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降っている雪は、一点もない——ボヌール・ピサロ・法若真ほか九点

雪は動くので、積もった状態でしか描けない。九点で数えると、雪が見えるのは五点で、いずれも降った後だった。塗り残しで作られた雪が三点。芝居の名や姓など、語だけの雪が四点混じる。雪の画面はいずれも暗い色を持たず、影が青く置かれていた。

雪の中の猪
ローザ・ボヌール《雪の中の猪》クリーヴランド美術館蔵

雪の上に、猪が四頭いる

一枚の小さな板絵に、雪の林がある。

額なしで21×30.8センチ。

横長の画面である。

画面の上半分は、細い木の幹で埋まっている。

木は葉を落とし、細い枝が空へ広がる。

幹は茶色と灰色で、まっすぐ立つ。

奥へ行くほど、幹は細く、密になる。

下半分は、雪の積もった地面である。

雪は白と薄い青灰色で、まだらに残る。

ところどころ、茶色の落葉が透けて見える。

つまり、雪は地面を覆いきっていない。

その雪の上に、猪が四頭いる。

手前の一頭は、大きく、こちらを向いている。

鼻先が黒く、体は茶と黒である。

その後ろに、三頭が続く。

一頭は身を低くしている。

いずれも毛が長く、粗い筆で描かれる。

空は木の間から、わずかに見える。

灰色で、光は弱い。

館の記録に、記述の欄はない。

書かれているのは、題と年と技法と寸法である。

雪の中の猪
ローザ・ボヌール《雪の中の猪》1872〜77年頃。館の記録では、板に油彩。額なしで21×30.8センチ。番号は1980.231。クリーヴランド美術館蔵。ローザ・ボヌール《雪の中の猪》クリーヴランド美術館蔵

雪は、地面を白く覆う。

覆われると、地面の細部が消える。

畑の畝も、道の轍も、草の色も見えなくなる。

代わりに、輪郭だけが残る。

九点を並べて、その働きを数えたい。

雪が降っている画面は、一点もない

集めかたは、館の記録の題によっている。

雪にあたる語が入るものを拾った。

九点のうち、雪が画面に見えるのは五点だった。

残る四点は、後で扱う。

まず、はっきりした点を書いておきたい。

九点のうち、雪が降っている最中の画面は一つもない。

いずれも、降った後である。

積もった雪が、地面や屋根を覆っている。

降る雪を描くのは難しい。

白い点を無数に置くと、画面が汚れて見える。

そして、降る雪は動いている。

止まった画面には向かない。

前に滝を扱った回でも、同じ問題があった。

動くものは、止まった形で描くしかない。

雪の場合、止まった形とは積もった状態である。

雪は、屋根と地面に積もる

雪の積もった三点を見たい。

一点目は、油彩である。

59.2×72.3センチ。

画面の中央から右へ、雪の斜面が広がる。

雪は白と薄い青で、絵具が短く置かれる。

その上に、細い木が何本も立つ。

葉はなく、枝が細かく分かれる。

枝の色は、茶と紫である。

斜面の奥に、家が数軒ある。

屋根は白く、雪が積もっている。

壁は淡い黄土色である。

さらに奥には、低い丘と灰色の空が続く。

画面の下のほうに、人が一人いる。

濃い青の衣で、立っている。

顔は描かれていない。

雪は、地面を覆っているが、まだらである。

草の緑が、ところどころ見えている。

つまり、降ってから時間が経っている。

ポントワーズの兎の飼育場、雪
カミーユ・ピサロ《ポントワーズの兎の飼育場、雪》1879年。館の記録では、油彩・カンヴァス。59.2×72.3センチ。番号は1964.200。シカゴ美術館蔵。カミーユ・ピサロ《ポントワーズの兎の飼育場、雪》シカゴ美術館蔵

