休むには、理由が要る——カラッチ・デューラー・姚廷美ほか九点
休息を題に持つ絵を九点並べると、目を閉じている人は一人もいなかった。働いたあと、逃避の途中、暑さのさなか。休息には必ず理由が添えられ、その理由を示す道具が置かれている。説明の要らない休みは、虎の一点だけだった。

肘をつき、頭をあずけた大男
黒いチョークで、裸の男が描かれている。
太い腕、盛り上がった胸、張った腿。
右腕を高く曲げて、その手に頭をあずけている。
左脚を投げ出し、右膝は立てている。
体の下には、毛の生えた獣の皮が敷かれている。
足元には、大きな獣の頭が転がっている。
手のそばには、丸い実が三つ置かれている。
紙の右側には、細い格子の線が薄く引かれている。
白いチョークが、肩と腿の高いところに置かれている。
紙の下には、台紙が二枚重ねられている。
いちばん外の台紙まで含めると、38.3×55センチになる。

館の記録では、これは天井画のための最後の習作である。
枢機卿の書斎の天井を飾るために注文された絵だという。
主題は、ギリシアの英雄ヘラクレスである。
家族を殺めた罪を償うため、十二の難業を課せられた人物だ。
そして、この場面は休息である。
まわりに転がっているのは、その働きの証拠である。
捕らえた猪の頭。
黄金の林檎が三つ。
そして、体の下に敷かれた獅子の皮。
つまりこの英雄は、仕事の道具ではなく、成果に囲まれて休んでいる。
館の記録では、この姿勢と誇張された筋肉は古代彫刻の研究から来ている。
一族の集めた古代の川の神の像を、手本にしたという。
そして画家は、システィナ礼拝堂の天井画も知り抜いていた。
ヘラクレスの姿勢は、そこに描かれたアダムの寝そべる姿に触発されたかもしれない、と記録は読む。
豆知識の欄によれば、薄い方眼は図を移すために引かれた。
原寸の下絵へ写し取る作業の跡である。
さて、休息の絵とは何か。
体を横たえ、手を止め、目を閉じる。
だが、絵の中の休息には、たいてい理由が添えられている。
働いたあとだから、逃げる途中だから、暑いから。
九点を並べて、休息の中身を数えてみたい。
休息という題の中で、働いている
二点目は、休息を題に持つ木版である。

石の建物の前に、聖家族がいる。
中央に腰を下ろした女がいて、膝の上で糸を紡いでいる。
その手前には、幼子が籠の中に寝ている。
左では、男が斧を振るって木を削っている。
足元には、削りくずと道具が散らばる。
まわりには、小さな天使たちが働いている。
水を運ぶ者、木を運ぶ者、籠を揺らす者。
上の空には、雲を割って光が差している。
館の記録では、これは八枚からなる連作の最後の一枚である。
天使が受胎を告げる場面から始まり、生誕、東方の博士の訪れと続く。
そして一家はヘロデを避けてエジプトへ逃れ、数年をそこで過ごした。
この最後の場面は、その日常をのぞかせるものだという。
ヨセフは大工の仕事を続け、マリアは羊毛を紡いでいる。
つまり、題は休息と言うのに、二人とも働いている。
エジプトでの休息、という言葉は、逃避の旅が一段落したことを指す。
体を休めることではなく、追われる時間が終わったことを指している。
休息の反対は、労働ではない。
危険である。
安全な場所で手を動かしていられることが、ここでの休息だった。
天使たちの働きぶりも、よく見ると細かい。
籠を揺らす者、水を汲む者、枝を集める者。
働く手の数でいえば、この一枚がいちばん多い。
休息の題を持つ絵が、九点でいちばん忙しい画面になっている。
この連作は、八枚まとめて同じ番号の並びで館に入った。
物語の順に番号が振られ、最後がこの一枚である。
同じ旅の、別の休み方
三点目は、同じ主題の油彩である。

