美術史・技法

柱の五点は、何も支えていない——デューラー・ロベール・北斎ほか九点

柱は重さを受けて地面へ流す部材である。ところが九点で数えると、上の重さを支えているのは四点しかない。人を縛る柱、頭だけを載せた柱、器の名になった柱、柱に掛けるための版画まで並ぶ。支えない柱ほど、飾りが細かくなっていた。九点のうち六点は石ではない。

柱の傍らの悲しみの人
アルブレヒト・デューラー《柱の傍らの悲しみの人》クリーヴランド美術館蔵

石の柱に、縄がかけてある

一枚の銅版画に、太い石の柱が立っている。

柱は画面の右寄りにあり、上端は画面の外へ出ている。

柱の下には、丸い台座がある。

台座は二段になっていて、幅が広い。

柱の面には、縦の溝が彫られているように見える。

その柱に、縄が二本かけられている。

縄は柱の上のほうから、斜めに下りてくる。

柱のすぐ左に、男が立っている。

上半身は裸で、腰に布を巻いている。

両手は胸の前で合わされ、手首に縄が回る。

頭には、細い枝を編んだ輪をかぶっている。

顔はうつむき、目は閉じられている。

足もとに、鞭と細い棒が置かれている。

柱の左下に、二人の小さな人物がいる。

一人は膝をつき、両手を合わせている。

もう一人は、その後ろで顔を上げている。

画面の左上に、年と作者の記号が彫り込まれている。

館の記録に、寸法の欄はない。

技法はエングレーヴィングとだけ書かれている。

柱の傍らの悲しみの人
アルブレヒト・デューラー《柱の傍らの悲しみの人》1509年。館の記録では、エングレーヴィング。番号は1921.1161。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《柱の傍らの悲しみの人》クリーヴランド美術館蔵

この柱は、何も支えていない。

上に梁も屋根も載っていない。

画面の外で何かを支えている可能性はあるが、描かれていない。

柱は、人を縛るための道具として置かれている。

本来の柱は、重さを受けて地面へ流す部材である。

支えることが、その存在理由である。

ところが絵のなかの柱は、支えていないことが多い。

九点を並べて、そのことを数えたい。

柱は、支えているか

集めかたは、館の記録の題によっている。

柱、列柱、柱頭にあたる語が入るものを拾った。

拾った九点のうち、柱が上の重さを支えているのは四点だった。

支えていないものが、五点ある。

その五点の内訳は、こうなる。

人を縛るための柱が一点。

頭部だけを載せた柱が一点。

器の把手を支える柱状の部材が二点。

そして、柱に掛けるために作られた版画が一点。

支えていない柱のほうが多い。

これは、題に柱の語が入る作品の性質かもしれない。

建物の柱は、たいてい建物の名で呼ばれる。

柱が題に出るのは、柱が主役になったときである。

主役になった柱は、たいてい本来の仕事をしていない。

支えている柱を、先に見る

支えている四点を見たい。

一点目は、エジプトの神殿の遺構を撮った写真である。

館の記録には、寸法の欄がない。

画面には、太い角柱が横一列に並ぶ。

柱の前面には、人の形が彫り出されている。

腕を胸の前で組み、まっすぐ立つ姿である。

顔の部分は、多くが崩れている。

上には、水平の石が渡されている。

つまりこれらの柱は、いまも上の石を支えている。

柱の足もとに、人が十数人いる。

座っている人、立っている人、馬に乗っている人がいる。

その大きさから、柱の高さが推せる。

人の背丈の五倍ほどはありそうである。

館の記述によれば、この写真は三兄弟が営んだ写真館の作である。

同じ記述は、同じ場所を撮った他の写真家の作品にも触れている。

三人の名と、それぞれの番号まで書かれている。

同じ被写体を、複数の写真家が撮っていた。

ラメセウムの人像柱
アブドゥッラー兄弟《ラメセウムの人像柱》1860〜80年代。館の記録では、アルビュメン・プリント。番号は2023.131。クリーヴランド美術館蔵。アブドゥッラー兄弟《ラメセウムの人像柱》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、楕円形の油彩である。

