フェルメール《水差しを持つ女》の解説——光はどこから入り、どこで止まるのか
フェルメール《水差しを持つ女》を、メトロポリタン美術館の記録と画像から解説する。色ガラスの窓、金属の鉢に走る光の線、青い上着の折り目までを順に見たうえで、同じ道具立ての室内画三点と見比べる。どこで見られるかも記した。

《水差しを持つ女》には何が描かれているか
窓辺に立つ女が、片手で窓を押し、もう一方の手で金属の水差しをつかむ。
ヨハネス・フェルメールの《水差しを持つ女》は、人物一人だけの小さな室内画である。

画面は正方形に近い。館の記録では縦が45.7センチ、横が40.6センチである。
女は画面の中央よりわずかに左に立つ。右の三分の一は、机と箱に譲られている。
窓枠の木は太く、画面の左端を縦に区切る。窓は手前へ開いている。
女は白い麻の布を頭から肩へ垂らしている。布は薄く、下の髪や耳の形がうっすら見える。
上着は黄土色の地で、袖と前身頃に黒に近い濃紺の太い帯が走る。
下は濃い青の厚いスカートで、床へ向かって裾が広がる。
机には赤と青の文様の厚い布が掛かる。房が手前へ垂れ、机の角を隠す。
その上に金色の平たい鉢が置かれ、鉢の中に同じ色の水差しが立つ。館の記録では、どちらも銀に金をかけた器である。
女の左手は水差しの取っ手に掛かる。持ち上げてはおらず、指を掛けているだけに見える。
右手は窓の枠に触れる。腕は斜め上へ伸び、袖の濃紺の帯が窓の光を受ける。
窓は小さなガラスを鉛の桟でつないだ作りで、全体が青みを帯びる。ところどころに模様の入った面が見える。
窓の外の景色は描かれていない。窓の下は、壁と同じ灰色の腰板になる。
壁の右上には、大きな地図が掛かる。褐色の紙で、下端には軸が通る。
軸の左端には、青い玉の飾りが付いている。
机の右端には、金具の付いた小箱が置かれる。館の解説では宝石箱で、中から真珠の連がのぞく。その奥には濃い青の布と、椅子の背が見える。
壁は薄い灰色で、ほかに掛かるものはない。
光はどこから入り、どこで止まるのか
光源は左の窓だけに見える。最も明るいのは、頭の白い布と左の前腕である。
窓に近いところほど明るく、右へ行くほど壁は灰色に沈む。
色ガラスを通った光は、色を帯びていない。白い壁にも青や黄の斑は落ちない。
白い布は一色ではない。窓の側は白く、顔の側には灰と淡い青が差す。
顔は正面からではなく、左上から照らされる。鼻の右側と頬の下に影が残る。
鉢の縁には、細い光の線が一本走る。金属の丸みが、その線の曲がり方で分かる。
鉢の内側は暗く、下の布の赤が映り込んで見える。
水差しの胴は上が明るく、下は暗い。取っ手の付け根にだけ小さな光の点が置かれる。
青いスカートには、折り目に沿って明るい帯と暗い帯が交互に並ぶ。
壁に落ちる影は薄く、輪郭がはっきりしない。窓から離れるほど影はぼやける。
机の布の赤も、窓に近い側で明るく、奥では褐色に近づく。
つまり画面の全体が、左から右への明るさの傾きで組み立てられている。
人物の輪郭線は引かれていない。明るい面と暗い面の境目が、そのまま形になっている。
白い壁は、はじめから空いていたのか
画面の右上と女の背後には、何も掛かっていない壁が広く残る。この空白は、描き進めるうちに作られたものと考えられている。
メトロポリタン美術館の解説によれば、技術調査で描き直しの跡が見つかっている。もとは今より大きな地図が、女の背後の左のほうまで広がっていた。女の頭は、その地図の左下の角に収まる形だった。
さらに左手前には、斜めに置いた椅子の背が描かれ、窓に一部重なっていた。ワシントンのナショナル・ギャラリーで学芸員を務めたウィーロックの著作も、同じ変更を論じている。
同じ著作は、椅子を除き地図を動かしたことで、白い壁の広がりが保たれたと述べる。館の解説は、椅子や開いた窓で奥行きを作るやり方が、1658年ごろから62年ごろの画家の作風に通じると書く。いま見る女の腕の伸びやかさは、この省略の上に成り立っている。
画面で確かめられるのは、壁と人物のあいだに物が一つも重ならないことである。女の頭と地図の間には、細い壁の帯が必ず残されている。
女は何をしているところなのか
朝の身支度の場面と読める。館の解説によれば、頭と衣を覆う麻の布、銀に金をかけた鉢と水差し、開いた窓がそろう。それが、一日の始まりに身を清める場面を思わせるという。ただし、画面の中で女が水を使っている様子は無い。
