手のひらの下ごしらえ——ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》のための習作
働く人を、点で描く
スーラの主題には、都市の休日だけでなく、農村の労働もある。

小さな板である。二人の人物が立ち、鎌か熊手を手にしている。
服は青と白。顔は描かれていない。
地面は橙と赤褐色で、収穫後の土だと考えられる。
背後には木立が低く並ぶ。
同じ主題を、もう一枚。

一人の男が前かがみになり、鍬を振るう。
服は青灰色。背景は緑と橙の帯。
体は面としてとらえられ、輪郭線は使われていない。
この姿勢は、ミレーの農民像を思わせる。
実際、19世紀の画家にとってミレーは共通の参照先だった。
ゴッホがミレーを模写したことはよく知られている。
スーラの場合、主題は借りつつ、方法は変えている。
物語や感情を語らせない。人物を、光を受ける形として扱う。
同じ農民像でも、こう扱えば別の絵になる。

こちらも小さな板である。庭仕事をする人物が前かがみに描かれる。
緑と橙が主調で、筆は短い。
顔はやはり描かれていない。
三枚を並べると、共通点がわかる。
働く人を、動きの途中で止めて、面としてとらえている。
農村と都市を、行き来する
ここで、主題の広がりも見ておきたい。
草刈り、鍬を使う男、庭師。いずれも働く人である。
一方、《グランド・ジャット島》に描かれるのは、休む人である。
スーラはこの二つを、同じ方法で描いた。
労働も休息も、光を受ける形として等しく扱う。
19世紀の絵画では、農民を描くことに意味が込められがちだった。
貧しさ、敬虔さ、土地との結びつき。そうした読み方が付いてまわる。
スーラの農民像には、その種の語りが薄い。
人物は象徴ではなく、形として置かれている。
冷たい態度に見えるかもしれない。
だが、対象に意味を押しつけない態度でもある。
見る側は、絵から物語を受け取るのではなく、自分で組み立てることになる。
光の塔と、砂の粒
最後に、点描が完成した時期の一枚を見たい。

画面の左に灯台が立つ。白い円筒形である。
右手には建物と、細い柱の構造物が見える。
手前は砂浜。淡い桃色と灰色の点で埋められている。
空は水色と白の点。海は青と緑の点。
画面のすべてが点である。
そして、画面の縁に沿って点で描かれた枠が回されている。
額縁の影響を打ち消すために、画家自身が塗ったものだと考えられる。
1886年。この年、最後の印象派展が開かれ、そこに《グランド・ジャット島》が並んだ。
ゴッホがパリに出てきたのも、この年である。
若いゴッホが、この点描を目にした可能性は高い。
ただし、どの絵をいつ見たかを特定することはできない。推測にとどめたい。
色を、目のなかで混ぜる
点描の効果について、もう少し具体的に書きたい。
《オンフルールの灯台》の砂浜を、近くで見たとする。
見えるのは、桃色、灰色、青、橙の小さな点である。
一つひとつは、砂の色ではない。
しかし数歩下がると、それらが混ざって、明るい砂の色になる。
この混ざり方は、絵具を混ぜたときとは違う。
絵具を混ぜれば、明度は下がる。濁りが出る。
点で並べれば、明度は保たれる。
その代わり、輪郭は柔らかくなり、形は溶ける。
つまり点描は、明るさと引き換えに輪郭を手放す方法である。
得るものと失うものが、はっきりしている。
スーラが人物の顔を描かないのも、この方法と関係がある。
点で顔を描くと、表情は成立しにくい。
だから彼は、表情を必要としない構図を選んだ。
方法が主題を選ぶ。そういうことが、絵にはしばしば起きる。
若い仲間たちへ、方法が伝わる
スーラの方法は、一人のものにとどまらなかった。
ポール・シニャックが早い時期から共鳴し、同じ方法で描きはじめる。
二人は1884年に結成された独立芸術家協会の展覧会で出会ったとされる。
以後、点描は「分割主義」「新印象主義」などの名で呼ばれるようになる。
1887年、パリにいたゴッホもシニャックと交流している。
二人が郊外で並んで制作したことが伝えられる。
ゴッホの1887年の絵に短い筆の並置が見られるのは、この接触と無関係ではないだろう。
ただし、ゴッホは点描をそのまま採用していない。
点の大きさも、方向も、彼の場合はそろっていない。
うねり、渦を巻き、方向がぶつかる。
理屈としての分割ではなく、手つきとしての分割である。
同じ考えを受け取っても、出てくる絵は違う。
その違いこそが、画家の個性と呼ばれるものだと考えられる。
スーラは1891年に31歳で亡くなっている。
活動期間は10年あまりにすぎない。
その短さを思うと、残された板絵の枚数はいっそう重く見える。
見に行く前に、下ごしらえを想像する
ここまで九点を並べてきた。すべて当サイトで公開している作品である。
権利表示を作品ごとに確認したうえで扱っている。名古屋の出品作とは別である。
そのうえで、ひとつの見方を提案したい。
展示室で大きな絵の前に立ったら、その前段階を想像してほしい。
この構図に決まるまでに、何枚の試作があったか。
採用されなかった案は、どこにあったか。
スーラの場合、その答えは板絵として残っている。
小さな板が何十枚もあり、そこから一枚の大画面が組み上がる。
絵は、最後の一手だけでできているのではない。
見えているのは結果であり、その下には過程がある。
そう思って見ると、完成作の落ち着きの意味も変わってくる。
迷ったあとで選ばれた構図は、迷いの跡を消したうえで静かに立っている。
なお、この記事で扱った板絵の多くは、いまも所蔵館で大切に保管されている。
道具として作られたものが、作品として残った例である。
制作の途中を残しておくこと。それ自体が、後世への贈り物になる。
完成作だけでは、画家がどこで迷ったかはわからない。
板絵が残っているから、私たちは迷いの跡を辿れる。
会期と料金、休館日は変わることがある。来場前に公式サイトで確かめてほしい。







