手のひらの下ごしらえ——ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》のための習作
光を分けて置くという考え
スーラの方法は、感覚だけで生まれたものではない。
19世紀には、色と光についての研究が進んでいた。
補色の関係、並置による混色、残像の効果。こうした知見が本になっていた。
若い画家たちは、それを読んでいたと考えられる。
原理を単純に述べると、こうなる。
絵具を混ぜると暗くなる。混ぜずに並べると、明るさが保たれる。
離れて見れば、目のなかで色が混ざる。
だから、緑を作るために青と黄を混ぜるのではなく、青と黄を隣に置く。
この考えを画面全体に徹底させたのが、のちの点描である。

この板では、点がはっきりしている。
草地は黄緑と橙の点で埋められ、木陰には青と紫が入る。
人物は輪郭を持たず、色の塊として置かれる。
日傘の白、服の暗い青、帽子の黒。
大画面《グランド・ジャット島の日曜日の午後》の準備として描かれたものである。
完成作は縦2メートル、横3メートルを超える。
その巨大な画面を、点で埋めることになる。
作業量を考えれば、下ごしらえは不可欠だったはずである。
日曜日の公園を、点で埋める
《グランド・ジャット島の日曜日の午後》についても触れておきたい。
グランド・ジャット島は、セーヌ川に浮かぶ細長い中州である。
アニエールの対岸にあたる。つまり、水浴の絵と地理的に隣り合っている。
こちらに描かれるのは、日傘を差した女性や、正装した男性である。
水浴の絵に描かれた人々とは、身なりが違う。
同じ川の両側に、違う階層の休日がある。
二枚の大画面は、その対比としても読める。
もっとも、この読み方は後世の解釈である。
画家がそこまで意図したかどうかは、記録からは確定できない。
ここでは、そういう読み方が可能だという指摘にとどめたい。
描く順序を、逆から考える
ここで、制作の順序を整理しておきたい。
一般に、大画面は次のような順序で作られる。
まず現場で小さな習作を描く。色と光の配置を記録するためである。
次に、人物や部分の素描を作る。姿勢や比率を確かめるためである。
そして画室で、それらを組み合わせて大画面に構成する。
最後に、細部を仕上げる。
スーラの場合、この工程が明確に残っている。
板絵が数十枚、素描が多数、そして完成作。
工程が分かれているということは、制作が計画的だということでもある。
屋外で一気に仕上げる印象派の方法とは、ここが違う。
モネは光の状態を追い、同じ対象を何度も描いた。
スーラは光の理屈を使い、画面を設計した。
どちらも「光」を扱っているが、態度は逆である。
前者は現場に居続け、後者は画室で組み立てる。
素描という、もうひとつの技術
スーラには、油彩とは別に、素描の仕事がある。
コンテ・クレヨンを使い、目の粗い紙に描く方法である。
紙の凹凸に黒がのり、へこみが白く残る。
線を引かずに、明暗の階調だけで形を作る。
輪郭線を使わないという点で、油彩の方法と共通している。
つまり彼は、材料を変えても同じ考え方で描いていた。
形は線ではなく、明るさの差でできている。
この考えは、19世紀の絵画において必ずしも一般的ではなかった。
学校で教えられたのは、まず輪郭を取る方法である。
それを外したところに、この画家の位置がある。
素描については展示の機会が限られる。紙は光に弱いためである。
もし展示されていたら、迷わず近づいて見てほしい。
板絵から、大画面へ
板絵と完成作の関係を、もう少し具体的に考えたい。
板の上では、色と光の配置が試される。
どこに明るい面を置き、どこに暗い塊を置くか。
人物の位置は、この段階ではまだ動かせる。
馬を入れるか、外すか。舟を右に置くか、左に置くか。
大画面に移った時点で、それらは固定される。
固定されたあとの画面には、迷いが残らない。
だからこそ、完成作は静かに見える。
逆に言えば、板絵には迷いがそのまま残っている。
筆は速く、輪郭は乱れ、色は試行の跡を残す。
どちらが面白いかは、見る人によって違うだろう。
私は、板絵のほうに手の速度を感じる。
点になる前の、若い絵
スーラの初期には、もっと静かな絵がある。

とても小さな板である。名刺を二枚並べた程度と考えてよい。
画面は暗い。褐色と灰緑が大半を占める。
手前に舟らしい形が置かれ、奥に水と土手が見える。
空は白濁している。天候も時刻も、判別しにくい。
点描の華やかさはない。むしろ地味な絵である。
しかし、面を大きく捉える力はすでにある。
細部を描かず、明暗の塊で画面を組み立てている。
もう一枚、少しあとの絵を見たい。

縦長の画面である。細い木の幹が何本も立つ。
幹は白と灰。葉は黄緑で、細かい筆が全面に置かれる。
地面は落葉の橙。空はほとんど見えない。
森のなかに立って、上を見ずに前を見た構図である。
ここでは筆が細かくなっている。
同じ大きさの筆跡が画面を埋め、全体が均一な織物のように見える。
1881年。点描が確立する数年前にあたる。
対象を写すというより、画面を一様な粒で覆うことに関心が向いている。