風は、なびくものを借りて吹く——湖龍斎・普明・金振宇ほか九点
風の題を持つ絵を九点集めて、なびく係を数えた。帆と旗、凧の糸、そよぐ竹に、葉を飛ばす竹。なびくもので風を見せる絵が六点、題の中にだけ風の吹く絵が一点、吹かない風流の風が二点。幹の傾きに何十年の風を刻んだ松まで、見えない風の描き方を見くらべる。

風の絵に、風が吹いていない
雪の日の縁側である。
長い裾の女が一人、板の上に立っている。
うつむいて、足元のほうへ目を落としている。
背後の格子窓の内側から、もう一人と、幼い顔がのぞいている。
窓の下の低い茂みには、白い雪が積もる。
縁の板の端にも、雪が残っている。
板の上には、細長い箱のようなものが一つ置かれている。
右上の枠には、叢書の名と、冬の一字が刷り込まれている。
左上の雲形の枠には、仮名の歌が三行ある。
動いているものは、何一つない。

さて、この一枚の題には、風の字が入っている。
叢書の名は《風流四季の遊び》という。
だが、画面に風は吹いていない。
雪は積もったままで、袖も裾も揺れていない。
この風が、吹く風ではないからである。
風流の風、つまり趣きや当世ぶりを言うほうの風である。
館の記録では、四季の遊びを当世の姿で見せる揃い物の、冬にあたる。
記録そのものは短い。
作者と、年代と、揃い物の名と、技法と、寸法と、出所だけである。
その寸法の欄に、縦の中判、と書いてある。
26.4×19.4センチ。
手のひらより少し大きい紙で、机の上に置いて眺める大きさだ。
雪は、白い絵の具で塗られてはいない。
紙の白をそのまま残し、輪郭の線だけで積もりを示している。
摺らない、という手つきで雪を作っている。
窓の内と外で、白の残し方も変えてある。
出所の欄には、1914年の寄贈とある。
収集家の遺族から館へ渡った一枚である。
分類の札には、子ども、女、木、冬、雪の五語が並ぶ。
風の語は、札のどこにもない。
記録の中の風の字を頼りに図版を集めると、この手の風がいくらでも混ざってくる。
ギリシア風、アラビア風、アルザス風。
様式を示す風の付いた候補が、今回も次々に挙がってきた。
一つの字が複数の意味に割れる事情は、鏡の語が六つに割れた回と同じである。
そこで、吹くほうの風だけを選び直した。
とはいえ、この一枚も無関係ではない。
雪の日に風が吹いていないことは、画面が証言している。
積もった雪は、風があれば形を崩す。
軒の下の茂みに白がのったままなのは、風の吹かなかった証拠でもある。
風の絵に風が見えないのと、無風の絵に風がないのは、別のことだ。
前者は描き方の話で、後者は天気の話である。
九点を数えるあいだ、この二つは何度も入れ替わる。
もっとも、この一枚は最後にもう一度出てくる。
風の字の話は、九点を数えたあとのほうが面白いからである。
ここで、問いを立てたい。
風は、どうやって描くのか。
風そのものは透明で、形がない。
描けるのは、風に動かされたものだけである。
帆、旗、枝、葉、糸。
何かがなびいて、はじめて風は絵になる。
九点を並べて、なびく係を数えてみる。
帆と旗は、風の道具である
風を受けるために作られた道具から始める。

波の立つ海に、帆船が何隻も浮かんでいる。
大きな船の帆は、風をはらんで丸くふくらむ。
マストの先では、細長い旗が横へ流れる。
波がしらには、白い泡が立つ。
手前の小さな帆船は、船体をわずかに傾けている。
風は帆を押し、帆は船を傾ける。
傾きもまた、風の証拠である。
空の雲も、同じ方向へ動いているように見える。
題は《爽やかな風を受けるオランダ船》。
嵐ではない。
船乗りにとってちょうどよい、仕事のはかどる風である。
帆は、風を受けるための布である。
旗は、風向きを知らせるための布である。
だから海の絵は、風の絵になりやすい。
布が風を形に変えることは、布を動きの道具として数えた回でも見た。
帆のふくらみと旗の流れる向きで、見る人は風の強さと向きを読める。
十七世紀のオランダでは、こうした海景画が数多く描かれた。
この絵の作者名には、周辺、という言葉がつく。
ベレフォイスという画家の作風に近いが、本人とは断定できないという意味である。
風だけでなく、作者もまた、確かな形を残さないことがある。
海の上には、木も、旗竿の立つ家もない。
なびく係を、船がまとめて引き受けている。
帆と旗を欠いた海の絵から風を読むのは、ずっと難しいはずである。
陸の上では、風の道具はこうなる。

