画家を知る

手のひらに載る、絹の歌仙——狩野昌運

縦十八センチの色紙に、歌人が一人ずつ座っている。顔の線は三本ほどしかないのに、装束と姿勢で人が分かれる。狩野派の小さな仕事を、九葉並べて見ていく。大画面の華やかさはないが、一センチの顔に線を三本引く精度がここにある。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

手のひらに載る、絹の一枚

小さな絵から始めたい。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙(表装されていない一枚)。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。サミュエル・アイシャム遺産からの寄贈、1914年。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

縦横とも二十センチに満たない。

手のひらに載る大きさである。

地は絹で、時を経て黄土色に沈んでいる。

中央に、男が一人座っている。

頭には黒い小さな帽子をかぶる。

薄い青緑の袍を着て、裾を左右に広げている。

両手は胸の前で何かを支えている。

顔は右を向き、目は伏せぎみである。

左の余白に、細い文字が縦に流れる。

その下に、朱色の印が一つ押されている。

絵と文字と印。

この三つが、一枚の中に収まっている。

色紙という形式

この形の紙を、色紙と呼ぶ。

もとは和歌を書きつけるための料紙である。

正方形に近い形で、大きさもおおむね決まっていた。

書だけのものもあれば、絵を添えたものもある。

美術館の記録では、この九枚は表装されていない色紙とされる。

つまり、掛軸にも屏風にもなっていない。

裸の一枚として保管されてきた。

もとは帖に貼られていた可能性がある。

あるいは、屏風に貼り並べられていたかもしれない。

いずれにせよ、いまは一枚ずつ独立している。

小さな絵が、まとまって残るのは珍しい。

十三枚のうちの九枚

当サイトが公開しているこの一群は、十三枚ある。

今回はそのうち九枚を並べる。

いずれも同じ寸法、同じ絹、同じ技法である。

美術館は九枚とも同じ題で登録している。

原題を訳せば、歌仙の図となる。

個々の人物の名は、記録に記されていない。

賛の文字を読めば分かる可能性はある。

しかし当サイトでは、館の記録を超えた同定はしない。

誰であるかは、いったん脇に置く。

そのうえで、何が描かれているかを見ていきたい。

歌仙絵という主題

歌仙とは、すぐれた歌人を指す言葉である。

平安時代の歌人から選ばれた三十六人の組が、とくに知られる。

その顔ぶれを絵にしたものを、歌仙絵と呼ぶ。

鎌倉時代には、すでに巻物の形で作られていた。

以後、屏風、帖、色紙と、器はさまざまに変わる。

描かれ方には、決まりがある。

各人が座り、装束をつけ、歌を添える。

顔立ちや持ち物で、誰かが分かるようになっている。

つまり、型のある主題である。

画家は、型を守りながら描くことになる。

描いた人について

狩野昌運は、一六三七年に生まれ、一七〇二年に没したとされる。

美術館の記録も、その生没年を記している。

狩野派の画家である。

狩野派は、室町から江戸にかけて続いた画家の集団である。

幕府や大名の仕事を受け、寺社の障壁画も手がけた。

工房として大きく、弟子の数も多い。

その仕組みについては、当サイトの
墨と金の使い分けでも書いた。

大画面の仕事で知られる流派だが、小画面も描く。

この九枚は、その小さいほうの仕事にあたる。

黒い袍の人

二枚目を見たい。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

黒い袍を着た男が座っている。

袍は墨を濃く塗り重ねてある。

袖口と裾から、白い衣がのぞく。

右手を胸の前に上げ、口元に近づけている。

考えている、あるいは口ずさんでいる姿に見える。

顔は小さく、輪郭は細い線でとられる。

眉は太く短い。

目は線一本で示され、瞳は点である。

これは歌仙絵の顔の描き方として、よくある型である。

細部を省き、姿勢と装束で人を示す。

傷んだ紙のまま残る

三枚目には、痛みが目立つ。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

左の縁が大きく欠けている。

上のほうにも、絹が失われた箇所がある。

地の色も一様ではなく、斑がある。

人物は黒い袍を着て、右を向いて座る。