二点目は、木口木版である。

縁まで含めて30.2×45.4センチ。

横長の画面である。

高い位置から、町を見下ろしている。

画面の中央を、川が斜めに横切る。

川の水は暗く、白い縁取りがある。

岸には、雪をかぶった建物が並ぶ。

屋根は白く、壁は黒い。

その対比が、細かい線で刻まれている。

奥には、教会の塔と、大きな建物が見える。

さらに奥は、霞んでいる。

手前の岸には、荷車と人が集まる。

数十人はいる。

いずれも小さく、黒い点に近い。

橋の上にも、人が並ぶ。

空は明るく、上のほうがわずかに暗い。

白い部分と黒い部分の面積が、ほぼ半々である。

木口木版は、硬い木の断面を彫る技法である。

細かい線が彫れるので、こういう画面が作れる。

雪のパリ
オーギュスト・ルイ・ルペール《雪のパリ》1890年。館の記録では、木口木版。縁まで30.2×45.4センチ。番号は1947.138。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・ルイ・ルペール《雪のパリ》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、色刷りの写真である。

画面は21×26.6センチ。

画面の下のほうに、緑の丘がある。

丘には木立と、小さな家が点在する。

その上に、薄い紫の山並みが重なる。

山は霞んでいて、輪郭がやわらかい。

いちばん奥に、白い雪の峰が横一列に並ぶ。

峰は鋭く尖り、白く光る。

その上の空は、淡い桃色である。

館の記述によれば、水平線が非常に高く取られている。

山の大きさを強調するためだという。

そして、手前の集落が自然の前で小さく見える、とも書かれている。

館の記録によれば、この技法は写真から色刷りを作る方法である。

つまり、撮影した後で色を付けている。

見えている桃色や紫は、実際の色とは限らない。

ダージリン、カッチェリー丘から望むカンチェンジュンガと雪嶺
フォトグロブ社《ダージリン、カッチェリー丘から望むカンチェンジュンガと雪嶺》1890年。館の記録では、フォトクローム。画面21×26.6センチ。番号は2018.216。クリーヴランド美術館蔵。フォトグロブ社《ダージリン、カッチェリー丘から望むカンチェンジュンガと雪嶺》クリーヴランド美術館蔵

雪の白さを、紙で示す

中国の巻子を見たい。

画面は29.3×297.2センチ。

高さ三十センチに対し、長さが三メートル近い。

横に細長い。

右から左へ、風景が続く。

右のほうは、なだらかな丘である。

丘には、常緑の木と、葉の落ちた木が点在する。

墨は薄く、輪郭だけが引かれる。

左へ進むにつれ、岩が大きくなる。

岩はねじれた形で、黒い墨が濃く置かれる。

そして、雪は塗られていない。

紙の地が、そのまま雪である。

墨を置いたところが岩や木になり、置かないところが雪になる。

館の記述によれば、画家はこのとき七十八歳だった。

そして、雪の日に来た客を迎えるために描いたという。

その事情が、書き込みに記されている。

館はさらに、この画家の経歴にも触れている。

王朝が替わった時代を生き、新しい王朝にも仕えた。

そのことで、後の批評家に責められたという。

館は、その評価を紹介しつつ、断定はしていない。

雪が世界を白く染める
法若真《雪が世界を白く染める》1690年。館の記録では、巻子。紙に墨。画面29.3×297.2センチ。番号は1979.76。クリーヴランド美術館蔵。法若真《雪が世界を白く染める》クリーヴランド美術館蔵

