美術史・技法

欄干に、彫ったように書く——ドッソ・ドッシ、ミレーほか九点

画面の下端に石の欄干を描き、その平らな面に文字を置く。石は硬く、刻まれた文字は動かない。その約束ごとが、そのまま絵の中へ持ち込まれている。文字のための平面をあらかじめ構図に組み込む工夫を読みたい。石の面という約束を読みたい。

ルクレツィア・ソンマリア
リドルフォ・ギルランダイオ《ルクレツィア・ソンマリア》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の下に、石の縁がある

絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。

九点とも、文字が石の上にある。

欄干、手すり、柱の台。

いずれも、画面の中に描かれた石の面である。

そこに、彫ったように文字が置かれる。

塗ったのではなく、刻んだように見せる。

館の記録は、その位置を必ず書く。

欄干の上、柱の台の上、と。

物の名を先に置いてから、文字を写す。

欄干という、画面の仕切り

十六世紀のイタリアの肖像には、型がある。

画面の下に、石の欄干を描く。

人物は、その向こうに立つ。

欄干は、こちらとあちらを分ける。

見る人は、欄干のこちら側にいる。

描かれた人は、向こう側にいる。

つまり、窓のような仕切りである。

そして、欄干の面は平らだ。

平らな面は、文字を置くのに向いている。

大文字と、小文字の使い分け

石に刻む文字は、たいてい大文字である。

理由は、彫りやすいからだ。

直線と単純な曲線だけでできている。

小文字には、上下に飛び出す線がある。

高さがそろわず、彫るのが難しい。

九点のうち八点は、大文字で書かれている。

残る一点も、大文字を主に使う。

つまり、石の面に置く文字は大文字、という約束がある。

紙に書く署名は、小文字が混じる。

置く場所によって、書体が変わる。

石に刻む、という約束

石に文字を刻むのは、古代からの習慣だ。

墓碑、記念碑、建物の定礎。

長く残したい言葉が、石に刻まれる。

だから、石の面に文字があっても不自然でない。

見る人は、当然のこととして受け取る。

紙に書けば、いつか破れる。

石に刻めば、残る。

その感覚が、絵の中にも持ち込まれた。

ルクレツィア・ソンマリア
リドルフォ・ギルランダイオ《ルクレツィア・ソンマリア》1510年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦58.4センチ、横44.5センチ。銘記の欄には、下の中央の欄干に人物の名と、肖像であることを示す語が書かれているとある。番号は1942.9.23。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。リドルフォ・ギルランダイオ《ルクレツィア・ソンマリア》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板に、女性が胸から上で描かれる。

青い衣を着る。

胸元が四角く開き、白い下着が見える。

袖はふくらみ、袖口が細い。

髪は褐色で、編んで頭に巻く。

顔はやや左を向く。

目は伏せ気味である。

右手に、小さな束のようなものを持つ。

左手を、欄干の上に置く。

背景は暗い緑褐色で、平らである。

画面の下に、灰色の石の帯が横に走る。

語と語のあいだの、点

九点の文字には、点が多く打たれる。

語の前にも、後ろにも打つ。

一語ごとに挟む書き方もある。

これも、石の碑文の作法である。

古代の碑文では、語の切れ目に中点を打った。

そうしないと、続けて読んでしまう。

昔の碑文には、語の間の空白がなかった。

だから、点が必要だった。

その習慣が、そのまま絵に入っている。

館の記録は、点の位置まで写す。

名と、肖像という語

この一点の欄干には、二つのことが書かれる。

人物の名。

そして、肖像である、という語。

つまり、これは誰それの似姿である、と言っている。

わざわざ書くのは、なぜか。

肖像だと分かりきっているからこそ、書く。

石に刻む形式に合わせたのだろう。

碑文は、たいてい説明から始まる。

ここに眠るのは誰それである、というように。

その形式を、絵が借りている。

分からないものを、そのまま置く

三文字の意味は、いまも分かっていない。

館は、推測を書かない。

書けば、その推測がひとり歩きするからだ。

代わりに、文字だけを写す。

読む人は、そこから考えられる。

家紋の標語かもしれない。

人物の名の一部かもしれない。

工房の印かもしれない。

可能性を開いたまま渡す。

閉じないことが、記録の礼儀である。

三文字だけの、欄干

九点のうち一点は、欄干に三文字しかない。

意味は、はっきりしない。

館は、文字をそのまま写すだけである。

訳も、説明も付けない。

分からないからだろう。

頭文字かもしれない。

短い言葉の略かもしれない。

あるいは、家の標語の一部かもしれない。

分からないものを、分からないまま残す。

ヴェネツィアの紳士の肖像
ジョヴァンニ・カリアーニ《ヴェネツィアの紳士の肖像》1510年から1515年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦75.6センチ、横62.9センチ。銘記の欄には、下の中央の欄干に三文字が書かれているとある。番号は1939.1.258。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョヴァンニ・カリアーニ《ヴェネツィアの紳士の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、男性が胸から上で描かれる。

