残る

八図の状態について、先に書いておきたい。

いずれも、絹が傷んでいる。

表面が擦れ、絵具が剥落した箇所が多い。

とくに白く抜けた部分は、絵具が失われた跡である。

縁には、補修のために別の絹が当てられている。

折れ跡も、複数の葉に見える。

三百年近い時間の結果である。

館は、その状態のまま公開している。

修復で描き足していない。

失われた部分を、どう見るか

絵具が剥落すると、下の絹が見える。

そこは、褐色の地の色になる。

つまり、画面に大きな穴が空いたように見える。

この状態で、絵は読めるのか。

読める、と言ってよい。

輪郭線は墨で描かれており、比較的よく残っている。

色は失われても、形は残る。

八図を見るときは、まず線を追うことになる。

画帖という形式

画帖は、絵を綴じた冊子である。

同じ大きさの絵を並べ、順に繰って見る。

掛軸のように、壁に掛けるものではない。

巻物のように、横へ広げるものでもない。

手元で、一葉ずつ見る。

この形式については、当サイトの
巻物、屏風、扇でも触れた。

同じ東アジアの絵でも、器によって見方が変わる。

そして、器が変われば構図も変わる。

正方形に近い画面は、画帖に特有のものである。

遠くから見る絵ではない

八図の人物は、非常に小さい。

顔は数ミリ、体は二センチほどしかない。

つまり、離れて見る絵ではない。

手元に置き、近づいて見る絵である。

画帖という形式が、その見方を前提にしている。

一葉ずつ繰り、細部を追う。

そして、次の葉へ移る。

書物を読むのに近い体験である。

庭の集まり

二葉目は、屋外である。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。縦35.2センチ、横31.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の上半分に、大きな木が枝を広げる。

葉は、緑と青の点を重ねて描かれる。

その下に、低い塀が横に走る。

塀の手前には、白い敷物が広げられる。

その上に、赤い卓が置かれる。

卓を囲んで、三人が座る。

左には、別の人物が二人立つ。

画面の下は、岩と草である。

上半分が木、下半分が人。

そういう配分になっている。

木を、どう描くか

この一葉の木は、点で描かれている。

小さな点を、色を変えながら重ねる。

緑、青緑、そして濃い青。

離れて見ると、茂った葉に見える。

近づけば、点の集まりである。

幹と枝は、墨の線で描かれる。

線は太く、抑揚がある。

つまり、幹は線、葉は点。

役割がはっきり分かれている。

東アジアの絵で、長く使われてきた方法である。

松の下の集まり

三葉目も、屋外である。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。縦34.3センチ、横30.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の上に、大きな木が斜めに伸びる。

幹は太く、うねっている。

松だろう。

その下に、人物が集まっている。

白い衣の人物が中央に座る。

その周りに、緑や赤の衣の人物が六、七人。

右下には、器を並べた敷物がある。

右上には、黄色い衣の人物が二人立つ。

背景の上部には、赤紫の点が散る。

花の咲いた木だろうか。

集まりの人数

八図の人数を数えてみたい。

少ないもので六人、多いもので十二人ほどである。

つまり、いずれも十人前後の集まりである。

大人数の宴ではない。

親しい者どうしが集まる規模である。

そして、身分の違う人物も混じっている。

衣の色と形が違う人物が、隅で立ち働く。

給仕や、荷を運ぶ役だろう。

主役と脇役が、同じ画面に描かれている。

誰が主役か

八図には、白い衣の人物がよく出てくる。

たいてい中央近くに座り、大きめに描かれる。

その人物が、集まりの主役だろう。

周りの人物は、やや小さい。

大きさで序列を示す方法である。

遠近によって小さくなっているのではない。

同じ距離にいても、身分によって大きさが変わる。

古い絵に共通する描き方である。

正確さより、関係の表示が優先されている。

建物の中と外

四葉目は、屋内と屋外が混ざる。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の左上に、建物の一角がある。