額なしで42.6×33.4センチ。

画面には、太い円柱が何本も並ぶ。

柱の上には、丸天井が架かる。

奥へ行くほど、柱の間隔が詰まっていく。

床には、人が二十人ほど散っている。

赤い衣の人、白い衣の人がいる。

館の記述によれば、画家は柱をわざと古びさせて描いた。

さらに、古代の甲冑を着た兵士を描き加えたとも書かれている。

この絵については、注意すべき点がある。

館の記録には、二枚を一組とした番号もある。

その一組の記録は、別の回で取り上げた。

同じ絵が、一組としても、一枚としても登録されている。

公開データを数えるときは、この重なりに気をつける必要がある。

コンクラーヴェ中のサン・ピエトロ大聖堂の列柱廊
ユベール・ロベール《コンクラーヴェ中のサン・ピエトロ大聖堂の列柱廊》1769年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで42.6×33.4センチ。番号は1976.97.1。クリーヴランド美術館蔵。ユベール・ロベール《コンクラーヴェ中のサン・ピエトロ大聖堂の列柱廊》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、小さな油彩である。

32.1×25.4センチしかない。

画面は縦長で、神殿の柱を間近から描いている。

手前に、二本の太い柱が立つ。

柱は上へ行くほど細くなる。

上には、黄土色の横石が渡る。

柱と柱のあいだから、外の景色が見える。

緑の草地と、遠くの青い山と、明るい空。

左手には、崩れた壁と草が見える。

つまり、この神殿には屋根がない。

柱は残り、覆いは失われている。

館の記録は、場所と年だけを簡潔に書いている。

記述の欄はない。

パエストゥムのネプチューン神殿の列柱
コンスタンティン・ハンセン《パエストゥムのネプチューン神殿の列柱》1838年。館の記録では、油彩・カンヴァス。32.1×25.4センチ。番号は2007.164.4。メトロポリタン美術館蔵。コンスタンティン・ハンセン《パエストゥムのネプチューン神殿の列柱》メトロポリタン美術館蔵

四点目は、柱の頭の部分だけである。

石灰岩を彫った柱頭の断片。

台座を除いて26.7×33×22.9センチ。

上の面は平らで、そこに重さが載る。

四隅には、渦を巻いた飾りが残る。

正面には、人物が浮き彫りにされている。

頭に布をかぶった人が数人。

左端の人物は、器から水を注いでいるように見える。

石は白っぽく、表面は摩耗している。

館の記述によれば、これは南イタリアの聖堂の柱頭とされる。

同じ記述は、その聖堂の別の柱頭との様式の近さを指摘している。

館は「おそらく」という言い方で、場面の内容を推定している。

断片なので、全体の柱がどれだけ高かったかは分からない。

分かるのは、頭の部分の寸法だけである。

マリアの幼年伝の場面を表す柱頭の断片
モノポリ大聖堂の工房《マリアの幼年伝の場面を表す柱頭の断片》1100年代初め。館の記録では、きめの細かい石灰岩。台座を除いて26.7×33×22.9センチ。番号は1955.556。クリーヴランド美術館蔵。モノポリ大聖堂《マリアの幼年伝の場面を表す柱頭の断片》クリーヴランド美術館蔵

