降っている雪は、一点もない——ボヌール・ピサロ・法若真ほか九点
雪は動くので、積もった状態でしか描けない。九点で数えると、雪が見えるのは五点で、いずれも降った後だった。塗り残しで作られた雪が三点。芝居の名や姓など、語だけの雪が四点混じる。雪の画面はいずれも暗い色を持たず、影が青く置かれていた。

雪の上に、猪が四頭いる
一枚の小さな板絵に、雪の林がある。
額なしで21×30.8センチ。
横長の画面である。
画面の上半分は、細い木の幹で埋まっている。
木は葉を落とし、細い枝が空へ広がる。
幹は茶色と灰色で、まっすぐ立つ。
奥へ行くほど、幹は細く、密になる。
下半分は、雪の積もった地面である。
雪は白と薄い青灰色で、まだらに残る。
ところどころ、茶色の落葉が透けて見える。
つまり、雪は地面を覆いきっていない。
その雪の上に、猪が四頭いる。
手前の一頭は、大きく、こちらを向いている。
鼻先が黒く、体は茶と黒である。
その後ろに、三頭が続く。
一頭は身を低くしている。
いずれも毛が長く、粗い筆で描かれる。
空は木の間から、わずかに見える。
灰色で、光は弱い。
館の記録に、記述の欄はない。
書かれているのは、題と年と技法と寸法である。

雪は、地面を白く覆う。
覆われると、地面の細部が消える。
畑の畝も、道の轍も、草の色も見えなくなる。
代わりに、輪郭だけが残る。
九点を並べて、その働きを数えたい。
雪が降っている画面は、一点もない
集めかたは、館の記録の題によっている。
雪にあたる語が入るものを拾った。
九点のうち、雪が画面に見えるのは五点だった。
残る四点は、後で扱う。
まず、はっきりした点を書いておきたい。
九点のうち、雪が降っている最中の画面は一つもない。
いずれも、降った後である。
積もった雪が、地面や屋根を覆っている。
降る雪を描くのは難しい。
白い点を無数に置くと、画面が汚れて見える。
そして、降る雪は動いている。
止まった画面には向かない。
前に滝を扱った回でも、同じ問題があった。
動くものは、止まった形で描くしかない。
雪の場合、止まった形とは積もった状態である。
雪は、屋根と地面に積もる
雪の積もった三点を見たい。
一点目は、油彩である。
59.2×72.3センチ。
画面の中央から右へ、雪の斜面が広がる。
雪は白と薄い青で、絵具が短く置かれる。
その上に、細い木が何本も立つ。
葉はなく、枝が細かく分かれる。
枝の色は、茶と紫である。
斜面の奥に、家が数軒ある。
屋根は白く、雪が積もっている。
壁は淡い黄土色である。
さらに奥には、低い丘と灰色の空が続く。
画面の下のほうに、人が一人いる。
濃い青の衣で、立っている。
顔は描かれていない。
雪は、地面を覆っているが、まだらである。
草の緑が、ところどころ見えている。
つまり、降ってから時間が経っている。

二点目は、木口木版である。
縁まで含めて30.2×45.4センチ。
横長の画面である。
高い位置から、町を見下ろしている。
画面の中央を、川が斜めに横切る。
川の水は暗く、白い縁取りがある。
岸には、雪をかぶった建物が並ぶ。
屋根は白く、壁は黒い。
その対比が、細かい線で刻まれている。
奥には、教会の塔と、大きな建物が見える。
さらに奥は、霞んでいる。
手前の岸には、荷車と人が集まる。
数十人はいる。
いずれも小さく、黒い点に近い。
橋の上にも、人が並ぶ。
空は明るく、上のほうがわずかに暗い。
白い部分と黒い部分の面積が、ほぼ半々である。
木口木版は、硬い木の断面を彫る技法である。
細かい線が彫れるので、こういう画面が作れる。

三点目は、色刷りの写真である。
画面は21×26.6センチ。
画面の下のほうに、緑の丘がある。
丘には木立と、小さな家が点在する。
その上に、薄い紫の山並みが重なる。
山は霞んでいて、輪郭がやわらかい。
いちばん奥に、白い雪の峰が横一列に並ぶ。
峰は鋭く尖り、白く光る。
その上の空は、淡い桃色である。
館の記述によれば、水平線が非常に高く取られている。
山の大きさを強調するためだという。
そして、手前の集落が自然の前で小さく見える、とも書かれている。
館の記録によれば、この技法は写真から色刷りを作る方法である。
つまり、撮影した後で色を付けている。
見えている桃色や紫は、実際の色とは限らない。

雪の白さを、紙で示す
中国の巻子を見たい。
画面は29.3×297.2センチ。
高さ三十センチに対し、長さが三メートル近い。
横に細長い。
右から左へ、風景が続く。
右のほうは、なだらかな丘である。
丘には、常緑の木と、葉の落ちた木が点在する。
墨は薄く、輪郭だけが引かれる。
左へ進むにつれ、岩が大きくなる。
岩はねじれた形で、黒い墨が濃く置かれる。
そして、雪は塗られていない。
紙の地が、そのまま雪である。
墨を置いたところが岩や木になり、置かないところが雪になる。
館の記述によれば、画家はこのとき七十八歳だった。
そして、雪の日に来た客を迎えるために描いたという。
その事情が、書き込みに記されている。
館はさらに、この画家の経歴にも触れている。
王朝が替わった時代を生き、新しい王朝にも仕えた。
そのことで、後の批評家に責められたという。
館は、その評価を紹介しつつ、断定はしていない。