作品を知る

ゴッホはなぜ、同じ部屋を三度描いたのか——シカゴの《寝室》を読む

壁は、青くなかった

さらに厄介な問題がある。この絵の色は、描かれたときの色ではない。

先の手紙で、ゴッホは色をひとつずつ指定するように書いている。壁は淡いすみれ色、床は褪せた赤、椅子と寝台はクロムイエロー、枕とシーツはごく淡いレモングリーン、掛け布は血のような赤、化粧台はオレンジ、洗面器は青、窓は緑。

読みながら画面と照合すると、ほとんどは合っている。ひとつだけ合わないのが壁である。手紙は「すみれ色」、画面は青。

長いあいだ、この食い違いは記憶違いか誇張として扱われてきた。だが2016年、シカゴ美術館が三枚を集めた展覧会で、調査の結果を示した。

青い壁の絵具を微量だけ取り、断面を顕微鏡で見る。すると青の層の中に、赤い顔料の粒が残っていた。

カーマイン・レーキ。虫から作る赤の顔料で、鮮やかだが光に弱い。青に赤を混ぜれば紫になり、赤だけが褪せれば、あとに青が残る。

つまり手紙は正しかった。壁は、描かれたときには紫だったのである。私たちが百三十年後に見ているのは、色が抜けたあとの姿ということになる。

この展覧会は、離ればなれになっていた三枚を一室に集めてもいる。同じ構図が三つ並ぶ機会は、そう多くない。

そして褪せ方は、三枚で同じにはならないはずである。絵具の配合も、百年以上のあいだ置かれてきた場所も、それぞれ違うからだ。

赤が弱いことは、当時から知られていた話でもある。それでも彼はこの赤を使った。安く、鮮やかで、手に入る絵具だったからである。

画家の選択には、いつも材料の事情が混ざっている。前の記事で見た浮世絵の青と、構図は同じである。

この調査には続きがある。分析の結果をもとに、描かれた当時の色をデジタルで復元した画像が作られた。

紫の壁、もっと赤みの強い床。並べて見ると、部屋の印象はかなり変わる。冷たい部屋が、少し体温のある部屋になる。

同じ展覧会では、この部屋を実物大で再現する試みも行われた。絵の中の家具を作り、宿泊できる部屋として公開している。

やりすぎのようにも思えるが、意図は分かる。この絵は「部屋にいる感じ」を主題にしているので、体で確かめたくなるのである。

ただし再現された部屋は、絵の再現であって、アルルの部屋の再現ではない。傾いた床も食い違う壁も、絵の中の出来事である。

サン=レミの九月

二枚目が描かれた場所のことも、書いておきたい。

1889年5月、ゴッホはサン=レミの療養院に自ら入る。そこで一年ほどを過ごし、そのあいだに多くの作品を描いた。

外出できない時期には、模写と繰り返しに向かっている。ミレーやドラクロワの版画を手本にした油彩も、この時期のものである。

手本を前に置いて描き直す作業は、彼にとって手の運動であり、同時に精神を保つ手順でもあったようだ。

Cypresses
《糸杉》。1889年。同じ時期の作品。塗りは厚く、筆の跡は渦を巻き、空も地面も動いている。フィンセント・ファン・ゴッホ《Cypresses》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