頭だけを載せた柱

支えていない柱に移りたい。

十七世紀の素描がある。

紙は41.2×55.7センチと大きい。

赤褐色の顔料と油で描かれている。

画面の左に、四角い柱が立つ。

柱の上には、髭のある頭部が載っている。

体はない。

これをヘルマ柱像という。

頭と柱を直接つないだ形式である。

その前に、人々が集まっている。

裸の男が壺を掲げ、女たちが器を持つ。

子どもらしい姿もある。

右のほうには、羊か山羊らしい動物がいる。

線は速く、輪郭は途切れがちである。

顔の造作は、点と線でしか示されない。

館の記録によれば、紙の上と裏に数字が書かれている。

二十、十六、七十という数字である。

かつて誰かが番号を振ったのだろう。

館は、その数字の意味を書いていない。

ヘルマ柱像の前の酒神祭
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ《ヘルマ柱像の前の酒神祭》1660年代初め。館の記録では、油性の絵具と赤褐色の顔料。紙は41.2×55.7センチ。番号は1964.31。クリーヴランド美術館蔵。ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ《ヘルマ柱像の前の酒神祭》クリーヴランド美術館蔵

柱を、人の形にする

柱と人は、形が似ている。

どちらも垂直に立ち、上に重さを載せる。

その類似を、直接使った例が二点あった。

一点は、エジプトの人像柱である。

角柱の前面に、立つ人の姿が彫り出されている。

腕を胸の前で組み、足はそろえて立つ。

体は柱から離れず、背中は石に埋まっている。

つまり人の形をしているが、動けない。

もう一点は、ヘルマ柱像である。

こちらは、頭だけが柱の上に載る。

体は四角い石の柱のままである。

肩も腕も足もない。

顔と柱が、直接つながっている。

二つの形式は、逆の方向を向いている。

人像柱は、柱を人に近づけた。

ヘルマ柱像は、人を柱に近づけた。

どちらも、支える働きと人の姿を重ねている。

重ねると、柱に意志があるように見える。

支えているのではなく、支えようとしているように見える。

これは見る側の受け取り方の問題である。

館の記録は、そこまで書かない。

書かれるのは、形式の名と材と寸法である。

柱の名を持つ器が、二点

九点のうち二点は、器である。

どちらも、柱の語を名前に持つ混酒器だった。

一点目は、高さ41.5センチの陶器。

口の縁は広く、平らである。

胴は膨らみ、下は細くなって台につながる。

両側に、把手が付く。

把手は、細い柱のような部材で口の縁を支えている。

館の記述によれば、この器の名は、その柱状の部材に由来する。

胴には、赤い地に人物が描かれる。

館の記述によれば、二組の男女が走っている。

先頭の男は頭が薄く、後ろの男は毛深い。

先頭の女は杖を持ち、後ろの女は松明を二本持つ。

裏側には、若者が三人立つ場面があるという。

館は、その面を「よくある場面」と書いている。

赤像式クラテル(混酒器):マイナスを追うサテュロス
ナポリの画家に帰属《赤像式クラテル(混酒器):マイナスを追うサテュロス》紀元前440〜430年。館の記録では、陶。全体で高さ41.5センチ。番号は1924.533。クリーヴランド美術館蔵。ナポリの画家《赤像式クラテル(混酒器):マイナスを追うサテュロス》クリーヴランド美術館蔵

二点目も、同じ形式の器である。

36.8×35.5×30.1センチ。

口の縁は四角く張り出し、把手の上に載る。

胴には、赤い地に人物が描かれる。

一人は座り、一人は立って何かを差し出している。

黒い部分が広く、人物は少ない。

館の記録では、作者は古代ギリシアとだけ書かれている。

個人の名は分かっていない。

一点目には、画家の呼び名が付いていた。

その呼び名は、後の研究者が付けた仮の名である。

同じ形式の器でも、記録の詳しさが違う。

クラテル(混酒器)
古代ギリシア《クラテル(混酒器)》紀元前450年頃。館の記録では、テラコッタ、赤像式。36.8×35.5×30.1センチ。番号は1889.93。シカゴ美術館蔵。古代ギリシア《クラテル(混酒器)》シカゴ美術館蔵

