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モディリアーニの代表作と特徴——なぜ首は長く、瞳は塗りつぶされるのか

モディリアーニの代表作と特徴を、当サイトで画像を扱える1915年から1918年の油彩5点から読みます。引き伸ばされた首と顔、瞳のない目と虹彩のある目、面に割れた背景、横長の裸婦までを、館の記録と画面に即して並べます。

赤毛の女
アメデオ・モディリアーニ《赤毛の女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

モディリアーニの代表作と特徴を、当サイトで画像を扱える油彩から読む。首は長く引き伸ばされ、瞳のない目が並ぶ。ただし、瞳を描いた絵もある。

赤毛の女
アメデオ・モディリアーニ《赤毛の女》1917年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.1×60.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメデオ・モディリアーニ《赤毛の女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

赤い巻き毛の女が、椅子の背に腕をのせて座る。首は肩から長く伸び、頭は画面の左へ傾く。目は黒いアーモンドの形で、瞳が描かれていない。眉の線と鼻筋は、ほとんど一本の線でつながる。

モディリアーニの代表作はどこで見られるか

当サイトで画像を扱えるのは、ワシントンのナショナル・ギャラリーとシカゴ美術館にある油彩が中心である。主題は肖像と裸婦に寄る。《赤毛の女》の作品ページから、ほかの絵へも移れる。

この記事で取り上げるのは六点である。ワシントンには《赤毛の女》《アメデ夫人》《シャイム・スーティン》《青いクッションの裸婦》がある。四点とも、館の記録ではチェスター・デールの遺贈で1963年に館へ入った。シカゴには《マダム・ポンパドゥール》と《ジャックとベルト・リプシッツ》がある。前者は1938年の購入、後者は1926年の寄贈である。

日本では、大阪中之島美術館が1917年の《髪をほどいた横たわる裸婦》を持つ。同館の資料では、1930年代に日本へもたらされた絵で、約六千点の所蔵品を代表する一点とされる。2022年の開館記念展でも中心に置かれた。このときは、同じモデルを描いたアントワープ王立美術館の《座る裸婦》も来日した。どちらも、個展で裸婦が問題になったのと同じ1917年の作である。愛知県美術館は、彫刻に打ち込んだ時期の《カリアティード》(1911〜13年)を持つ。

画面の大きさはさまざまである。《アメデ夫人(煙草を持つ女)》は縦100.3センチ、《マダム・ポンパドゥール》は縦61.1センチしかない。同じ作りの顔が、大小どちらの画面にも収まる。

一覧はアメデオ・モディリアーニの作品一覧から見られる。

生涯の中で作風はどう変わったか

モディリアーニの作風は、彫刻を経て形が決まった。1906年にパリへ出て、1909年からは石の彫刻に移る。1914年ごろ絵に戻り、彫刻で作った細長い顔を肖像に持ち込んだ。

生まれは1884年、イタリアの港町リヴォルノである。大阪中之島美術館の資料では、十四歳ごろに絵を学び始め、フィレンツェとヴェネツィアの美術学校に通った。1906年、二十一歳でパリへ移り、翌年サロン・ドートンヌに初めて出品している。

ナショナル・ギャラリーの記録は、パリに来た当初の絵を次のように書く。ピカソの青の時代の気分と、晩年のセザンヌの画面の組み立てに学んだ、という。1909年には彫刻家ブランクーシと知り合い、彫刻に力を注いだ。1909年から1914年の石の頭部には、細い顔立ちとアフリカ美術への参照がある。記録はそこにブランクーシの影響を見る。

彫刻をやめたのは、記録では1913年の末か1914年の初めである。それでも長い首と引き伸ばした顔立ちは、のちの肖像に残った。シカゴ美術館の記録は、最良の絵は1914年から没年までに描かれたと書く。主題はおもに肖像と裸婦だった。