《寝室》の平らな色面と、この糸杉のうねりは、同じ年に同じ人の手から出ている。

繰り返しの絵が静かなのは、手本があるからでもある。目の前の絵の指示に従って手を動かすとき、画面は落ち着く。

二枚目の《寝室》には、その落ち着きがある。線は一枚目より整い、色の配置も明快になっている。

事故がきっかけで始まった繰り返しが、結果として彼の仕事を支えた。そう読むこともできる。

三枚が歩いた道

三枚がどこへ行ったかも、たどっておきたい。絵の一生は、描かれた日から始まって今日まで続いている。

シカゴの一枚は、完成の三か月後、1889年12月に弟テオのもとへ送られた。差し出した翌日の手紙に、送ったことが書かれている。

テオは1891年に亡くなる。絵は妻ヨハンナの手に渡り、彼女はゴッホの作品を世に出す仕事を引き受けた。

1901年ごろ、この一枚はパリの画商へ売られる。その後ウィーンの収集家の手に渡り、1909年と1914年の展覧会に出品されている。

1926年、パリの画商を経てシカゴの収集家フレデリック・クレイ・バートレットが購入し、同じ年に美術館へ寄贈された。

死後三十六年で、ロッテルダムでもウィーンでもなく、シカゴの美術館に落ち着いたことになる。

一枚目はアムステルダムに残り、いまはゴッホ美術館にある。三枚目はパリのオルセー美術館にある。

同じ部屋を描いた三枚が、三つの都市に分かれて掛かっている。この散り方も、絵の履歴のうちである。

「同じ絵」は、はじめから存在しない

ここまで来ると、最初の問いに答えが出せる。繰り返しは複製ではない、と言える。

手で写す以上、二度目には二度目の判断が入る。線の勢いも、絵具の厚みも、そのときの手の状態が出る。

しかも三枚は、描かれたあとに別々の時間を過ごした。水を被った一枚、療養院で描かれた一枚、家族に贈られた一枚。褪せ方も、修復の履歴も同じではない。

はじめは同じ図だったものが、時間の側からも別々にされていく。三枚は「同じ絵の三つの状態」ではなく、三枚の別の絵として、いま存在している。

版画の世界では、これは当たり前のことでもある。同じ版から刷られた紙が、それぞれ違う褪せ方をして各地に散っている。

油彩は世界に一枚だから確かだ、という感覚のほうが、実は素朴すぎるのかもしれない。一枚しかない絵も、時間の中では毎年少しずつ違う絵である。

家のほうも描かれている

ついでに書いておくと、彼はこの部屋を含む建物そのものも描いている。1888年の《黄色い家》である。

外から見た建物、前の広場、通りを行く人。角の二階に、この寝室の窓がある。

内と外の両方を描いた例は、彼の作品でも多くない。それだけ、この家に思い入れがあったということだろう。

いまその建物は残っていないので、外観を知る手がかりも絵と写真だけである。

《寝室》を見るときに、この建物の絵を思い出すと、部屋の位置が具体的になる。二階の角、通りに面した窓、閉じられた緑の鎧戸。

閉じているのは、南フランスの日差しを避けるためだろう。あの鎧戸の向こうに、いま私たちが立っている場所がある。

三枚を見分ける

三枚は同じ構図だが、細部にはっきりした違いがある。見分けるための手がかりを挙げておきたい。

いちばん分かりやすいのは、壁に掛かった絵である。三枚とも、寝台の頭側の壁に小さな絵が掛かっている。

一枚目とシカゴ版では、そこに描かれている肖像が違う。誰を描いた絵かも、研究者のあいだで議論がある。

寸法も違う。三枚目は他の二枚より小さく、母と妹に贈るために縮められている。

そして色の調子である。褪せ方が同じでない以上、いまの三枚は違う印象を与える。

もし三枚を並べて見る機会があれば、まず壁の絵を見比べてほしい。次に床の色、最後に壁の色。

同じ構図をなぞりながら、画家が毎回どこを描き直したのか。その痕跡が、繰り返しという行為の中身を教えてくれる。

それでも、見る価値がある理由

では、褪せた絵を見ることに意味はあるのか。あると思う。ただし、見方に一段だけ手を加えたい。

この絵の場合、私たちは幸運なことに、画家自身が書いた色の指定を持っている。手紙という「本人の設計図」と、現状の画面を、並べて見ることができる。

壁を紫だと思って見直すと、床の赤みや掛け布の赤が違う効き方を始める。青一色の部屋に見えていた画面が、もう少し暖かい方へ寄っていく。

もちろん、頭の中で色を戻すのは想像でしかない。それでも、いま見えている色を最終形だと思い込むよりは、絵に近いはずである。

そしてもうひとつ。この部屋には、実現しなかった計画が写り込んでいる。

椅子は二脚あり、枕は二つ並んでいる。共同生活は二か月で終わり、家は空になり、画家は病院へ移った。

それでも彼は、同じ部屋をもう一度描いた。壊れた計画の図面を、療養院の机で引き直したことになる。

作品は完成した時点で止まるものではない。褪せ、直され、写され、また褪せていく。三枚の《寝室》は、その過程を三つの速度で見せてくれている。

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