川辺で、若者たちが凧を揚げている。
凧は画面の左上に小さく浮かび、長い尾を垂らす。
一本の糸が、凧から若者の手まで斜めに張られている。
足元には、川の流れが渦を巻く線で描かれている。
ここに、面白い対比がある。
水の流れは、線で直接描けるのである。
だが風の流れは、線で描かれていない。
同じ流れる透明なものなのに、水は形をもらい、風はもらえない。
風がもらえたのは、凧と糸だけである。
この糸の張りが、風の証拠である。
風がなければ、凧は落ち、糸はたるむ。
ぴんと張った斜めの線一本で、見えない風が画面に入る。
頭上の柳の枝は、しだれたまま大きくは乱れていない。
強風ではなく、凧がちょうど上がる程度の風だと分かる。
腰をかがめて見上げる男、糸を持つ若者、後ろで見守る連れ。
三人の視線が、みな空の一点に集まっている。
風は、見えないのに、人の目を引っぱっている。
この一枚の記録には、主題を示す整理の札がついている。
子ども、男、女、凧、と語が並ぶ。
風の字は、そこにない。
凧を揚げた張本人なのに、目録の欄からは抜け落ちている。
風は、絵の中でも目録の中でも透明である。
竹の葉は、風の目盛りである
東アジアの絵で、風の係を長く務めてきたのは竹である。

墨だけで、竹がひと群れ描かれている。
幹はゆるやかにしなり、葉は一方へ流れる。
館の記録では、そよ風にやさしく曲がる竹だという。
描いたのは、蘇州の禅僧、普明。
雪窓という号で知られ、日本と朝鮮でも深く敬われたとある。
1338年には、虎丘の雲岩寺を任されたという。
画面には署名と印が残り、どれも雪窓と読める。
七百年前の絵で作者の名が確かめられるのは、この署名と印のおかげである。
寸法の欄には、画面のほかに軸全体の数字もある。
軸首まで含めると209.5×75.5センチ、とある。
床の間に掛ければ、人の背丈に届く高さである。
来歴の欄には、広島の侯爵、浅野長勲の名がある。
普明の絵は日本と朝鮮で深く敬われた、という記録の文を、来歴の欄が裏づけている。
1953年に、この軸はクリーヴランドの収蔵品になった。
館の記録は、豆知識も添えている。
竹と松と梅は、歳寒の三友と呼ばれる。
冬に友とする三つの植物として、文人の絵の定番になったという。
竹は、雪の重みでも風の力でも折れない常緑の植物である。
だから、誘惑に屈しない徳のたとえとして、文人画の好みの画題になった。
そう館の記録は説明する。
竹を描くことが、そのまま心構えの表明だった。
文人の理想を絵にした回で見た世界の、いちばん静かな一枚である。
同じ竹でも、風が強まるとこうなる。

十枚の面が横に連なる、大きな屏風である。
どの面でも、竹が強くしなり、葉が飛ぶように流れる。
館の記録では、作者の金振宇は強風になびく竹の表現で名を上げた。
突き立つ竹の幹は鉄の槍に、鋭い葉は刃物にたとえられたという。
描かれたのは1934年、日本の統治下の朝鮮である。
その筆の鋭さには、抑圧への抵抗の意志が込められていたと考えられている。
そう館の記録は書き、作品の売り上げが独立運動の資金を支えたことも伝える。
左端の面には、竹林堂で金剛山人これを写す、と読める款記がある。
金剛山人は、この画家の号である。
十枚を広げれば、幅は3メートルを大きく超える。
部屋の中に、竹林の風がひと続きに吹き渡る仕掛けである。
来歴の欄によれば、この屏風は作者の手から咸興の一族へ渡った。
九十年近くを経て、2022年にクリーヴランドの収蔵品になったとある。
普明の竹から六百年。
同じ画題の中で、風は強さを変え、意味も変えた。
そよ風の竹が徳のたとえなら、強風の竹は時代のたとえである。
竹の葉の角度は、風速計の針のように、絵ごとの風を刻んでいる。
じつは、竹の候補はもう一組あった。
雨の竹と風の竹を対にした、二幅の墨画である。
1500年代初めの作とされるが、画面に署名も印もない。
筆の癖の比較で、日本の画家の名が当てられてきた。
だが近年の研究では、作者がどの国の人かも確かでなくなったと記録は言う。
九点にはすでに、元の竹と朝鮮の竹がある。
それで、名の揺れるこの対は外した。
作者が誰であれ、その竹も同じように風へなびいていた。
題の風と、絵の風
風の強さは、題と絵で食い違うこともある。