館はこの絵の主題を、理想の家の理想の女性と言い表す。宝石箱からこぼれる真珠も、満ち足りた家の暮らしを示す道具立ての一つである。色は赤、青、黄の三原色が中心で、形と色の釣り合いが穏やかな気分を作っているという。画面で確かめると、赤は机の布、青はスカートと奥の布、黄は上着と器に割り振られている。三つの色が一か所に固まらず、画面の中に散って置かれている。
この絵の動きは、窓を開ける手と、水差しに掛かる手の二つしかない。どちらの手も途中で止まっている。何かをする直前か直後の一瞬が、静かに引き延ばされている。
同じころの、一人の女を描いた絵
館の解説は、この絵を1662年から65年ごろの小さな一群に入れる。自分の部屋で一人きりの女性を描いた絵である。アムステルダム国立美術館の《青衣の女》、ベルリン国立美術館の《真珠の首飾りの女》がその仲間にあたる。ワシントンの《天秤を持つ女》と、おそらく《手紙を書く女》も含まれるという。
中でも《青衣の女》は、画面の組み立てがこの絵とよく似ていると館は書く。どの絵でも女は横を向き、手もとの小さな物に意識を向けている。見る側は、その時間を外からのぞく立場に置かれる。
《水差しを持つ女》はどこで見られるか
メトロポリタン美術館である。ニューヨークにある館である。
館の記録では、カンヴァスに油彩で、1662年ごろの作とされる。
当サイトはこの作品の画像をCC0として確認し、権利の記録を残したうえで掲載している。
同じ館のフェルメールは、当サイトでも複数点を公開している。《眠る女》と《リュートを持つ若い女》がその例である。
画家の全体像は、フェルメールの代表作をまとめた記事で扱っている。
日本でよく知られる《真珠の耳飾りの少女》や《牛乳を注ぐ女》は、当サイトの在庫にない。図版として出せるのは、ここに並べた作品だけである。
この絵はいつからニューヨークにあるのか
1889年からである。館の記録では、実業家ヘンリー・マーカンドの寄贈で、番号は89.15.21とされる。
館はこの絵を、アメリカの公立の所蔵に入った最初のフェルメールとして紹介している。1887年から1919年までにアメリカへ渡ったフェルメール13点のうち、最初の一点でもあるという。マーカンドは1888年12月に所蔵品を館へ貸し出した。翌1889年1月10日に、それらを寄贈すると申し出ている。
フェルメールは、館の記録ではデルフトに生まれ、1632年から1675年を生きた。この絵は、没後200年あまりを経て海を渡ったことになる。
はじめは別の画家の作とされていた
館の来歴によれば、この絵はロンドンの収集家ロバート・ヴァーノンの手元にあった。1838年に展示されたときも、ヴァーノンの没後の1877年に売り立てに出たときも、作者はメツーとされていた。メツーは、同じころのオランダで室内画を描いた画家である。
同じ1877年、ロンドンの雑誌の記事がこの絵をフェルメールの作だと指摘した。絵はアイルランドのパワーズコート子爵の手に渡り、1878年のロイヤル・アカデミーの展覧会にフェルメールの名で出た。その後パリの画商を経て、1887年にマーカンドが手に入れた。
館の解説は、フェルメールの作品が金ぴか時代のアメリカの収集家にとって、知られたばかりの垂涎の的だったと書く。数十年前まで別の画家の名で売られていた絵が、その最初の一点になった。誰の作と決めるまでの手順は、フェルメールの帰属を扱った記事で取り上げている。
メトロポリタン美術館には、館の記録でフェルメールの作とされる油彩が5点ある。当サイトでは5点すべての画像を公開している。
この記事で並べた3点のほかに、《カトリックの信仰の寓意》と《若い女性の習作》がある。館の記録では、前者は1670年から72年ごろの作で、114.3×88.9センチと5点のなかで最も大きい。1931年の遺贈で館に入った。
後者は1665年から67年ごろの作で、44.5×40センチ。暗い背景に少女の半身が浮かぶ。1979年の寄贈である。
館の解説によれば、この絵は2001年まで《若い女性の肖像》と呼ばれていた。だが、こうした半身の女性像は肖像ではなく、当時トローニーと呼ばれた顔の習作である。モデルはいたはずだが、狙いは人物の性格や表情、珍しい衣装の描写にあった。館は、マウリッツハイス美術館の《真珠の耳飾りの少女》がほぼ同じ大きさのカンヴァスだと書く。
館に入った年は、1889年から1979年まで90年にわたる。《水差しを持つ女》は、その最初の一点にあたる。
同じ道具立ての絵と、どこが違うのか
フェルメールは、窓と机と人物という同じ組み合わせを何度も使っている。