赤い柱と、緑の壁が見える。

その手前に、白い床が広がる。

床の上に、卓と敷物が置かれる。

三人が座り、器を囲む。

右上には、別の卓があり、二人がいる。

右下には、青い衣の人物が立つ。

手には、細長い棒を持つ。

画面の下端は、岩と草である。

つまり、建物の中と庭が、同じ画面にある。

斜めの線で、奥行きを作る

八図の建物は、いずれも斜めに描かれる。

床の線、壁の線、卓の縁。

これらが、平行なまま斜めに走る。

つまり、線が一点に収束しない。

西洋の遠近法とは、作図の考え方が違う。

平行なまま奥へ伸ばす方法である。

この描き方では、奥の物が小さくならない。

だから、奥の卓の上の器も、はっきり見える。

見せたいものが隠れない。

実用的な作図である。

器を、細かく描く

八図の見どころは、卓の上の器である。

青銅の鼎、白い壺、赤い箱、巻いた紙。

一つずつ、形が描き分けられている。

大きさは一センチに満たない。

その中に、脚や取っ手や蓋が描かれる。

これは、相当に細い筆の仕事である。

そして、色も塗り分けられている。

青緑は青銅、白は磁器、褐色は木。

材質まで、色で示している。

人物の顔

八葉の人物の顔を、拡大して見てほしい。

顔は数ミリしかない。

その中に、目と鼻と口が描かれている。

線は極端に細い。

髭のある顔と、ない顔が描き分けられる。

年配の人物には、白い髭が付く。

若い人物は、顔が丸い。

つまり、数ミリの中で年齢が示されている。

顔立ちの個性まではない。

しかし、集まりの中の役割は読み取れる。

帽子で、身分を示す

顔より分かりやすいのが、帽子である。

八葉の人物は、いずれも何かをかぶっている。

黒く高い帽子、丸い頭巾、布を巻いたもの。

形が明確に描き分けられている。

これは、身分や役割を示す記号である。

朝鮮王朝では、身分によってかぶり物が定められていた。

だから、帽子を見れば立場が分かる。

小さな絵で人を区別するには、帽子が最も効率がよい。

顔ではなく、頭の上を見る。

古物という主題

なぜ、古い器を見る場面が絵になるのか。

古物を鑑賞することは、教養の証しだった。

古代の器の形を知り、真贋を見分ける。

その能力が、文人としての資格になる。

だから、集まって器を並べる。

そして、その場面が絵になる。

つまり、この絵を持つこと自体も、教養の表明である。

絵の中の人と、絵を持つ人が、同じ趣味でつながっている。

橋の上の集まり

五葉目は、水辺である。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の中ほどに、欄干のある橋が横に走る。