木陰に、青と赤の衣の女が座っている。
膝の上には、ふっくらした裸の幼子。
その隣に、翼のある者がひざまずいている。
手には、小さな器に盛った果物がある。
右のほうでは、老いた男がろばを引いていく。
草を食べさせに行くところである。
奥には、明るい空と丘が広がる。
色は淡い桃色と青で、光と影は透きとおるように置かれている。
館の記録では、この板はもともと別の画家の作とされていた。
近年になって、その協力者であり追随者でもあったポエルソンの作と考えられるようになったという。
小さな信心のための絵として描かれたとある。
板は、額なしで35.5×45.9センチ。
手元に置いて祈るための大きさである。
先の木版と、同じ逃避行の休息である。
だが、こちらでは誰も働いていない。
食べ物は天使が運び、ろばは草を食べに行く。
働く手が消えると、休息はいっそう静かになる。
同じ題で、同じ場面で、休みの中身が入れ替わっている。
版画は説明する絵で、板絵は祈る絵だからかもしれない。
説明のためなら、日々の仕事を描き込むほうがよい。
祈るためなら、静かなほうがよい。
同じ休息が、用途によって別の顔を見せている。
戦の合間に、森で休む
四点目は、森の中である。

大きな木が、画面の左右から覆いかぶさっている。
葉は暗く、地面には木漏れ日が落ちている。
その中ほどに、白い馬に乗った男がいる。
さらに手前の草地には、二人か三人が腰を下ろしている。
赤と白の衣が、暗い森の中で点のように光る。
奥は暗く、どこまで森が続くのかは分からない。
館の記録では、ドラクロワはフランス浪漫派の中心にいた画家である。
伝統的な歴史の主題を、劇的で表情ゆたかなやり方で描いたという。
1820年代のギリシア独立の戦いは、多くのフランスの画家の心を捉えた。
三十年前の自国の革命と重ねて見たのだと記録は書く。
この絵が描かれたのは1858年である。
戦いから三十年以上たってからの一枚だ。
つまり、これは同時代の報道ではなく、思い出された主題である。
そして描かれたのは、戦いの場面ではない。
森の中で馬を止めている、その合間である。
休息は、次の動きがあることを前提にしている。
森の暗さが、休みの短さを告げている。
馬に乗ったままの人がいることも、それを示している。
下りて座った者と、乗ったままの者。
休息の深さが、同じ画面の中で二段に分かれている。
右下には、署名と1858年の年記がある。
この絵は、収集家夫妻の寄贈で1916年に館へ入った。
羊飼いは、画家のために休む
五点目は、写真である。

木立の縁に、二人の娘が腰を下ろしている。
一人は白い頭巾をかぶり、こちらへ顔を向けている。
もう一人は横を向き、細い杖を持っている。
足元には、羊が二頭寝そべっている。
草と枝が、画面の下半分を覆っている。
背後の茂みは黒く沈み、上の空だけが白い。
館の記録では、この写真は画家のための資料だった。
1870年代、パリの出版者ジロドンが、農民を撮る仕事を画家に頼んだ。
名を伏せた画家が撮ったらしく、いまはジロドンの画家と呼ばれている。
19世紀にあって、田舎の人物の習作を専門にした数少ない撮り手だという。
撮影の場所は、画家たちが集まった村の近くだろうと記録は読む。
光の使い方と、風景の中に人を置く腕。
そして人の尊厳をとらえる目が、この写真の芸術性だと記録は評する。
さて、この休息は、誰のための休息か。
娘たちは、絵のために座らされている。
休んでいる姿を撮るために、じっとしている。
長い露光のあいだ、動かずにいなければならない。
休息の写真は、いちばん撮りやすい主題でもあった。
動いている人は、湿板の長い露光では像を結ばない。
だから初期の写真は、座っている人と、止まっている物ばかりを写す。
技法が主題を選んでしまう、という事情がここにもある。
豆知識の欄には、ジロドンその人は写真家ではないと書かれている。
パリの重要な写真の出版者だったという。
撮った人の名は伏せられ、売った人の名が残った。
画面の右下には、番号らしい文字が刷り込まれている。
閑暇そのものを、七メートルに巻く
六点目は、中国の巻物である。

