作品を知る

画面のなかに、光源を置く——蝋燭・ランプ・提灯ほか九点

光の出どころを画面に描くと、影の向きが決まる。そして、光源に近いものが最も明るくなる。九点で、その並び方を読みたい。光源を隠して、明るさだけを見せる絵もある。光源の数が二つになると、影が重なりはじめる。

佃島漁舟
歌川広重《佃島漁舟》メトロポリタン美術館蔵

「火」という語で、記録を絞る

前の回で、夕暮れの空を見た。

日が沈むと、人は火を灯す。

そこで今回は、火を探すことにした。

館の記録を、火に関する語で絞ってみる。

灯、蝋燭、洋灯、火。

そうやって集めた九点が、今回の図版である。

ところが、並べてみると、様子がおかしい。

画面に火が描かれているものが、半分しかない。

残りは、語の一部に火が含まれているだけである。

九点を通して、二つのことを見たい。

火が絵のなかでどう働くか。

そして、語で記録を絞るとどうなるか。

佃島漁舟
歌川広重《佃島漁舟》1868年。館の記録では、木版画、紙本着色。36.8×25.1センチ。番号はJP640。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《佃島漁舟》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

画面の左に、大きな船が斜めに浮かぶ。

帆はたたまれ、細い帆柱が何本も立つ。

船体は白く、板の目が描かれる。

その右手、水面の上に、赤い炎が三つ。

細長く、上へ揺らめく形である。

篝火である。

漁のために焚かれている。

その火が、水面に映る。

赤い筋が、下へ縦に伸びる。

さらに右下に、小さな舟が一艘。

人が乗り、棹を操る。

水は濃い藍で、上へ行くほど淡い。

上端に、団扇形の枠と、題箋。

語で絞るということ

当サイトの図版を選ぶとき、まず記録を語で絞る。

題、分類、技法、種別。

そこに含まれる語で候補を集める。

一万点を超える公開作品から、目で探すことはできないからである。

そして、集めた候補を画像で確かめる。

この二段階が、毎回の作業になっている。

第十八回では、出所の行の語で絞った。

寄贈者の名、基金の名、思い出に、という句。

いずれも、意味のはっきりした語だった。

今回は、火である。

そして、火という語は、思ったより多くの場所に現れる。

発火の方式。

火薬に関する用語。

そして、地名。

いずれも、火そのものとは関係がない。

つまり、語の一致は意味の一致ではない。

この当たり前のことが、実際に絞ってみると強く分かる。

九点のうち三点が、そういう空振りだった。

三分の一である。

そのまま九点として扱うことにした。

空振りもまた、記録の読み方の一部だからである。

火は、画面のなかで最も明るい

この版画で、赤い炎は面積が小さい。

画面の二十分の一もない。

しかし、いちばん目を引く。

理由は二つある。

一つは、まわりが暗いことである。

藍色の水と、白い船。

そこに赤が入ると、強く見える。

もう一つは、色の対比である。

藍と赤は、色相が離れている。

離れた色を隣り合わせると、互いを強める。

第一回で、赤い衣が視線の受け皿になると書いた。

火は、それをさらに強くした形である。

火は、水面に映る

そして、この火は水に映っている。

第八回で、水が上のものを映すと書いた。

夜の水面では、その効果がとくに強い。

まわりが暗いので、映り込みだけが明るい。

そして、映り込みは縦に伸びる。

水面がわずかに揺れているからである。

一つの光源が、上下に二つの明るい部分を作る。

火そのものと、その映り。

第十回で、月の光が水面に筋を作ると書いた。

火でも、同じことが起きる。

燃える柴のあるモーセの風景
ドメニキーノ《燃える柴のあるモーセの風景》1610年から16年。館の記録では、銅板に油彩。45.1×34センチ。番号は1976.155.2。メトロポリタン美術館蔵。ドメニキーノ《燃える柴のあるモーセの風景》メトロポリタン美術館蔵

縦長の風景画である。

第四回でも、銅板に描かれた絵を読んだ。

画面の上半分に、木立と青い空。

雲が白く浮かぶ。

左奥に、湖と、遠い山。

淡い青灰色である。

そして、画面の下、中央よりやや左に、低い茂みがある。

その茂みが、明るい橙色に光っている。

炎に包まれている。

その手前に、人が一人。

赤い衣で、膝をつく。

顔を上げ、火のほうを見ている。

右手前に、羊が数頭。

白い塊として描かれる。

火が、物語の合図になる

この火には、意味がある。

旧約聖書の一場面である。

燃えているのに焼け尽きない柴。

その前で、人が神の声を聞く。

つまり、この火は照明ではない。

出来事の中心である。

第三回で、香合の橋が物語の合図になると書いた。

同じ働きである。

見る人は、燃える茂みと膝をついた人物の組み合わせから、その場面を思い出す。

そして、この絵の大部分は、静かな風景である。

火は小さい。

風景のなかに、小さな出来事が置かれている。

十七世紀のイタリアで、こういう構成の絵が多く作られた。

画面いっぱいの火

火の戦車で天に上げられるエリヤ
ジュゼッペ・アンジェリ《火の戦車で天に上げられるエリヤ》1740年から55年ごろ。館の記録では、布に油彩。174.6×264.8センチ。額を含めて207×302.3×10.1センチ。番号は1952.5.70。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジュゼッペ・アンジェリ《火の戦車で天に上げられるエリヤ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点のなかで、いちばん大きい。

幅が二メートル六十四センチある。

そして、画面のほとんどが明るい。

中央から右にかけて、橙と黄の光が広がる。

その中に、白い馬が二頭。

前脚を高く上げ、後ろへ反る。

たてがみが白く、風になびく。

その後ろに、車輪が一つ見える。

戦車の輪である。

馬の上、右のほうに、人物が一人。

白い衣を着て、腕を広げる。

体が浮いている。

そして、左に、もう一人。

褐色の衣で、両腕を高く上げる。

こちらは地上にいる。

その足もとに、緑の地面と、遠い風景。

上部と左右は、暗い赤褐色である。

火を、面として描く

前の二点では、火が小さかった。

この一点では、画面の半分以上が火である。

そして、炎の形が描かれていない。

橙と黄の光が、面として広がるだけである。

輪郭がない。

つまり、火そのものではなく、火の明るさを描いている。

第十回で、月を描かずに月光を描く例を見た。

同じ方法である。

そして、この方法は大きな画面に向いている。

離れて見たとき、光の面として読める。

近づくと、筆の跡が見えるだけになる。

大きさが、描き方を許している。