川辺に、ポプラの木立が並ぶ。
木炭の黒だけで、空も水も木も描かれている。
題は《ポプラを吹き抜ける突風》。
ところが館の記録は、そよ風の気配で軽くしなる木立、と読む。
題は突風を名乗り、記録はそよ風と言う。
枝のしなりから風の強さを読み取る目盛りが、人によって違うのである。
風は見えないから、強さの証言も割れる。
突風の題は画家自身の言葉なのか、後の人の命名なのか。
記録は、そこまでは書いていない。
分かっているのは、同じ木立を前に読みが割れた、ということだけである。
館の記録は、技法のことも書いている。
アロンジェは木炭を塗るだけでなく、擦筆でぬぐい取って光を作った。
木炭の画法書を出版し、各国語に訳されて名を広めた人だという。
1873年に出たその本の名は、木炭を意味する題だったとある。
多くの画家が劇的なイタリアの風景を好んだ時代に、彼は自国フランスを描いた。
とくにパリ郊外のフォンテーヌブローの森を描き続けたと、記録は書く。
左下には、黒いインクの署名が残る。
黒を足す手と、黒を消す手。
その往復で、灰色の空気とポプラのざわめきが生まれている。
何年ぶんの風か
一瞬の風ではなく、積もった風もある。

砂地の上に、松が並んでいる。
太い幹が、そろって同じ方向へ傾いでいる。
奥には、青い海が帯になってのぞく。
磯馴松とは、海辺の風に馴らされた松のことである。
この絵に、いま吹いている風は描かれていない。
それでも、どちらから風が吹く土地なのかは一目で分かる。
幹の傾きが、何十年ぶんの風を記録しているからである。
木の形は、風の履歴書である。
館の記録では、これは版画集《百々世草》のための下絵だという。
薄紙に墨と色で描いた自在な素描で、仕上がりの版より奔放だとある。
版になる前の、勢いの残った筆である。
この下絵は、京都の画商の手から1989年に美術館へ渡った。
そして、この記録には寸法の欄がない。
幹の傾きは記録されても、紙の大きさは記録されないことがある。
風の名を借りた、静かな一枚も見ておく。

穏やかな川面に、背の高いポプラの木立が映っている。
水面はほとんど鏡で、波立ちは見えない。
題は二段構えで、前半が場所を、後半が見立てを言う。
その後半に、風の竪琴、とある。
風が吹くとひとりでに鳴る、風鳴琴という楽器がある。
まっすぐに並んだポプラの幹を、その弦に見立てた題だと考えられる。
風が通れば、弦は鳴る。
だが描かれているのは、鳴る前の、張られたままの弦である。
水面の映り込みが乱れていないから、風のないことは水が証言している。
この絵の風もまた、題の中にだけいる。
いや、正確には、風を待つ絵である。
竪琴と名づけたとたん、見る人は音を、つまり風を待ちはじめる。
題が画面に、まだ吹いていない風を吹き込んでいる。
この絵の出どころの欄は、少し変わっている。
1897年、数人の紳士からの贈り物、とだけあるのだ。
贈り主たちは、風と同じで、名の形を残していない。
そして最後の一点も、風の字が別の意味へ行った例である。