1917年には画商ズボロフスキと契約し、裸婦の連作に取りかかる。同じ年の12月、生前ただ一度の個展が開かれた。会場はパリのベルト・ヴェイユの画廊で、会期は3日から30日までである。この個展には警察が介入した。

テート美術館の論文によれば、裸婦の連作はズボロフスキが資金を出して進められた。若いころは画材を買う金にも困り、とくに1916年より前は画布を使い回すことが多かった。

1918年には戦火を避け、恋人ジャンヌ・エビュテルヌと南仏に移った。翌年パリに戻ったが、1920年1月24日に結核性髄膜炎で没した。三十五歳だった。

個展は警察に閉鎖されたのか

資料によって書き方が分かれる。ナショナル・ギャラリーの記録は、猥褻を理由に警察が展覧会を閉じたと書く。テート美術館の論文は、警察の求めで画廊が裸婦を外したと書く。確かなのは、裸婦が警察の介入を受けたことである。テートが調べた裸婦八点のうち、四点がこの個展に出ていた。

生前は絵が売れなかったのか

まったく売れなかったわけではない。《青いクッションの裸婦》は1917年に画商ギヨームが画家から直接買った。《マダム・ポンパドゥール》も、1916年までにギヨームの手に渡っている。ただしシカゴ美術館の記録は、広く買い手が付いたのは没後だと書く。画商が少しずつ買い、暮らしは苦しいままだった、と読むのが記録に沿う。

なぜ首は長いのか

長いのは首だけではない。顔も鼻も縦に伸び、肩から頭までが一続きの曲線になる。《赤毛の女》では、首の幅が顔の幅の半分ほどしかない。

マダム・ポンパドゥール
アメデオ・モディリアーニ《マダム・ポンパドゥール》1915年。館の記録では、カンヴァスに油彩。61.1×50.2センチ。番号は1938.217。シカゴ美術館蔵。アメデオ・モディリアーニ《マダム・ポンパドゥール》シカゴ美術館蔵

シカゴ美術館の記録は、この絵の形の響き合いを指摘する。背景の格子と、帽子や肩や顔の曲線が互いに応じる、という説明である。記録はさらに、セザンヌとキュビスム、アフリカの彫刻の学びがこの絵に響いていると書く。

題についても記録は触れる。マダム・ポンパドゥールはルイ15世の愛人の名で、記録はこの題に皮肉と笑いを読む。モデルの表情も、動じない面白がり方だとする。モデルは当時の恋人で、イギリスの詩人ベアトリス・ヘイスティングスかもしれない。ただし記録は、顔立ちを一般化する画家なので、ほかの肖像と比べても決め手にならないと断っている。

画面の左には、その題と1915という年が手書きで入る。右下には画家の署名がある。館の記録では、この絵は1916年11月、パリの「リール・エ・パレット」という場の展覧会に出た。同じ展示にはアフリカの彫刻も並んだことが、展覧会の題から分かる。絵は画商ギヨームが画家から直接手に入れた。ズボロフスキらの手を経てギヨームの遺族に戻り、1938年にシカゴ美術館が買った。

首の長さは絵ごとに違う。《マダム・ポンパドゥール》では帽子と肩の間に首が立ち、《赤毛の女》では首がさらに細く長い。顔を傾ける角度も、絵ごとに少しずつ変わる。

形を面に整理するやり方はポール・セザンヌの特徴と代表作でも扱った。

瞳は塗りつぶされるのか

いつもではない。《赤毛の女》と《マダム・ポンパドゥール》では、目が濃い色の面になり、瞳が無い。見られている感じがしないのは、そのためである。

アメデ夫人(煙草を持つ女)
アメデオ・モディリアーニ《アメデ夫人(煙草を持つ女)》1918年。館の記録では、カンヴァスに油彩。100.3×64.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメデオ・モディリアーニ《アメデ夫人(煙草を持つ女)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この一点では、白目の中に虹彩と瞳が描かれる。目尻は耳の方へ下がる。女は黒い服で座り、膝の上の右手の指に細い煙草をはさむ。左手は腰に当てる。頬には赤みが差し、耳には金色の飾りが下がる。背景は黄土色の壁と、右の赤い面に分かれる。

