象牙ではなく、銅に七宝で——ウィリアム・ラッセル・バーチ
細密肖像の多くは象牙に水彩で描かれる。ところがこの画家は、銅板に七宝を焼き付けた。何度も窯に入れる危険な工程だが、色は褪せない。三センチほどの画面八点から、材料の選択が持つ意味を読む。展示の条件が、象牙のものとは変わってくる。

銅板に、七宝で描く
一点の細密画から始めたい。

楕円の画面である。
年配の男性が、こちらを向く。
髪は、白く、耳の上で膨らむ。
暗い衣に、白い襟。
そして、胸に白い帯が二本垂れる。
背景は、暗い。
象牙ではない
技法欄を見たい。
七宝、銅とある。
つまり、象牙に水彩ではない。
七宝という技法
七宝は、金属に硝子質の釉薬を焼き付ける。
そして、色を定着させる。
つまり、焼く工程がある。
どうやって、作るか
まず、銅の板を用意する。
そして、そこへ粉末の釉薬を置く。
次に、窯で焼いて溶かす。
さらに、色を足して何度も焼く。
銅という下地
なぜ、銅を使うか。
熱に耐え、伸びやすいからである。
そして、釉薬との相性がよい。
つまり、材料の組み合わせに理由がある。
何度も、焼く
色ごとに、焼く温度が違う。
そして、順に焼き重ねる。
つまり、工程が多い。
失敗の危険
焼けば、割れることがある。
そして、色が変わることもある。
つまり、失敗の危険が高い。
象牙との違い
象牙の細密画は、水彩である。
そして、乾けば完成する。
一方、七宝は焼かなければ定着しない。
色が、褪せない
もっとも、七宝には利点がある。
焼き付けた色は、光で褪せない。
そして、水にも強い。
展示の条件
光に弱い作品は、展示の期間が制限される。
一方、七宝はその制限が緩い。
つまり、見せやすい。
象牙は、褪せる
一方、象牙の水彩は光で褪せる。
そして、湿気で反る。
つまり、保存の条件が違う。
三センチの画面
寸法を見たい。
縦3.3センチ、横2.6センチ。
つまり、指先ほどである。
細い筆
一・五センチの顔に、目と鼻と口を描く。
そして、髪の一房まで示す。
つまり、きわめて細い筆を使う。
顔の実寸
顔の大きさを計算したい。
画面が3.3センチである。
そして、顔はその半分ほど。
つまり、一・五センチほどになる。
色のない画像
この一枚の画像は、灰色の階調だけである。
つまり、古い記録写真とみられる。
だから、七宝の色は分からない。
割れという傷み
七宝は硬いが、脆い。
そして、落とせば割れる。
つまり、傷みの出方が違う。
表面の傷
画面を見たい。
白い線が、いくつか走る。
そして、縁に欠けがある。
つまり、傷んでいる。
傷を、隠さない
修復して撮り直すこともできるだろう。
しかし、いまの状態で公開されている。
つまり、隠していない。
作者について
館の記録を見たい。
英国のウォリックで生まれた。
そして、フィラデルフィアで没している。
つまり、海を渡ってきた作り手である。
一九五五年の寄贈
来歴を見たい。
館の記録では、一九五五年の寄贈である。
つまり、八点の中では中ほどの時期に館へ入った。
生没年
一七五五年生まれ、一八三四年没とされる。
つまり、七十九年の生涯である。

角の丸み
四隅を見たい。
わずかに丸い。
つまり、角が落とされている。
そして、それが柔らかい印象を作る。
四角い画面
二点目は、形が違う。
楕円ではなく、四角である。
そして、角がわずかに丸い。
色のある画像
この一枚は、色がある。
つまり、七宝の色が読める。
被り物の襞
頭の布を見たい。
細かい襞が、幾重にも重なる。
そして、顔を囲む。
つまり、明るい枠になっている。
描かれているもの
画面を見たい。
子どもが、こちらを向く。
髪は、金色で、巻いている。
そして、黒い衣に白い襟。
頬に、強い赤み。
背景は、暗い茶。
白い襟
首元を見たい。
白い襟が、大きく広がる。
そして、黒い衣に囲まれる。
つまり、明暗の差が大きい。
頬の赤
顔を見たい。
頬が、はっきり赤い。
そして、唇も赤い。
つまり、色が強い。
七宝の発色
七宝の色は、鮮やかである。
そして、艶がある。
つまり、水彩とは印象が違う。
楕円という形
画面の形を見たい。
楕円である。
八点のうち、六点が楕円である。
つまり、決まった形式がある。
表面の反射
画像を見たい。
上部が明るく光る。
つまり、光を反射している。
そして、それが七宝の艶である。
硝子の艶
表面を見たい。
光を反射する。
つまり、硝子の層である。
下部の文字
画面の下を見たい。
金色の文字が、横に並ぶ。
そして、年らしき数字もある。
金色の文字
文字の色を見たい。
金色である。
そして、暗い背景の上にある。
つまり、読みやすい。
署名を、焼き付ける
文字も、焼き付けられている。
つまり、消えない。
そして、作者と年が残る。
誰の絵に、もとづくか
文字には、もう一つの名らしきものが読める。
つまり、別の画家の絵にもとづく可能性がある。
もっとも、館の記録は明示していない。
だから、当サイトは断定しない。

来歴の年が、幅を持つ
来歴の欄を見たい。
一八八八年から九五年、とある。
つまり、年に幅がある。
記念としての寄贈
来歴には、父を記念する、とある。
つまり、追悼の寄贈である。
そして、二人の名が並ぶ。
なぜ、幅があるか
寄贈が複数回に分かれたのだろう。
そして、その全体を一つの記録にしている。
受け入れの年
一方、受け入れの年は一八九五年である。
つまり、最後の年で登録されている。
収集の名
来歴には、収集の名も記される。
つまり、まとまった一群の一部である。
そして、その名が残る。
記録の書き方
寄贈の期間と、受け入れの年。
つまり、二つの数字が並ぶ。
そして、その差が事情を示す。
描かれているもの
画面を見たい。
男性が、こちらを向く。
髪は、暗く、額が広い。
そして、目が大きく、眉が濃い。
暗い衣に、白い襟巻き。
色のない画像
この一枚も、灰色の階調だけである。
だから、色は分からない。
表面の反射
画面の上部を見たい。
明るい弧が走る。
つまり、覆いの反射だろう。
制作年の表記
年代を見たい。
一八三三年以後、とある。
つまり、下限だけが分かっている。
作者の没年
作者は、一八三四年に没している。
つまり、制作は没年の前後である。
没年の前後
作者は一八三四年に没している。
つまり、この一点は最晩年の仕事である。
そして、七十八歳ごろになる。
幅は、狭い
一八三三年以後で、没年が一八三四年。
つまり、実際には二年ほどの幅である。