美術史・技法

素人の理想を、専門家が演じる——池大雅・谷文晁・椿椿山の文人画

墨一色の蘭、指で描いた山水、宴席の寄合書画、そして下絵と本画の対。中国の文人の理想を、日本の職業画家たちはどう引き受けたのか。池大雅・谷文晁・椿椿山の九幅で、三世代にわたる日本の文人画のねじれと魅力をたどる。

蘭図
池大雅《蘭図》メトロポリタン美術館蔵

墨の蘭が、一本だけ立っている

一幅の掛軸から始めたい。

蘭図
池大雅《蘭図》1749年ごろ。掛軸。紙に墨。縦96.7センチ、横25.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。池大雅《蘭図》メトロポリタン美術館蔵

細長い紙である。縦96.7センチ、横25.2センチ。

描かれているのは、蘭の株が一つ。それだけである。

葉は長い弧を描いて伸び、途中で一度ひるがえる。

花は小さく、墨の濃淡だけで描き分けられている。

色はない。背景もない。紙の余白が、そのまま空気になっている。

左上に署名と印。筆数は、数えられるほどしかない。

紙の丈は1メートル近い。この大きさで、描かれた面積は半分に満たない。

床の間に掛ければ、蘭は目の高さに来る。

香りのない花を、線の香りで代用する。そういう趣向の絵である。

それでも画面は空っぽに見えない。葉の弧が余白を切り分け、
残った白が風の通り道になっている。

一見、習字のようである。実際、この絵は書に近い。

蘭の葉の一筆は、書の線と同じ呼吸で引かれている。

描き直しは利かない。かすれも、太りも、置いた瞬間に決まる。

この一発勝負の線を楽しむ絵が、これから見ていく「文人画」である。

蘭は、東アジアの絵画で特別な位置を持つ植物である。

竹、梅、菊と合わせて「四君子」と呼ばれ、君子つまり徳のある人の象徴とされた。

人けのない谷で香る花に、世俗を離れた人格を重ねたのである。

だから蘭を描くことは、花の写生である以上に、人柄の表明だった。

作者は池大雅。1723年に生まれ、1776年に没した京都の画家である。

幼くして書に秀で、若いころは扇に絵を描いて売って暮らしたと伝えられる。

中国へ渡ったことは一度もない。

長崎経由で入る中国の画譜や版本、渡来画人の作品から、独学で中国の山水を学んだ。

見たことのない理想の山水を、書物から組み立てた画家である。

この絵は記録によれば1749年ごろ、大雅が26歳前後の作にあたる。

そしてこの種の絵は、日本では「文人画」と呼ばれてきた。

文人画とは、何か

先に言葉を整理したい。

文人画は、もともと中国の理想である。

科挙を通った教養人、つまり文人が、余技として絵を筆にする。

絵は本業ではなく、詩や書の延長である。

職業画家の巧みさより、人柄と学識のにじみ出た筆を尊ぶ。

この理想を理論にしたのが、明末の董其昌である。

彼は中国絵画を、職業画家の「北宗」と文人の「南宗」に分けてみせた。

日本の「南画」という呼び名は、この南宗に由来する。

この理想が18世紀の日本に入り、「南画」「文人画」と呼ばれる流れになった。

漢詩文の素養が広がった時代である。

儒学者も、町人の学者も、武士も、中国の文人の暮らしに憧れた。

絵はその憧れの、いちばん目に見える形だった。

売れる絵でもあった。憧れには、いつでも市場がついてくる。

ただし、日本の事情は中国と違う。

科挙はなく、士大夫という階層もない。

大雅も、後で見る谷文晁も椿椿山も、絵を売り、また俸禄を得て暮らした。

担い手になったのは、儒者、医者、武士、町人と、階層を横断する教養人たちだった。

浮世絵が版元と彫師と摺師の分業で作られる商品だったのに対し、
文人画は一人の筆から出る、一点ものの絵である。

同じ時代の京都と江戸に、この二つの絵が並行して存在していた。

つまり日本の文人画は、理想としては素人の絵、実態としては専門家の絵である。

このねじれが、日本の文人画を面白くしている。

本記事では、当サイトで公開している三人の画家の九幅で、そのねじれを見ていきたい。

夏と冬が、対になる

大雅には、対で残る山水がある。

夏冬山水図のうち夏景
池大雅《夏冬山水図のうち夏景》18世紀。掛軸。絹に墨。各縦97.8センチ、横46.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。池大雅《夏冬山水図のうち夏景》メトロポリタン美術館蔵
夏冬山水図のうち冬景
池大雅《夏冬山水図のうち冬景》18世紀。掛軸。絹に墨。各縦97.8センチ、横46.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。池大雅《夏冬山水図のうち冬景》メトロポリタン美術館蔵

夏の幅では、山肌が短い筆触で埋め尽くされる。

木々が茂り、山の襞のひとつひとつまで筆が入り、画面は金茶色に沸き立つ。

冬の幅では、筆が急に少なくなる。

白い山は塗り残しで表され、麓の家々と松だけが濃い墨で締められる。

遠くには、白い峰がひとつ浮かぶ。

同じ寸法、同じ絹、同じ画家。それでも夏は密、冬は疎である。

季節を、景色の違いではなく、筆の密度の違いとして描き分けている。

夏の幅は、名所の絵ではない。どこという場所のない、理想の山である。

低い視点から見上げる構図で、山は画面の外まで続くように盛り上がる。

冬の幅では視界が開け、空気が乾く。墨の量まで、季節に合わせて配分されている。

所蔵記録では、二幅は続き番号で登録されている。表具も同じ仕立てで、
最初から対幅として作られたと考えてよい。

床の間の絵は、掛け替えるものである。

夏に冬景を、冬に夏景を掛ける楽しみ方もできる。対幅は、季節を運ぶ道具でもあった。

掛軸という形式の約束事は、掛軸・屏風・扇のコラムで扱った。

なお、この記事の九幅はすべてメトロポリタン美術館の所蔵である。

うち六幅は、日本美術の収集家ハリー・パッカードの旧蔵品で、1975年に同館に入った。

日本の文人画がまとまって海を渡った、その経路も記録に残っている。