袍の下から、白地に丸い文様のある衣が広がる。

膝から下の布が、扇のように開いている。

欠損はあるが、人物の部分は残っている。

修理して埋めた形跡は、画像からは見えない。

傷んだまま保管されてきたことになる。

紙や絹の作品では、これは珍しくない。

手を加えない選択も、保存のひとつである。

誰の手による色紙か

作者名は、絵の中に大きく書かれていない。

朱の印が、その代わりを務めている。

印は、作者や所持者を示す徴である。

九枚とも、同じ位置に同じ形の印が見える。

館は、この一群を狩野昌運の作として登録している。

ただし、印だけで作者が決まるわけではない。

工房の仕事では、弟子が描き、師の印を押すこともある。

同じ組の中で、筆の質に差が出ることもある。

九枚を見比べると、線の速さは概ねそろっている。

大きな差は感じられない。

それでも、断定はしないでおきたい。

館の記録どおり、狩野昌運の作として扱う。

賛の文字と、朱の印

九枚には、いずれも文字と印がある。

文字は人物の左右の余白に、縦に流れる。

行は一行から二行ほどで、字は小さい。

崩した仮名が主で、判読には慣れが要る。

内容は歌であると考えるのが自然である。

歌仙絵は、歌と一組で成り立つからである。

印は朱色で、方形のものが多い。

位置は文字の下、または端に寄る。

印がどこに押されるかも、作法として決まっていた。

絵と書と印が、一枚の中で場所を分け合っている。

絹に描くということ

支持体は絹である。

紙ではない。

絹は織り目があり、絵具がしみ込みやすい。

薄く塗ると、下の織り目が透ける。

濃く塗ると、表面に絵具が載る。

この九枚では、黒い袍が濃く、地は薄い。

つまり、塗り分けがはっきりしている。

絹はまた、時とともに色が変わる。

もとは白かった地が、いまは黄土色に見える。

見えている地の色は、当初の色ではない。

そのことを頭に置いて見たい。

十三枚が同じ寸法である意味

九枚の寸法は、すべて同じである。

縦18.4センチ、横16.5センチ。

わずかに縦長の、ほぼ正方形である。

同じ大きさに切った絹を、まとめて用意したことになる。

つまり、下ごしらえの段階で組が決まっていた。

一枚ずつ気の向くままに描いたのではない。

料紙をそろえ、順に描き、印を押す。

工房の仕事としては、手順のはっきりした作業である。

同じ寸法でそろえる利点は、飾るときに出る。

帖に貼っても、屏風に並べても、隙間ができない。

作る前から、置き場所が想定されている。

淡い色の袍

四枚目は、色が薄い。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

男が左を向いて座っている。

袍は白に近い淡い色で、青みが差す。

肩と袖に、小さな文様が散っている。

膝から下は、灰色がかった袴である。

黒い帽子だけが、画面で最も濃い。

顔は淡く、線も細い。

全体に、静かな一枚である。

先の黒い袍の人と並べると、対比が効く。

濃淡の異なる装束を、順に並べていったのだろう。

歌仙絵の組物では、こうした配置が考えられている。

刀を差した人

五枚目には、武具が見える。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

黒い袍の男が、右を向いて座る。

腰のあたりに、刀の柄と鞘が見える。

膝の前には、白地に文様の入った布が広がる。

地の絹には、細かい斑が散っている。

経年の染みだと思われる。

歌人と武具は、無関係ではない。

武門の出身で歌を残した人物は多い。

歌仙の顔ぶれにも、そうした人が含まれる。

ただし、誰かは記録にないので断定しない。

見えているのは、刀を帯びた姿だという事実だけである。

年配の顔

六枚目の人物は、年を重ねて見える。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

顔がやや丸く、頬に肉がある。

眉は白っぽく、口元がゆるむ。

衣には、大きめの丸い文様が並ぶ。

赤い紐のようなものが、胸元から下がる。

姿勢は正面に近い。

九枚の中では、もっとも正面を向いている。

歌仙絵では、老いた歌人と若い歌人を描き分ける。

顔の丸みと眉の色で、それを示す。

わずかな差だが、並べると分かる。

顔の描き分けは、どこまでか

九枚の顔を見比べてみたい。

線の数は、どれも多くない。

眉、目、鼻、口。

それだけである。

にもかかわらず、印象は違う。

眉の太さ、目の高さ、口の位置。