柱に掛ける絵、柱に書く人

最後の一点が、いちばん柱に近い。

日本の版画で、紙は7×29.2センチしかない。

幅が七センチ、高さが二十九センチである。

細長い短冊のような形をしている。

館の記述によれば、これは柱に掛けるための版画である。

柱絵と呼ばれ、家の柱を飾るために作られた。

つまり、紙の形が柱の形に合わせてある。

そして描かれている内容も、柱である。

画面には、二人の人物がいる。

下の一人は、腰を落として踏ん張っている。

その肩の上に、もう一人が乗っている。

上の人は、腕を伸ばして何かを書いている。

書いている先は、寺の柱らしい。

足もとには、笠と荷物が置かれている。

旅人が、柱に自分の名を書き付ける場面である。

柱に掛ける絵に、柱に書く人が描かれている。

館の記録には、署名と版元の記載も写されている。

寺の柱に書き付ける旅人
葛飾北斎《寺の柱に書き付ける旅人》1830年頃。館の記録では、木版、紙に墨と色。紙は7×29.2センチ。番号は1940.995。クリーヴランド美術館蔵。葛飾北斎《寺の柱に書き付ける旅人》クリーヴランド美術館蔵

柱の太さと、その比

柱には、太さと高さの比がある。

その比が、柱の見え方を決める。

九点で、比を読める柱を見たい。

読めたのは、四点である。

エジプトの角柱は、太くて短く見える。

高さは太さの五倍ほどだろうか。

人が並んでいるので、目分量で測れる。

神殿の円柱は、もう少し細長い。

こちらは高さが太さの六倍ほどに見える。

大聖堂の列柱廊の柱は、さらに細い。

丸天井を受けているので、上へ長く伸びる。

そして版画の柱は、いちばん細く見える。

画面に収まっているのは下半分だけである。

上が切れているので、実際の高さは分からない。

太い柱ほど、古く見える。

細い柱ほど、新しく見える。

これは石の切り出し方と積み方の進歩に対応する。

大きな石を一本で立てるなら、太くするしかない。

小さな石を積んで作るなら、細くできる。

絵はその差を、そのまま写している。

もっとも、館の記録に柱の比の欄はない。

読めるのは画像からだけである。

そして画像は、必ずどこかで切れている。

柱は、名前を書かれる場所でもある

柱の面は、平らで、目の高さにある。

だから、そこに文字が書かれることがある。

九点のうち、柱に文字があるのは一点だった。

旅人が寺の柱に書き付ける版画である。

肩車をしてまで、高い位置に書こうとしている。

高い位置に書けば、消されにくい。

そして、あとから来た人がそれを読む。

柱への書き付けは、いまなら落書きと呼ばれる。

だが、この版画では旅の記念として描かれている。

同じ行為の見え方が、時代で変わる。

館の記録は、その評価を書かない。

書かれているのは、署名と版元と技法だけである。

なお、この紙の形自体が柱に由来していた。

柱に掛ける絵だから、細長い。

内容も柱、形も柱。

九点のなかで、いちばん柱に近い一点である。

その紙は7センチ幅しかない。

九点でいちばん細い作品でもある。

数え直す

九点を並べ直したい。

柱が上の重さを支えているのは、四点。

支えていないのが、五点である。

柱に人の形があるのは、二点だった。

人像柱と、ヘルマ柱像である。

柱に文字が書かれているのは、一点。

柱そのものが断片として残っているのが、一点。

柱の語が器の名になっているのが、二点。

そして、柱に掛けるために作られたものが一点ある。

材で分けると、石が四点、陶が二点、紙が三点になる。

石の柱は残り、木の柱は残らない。

今回の九点に、木の柱そのものは一つもなかった。

日本の版画に描かれた寺の柱は、おそらく木である。

だが、それは絵のなかの柱にすぎない。

九点のうち、四点が断片である

もう一つ、数えておきたいことがある。

全体が残っていない作品が、いくつあるか。

数えると、四点だった。

柱頭の断片は、柱の頭だけである。

エジプトの神殿は、屋根が落ちている。

ギリシアの神殿も、覆いを失っている。