墨だけの、横長の画面である。
岩の間に松が生え、その陰に草ぶきの家がある。
戸は閉じられ、庭には松の影が落ちている。
その先には、流れる水と、遠い山が続く。
人の姿は小さく、ほとんど風景に紛れている。
館の記録では、隠棲と閑暇は文人の理想だったという。
そしてこの絵が描かれたのは、元の末である。
各地で軍の反乱が起きていた時期だと記録は書く。
戦乱の時代に、閑暇の絵が贈られている。
画面の左には、作者自身の詩が書かれている。
館の訳では、こう読める。
人里離れた場所で、柴の戸を閉ざす。
庭は松の影に満たされ、昼のうちも静かである。
目の前の風塵をすっかり忘れ、座って流れを見、寝ころんで山を見る。
そして、絵のあとには二十を超える詩や文が続く。
高名な学者たちが書き継いだものだという。
つまりこの巻は、絵より文のほうがずっと長い。
全体で734センチ、七メートルを超える。
そのうち絵は、84センチしかない。
閑暇という主題が、社交の道具にもなっていたと記録は読む。
休息を讃える言葉を、人々が持ち寄って書いた。
来歴の欄も長い。
十七世紀の収集家の名から始まり、清の宮廷の収集印が三代分続く。
乾隆、嘉慶、宣統の印が押されているという。
閑暇を描いた紙が、皇帝の蔵に入って長く眠った。
絵の中の主人は柴の戸を閉ざしているのに、絵そのものはよく出歩いている。
徒然という題の、下絵
七点目は、日本の下絵である。

黄色い紙に、女が一人座っている。
床几のようなものに腰かけ、上体を斜めにあずけている。
大きな袖が、体の前で幾重にも折れている。
裾には、丸い文様が散らしてある。
手には、細く巻いた紙のようなものがある。
顔は下を向き、目は伏せられている。
線は速く、輪郭は迷いを残したままである。
館の記録では、これは版画のための下絵である。
雪佳は、《百々世草》の下絵を薄い紙に墨と彩色で描いた。
刷り上がった図に比べると、自由で崩れた線だという。
題は、徒然。
することがなく、手持ちぶさたな時間を指す言葉である。
つまりこの一点は、休息そのものが題になっている。
働いたあとでも、逃げる途中でもない。
ただ、何もしていない時間である。
九点のうち、理由の書かれていない休息は、この一点だけである。
そして、これが完成品ではなく下絵だというのも面白い。
何もしない姿を、仕事の途中の紙が写している。
《百々世草》は、雪佳の代表的な図案集である。
同じ叢書の一図は、風の回でも見た。
あちらは、何十年の風に幹を曲げられた松だった。
こちらは、何もしない女の一日である。
同じ叢書の中で、時間の長さがまるで違う。
下絵の紙は薄く、透かして写すために使われた。
裏から見ても図が読める紙である。
橋の上と下で、涼む
八点目は、江戸の錦絵である。

三枚をつないだ、横長の画面である。
上には、橋の欄干が斜めに走る。
その上を、着物の女たちが歩いていく。
団扇を持つ人、子どもを連れた人。
橋の下には、屋根のある舟が浮かんでいる。
舟の中にも人が腰を下ろし、水の面へ足を投げ出す姿もある。
川岸の簀の子の上でも、人が涼んでいる。
館の記録の分類は、橋、女、川、舟の四語である。
もとは六枚続きで、これはそのうちの三枚だという。
夕涼みは、暑さから逃れるための休息である。
働きを止めるのではなく、暑さを止めに出かける。
だから人は、家の中ではなく、水の上と橋の上にいる。
風の通る場所を選んで、そこで休む。
休息の場所は、季節によって移動するのである。
もとの六枚続きは、幅が一メートル半を超えたはずである。
そのうちの三枚が、いまは一つの額に収まっている。
記録の欄には、隣り合う番号の紙と額を分け合う、と書かれている。
六枚で一つだった涼みが、二つの額に分かれて掛かっている。
夕方は人の行動に写ると数えた回で見たとおり、夕方は人が動き出す時刻でもある。
涼むために外へ出るのも、その動きの一つである。
虎も、休む
最後の一点は、人ではない。