雪が、季節の一つとして並ぶ

日本の掛幅を見たい。

三幅で一組である。

右幅の画面は82.3×30センチ。

表装を含めると166.3×41.6センチになる。

三幅とも、細長い画面である。

各幅の上のほうに、文字が書かれている。

右幅には、雪の景色がある。

低い岸と、水面と、白い土手が見える。

墨は薄く、金の砂子が散らされている。

中幅には、女性が一人立つ。

黒い衣で、袖が広がる。

顔は小さく、うつむいている。

左幅には、水辺と木が描かれる。

館の記録の題によれば、三幅は雪と月と花を表す。

そして、ある遊里の三つの季節を示すという。

雪と月と花を並べる型は、東アジアで古くからある。

三つとも、形の定まらないものである。

雪は積もり、月は満ち欠けし、花は散る。

その三つで一年を示す。

雪月花(吉原の三季)
鳥文斎栄之《雪月花(吉原の三季)》十九世紀初め。館の記録では、三幅対の掛幅。絹に墨、色、金。右幅の画面82.3×30センチ。表装を含めて166.3×41.6センチ。番号は2015.300.142a〜c。メトロポリタン美術館蔵。鳥文斎栄之《雪月花(吉原の三季)》メトロポリタン美術館蔵

題のなかの雪、四点

語の外れに移りたい。

一点目は、日本の版画である。

紙は30.6×14センチ。

縦に細長い。

画面には、役者が一人立っている。

赤と白の衣を着て、大きく身をひねる。

腰には刀を差している。

顔は白く、目と眉が強く描かれる。

背景には、窓格子と、梅の枝がある。

梅の花は白と桃色である。

館の記録の題には、上演された芝居の名が入る。

その芝居の名に、雪の字がある。

館の記述によれば、その芝居は1769年に上演された。

館はさらに、役の名が右袖に書かれているとも書く。

画面に、雪は一片も描かれていない。

初代尾上菊五郎の泉三郎
一筆斎文調《初代尾上菊五郎の泉三郎》1769年。館の記録では、多色木版。紙は30.6×14センチ。番号は1930.173。クリーヴランド美術館蔵。一筆斎文調《初代尾上菊五郎の泉三郎》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、素描である。

紙は23.6×30.9センチ。

黒チョークだけで描かれている。

画面の中央に、髭のある男が横たわる。

上半身は裸で、腕を大きな壺に載せている。

体はねじれ、足は右へ伸びる。

その背後に、獣の頭らしい形が薄く見える。

さらに、子どもの顔らしいものもある。

線は速く、重ねて引かれている。

館の記録の題によれば、これは河の神である。

そして、あるフレスコ画のための習作だという。

そのフレスコ画の題に、雪の語が入っている。

つまり、この素描そのものは雪と関係がない。

雪は、完成した壁画の主題である。

しかも、その壁画はこの紙とは別の場所にある。

館の記録の題は、それを括弧のなかに書いている。

河神テヴェレ(フレスコ画のための習作)
ベルナルディーノ・ポッチェッティ《河神テヴェレ(フレスコ画のための習作)》1589年。館の記録では、古い簀の目紙に黒チョーク。紙は23.6×30.9センチ。番号は2012.36。クリーヴランド美術館蔵。ベルナルディーノ・ポッチェッティ《河神テヴェレ(フレスコ画のための習作)》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、肖像画である。

90.5×78.4センチ。

九点のなかで、いちばん大きい。

画面には、女性が一人座っている。

濃い緑の衣に、水色の大きな肩掛けをまとう。

肩掛けには、茶色の斑の模様がある。

頭にも、同じ色の布を巻いている。

右手に、閉じた扇を持つ。

背後には、赤い布が垂れる。

その左は、暗い緑である。

館の記録の題は、この人物の名である。

その姓の綴りに、雪を意味する語が入っている。

つまり、姓で集まった一点である。

前の回でも、姓による一致が三点あった。

人名は、こういう一致を起こしやすい。

エミリー・スマイリー・スノーデン
チャールズ・ピール・ポーク《エミリー・スマイリー・スノーデン》1793年。館の記録では、油彩・カンヴァス。90.5×78.4センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。チャールズ・ピール・ポーク《エミリー・スマイリー・スノーデン》スミソニアン協会蔵