その上に、卓と椅子が置かれる。

人物が六、七人集まる。

赤い椅子に座る人物が中央にいる。

左には、立って身を乗り出す人物。

右には、二人が寄り添う。

上部には、松の枝が大きく広がる。

枝は右へ伸び、画面の上端を覆う。

橋の下は、水と岩である。

八図の中で、傷みがとくに大きい一葉である。

傷みの偏り

八葉の傷み方には、偏りがある。

上部が大きく擦れているもの。

中央に穴が空いているもの。

縁だけが失われているもの。

これは、保管の状態の差を示す。

画帖として綴じられていれば、外側の葉ほど傷む。

重ねて置かれた場合も、上下で条件が違う。

八葉の傷みを見比べると、束の中の位置が想像できる。

作品の状態も、来歴の記録である。

竹林の集まり

六葉目は、緑が濃い。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の上半分が、細い縦の線で埋まる。

竹だろう。

線は密に並び、上へ伸びる。

その下に、卓と敷物がある。

人物が四、五人、身を寄せている。

右には、岩の連なりがある。

画面の左と下は、大きく傷んでいる。

絵具が失われ、絹の地が広く見える。

それでも、竹の線と人物の輪郭は残っている。

竹という主題

竹は、東アジアの絵の定番である。

まっすぐ伸び、節があり、折れにくい。

その性質が、人の徳になぞらえられた。

だから、文人の集まりの背景として好まれる。

同時に、描くのが難しい主題でもある。

竹の葉は、一筆で描く。

筆を置き、引き、離す。

その一回の動きで、葉の形が決まる。

やり直しがきかない。

岩の描き方

八葉の下端には、しばしば岩が描かれる。

輪郭を墨の線で取り、内側に薄い色を置く。

そして、線を何本か重ねて皴を示す。

この皴の引き方に、東アジアの山水画の伝統がある。

岩の質を、線の形で示す方法である。

丸みのある線なら柔らかい岩、角ばった線なら硬い岩。

八葉の岩は、比較的丸い。

庭石として置かれた岩だからだろう。

自然の山ではなく、人が据えた石である。

敷物という道具

屋外の場面には、必ず敷物が描かれる。

白や薄い色の布を、地面に広げる。

その上に、卓や器を置く。

つまり、屋外に室内を作っている。

集まりは、庭でも部屋の作法で行われる。

敷物は、その境界を示す道具である。

絵としても、明るい面ができるので効く。

暗い地面の上に、白い矩形が置かれる。

そこが画面の中心になる。

傷んだ絵を、公開すること

八葉の状態を見て、思うことがある。

美術館は、きれいなものだけを見せているわけではない。

傷んだもの、欠けたもの、読みにくいもの。

それらも、記録として公開している。

きれいに直せば、見やすくはなる。

しかし、どこが原作かが分からなくなる。

だから、傷んだまま残す判断がある。

八葉は、その方針の中にある。

私たちも、傷ごと見ることになる。

屏風の前の集まり

七葉目は、室内である。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の右に、大きな屏風が立つ。

屏風には、山水が描かれている。

つまり、絵の中に絵がある。

その前に、卓が置かれる。

卓の上には、器と書物が並ぶ。

二人が向かい合い、手を伸ばす。

左には、階段のような構造がある。

その下に、人物が四、五人立つ。

手前には、赤い台と食器が置かれる。

八葉の中で、色がよく残っている一葉である。

絵の中の絵

屏風に描かれた山水に注目したい。

数センチの中に、山と木と水が描かれている。

これは、当時の屏風の実物を写したものだろう。

つまり、室内の調度の記録でもある。

絵の中の絵は、しばしばこうした情報を含む。

家具、器、掛物、屏風。

風俗画の価値の一つが、ここにある。

主題とは別に、時代の物が写り込む。

階段と、上下の空間

この一葉には、階段が描かれている。

つまり、建物に高低差がある。

上の部屋と、下の庭。

その両方を、一枚に収めている。

斜めの線を使うと、この処理がしやすい。

上下に積み重ねても、破綻しない。

西洋の遠近法では、こうはいかない。

視点が一つに定まるため、見える範囲が限られる。

作図の方法が違えば、描ける範囲も変わる。

窓のある部屋

八葉目は、建物の内部が主になる。

文人の集まりで古物を見る
《文人の集まりで古物を見る》十八世紀。画帖の一葉。絹本着色。メトロポリタン美術館蔵。《文人の集まりで古物を見る》メトロポリタン美術館蔵

画面の右に、格子の入った窓がある。

窓の桟は青く塗られる。

その手前に、卓が置かれる。

卓を囲んで、三人が座る。

一人は白い衣、一人は緑の衣である。

左には、赤い椅子と棚がある。

上部には、梁と天井が見える。

左下には、緑の草が描かれる。

つまり、部屋の一角を切り取っている。

八葉の中で、最も室内らしい一葉である。

八葉の構成

八葉を並べると、配置に規則が見える。

屋内が三葉、屋外が三葉、その中間が二葉。

木の下、竹林、橋の上、部屋の中。