黄色い地の上に、着飾った女性が座っている。
花模様の打掛をまとい、髪には簪が並ぶ。
歌人の小野小町を、当世風の姿に置き換えた見立て絵である。
小町は九世紀の歌人で、六歌仙の一人に数えられる。
その古人を、江戸の流行の装いに置き換えて描く。
やつし、と呼ばれる遊びである。
叢書の名は、風流やつし六歌仙。
題には、其の二、ともある。
六人の歌仙を一人ずつ出す叢書の、二枚目にあたる。
画面の右上の札に、その叢書名と歌が刷り込まれている。
この風も、吹く風ではない。
風流、風雅の風である。
冒頭の雪の縁側と、同じ字の同じ使い方だ。
叢書の名に風流を掲げる絵が、候補にはいくらでもあった。
ただ、この一枚を選んだのには理由がある。
女性の手元を見てほしい。
扇を持っている。
扇を数えた回で見た、あの道具である。
扇は、風を受ける道具ではなく、風を作る道具である。
九点の中でただ一つ、人が起こす風が、ここにある。
紙と絹と布も、数える
風の係のほかに、風を受け止めた画材も数えておく。
九点のうち、紙に描かれた絵が六点ある。
多色摺の木版が三点、墨が一点、墨と彩色が一点、木炭が一点である。
絹に描かれたのは、七百年前の風竹の一点だけ。
布に油彩が二点で、オランダの海とセーヌの川である。
偶然だろうが、布に描かれた二点は、どちらも水のある絵だった。
そして、しなる竹は二点とも墨で描かれている。
墨の線は、筆の速さと勢いを、そのまま紙や絹の上に残す。
葉が流れる勢いは、線を引いた手の勢いでもある。
塗り重ねてゆく油彩には、その一瞬の速さは残りにくい。
だから油彩の画家は、帆のような形の大きい係へ風を任せたのかもしれない。
画面の大きさの幅も広い。
手もとで眺める一枚の錦絵から、部屋をひと囲みする十曲の屏風まである。
出どころの土地も数えておく。
九点のうち、日本の絵が四点、中国と朝鮮が一点ずつ。
ヨーロッパが二点、アメリカが一点である。
東アジアが六点と、はっきり偏った。
ただしこれは、風の字を記録に持つ絵が東の目録に多かった、というだけかもしれない。
集め方の癖まで、数えれば見えてくる。
考えてみれば、紙も絹も布も、風にあおられる側の素材である。
屏風は倒れ、掛軸はめくれ、帆布は鳴る。
風に弱いものの上にだけ、風は描き残されてきた。
なびく係を数える
九点の風の係を数える。
なびくもので風を見せる絵が六点。
帆と旗、凧の糸、そよぐ竹、しなる竹、ゆれるポプラ、傾いだ松である。
題にだけ風がある絵が一点。
マーティンの風の竪琴である。
そして、吹かない風の絵が二点。
雪の縁側と、小野小町の見立てである。
風の長さも数えられる。
凧や帆の風は、いま吹いている一瞬の風である。
そよぐ竹の風も、葉を飛ばす風も、その一瞬に属する。
磯馴松の風は、何十年も吹き続けた風の合計である。
絵の中の風には、一瞬から数十年まで、時間の幅があった。
強さの順にも並べられる。
水面の映り込みが乱れない無風が、まず一点。
凧がちょうど上がる程度の風と、船の仕事がはかどる風。
竹をやさしく曲げるそよ風に、葉を飛ばす強風。
そして、松の幹を曲げ切ってしまった何十年の風である。
記録はどこにも風速を書かないが、絵は弱い順に並べ直せる。
なびいたものの形が、そのまま目盛りになるからである。
言えないことも書いておく。
六対一対二というこの比率は、九点の中だけの話である。
なびく係の顔ぶれも、ここで出尽くしたわけではない。
煙も、髪も、雨の糸も、風の係を務められるはずである。
それでも、確かなことが一つある。
風を描いた画家は、一人も風を描いていない。
描いたのは、布と糸と葉と幹である。
風はいつも、他人の体を借りてしか画面に入れない。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、その日の風向きは書かれていない。
分かるのは、なびいたものの向きだけである。
それで足りる、と画家たちは知っていた。
見えないものは、見えるものに運ばせればよい。
画面の風は、そうやって三百年でも七百年でも吹き続けている。


