美術史・技法

素人の理想を、専門家が演じる——池大雅・谷文晁・椿椿山の文人画

問い——うまさを見せない絵の、どこを見るか

ここで問いを立てたい。

文人画は、技巧の誇示を嫌う建前である。

細密な描写も、華やかな色彩も、わざと避ける。

では、この絵の見どころはどこにあるのか。

手がかりは、「どう描いたか」の痕跡である。

文人画は、完成度を隠す絵ではなく、過程を見せる絵である。

にじみ、かすれ、筆の速度。それらが画面にそのまま残る。

だから見る側も、結果ではなく過程を読む構えに切り替えたほうがよい。

以下、三つの「痕跡」を順に見ていく。指の跡、白の使い方、字と絵の同居である。

いずれも、油絵の見方とはまるで違う入り口である。

西洋画では、筆触を消して仕上げる伝統が長くあった。

文人画は逆に、筆触こそが署名であり、内容である。

同じ「絵」という言葉でくくるのがためらわれるほど、前提が違う。

指で描いた山水

大雅には、筆を使わずに描いた絵がある。

指墨山水図
池大雅《指墨山水図》18世紀。掛軸。紙に墨と彩色。縦96センチ、横27.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。池大雅《指墨山水図》メトロポリタン美術館蔵

題名のとおり、これは指墨、つまり指や爪に墨をつけて描いた山水である。

所蔵館の記録が「Finger Painting」と明記している。

画面を見ると、岸辺の岩と樹木のかたまりが、
にじみの多い柔らかな塊として置かれている。

線は震え、太さが不規則に揺れる。筆では出にくい線である。

水面には小さな舟。上半分は大きくえぐれた余白で、月の出のような弧が残る。

なぜ、わざわざ指で描くのか。

うまく描くためではない。うまさを消すためである。

道具を捨てれば、訓練された筆癖も消える。

残るのは、墨と紙と、描き手の呼吸だけになる。

そのうえ指墨は、席上の見世物としても映えたはずである。

筆を置き、指で描いてみせる。集まりの座が沸く様子まで想像できる。

文人画の理想である「巧まざる絵」を、方法から実行した一幅である。

指で描く絵には、先例がある。

中国では清の高其佩が指頭画で名を馳せ、その評判は日本にも伝わっていた。

つまり指墨は思いつきの奇行ではなく、由緒のある「型破りの型」である。

大雅はその型を知ったうえで、自分の山水に持ち込んだ。

教養人の遊びは、遊びの先例まで踏まえて行われる。徹底した書物の人である。

雪の中で、茶を煮る

二人目の画家に移りたい。江戸の谷文晁である。

雪中煮茶図
谷文晁《雪中煮茶図》1791年。掛軸。紙に墨と淡い彩色。縦134.5センチ、横27.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。谷文晁《雪中煮茶図》メトロポリタン美術館蔵

縦134.5センチ、横27.9センチ。ひときわ細長い画面である。

雪をかぶった崖が、画面の大半を占める。

白は塗り残し、影はごく薄い墨。寒さが紙の白さで表現されている。

雪の絵で、白い絵の具をほとんど使わない。

紙の白を雪に見立て、描かない場所で描く。水墨画の白の作法である。

縦長の画面は、崖の高さをそのまま体感させるための選択だろう。

崖の下の木立の奥に、小さな庵がある。そこで人が茶を煮ている。

人物は米粒ほどの大きさで、火の赤だけがかすかに温度を持つ。

題材は、中国の詩文にある雪中の煮茶、つまり隠者の楽しみである。

寒さの中でひとり茶を煮る。その不便を風流とする価値観が、この絵の前提にある。

文晁は1763年生まれ。この絵は28歳、若い時期の作にあたる。

文晁はのちに、老中松平定信に仕えた画家として知られる。

諸派の技法を学び、山水も人物も花鳥も描き分けた。

「文人画家」と呼ばれるが、実態は江戸で最も手広い絵の専門家の一人である。

その専門家が、隠者の絵を描く。ここにも先ほどのねじれがある。

文晁は定信の側近くで、古美術の調査事業にも携わった。

各地の宝物を写し取る仕事は、そのまま諸派の技法を吸収する修業になった。

雪山の白の使い方には、中国画の型と、写生で鍛えた目の両方が入っている。

崖の輪郭は柔らかいが、庵の線は正確である。

理想の風景に、実務の腕が透けて見える。

魚売りが、画面を通り過ぎる

同じ文晁の、まるで違う一幅を見たい。

馬で鰤を運ぶ魚売り
谷文晁《馬で鰤を運ぶ魚売り》1814年。掛軸。紙に墨と彩色。縦120.7センチ、横28.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。谷文晁《馬で鰤を運ぶ魚売り》メトロポリタン美術館蔵

画面の下の方に、馬と人が小さく描かれている。

馬の背には魚。題名によれば鰤である。

線は速く、細部は省かれ、ほとんど漫画のような軽さである。

そして画面の上半分は、大きな文字の賛で埋まっている。

絵が主で字が従、という常識が逆転し、字が絵を圧している。

賛が読めれば、絵と言葉の掛け合いまで楽しめる仕掛けだろう。

読めなくても、太く自在な字の勢いと、小さな馬ののんきさの対比は伝わる。

俳句に添える即興の絵を俳画と呼ぶが、この一幅はその隣にある。

文人画の裾野は、こうした軽い座興と地続きだった。

これは鑑賞用の大作ではない。文人たちの座興、戯れの一幅と見るのが自然だろう。

制作は1814年。文晁50代、名声の頂点にあった時期である。

大家が肩の力を抜いた一枚は、しばしば力作より人柄を伝える。

鰤は冬の魚である。年の瀬の贈答か、市場の景気か。

画題の背後に、江戸の暮らしの季節感が透けている。

求められて即席で描いたのか、席上の余興か。経緯の記録はない。

ないことも含めて、この気楽さがこの絵の内容である。

雪中の隠者と、鰤を運ぶ魚売り。

同じ画家が、格調と滑稽を平気で行き来する。

文人画の「うまさを誇らない」という建前は、
こういう身軽さの言い訳としても機能していた。