雪の色は、白だけではない

雪の見える五点で、雪の色を見たい。

純粋な白は、意外に少なかった。

薄い青灰色が混ざるのが、二点。

わずかに黄みを帯びるのが、一点。

紙の地のままなのが、一点。

白飛びして階調がないのが、一点である。

つまり、白一色で塗った雪は一点もない。

理由は、影である。

雪の面にも、影は落ちる。

木の影、家の影、起伏の影。

その影は、白ではなく薄い青になる。

空の色を映すからだと言われる。

油彩の二点では、その青が細かく置かれていた。

紙の地を使った巻子では、影が描けない。

白は一種類しかないからである。

その代わり、墨の濃淡で起伏を示す。

写真の一点では、雪が明るすぎて階調が消えている。

湿板の感光材は、明るい部分の差を写しにくい。

だから雪は真っ白な面になる。

同じ雪でも、材によって色数が変わる。

館の記録は、そこまで書かない。

書かれるのは、使った材の名だけである。

その名から、色数を推すことになる。

雪の絵に、葉のない木が立つ

雪の見える五点で、木の状態を見たい。

葉のない木が描かれているのは、三点だった。

常緑の木があるのは、一点。

木のないのが、一点である。

葉のない木と雪の組み合わせは、当然に見える。

冬だから、葉が落ちている。

だが、絵としては別の意味もある。

葉のない枝は、細い線の集まりである。

その線が、白い雪の面の上に置かれる。

白い面と、細かい黒い線。

その対比が、雪の絵をはっきりさせる。

葉があると、線ではなく塊になる。

塊と白い面では、対比が弱い。

だから雪の絵には、裸の木が向いている。

猪のいる板絵では、細い幹が画面の上半分を埋めていた。

雪のパリでも、枝の線が画面を横切る。

兎の飼育場でも、細い枝が雪の斜面の上に重なる。

三点とも、同じ組み合わせである。

常緑の木がある一点は、中国の巻子だった。

そこでは、木は墨の点の塊として描かれる。

線ではなく点だが、白い紙の上という点は同じである。

数え直す

九点を並べ直したい。

雪が画面に見えるのは、五点。

そのうち、地面に積もっているのが三点。

山の頂にあるのが一点。

塗り残しで示されているのが一点である。

そして、雪が題にしかないのが四点だった。

芝居の名、壁画の題、人の姓、そして季節の組み合わせ。

人は、雪の中で小さい

雪の見える五点で、人を数えたい。

人が描かれているのは、三点である。

一点は、一人だけ。

一点は、数十人。

一点は、集落として遠くに見えるだけである。

そして三点とも、人は小さい。

いちばん大きい一人でも、画面の高さの十分の一ほどしかない。

顔は描かれていない。

雪の絵で人が小さくなるのは、理由がある。

雪は広い面を覆う。

その広さを見せるには、人を小さくするしかない。

大きく描けば、雪は背景になってしまう。

前に野や畑を扱った回でも、同じ話をした。

平らな面の広さは、人の小ささで示される。

雪の場合、その効果はさらに強い。

白い面には、目印になるものがないからである。

畑なら畝があり、野なら草の色の違いがある。

雪はすべてを覆う。

だから、人だけが目盛りになる。

三点のうち、いちばん人の多い一点では、点のような人影が数十並んでいた。

その数が、町の広さを示している。

雪は、白く残される

数えた結果から、一つのことが言えそうである。

雪の描き方も、空や雲と同じく二つに分かれる。

塗るか、残すかである。

油彩の二点では、白と青灰色の絵具が置かれる。

写真の一点では、露光の白飛びが雪になる。

木版の一点では、彫り残した部分が白く出る。

巻子の一点では、紙の地がそのまま雪になる。

つまり、五点のうち三点で雪は「置かれていない」。

彫らない、塗らない、写らない。

いちばん明るい部分をどう作るかは、材によって違う。

そして雪は、画面のなかでいちばん明るい。

九点のうち、雪より明るいものが描かれた画面はない。

空でさえ、雪より暗いことがある。

木版の一点では、屋根の雪が空より明るかった。

これは実際にも起きることである。

雪は光をよく反射するからだ。