この三点を動かすだけで、別人になる。

歌仙絵の顔は、似顔ではない。

人物の型を示す記号に近い。

役者絵の似顔とは、考え方が正反対である。

似せる絵と、示す絵の違いについては、
役者の顔を似せるということでも触れた。

装束が人を語る

顔で分けないなら、何で分けるのか。

装束である。

袍の色、文様、袴の柄、持ち物。

これらが、人物の身分と時代を示す。

黒い袍は、位の高い者の装いとされる。

淡い色は、また別の格である。

丸い文様の並びにも、家ごとの型がある。

見る側が、その約束を知っている前提で成り立つ。

現代の目には読めない部分が多い。

読めないまま、色と形として見ることになる。

それでも、九枚の差は十分に伝わる。

座り方の型

九枚とも、人物は座っている。

立っている人はいない。

これは歌仙絵の約束である。

歌を詠む姿は、座して描くと決まっている。

ただし、座り方には幅がある。

胡座に近いもの、片膝を立てたもの。

体を右に向けたもの、左に向けたもの。

正面に近いもの。

この違いが、九枚を単調にしない。

同じ姿勢を並べると、絵は死ぬ。

型を守りながら、内側で変化をつけている。

帽子の形を見る

装束の中で、いちばん分かりやすいのが帽子である。

九枚とも、黒い小さな帽子をかぶっている。

形は少しずつ違う。

前が高く立つもの、後ろへ折れたもの。

紐が首の下で結ばれているものもある。

これらの差は、身分や場面の違いを示す。

宮中の正装と、日常の装いでは形が変わる。

小さな絵でも、そこは省略されていない。

顔の線は三本しかないのに、帽子は描き分ける。

どこに情報を載せるかが、はっきりしている。

小さな絵を描く技術

十八センチ四方の中に、人物を収める。

顔は一センチほどしかない。

その中に、眉と目と口を入れる。

筆は極端に細いものを使う。

線の太さは、髪の毛ほどである。

手が震えれば、それで台無しになる。

大画面とは、まったく別の技術が要る。

狩野派の画家は、両方を訓練した。

障壁画の大きな筆と、色紙の細い筆。

同じ人が、その両方を使い分けている。

地の絹に残る痕跡

九枚の地を、注意して見てほしい。

一様ではない。

斑、染み、折れ、擦れ。

痕跡がそれぞれ違う。

これは、保管のされ方の違いを示している。

同じ組でも、置かれた場所や重なりで傷み方が変わる。

上に重ねられた一枚と、下になった一枚では条件が違う。

裏から染みが移ることもある。

九枚の傷みを見比べると、束ねられていた様子が想像できる。

作品の状態も、来歴の記録の一部である。

何のために作られたか

用途を考えてみたい。

色紙の歌仙絵は、鑑賞と実用の間にある。

帖に貼れば、手元で繰って見られる。

屏風に貼れば、部屋の飾りになる。

贈り物にもなる。

歌を学ぶ人にとっては、手本にもなる。

つまり、多目的な品である。

大名家の注文で作られることもあった。

一組そろえて、家に伝える。

そういう性格の絵だったと考えられる。

矢を背負う人

七枚目には、思いがけないものが描かれる。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

男の背に、矢が何本も見える。

矢筒を負っているらしい。

胴には、鎧のような硬い衣が見える。

袴には細かい文様が一面に入る。

顔は右を向き、口を結んでいる。

歌仙絵に武装した人物が出るのは、不自然ではない。

宮廷の儀礼で、武官の装束をとる場合があるからである。

また、武人として知られた歌人もいる。

ただし、館の記録に名はない。

装束の解釈も、確定はできない。

見えている矢と、硬い胴の形だけを書いておく。

色の鮮やかな一枚

八枚目は、九枚の中でもっとも色が明るい。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

袍は橙に近い色で、緑の丸文が散る。

袖口から、青い衣がのぞく。

袴は灰色で、裾が大きく広がる。

顔は若く、頬に丸みがある。

姿勢は左を向き、やや前かがみである。

色数が多いぶん、画面がにぎやかに見える。

九枚の中では例外的な明るさである。

組物では、こうした一枚が要る。

全部が渋いと、目が止まらないからである。

巻いた紙を持つ人

九枚目には、持ち物がある。

歌仙図
狩野昌運《歌仙図》十七世紀。色紙。絹本着色。縦18.4センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。狩野昌運《歌仙図》メトロポリタン美術館蔵