黒い上着を着る。

襟元に、白い襟がわずかに見える。

髪は褐色で、耳を覆う。

顔は正面よりやや左を向く。

目は大きく、こちらを見る。

右手を欄干の上に置き、何かを握る。

その下に、緑の表紙の本がある。

左奥に、明るい窓が開く。

窓の外に、遠い風景が見える。

欄干は白い石で、正面が平らである。

手前に置くか、奥に置くか

欄干の位置は、絵によって違う。

いちばん手前にあるもの。

人物の脇にあるもの。

背後の建築の一部であるもの。

手前にあれば、文字も手前に来る。

見る人の目に、いちばん近い。

奥にあれば、小さくなる。

小さくなれば、読みにくい。

九点のうち五点は、手前の欄干に文字がある。

読ませたい文字は、手前に置く。

そういう選択が働いている。

聖人の名を、欄干に書く

九点のうち一点は、聖人の名が書かれる。

聖人であることを示す語と、名が並ぶ。

つまり、これは誰であるかの説明だ。

宗教画では、こういう文字がよく使われる。

同じような姿の聖人が多いからである。

持ち物で区別することもある。

しかし、持ち物が似ていれば分からない。

そこで、名を書いておく。

館は、その名を位置とともに写す。

聖ルクレティア
ドッソ・ドッシ《聖ルクレティア》1520年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦57.8センチ、横47.8センチ。銘記の欄には、中央右の欄干に聖人を示す語と名が書かれているとある。番号は1939.1.388。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ドッソ・ドッシ《聖ルクレティア》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板である。

中央に、女性が腰かける。

赤い衣に、緑の布を膝に掛ける。

胸に、細い金の飾りが下がる。

右手に、細く長い棒を持つ。

左手を、膝の上の書物に置く。

左に、暗い石の壁がある。

壁の中に、白い像が浮かぶ。

右奥は、緑の木立と丘である。

遠くに、小さな建物が見える。

女性の右手前に、白い石の帯がある。

建築を描けば、面が増える

建物を描くと、平らな面が増える。

壁、床、階段、柱の台、露台の縁。

どれも、文字を置ける場所である。

だから、建築の多い絵ほど選択肢がある。

逆に、風景や人物だけの絵では場所が少ない。

そこで、貼り紙を描いたり、隅に小さく置いたりする。

前の回で見た紙片も、その工夫の一つだ。

場所がないなら、作ればよい。

そういう発想である。

上のほうにも、欄干はある

九点のうち一点は、文字が上にある。

画面の右上、露台の欄干である。

そこに、名が書かれる。

つまり、欄干は下だけのものではない。

建物を描けば、上にも欄干が現れる。

その面も、文字を置く場所になる。

館の記録は、露台の欄干の上、と書く。

物の名を細かく分けている。

読む人が、絵のどこを見ればよいか分かるようにだ。

異教の偶像を壊す聖アポロニア
ジョヴァンニ・ダレマーニャ《異教の偶像を壊す聖アポロニア》1442年から1445年ごろ。館の記録では、ポプラの板にテンペラ。縦57センチ、横35.5センチ。銘記の欄には、右上の露台の欄干に名が書かれているとある。番号は1939.1.7。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョヴァンニ・ダレマーニャ《異教の偶像を壊す聖アポロニア》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板で、上が半円に切られる。

中央に、白い円柱状の台が立つ。

台の側面に、人の姿が浮き彫りにされる。

その上に、白い裸像が立つ。

左に、桃色の衣の人物が梯子を掛ける。

像に手を伸ばす。

右に、青と赤の衣の人物が数人立つ。

背後は、赤い煉瓦の建物である。

上のほうに、露台が張り出す。

床は、赤と白の石を並べた模様だ。

四行が、何を書いていたか

読めなくなった四行を、残った語から推し量る。

三行目に、作品という語がある。

四行目に、齢を表す語の一部がある。

一行目と二行目には、名が入っていたのだろう。

つまり、誰それの作、何歳のとき、という形だ。

これは、この時代の肖像の定型である。

定型を知っていれば、欠けた部分の見当がつく。

ただし、見当は見当である。

館は、そこまでは書かない。

読めた文字と、読めない印だけを並べる。

読めない文字が、四行

九点のうち一点は、欄干の文字がほとんど欠けている。

四行あるが、どの行も前半が読めない。

館は、読めた部分だけを点でつないで写す。

三行目だけが、はっきり読める。

作品、という意味の語である。

つまり、誰それの作、と書いてあったのだろう。

四行目には、齢を表す語の一部が残る。

前の回で見た型と同じである。

名と、作という語と、齢。

それが、四行に分かれていた。

犬を連れた男性の肖像
ジョヴァンニ・カリアーニ《犬を連れた男性の肖像》1520年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦77.5センチ、横64.1センチ。銘記の欄には、左下の欄干に四行の文字があり、多くが読めないとある。番号は1950.11.2。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョヴァンニ・カリアーニ《犬を連れた男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、男性が胸から上で描かれる。