場所が少しずつ変えられている。

同じ主題を、八通りの場所で描く。

画帖の作り方としては、標準的である。

同じ場面が続けば、繰って見る楽しみが減る。

だから、場所と季節を散らす。

八葉は、その配慮のもとに組まれている。

季節は、どこに出るか

八葉の季節を読んでみたい。

花の咲いた木がある葉は、春だろう。

濃い緑の葉が茂る葉は、夏に見える。

竹は、季節を選ばない。

室内の葉からは、季節が読めない。

つまり、季節が明示されているのは一部だけである。

四季をそろえる構成ではない。

場所の変化が主で、季節は従になっている。

絹に描くということ

八葉は、いずれも絹に描かれている。

紙ではない。

絹は、織り目があり、絵具が食いつく。

そして、薄い色を重ねられる。

一方で、傷みやすい。

繊維が切れ、絵具が剥がれる。

八葉の傷みの多くは、この性質による。

紙の絵なら、同じ年数でももう少し残っただろう。

材料の選択が、残り方を左右している。

一九一五年に、館へ入った

八葉は、いずれも同じ年に受け入れられている。

一九一五年、基金による購入である。

つまり、八葉まとめて館へ入った。

もとは、より多くの葉があった可能性もある。

画帖が解体され、一部だけが市場に出ることは珍しくない。

八葉が散らばらずに残ったのは、この購入のおかげである。

まとまっているから、構成の意図が読める。

一葉だけでは、何も分からなかっただろう。

表装と、画帖の綴じ方

画帖は、絵を台紙に貼り、綴じて作る。

八葉の縁を見ると、別の絹や紙が当てられている。

これは表装の一部だろう。

台紙に貼るとき、縁を補強する。

そして、隣の葉と重ならないように仕立てる。

いま八葉は、一枚ずつ独立して撮影されている。

もとの綴じ方は、画像からは分からない。

見開きだったのか、片面ずつだったのか。

館の記録にも、その記載はない。

東アジアの絵を、どう並べるか

当サイトでは、日本と中国の絵を扱ってきた。

今回は、朝鮮の絵である。

主題は中国に由来し、形式は東アジアで共有されている。

しかし、細部は土地ごとに違う。

衣の形、帽子の作り、建物の構造。

そこに、地域の差が出る。

一つの主題が、地域を越えて受け継がれ、変わっていく。

八葉は、その移動の途中にある絵である。

給仕する人たち

八葉の隅には、必ず働く人が描かれている。

盆を運ぶ、湯を沸かす、荷を担ぐ。

いずれも小さく、画面の端に置かれる。

衣は簡素で、色も地味である。

集まりの主役たちとは、明らかに扱いが違う。

大きさも、やや小さく描かれる。

こうした人々がいなければ、集まりは成り立たない。

しかし、絵の中では周縁に置かれる。

当時の社会の形が、そのまま構図になっている。

八葉を見るときは、隅にも目を向けたい。

器を持つ手

古物を見る場面では、手の描写が要になる。

器を持ち上げる手、指し示す手、受け取る手。

八葉のいずれにも、そうした手がある。

数ミリの手だが、動作は読み取れる。

指を開いているか、握っているか。

その差だけで、何をしているかが伝わる。

鑑賞という行為は、手の動きを伴う。

見るだけでなく、持ち、回し、置く。

その一連の動作が、絵に描き込まれている。

八葉を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

八葉の卓の上だけを、順に見比べてほしい。

何が置かれているか。

器の数、形、色。

そして、それを誰が手に取っているか。

八葉とも、卓の上が画面の中心にある。

人はその周りに配置されているにすぎない。

つまり、この画帖の主役は、卓の上の古物である。

集まった人ではない。

物を見る場面を、物のほうから見る。

そういう順で見ると、八葉の作りがよく分かる。

RELATEDあわせて読みたい

美術史・技法の記事一覧
  • 美術史・技法

    印象派とは何か——特徴・代表画家・作品の見方をやさしく解説

    印象派とは何かを、特徴・代表画家・見方の順にやさしく解説します。モネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、カイユボットの実作六点を、当サイトが公開しているCC0の図版と所蔵館の記録から読みます。影の色をどう見るか、という一点からの入り方も示します。

  • 美術史・技法

    形の名前は、用途の名前——古代ギリシャの壺

    ヒュドリア、クラテル、キュリクス。呪文のようなカタカナの名前は、実はそのまま使い方の名前である。水汲み、宴会、化粧道具。シカゴ美術館の九つの壺の形と把手を読むだけで、二千五百年前の暮らしの一日が家の中まで見えてくる。

  • 美術史・技法

    色を、塗らずに入れる——ルイス・C・ティファニーのガラス

    ティファニーのガラスは、模様を塗っていない。色は素材の内側にあり、熔けたガラスを動かした痕跡が葉や羽根の形になる。値札が残る底、工数を書き込んだ図案、白黒写真しか残らない八点。自然を写すという言葉の中身を十点から考える。