黒い袍の男が、右を向いて座る。

膝の前に、白い紙が広がっている。

巻いた紙を開いたところに見える。

手はその紙に添えられている。

歌を書いた紙、あるいは書物の類だろう。

歌仙絵では、こうした持ち物がしばしば描かれる。

筆、硯、扇、書物。

いずれも、歌を詠む行為に結びつく品である。

持ち物があると、場面が具体的になる。

座っているだけの姿に、行為が加わる。

一群として見る

九枚を並べると、配置の意図が見えてくる。

黒い袍が四枚、淡い色が三枚、明るい色が二枚。

顔の向きは、右向きが多く、左向きが混じる。

正面に近いものが一枚だけある。

姿勢と色の配分が、意識的に散らされている。

これは、一枚ずつ描いたのではなく、組として設計した証拠になる。

もとの十三枚、あるいはそれ以上の組があったはずである。

三十六人組であれば、まだ多くが失われている。

いま残る九枚は、その断片である。

断片でも、組の作り方は読み取れる。

余白の取り方

九枚に共通するのが、余白の広さである。

人物は、画面のおよそ半分しか占めない。

上と下には、何も描かれない絹が残る。

この余白が、絵を落ち着かせている。

余白があるから、文字を置く場所ができる。

歌を書き添える前提の絵だからである。

書と絵が場所を取り合わない。

はじめから、分け合うように構図が組まれている。

日本の絵で余白が多いのは、こうした事情もある。

飾りではなく、必要から生まれた空白である。

一九一四年に、館へ入った

来歴にも触れておきたい。

美術館の記録では、一九一四年の受け入れである。

寄贈者は、ある人物の遺産とされている。

つまり、収集家の死後に館へ渡ったことになる。

十三枚がまとめて入っている。

散逸せずに残ったのは、この寄贈のおかげである。

小さな作品は、散りやすい。

一枚ずつ売られれば、組は解体する。

まとまって公共の館に入ったことの意味は大きい。

美術館の受け入れ記録については、
受け入れ番号を読むでも書いた。

保存と、これから

絹の作品は、光と湿気に弱い。

長く展示すれば、色が褪せる。

だから、こうした品は収蔵庫にある時間が長い。

公開画像は、その代わりを務める。

手元の画面で、いつでも九枚を並べられる。

実物を並べて見る機会は、まずない。

十八センチの絵を九枚、同時に見比べる。

これは、画像だからできることである。

もとの用途とは違う見方だが、悪い見方ではない。

組物は、比べて見るために作られている。

三十六人という組

歌仙の代表的な組は、三十六人である。

平安時代の歌人から選ばれたとされる。

この三十六人組は、絵の主題として広く使われた。

三十六人を三十六枚に描けば、大きな組物になる。

十二枚ずつ三段に貼る、といった構成も取られた。

今回の九枚が、その組の一部かは分からない。

残っているのが十三枚だからである。

三十六に足りない。

失われたのか、もとから別の組だったのか。

館の記録は、そこまで書いていない。

分からないことは、分からないと書いておく。

小さいものを、どう見るか

最後に、見方の提案をしたい。

まず、全体の色を見てほしい。

黒か、淡いか、明るいか。

次に、顔の向きを見る。

右か、左か、正面か。

そして、膝から下の布の広がりを見る。

この三点だけで、九枚は区別できる。

顔の造作を読もうとすると、たいてい行き詰まる。

線が少なすぎるからである。

小さな絵は、細部より配置で見る。

同じ主題を、何度も描く

歌仙絵は、需要の絶えない主題だった。

家に一組あると格好がつく。

だから、注文が繰り返される。

画家の側は、同じ主題を何度も描くことになる。

型があるのは、そのためでもある。

毎回考え直していては、数がこなせない。

下絵を残し、写し、少しずつ変える。

工房の仕事は、そうやって回っていく。

繰り返しの中で腕が落ちることもあれば、洗練されることもある。

九枚を見るかぎり、線は疲れていない。

繰り返しに耐えた手の線である。

型を守るということ

歌仙絵は、独創を競う絵ではない。

決まった主題を、決まった形で描く。

それでも、絵ごとに差が出る。

線の速さ、色の置き方、余白の取り方。

差が出る場所は、限られている。

限られているからこそ、腕が見える。

狩野昌運の九枚は、その限られた場所で仕事をしている。

大画面の華やかさはない。

代わりに、一センチの顔に線を三本引く精度がある。

手のひらの絵は、そこを見るものである。

九枚を並べて、その三本を追ってほしい。

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