黒い上着に、黒い襟。

首に、細い鎖を掛ける。

髪と髭は黒く、豊かである。

顔はやや右を向く。

目は落ち着いてこちらを見る。

胸の前に、白い毛の犬を抱える。

犬は正面を向き、口を開く。

背後の左に、木と丘が見える。

奥に、青い山並みが霞む。

手前に、石の欄干が横切る。

十九世紀に、古い型を選ぶ

十九世紀の画家が、三百年前の型を使う。

これは、意識的な選択だろう。

その時代、古い絵の研究が進んだ。

美術館ができ、誰でも古い絵を見られるようになった。

見れば、真似したくなる。

真似は、敬意の表れでもある。

欄干に名を刻む型は、格式を感じさせる。

肖像画という仕事の、長い歴史に連なる。

そう見せたい気持ちがあったのかもしれない。

これは推し量りである。

年と名を、大きく彫る

九点のうち一点は、十九世紀の絵である。

欄干に、年と名が大きく置かれる。

大文字を並べた形だ。

十六世紀の型を、そのまま使っている。

三百年たっても、同じ場所に同じ形式で書く。

古い型を意識して選んだのだろう。

肖像画の伝統に連なることを示す。

そういう身振りかもしれない。

もっとも、館はそこまで書かない。

若い女性騎手の肖像
シャルル・ダヴィド《若い女性騎手の肖像》1839年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦92.7センチ、横73.7センチ。銘記の欄には、右下の欄干に年と名が書かれているとある。番号は1963.10.15。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。シャルル・ダヴィド《若い女性騎手の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、若い人物が座る。

深紅の長い上着を着る。

襟元に、白く小さな襟が立つ。

黒い蝶結びを結ぶ。

髪は黒く、耳の下で切りそろえられる。

右手に、細い鞭を持つ。

膝の上に、黒い布を広げる。

背後は、広い平野である。

遠くに、低い建物が見える。

空は淡く、地平が長い。

右下に、石の欄干が見える。

名のない文字は、何を言うか

九点のうち二点は、名を書いていない。

一点は三文字だけ。

一点は嘆きの句だけ。

名がなければ、誰の作か分からない。

誰を描いたかも分からない。

それでも、文字は置かれた。

つまり、署名以外の目的があったということだ。

絵の意味を補うため。

見る人に、何かを感じさせるため。

文字の役目は、名を記すことだけではない。

柱の台に、二語だけ

九点のうち一点は、柱の台に文字がある。

二語だけである。

運命が許していたなら、という意味の句だ。

名前ではない。

年でもない。

嘆きの言葉である。

古代の詩に見える言い回しだとされる。

館は、句と訳だけを書く。

誰の言葉かも、なぜ置かれたかも書かない。

書かれていないことは、書かない。

イレーネ・ディ・スピリンベルゴ
ティツィアーノの助手《イレーネ・ディ・スピリンベルゴ》1560年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦122センチ、横106.7センチ。銘記の欄には、右下の柱の台に、運命が許していたなら、という句が二行で書かれているとある。番号は1942.9.83。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ティツィアーノの助手、おそらくジャン・パオロ・パーチェが描き始めた《イレーネ・ディ・スピリンベルゴ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の大きな画面に、女性が立つ。

薄い赤褐色の長い衣を着る。

衣には、細かい金の模様が織り込まれる。

袖はふくらみ、腕が細く出る。

胸元に、金の鎖が下がる。

髪は栗色で、頭の上でまとめる。

右手を下げ、左手を腰の前に置く。

左手に、小さな飾りを持つ。

背後の左は、木立と空である。

右は、太い柱と暗い室内である。

手前の右下に、石の台が見える。

見せかけを、記録が明かす

館の欄が、見せかけであることを書くのは珍しい。

たいていは、文字だけを写す。

彫ったのか、塗ったのかは書かない。

書かないのは、見て分からないからだろう。

分かるときだけ、書く。

この一点では、はっきり分かった。

だから、そう書いた。

記録は、確かめられたことだけを増やしていく。

分からないことは、空白のまま残す。

その積み重ねが、欄の姿である。

彫刻文字のように見せる

九点のうち一点の欄には、変わった言い方がある。

彫刻文字のように見せた大文字で、と書かれている。

つまり、実際には塗ってある。

しかし、彫ったように見せている。

影を付け、へこみを表す。

館は、そこまで書き分けた。

塗ったのか、彫って見せたのか。

その差は、絵の中の作り事の深さを示す。

見せかけであることを、記録が明かしている。

ルコント・ド・リール
ジャン=フランソワ・ミレー《ルコント・ド・リール》1840年から1841年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦100.3センチ、横81.2センチ。銘記の欄には、右下の手すりに、彫刻文字のように見せた大文字で名が書かれているとある。番号は1963.10.42。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジャン=フランソワ・ミレー《ルコント・ド・リール》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、若い男性が立つ。