シャイム・スーティン
アメデオ・モディリアーニ《シャイム・スーティン》1918年。館の記録では、カンヴァスに油彩。91.7×59.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメデオ・モディリアーニ《シャイム・スーティン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男の肖像でも瞳は描かれる。館の記録では、暗い目がこちらか、やや上を見る。片方の目は少し高く、顔の左右もそろわない。手は膝の上で組まれ、右には赤い卓の角が入る。卓の上の青白い部分は、硝子の器とも読める。記録は、乱れた髪や不揃いな服、ぎこちなく置いた手にも目を向ける。

描かれたスーティンは、ロシアのユダヤ人の仕立屋の子である。館の記録では、十七歳でパリに来て、1914年ごろモンパルナスでモディリアーニと知り合った。二人は親しくなり、モディリアーニは彼を何度も描いた。1916年には自分の画商ズボロフスキに引き合わせ、扱うよう勧めてもいる。

二人の画風は正反対だった。記録には、酔ったモディリアーニの冗談が引かれる。周りのものがみなスーティンの風景画のように踊る、という言葉である。死の少し前には、ズボロフスキにこう告げたという。心配するな、スーティンを君に残していく。

記録はこの肖像の目にも触れる。モディリアーニの肖像の多くは様式化され、目は空白のまま残されることが多い。それに対しこの絵は、相手に寄り添う個別の肖像に見える、と記録は書く。半ば閉じた目には、貧しい画家どうしの絶望を読む余地もあるという。

ジャックとベルト・リプシッツ
アメデオ・モディリアーニ《ジャックとベルト・リプシッツ》1916年。館の記録では、カンヴァスに油彩。81.3×54.3センチ。番号は1926.221。シカゴ美術館蔵。アメデオ・モディリアーニ《ジャックとベルト・リプシッツ》シカゴ美術館蔵

一枚の中で、目の扱いが分かれる絵もある。左に立つ夫の目には淡い青が入り、右下に座る妻の目は暗い細長い形になる。上辺には夫の名が大文字で書き込まれ、右上の隅に署名がある。

夫は青灰色の詰襟に、暗い葡萄色の上着を着る。頭は画面の上端に届きそうな高さにある。妻は大きな白い丸襟の黒い服で、頭は右下に低く置かれる。二つの顔が斜めに並び、夫の腕は妻の肩の後ろへ回る。背景は茶と灰青と明るい茶の面に、縦の線で仕切られる。

館の記録では、彫刻家リプシッツがロシアの詩人ベルト・キトロセールと結婚した折の注文画である。金に困る友を助けるための注文だった。リプシッツによれば、絵は二日で仕上がった。彼は報酬を多く払うため、さらに二週間手を入れるよう頼んだという。絵はのちに画商ローザンベールの手を経て、1922年にシカゴの収集家バートレット夫妻へ渡った。

目の塗り方は、テート美術館の論文が裸婦の調査で細かく記している。メトロポリタン美術館の裸婦では、目は肌の絵具が乾く前に重ねて塗られ、まっすぐこちらを見る。グッゲンハイム美術館の裸婦では、眼窩を塗り残し、まつげを描いてから厚い瞼をのせた。シャツを着た座る裸婦の目は、まつげがかすかに見えるだけの黒い溜まりだという。

つまり、瞳を塗りつぶすかどうかは絵ごとに違う。塗りつぶした絵では、顔が面の模様に近づく。描いた絵では、相手の視線が画面に残る。目の形そのものは、どちらでも細いアーモンド形で変わらない。