器の一点は、口の縁の一部が欠けている。

いずれも、もとの姿ではない。

それでも、記録はそれを一つの作品として扱う。

番号を付け、寸法を測り、公開する。

断片であることは、題や記述に書かれる。

柱頭については、はっきり「断片」と題に入っている。

神殿の写真では、記述が遺構であることを示す。

器の欠けについては、記録に明示がない。

画像を見れば分かる、という扱いなのだろう。

欠けの記載は、館によって方針が違う。

そのため、公開データだけで保存状態を比べるのは難しい。

比べたいなら、画像を一点ずつ見るしかない。

今回も、九点すべての画像を見て確かめた。

柱は、垂直の線である

数えた結果から言えることを、まとめたい。

柱の絵に共通するのは、垂直の線が強いことである。

画面に縦の線が入ると、そこで視線が止まる。

止まった線の左右で、画面が分かれる。

悲しみの人の版画では、柱が人物のすぐ右にある。

柱があるので、人物は画面の中央に留まる。

ヘルマ柱像の素描では、柱が画面の左端を締めている。

その右側で、人々が横へ流れていく。

柱がなければ、人物の群れは画面から出てしまう。

神殿の油彩では、二本の柱が窓の枠のように働く。

その間から、遠い景色が見える。

つまり柱は、画面を区切る道具でもある。

支えるという本来の働きとは別に、絵のなかでは仕切りになる。

前に見た窓の桟と、同じ役である。

柱も桟も、細い縦の線である。

線が一本入るだけで、画面の読み方が変わる。

柱の周りに、人は集まる

柱のある画面で、人がどこにいるかを見たい。

人が描かれているのは、六点だった。

そのうち五点で、人は柱の足もとにいる。

エジプトの写真では、柱の根もとに人が座る。

列柱廊の油彩でも、人は床にいる。

酒神祭の素描でも、人はヘルマ柱の下に集まる。

版画の旅人だけが、柱の高い位置に手を伸ばしている。

そして悲しみの人は、柱に縛られている。

柱の足もとは、人が集まりやすい場所らしい。

理由はいくつか考えられる。

日陰ができること。

寄りかかれること。

そして、待ち合わせの目印になること。

前に見た門の絵でも、人は門の前に溜まっていた。

垂直に立つものの根もとには、人が集まる。

その傾向は、九点のうち五点で確かめられた。

もちろん、五点では傾向と呼ぶには弱い。

だが、絵の構成としては理にかなっている。

柱を描くと、その足もとに余白ができる。

余白があれば、そこに人を置きたくなる。

置かなければ、画面の下が空いてしまう。

記録は、柱の本数を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、柱の本数を書く欄はない。

書かれるのは、作品そのものの寸法と材である。

柱頭の断片には、台座を除いた寸法が書かれている。

台座は後から付けたものだから、除いて測る。

これは、記録の丁寧さを示す書き方である。

器の寸法は、高さだけのものと、三方向のものがあった。

館によって、書き方が違う。

同じ形式の器でも、一方は41.5センチとだけ書かれる。

他方は36.8×35.5×30.1センチと三つの数字が並ぶ。

前者は高さ、後者は高さと幅と奥行きだろう。

比べようとすると、この差が効いてくる。

高さだけを比べれば、41.5センチと36.8センチである。

だが、口の広がりまで比べることはできない。

公開データを横に並べるときは、こういう差を意識する必要がある。

そして、どちらの記録にも柱状の部材の寸法はない。

器の名の由来になった部分は、測られていない。

名前になるほど目立つ部分でも、記録の欄には入らない。

欄は、あらかじめ決まっているからである。

高さ、幅、奥行き、材、年、番号、出所。

その枠に入らないものは、記述の欄へ回される。

記述の欄がなければ、どこにも残らない。

今回の九点では、四点に記述があった。

残る五点は、欄の数字だけで公開されている。

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