雪は、輪郭だけを残す

もう一つ、雪の働きを書いておきたい。

雪が積もると、細部が消える。

畑の畝、草の色、道の凹凸。

それらが白い面に覆われる。

残るのは、大きな輪郭だけである。

屋根の形、木の枝、丘の稜線。

だから雪の絵は、単純な形の絵になる。

木版の一点が、その典型だった。

屋根が白く、壁が黒い。

その二色で、町の形が見える。

雪がなければ、屋根も壁も同じような灰色だろう。

雪は、形を読みやすくする道具でもある。

そして、季節も時刻も一目で伝える。

前に扱った天気の話とつながる。

雲は天気を示し、雪は季節を示す。

九点のうち五点で、季節は疑いようがなかった。

記録は、降った量を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、雪の量を書く欄はない。

積もった深さも、降った日も書かれない。

書かれるのは、制作年と、材と寸法である。

例外は、巻子の一点だった。

館の記述が、雪の日に描かれたと書いている。

画家自身の書き込みに、その事情が記されているという。

七十八歳の年に、雪の日の客を迎えるために描いた。

つまり、この一点だけは降雪の日と結び付いている。

残る四点では、いつ降った雪かは分からない。

そして、雪が題にしかない四点では、雪自体が存在しない。

芝居の名にある雪。

壁画の題にある雪。

姓にある雪。

季節の組み合わせにある雪。

いずれも、画面には一片も積もっていない。

語で引くとは、そういうことである。

そして今回は、九点のうち四点がその状態だった。

前の回までの平均より、少し多い。

理由は、雪という語の使われ方にあるだろう。

雪は、白さと清らかさの印として使われる。

だから人の名にも、芝居の名にも、壁画の題にも入る。

季節の組み合わせにも、必ず入る。

雪月花という並びは、その代表である。

つまり雪は、天気であると同時に、意味を担う語でもある。

意味を担う語は、実物から離れて使われやすい。

前に扱った雲も、似た性質を持っていた。

雲は、地上でない場所を示す道具になっていた。

雪は、白さを示す道具になる。

そして道具になった語は、画面から離れる。

九点のうち四点が、その状態だった。

残る五点では、雪は実際に積もっている。

積もった雪は、意味ではなく面である。

面としての雪と、意味としての雪。

九点は、その二つに分かれていた。

分かれ方は、ほぼ半々である。

そして、その半々という比率自体が、この語の性質を示している。

もし雪が天気の語でしかなければ、外れは出ない。

もし意味の語でしかなければ、画面に雪は現れない。

両方に使われるから、半々になる。

前に扱った語のなかでは、雲がこれに近かった。

逆に、階段や柱は、外れがほとんど出なかった。

建築の部材の名は、意味の語になりにくいからである。

語の性質は、集めた結果の比率に出る。

九点ずつ集めるだけでも、その差は見える。

今回の四点は、その差を測る材料になった。

そして、残る五点は雪そのものの絵だった。

猪のいる林、兎の飼育場、雪のパリ、雪の山、そして雪の巻子。

五点とも、雪が画面の面積の三分の一以上を占めている。

面としての雪は、それだけで画面を作れる。

白い面が広ければ、そこに何を置いても目立つ。

猪の黒い体、人の青い衣、屋根の黒い線。

雪の絵が読みやすいのは、その対比のおかげである。

そして、その対比は雪の日にしか起きない。

夏の林では、猪は背景に紛れる。

雪があるから、四頭の位置が一目で分かる。

雪は、画面を整理する道具でもある。

覆い隠すことで、残ったものを目立たせる。

九点のうち五点で、その働きが見えた。

残る四点では、雪は語のなかにしかない。

覆うものがないので、整理も起きない。

芝居の名も、姓も、壁画の題も、画面には何の影響も与えていない。

同じ語が、片方では面を作り、片方では音だけになる。

その落差を並べられるのが、語で集める方法の利点である。

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