この絵でも光は左の窓から入る。ただし女は坐り、机に向かっている。
女はリュートの糸巻きに手を掛け、顔を窓のほうへ向ける。
壁の地図は《水差しを持つ女》のものより大きく、画面の右上を広く占める。
机の上には紙が重なり、床にも一枚落ちている。
手前は暗い椅子の背でさえぎられ、見る側は部屋の奥をのぞく形になる。
立つ姿と坐る姿、近い視点と遠い視点という違いがある。館の記録では、1900年に収集家コリス・ハンティントンの遺贈で館に入った。

《眠る女》は、この記事で挙げた四点のうち最も大きい。1913年に、収集家ベンジャミン・アルトマンの遺贈で館に入った。
女は机に肘をつき、手に頭を預けて目を閉じる。
机には赤い文様の布が掛かり、白い水差しと果物の皿が置かれる。
右奥の扉は開いていて、その向こうに別の部屋の机と椅子が見える。
手前には獅子の頭を彫った椅子が立ち、黒い革が鋲で留められている。
ここでは窓が画面に入らない。光は左から来るが、窓そのものは描かれない。
描き直しの跡は、この絵にもある。館の解説によれば、エックス線の調査で、奥の部屋に男の姿が描かれていたことが分かった。男の頭はいまの鏡の位置にあり、帽子を二通り試した跡も残る。開いた扉のそばには、男を見る犬もいた。
画家はその男と犬を消した。机の上の静物も大きく描き改められた。館は、客が来るのを待つ場面ではなく、客が去ったあとの場面として読めると書く。女の上の壁には、仮面とキューピッドの脚が描かれた絵の角がのぞく。
《水差しを持つ女》で椅子と大きな地図が消されたことと並べると、手口は似ている。どちらも、仕上げの段階で画面から物と人を引き算している。説明になる物を画面から減らし、何が起きたのかを見る側に委ねている。館は《眠る女》を、画家が家の中の女性を主題にした最初期の作品の一つと見ている。

《天秤を持つ女》はワシントンにある。立つ姿と机の配置が《水差しを持つ女》に近い。
女は白い毛皮の付いた青い上着を着て、右手に小さな天秤を掲げる。
天秤の皿は空で、水平に止まっている。
机の上には真珠の連と金の鎖がこぼれ、開いた箱が置かれる。
背後の壁には大きな額の絵が掛かる。多くの人体が暗く描かれている。
窓は画面の左上に一部だけ見え、そこから光が斜めに壁を照らす。
館の来歴をたどると、この絵にも別の画家の名が付いた時期がある。1826年のミュンヘンでの売り立てでは、メツーの作とされていた。《水差しを持つ女》と同じ取り違えである。1911年にフィラデルフィア近郊の収集家ワイドナーが買い、のちに館へ入った。
さかのぼると、この絵は1696年にアムステルダムで開かれた売り立ての1番だった可能性がある。デルフトの収集家ファン・ライフェンの娘婿、ディシウスの遺品の売り立てである。メトロポリタン美術館は、《眠る女》もこの売り立ての8番にあたる可能性を挙げている。メトロポリタン美術館によれば、この売り立てにはフェルメールの絵が21点出ていた。そのすべてか大半を、ファン・ライフェンが持っていたという。画家の生前から、地元に熱心な買い手がいたことになる。
四点を並べると、同じ道具立てが少しずつ組み替えられていると分かる。
窓、机、布、壁の掛け物という四つを、位置と距離を変えて使い回している。
《水差しを持つ女》は、その中でも人物と机が最も近く、置かれた物が最も少ない。
実物を見る順番を考えるなら、ニューヨークの3点を年代順にたどるとよい。まず1656年から57年ごろの《眠る女》を見る。次に1662年ごろの《水差しを持つ女》、最後に1662年から63年ごろの《リュートを持つ若い女》へ進む。わずか数年のあいだに、扉の奥の部屋が消え、窓辺の一人へと画面が絞られていくのが分かる。
光の扱いを同じ時代のオランダで比べるなら、レンブラントの代表作の記事も参考になる。