背景はどう作られているか

背景に部屋の奥行きはほとんど無い。《マダム・ポンパドゥール》では、灰色と緑と赤の面が格子に割れる。《赤毛の女》では、緑がかった灰色の壁に、赤い椅子の背が縦に立つ。壁を横切る二本の淡い線を、館の記録は幅木かもしれないと書く。部屋の手がかりは、それくらいしか無い。

人物の輪郭には、黒や濃い青の線が引かれる。線は影ではなく、形の境として引かれている。だから人物は、背景から切り抜いて置いたように見える。

手の描き方もそろっている。指は細く、関節はほとんど示されない。《シャイム・スーティン》では、組んだ指が平たい面として並ぶ。

ここに挙げた六点は、1915年から1918年までの四年に入る。記録が最良とする時期の中にそろっている。この六点に限れば、背景は面の分割から、筆跡を残した壁の塗りへ移っている。

裸婦はどう描かれているか

青いクッションの裸婦
アメデオ・モディリアーニ《青いクッションの裸婦》1917年。館の記録では、リネンに油彩。65.4×100.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメデオ・モディリアーニ《青いクッションの裸婦》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、体が斜めに置かれる。頭は左上にあり、脚は右下へ抜ける。背には青いクッションがあり、その下に白い布がのぞく。奥は赤茶の地で、肌の色が二つの色に挟まれる。

女は左手の甲を頬に当て、もう一方の肘で体を支える。脚は膝から先が画面の外に切れ、体は画面いっぱいに収まる。

ここでも輪郭は線で囲われる。肩から腰までが長い曲線で続き、関節の凹凸は弱められる。目は暗いアーモンド形だが、館の記録は女がこちらを見ていると書く。館の記録では、画商ポール・ギヨームが1917年に画家から直接買った。

肖像は縦長、この一点は横長である。画面の向きが変わっても、組み立て方は変わらない。背景は二つか三つの色の面に分かれ、人物はその上に線で囲って置かれる。

裸婦は何点あるのか。テート美術館の論文は、1970年の作品目録に油彩が三百三十七点あり、うち四十点が裸婦だと引く。横に長い画布が最も多い。ズボロフスキはモデル代を払い、描く場所と画材も用意した。裸婦は室内で、モデルを前に描かれた。

描く手順も、同じ論文が裸婦八点の調査で示している。鉛筆の下描きが見つかったのは一点だけだった。ほかは細い筆で、薄めた黒や青黒の線を引き、構図を決めている。五点には青みの灰色の下地があった。1918年以後は、ほとんどが白い下地の画布に描かれる。

肌は白に朱を混ぜ、透明な赤を別に重ねて作る。調べたどの絵でも、輪郭は黒や深い赤、青や茶でもう一度引き直されている。肌を塗ったあとに線を強めた例もある。髪には、筆の柄の端などで絵具を引っかいた線が残る例がある。

初めて見るなら、どこを見ればよいか

まず輪郭の縁に目を寄せるとよい。線が肌の上に乗っているか、下に沈んでいるかで、塗った順番が分かる。作品ページの拡大で、細部まで確かめられる。

肖像では、椅子や卓などの小道具にも目を向けたい。《赤毛の女》と《アメデ夫人》には赤い椅子が、《シャイム・スーティン》には赤い卓が入る。暗い服の人物の横に、赤い縦の形を一つ置く組み立てが共通する。

次に目を見る。黒く塗りつぶした目か、白目と虹彩のある目かで、絵の印象は大きく変わる。《ジャックとベルト・リプシッツ》のように、一枚の中で両方を比べられる絵もある。

最後に髪と背景を見る。引っかいた線があれば、筆とは別の道具の跡である。背景は格子に割れるか、筆跡を残した壁の塗りになるかを見比べる。

裸婦も肖像も、顔を似せる方向には進まない。モデルの違いは、髪の色と服と姿勢で示される。パリで人を描いた画家の比べ方はロートレックの代表作と特徴でも扱った。

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