濃紺の長い上着を着る。

前を開き、灰色の胴着を見せる。

首元に、白い襟と橙の襟飾りを結ぶ。

下は褐色の袴である。

髪は黒く、額に垂れる。

顔はこちらを向き、目が強い。

右手を下げ、左手を手すりに置く。

背景は灰緑で、平らである。

上のほうが、わずかに明るい。

右下に、石の手すりの角が見える。

教会の柱に、名を彫る

最後の一点は、宗教画でも肖像でもない。

教会の内部を描いた小さな銅板の絵だ。

中央左の柱の台に、画家の名が置かれる。

実際の教会の柱には、名が彫られていることがある。

寄進者の名や、埋葬された人の名である。

その習慣を、絵が借りている。

自分の名を、教会の柱に彫る。

大胆にも見えるが、当時はよく行われた。

アントウェルペン大聖堂
ピーテル・ネーフス(父)《アントウェルペン大聖堂》1650年から1655年ごろ。館の記録では、銅板に油彩。縦34.9センチ、横48.9センチ。銘記の欄には、中央左の柱の台に名が書かれているとある。番号は1960.6.29。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ピーテル・ネーフス(父)《アントウェルペン大聖堂》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の小さな銅板である。

教会の内部が、奥へ深く伸びる。

左右に、細い柱が何本も並ぶ。

柱は上で分かれ、天井の骨組みになる。

床は、黒と白の石を市松に並べる。

中央の通路を、人が歩く。

黒い服の人が多い。

右の壁に、大きな絵が掛かる。

奥に、明るい窓が見える。

光が、右上から斜めに落ちる。

柱の根もとに、小さな文字がある。

銅板という、なめらかな地

この一点だけ、支持体が違う。

板でも布でもない。

銅の板である。

銅は、表面がなめらかだ。

細い線が、そのまま出る。

だから、細密な描写に向く。

建築の線を引くには、うってつけである。

小さな画面に、柱を何十本も描ける。

そして、小さな文字も置ける。

材料が、描き方を決めている。

欄干は、いつ消えたか

欄干のある肖像は、十六世紀に多い。

十七世紀に入ると、減っていく。

人物を大きく描き、背景を暗くする型が広まる。

欄干があると、人物が遠くなる。

近づけたいなら、仕切りは邪魔である。

そこで、欄干が消える。

同時に、そこに置かれていた文字も行き場を失う。

隅の暗がりに移るか、消えるか。

九点のうち、十九世紀の二点はあえて欄干を戻している。

古い型への目配せだろう。

石は、絵の中でいちばん硬い

絵の中の物を、硬さで並べてみる。

布は柔らかい。

肌は柔らかい。

葉も、水も、雲も柔らかい。

石は、いちばん硬い。

硬いものに刻んだ文字は、動かない。

その約束が、見る人に安心を与える。

紙に書いた文字は、めくれば消える。

石に刻んだ文字は、そこに留まる。

もちろん、どちらも絵具である。

しかし、見え方が違う。

九点の年を、並べておく

九点の年を、順に並べる。

1442年から1445年ごろ。

1510年ごろが二点。

1510年から1515年ごろ。

1520年ごろが二点。

1560年ごろ。

1650年から1655年ごろ。

1839年。1840年から1841年ごろ。

十五世紀が一点、十六世紀が五点。

十七世紀が一点、十九世紀が二点である。

十六世紀に集中している。

欄干の型が、その時期に広く使われた証拠だろう。

名を残す場所を、絵の中に作る

九点を並べて分かることがある。

画家たちは、名を書く場所を絵の中に用意した。

欄干を描き、柱を描き、台を描く。

その面が、文字の受け皿になる。

つまり、構図の段階で署名の場所を決めている。

後から隅に書き足すのとは、順序が逆だ。

はじめから、文字を入れる前提で組み立てている。

そう考えると、署名は絵の一部である。

添え物ではない。

記録が、物の名を書く理由

館の欄が、欄干、柱の台、手すり、と細かく書く。

なぜ、そこまで分けるのか。

一つは、探しやすくするためだ。

もう一つは、絵の作りを示すためである。

欄干があるということは、そういう構図だということだ。

柱の台があるなら、建築が描かれている。

物の名が、絵の姿を伝える。

位置の記録が、構図の記録になっている。

短い一語が、二つの仕事をしている。

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