横長の小さな画布である。
画面の下半分に、虎が体を伸ばして寝そべっている。
前脚をそろえ、頭を上げて、こちらを見ている。
縞は太く、腹の毛は明るい。
背後には、暗い岩と、荒れた土がある。
空は狭く、褐色に濁っている。
館の記録の分類は、虎の一語だけである。
作者のバリーは、動物の彫刻で知られた人である。
その人が、油彩でも同じ主題を描いていた。
この虎は、眠っていない。
目は開き、耳は立っている。
休みながら、周囲を見ている。
九点のなかで、いちばん警戒している休息だろう。
人の休息の絵には、たいてい理由が添えられていた。
働いたあと、逃げる途中、暑さのさなか。
動物の休息には、その説明が要らない。
疲れたから休む。
それだけである。
説明のない休息は、この一点だけだった。
理由を書かずに済むのは、人ではないからかもしれない。
画布は27.3×35.6センチ。
九点でいちばん小さい油彩である。
小さな画面の中で、虎は横いっぱいに伸びている。
体を伸ばしきれる場所があることも、休息の条件だろう。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
働いたあとの休息が二点。
ヘラクレスと、羊飼いの娘たちである。
移動の途中の休息が三点。
エジプトでの二点と、森の騎兵である。
暑さを避ける休息が一点。
何もしない時間が一点、閑暇の思想が一点。
そして、獣の休息が一点である。
姿勢も数えられる。
寝そべっているのが三点、腰を下ろしているのが四点。
立ったまま休む人は、一人もいない。
馬に乗ったままの一人が、いちばん立っているに近い。
休むとは、体の高さを下げることでもある。
休息の絵は、体の重さを地面や獣の皮にあずけている。
目も数えておく。
目を閉じている人は、九点に一人もいなかった。
英雄も、聖家族も、羊飼いも、虎も、目を開けている。
眠ることと、休むことは違う。
眠ることと横たわることは違うと数えた回の言い方を借りれば、ここは横たわる側である。
眠りは意識を手放すが、休息は次の動きを待っている。
だから絵は、休息のほうを選びやすい。
目が開いていれば、画面はまだ動きを含んでいられる。
道具も数えておく。
休息の絵に写っていたものを並べると、こうなる。
獅子の皮、斧と削りくず、糸巻き、果物の器、馬と羊、団扇と舟。
働きの道具と、涼む道具が、休む人のまわりに置かれている。
休息は、それ自体では絵にならない。
何から休んでいるかを示す物が、必ず添えられる。
道具が一つもないのは、虎の一点と、徒然の一点だけである。
その二点は、休息の理由も画面に書かれていなかった。
道具の有無と、理由の有無は、きれいに重なっている。
土地と年代も並べておく。
イタリアが一点、ドイツが一点、フランスが三点。
中国が一点、日本が二点、そして虎の一点はフランスの画家である。
年代は1360年から1909年まで、五百五十年に散らばる。
いちばん古い一点が、いちばん長い巻物でもあった。
七メートルの紙が、五百年以上巻かれたまま残っている。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に休息や閑暇の語を持つものから集めた。
だから、題に休息と書かれた絵ばかりが集まっている。
題に書かれない休息は、この網にかからない。
九点の外には、名前の付いていない休みの絵が無数にあるだろう。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、休息がどれだけ続いたかは書かれていない。
ヘラクレスは次の難業へ、騎兵は次の戦いへ向かったはずである。
羊飼いの娘たちも、撮影が済めば立ち上がっただろう。
絵の中の休息だけが、いつまでも終わらない。
虎の耳も、立てられたままである。
閑暇の巻物にいたっては、七メートルの紙の上で、いまも昼が続いている。


