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ロートレックの代表作と特徴——なぜポスターが絵として残ったのか

ロートレックの代表作と特徴を、クリーヴランド美術館の6点から読む。館の記録では1864年に生まれ1901年に没した画家で、仕事の中心は壁に貼る石版のポスターだった。平らな色面と太い輪郭の作り方を、CC0の画像で確かめる。

ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉妹
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉妹》クリーヴランド美術館蔵

ロートレックとはどんな画家か

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、19世紀末のパリで描いた画家である。館の記録では、1864年に生まれ1901年に没している。

残した仕事の多くは石版画、つまりリトグラフである。当サイトで公開している70点あまりも、ほとんどが版画と素描にあたる。

石版は、平らな石に脂を含む画材で描き、水と脂が反発する性質を使って刷る。筆の跡や粒のぼかしが、そのまま紙に出る技法である。

代表作と呼ばれるものの中心が、壁に貼るポスターである。そこがこの画家の変わっているところである。

ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉妹
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉妹》1892年。館の記録では、多色刷りの石版。番号は1923.213。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉妹》クリーヴランド美術館蔵

代表作はどこで見られるか

この一点はクリーヴランド美術館にある。ポスターは同じ版から何枚も刷られるため、各地の館に収まりやすい。

画面の手前には、背を向けた女性が大きく立つ。顔は見えず、うなじと肩の線だけが示される。

その隣で、黒い上着の女性が振り向く。奥には山高帽の男、鏡に映る客、白い照明の並びが続く。

手前の人物ほど大きく、奥へ行くほど小さい。ただし奥行きは、床や壁の線ではなく人の重なりだけで作られている。

館の記録では、踊り手ラ・グーリュとその姉妹を描いたものとされる。ただし主役は前に立つ後ろ姿で、顔の見える方が脇に回る。

紙の下端には、鉛筆の書き込みと赤い印が残っている。壁に貼られる前の紙が、そのまま手元に留められたことが分かる。

特徴は平らな色面と太い輪郭

メイ・ミルトン
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《メイ・ミルトン》1895年。館の記録では、多色刷りの石版。紙は79.5×61.5センチ。番号は1952.10。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《メイ・ミルトン》クリーヴランド美術館蔵

白い衣が画面のほぼ半分を占める。衣の内側に影はほとんど無く、平らな面のまま置かれる。

面の縁だけが細い線でなぞられる。形は線で決まり、色は塗り分けではなく紙を貼ったように見える。

背景は濃い青の一色である。上部には踊り手の名が大きく置かれ、文字も絵の一部として組まれる。

館の記録では、1881年にポスターの掲出をめぐる規制の多くが解かれ、1884年には最初のポスター展が開かれた。

同じ記録は、メイ・ミルトンをムーラン・ルージュに出ていたイギリスの踊り手とし、この刷り物をアメリカ巡業の宣伝のためとする。

平らな色面と太い輪郭という組み立ては、同じころパリに入っていた浮世絵の見え方に近い。その関係は浮世絵の記事で扱っている。

描かれたのはどんな人たちか

ジャヌ・アヴリル
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ジャヌ・アヴリル》1893年。館の記録では、石版。番号は1962.189。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ジャヌ・アヴリル》クリーヴランド美術館蔵

黒一色の石版である。踊り手が片脚を上げ、裾が大きく翻る。

動きの途中の一瞬だが、線の数は少ない。顔と帽子、翻る裾の縁だけが引かれ、脚は白く抜かれる。

粒の粗いぼかしが画面の地を作る。石版は、線と面のほかに、この粒でも調子を出せる。

左端には、楽器の棹のような形が黒い線で大きく入る。舞台の全体は描かれず、手前の一部だけが切り取られる。

見えているものを全部描くのではなく、目に残った形だけを置く。この省き方が、ロートレックの画面を軽くしている。

ロイ・フラー嬢
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ロイ・フラー嬢》1893年。館の記録では、多色刷りの石版。画寸は37.9×25.7センチ。番号は1925.1202。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ロイ・フラー嬢》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、ロイ・フラーはアメリカの踊り手で、1862年に生まれ1928年に没している。

同じ記録によれば、フラーは両手に持った長い棒で薄い衣を操った。舞台は下から照らすガラスの床で、まわりは鏡で囲まれていた。

館は、これをロートレックの最も抽象的な石版とし、金属的な色を含む層を重ねたとする。

画面に顔はほとんど無い。衣が黄と桃色の塊になり、人はその中に沈む。

輪郭は途中で消え、地の粒と溶け合う。何が起きているかを説明せず、見えた明るさだけを紙に移した一枚である。

版画ではない一点ものもある

洗濯女
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《洗濯女》1888年。館の記録では、白い地を施した灰色の厚紙に、黒と灰色のぼかしと白絵具。紙は75.9×63.1センチ。番号は1952.113。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《洗濯女》クリーヴランド美術館蔵

これは版画ではなく素描である。館の記録では、パリの夏を扱う記事の挿絵として描かれた。

白黒で複製される前提だったため、インクを薄めて刷毛で塗り、乾いた面を掻き取って白い線を出している。

洗い物の籠を腰に抱えた人が、こちらへ顔を向ける。背後には荷車と馬がいて、遠くを歩く人影が細い線で示される。

同じ記録は、旧蔵者を19世紀末の収集家ロジェ・マルクスとする。

騎手
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《騎手》1899年。館の記録では、多色刷りの石版。番号は1925.2。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《騎手》クリーヴランド美術館蔵

晩年の一点では、主題が舞台から競馬場へ移る。馬の尻がこちらを向き、騎手は背中だけを見せる。

前を行く馬と騎手は、半分だけ画面に入る。見る者は、抜かれていく側の位置に置かれる。

芝は緑の斜線で、空は灰色のぼかしで作られる。輪郭の線と、色を置いた面が、ここでも別々に働いている。

舞台の踊り手も、競馬場の馬も、扱いは変わらない。速く動くものを、線の少なさで止めずに見せている。

人物を画面の端で断ち切るやり方は、同じころのドガにも見られる。両者の近さはドガの記事と並べると分かりやすい。

代表作の多くが版画であることは、見る側には利点になる。一点しかない油彩と違い、同じ図柄が複数の館に残るからである。

パリの壁に貼られた紙が、いまクリーヴランドの記録として読める。ポスターが絵として残ったのは、この仕組みのおかげである。

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