名画の楽しみ方

番号の頭が、1937である——ナショナル・ギャラリー最初の受入

謙譲の聖母
マサッチオ《謙譲の聖母》1423年から1424年ごろ。板に、おそらくテンペラ。館の記録では、縦105.6センチ、横54.1センチとされる。番号は1937.1.7。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。マサッチオ《謙譲の聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

同じ主題が、二点続く。こちらは縦に長い。

聖母は赤い敷物の上に座る。青い衣が膝から床へ落ちる。

子は白い布に包まれ、母の腕の中で身をよじる。

顔は大きく、額が広い。子どもらしい丸みは弱い。

上の左右に天使が二人。こちらを見ずに、聖母を見る。

金地は平らで、文様は少ない。

床の下端には文字が並ぶ。天使の言葉である。

文字は画面の幅いっぱいに、点を打って区切られる。

技法の欄には、括弧つきで疑問符が入っている。

テンペラであることが、確定していないという意味だ。

館の記録は、確かなことと確かでないことを書き分けている。

この一文字の疑問符が、その姿勢を示している。

ベルリンが、手放した年

九点のうち一点だけ、来歴の最後が変わっている。

ドゥッチョの《降誕》である。

館の記録によれば、この板は1884年にベルリンの美術館へ入った。

そして1937年、そこから外され、画商との交換に出された。

同じ年に、ワシントンの館へ移っている。

一つの絵が、一年のうちに二つの都市を動いたことになる。

番号1937.1.8は、その移動の終点に付けられた。

館を出るときの記録と、館に入るときの記録は、別々の帳簿にある。

私たちが読めるのは、あとの側だけである。

預言者イザヤとエゼキエルを伴う降誕
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《預言者イザヤとエゼキエルを伴う降誕》1308年から1311年。一枚のポプラ板にテンペラ。館の記録では、中央の画面が縦43センチ、横43.9センチとされる。番号は1937.1.8。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《預言者イザヤとエゼキエルを伴う降誕》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の板が、三つに区切られている。

左右に預言者が一人ずつ立ち、巻物を持つ。

巻物には文字が書かれ、読めるように広げられている。

中央は降誕の場面である。屋根の下に聖母が横たわる。

赤い寝床に青い衣。子は左下で布に巻かれている。

同じ子が、右下でもう一度描かれる。

沐浴の場面である。一つの画面に、二つの時間が入る。

上の空は濃い青で、天使が並んで身を乗り出す。

岩山は段になって重なり、金の縁で区切られる。

枠は板と一続きで、削り出されている。

館の記録は、この板が大きな祭壇画の下部にあったと記す。

その祭壇画は十六世紀に解体され、部分が散らばった。

三つの画面が一枚の板に彫り出されている点も、記録に書かれている。

天使と智天使を伴う聖母子
マッテオ・ディ・ジョヴァンニ《天使と智天使を伴う聖母子》1460年から1465年ごろ。ポプラ板にテンペラ。館の記録では、画面が縦69.7センチ、横49.5センチとされる。番号は1937.1.9。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。マッテオ・ディ・ジョヴァンニ《天使と智天使を伴う聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

聖母は暗い青の衣をまとい、子を抱く。

子は裸で、母の指を握る。指の絡み方まで描かれる。

背後には天使の顔が、上下二段に詰まって並ぶ。

赤い翼と金の頭部が、隙間なく画面を埋める。

天使たちの目はすべて開き、正面を向く。

聖母の後光には文字が回る。天の女王への呼びかけである。

顔の輪郭は硬く、鼻筋は細い線で通される。

口は小さく、唇の輪郭がはっきり引かれる。

来歴には、英国の伯爵家の名が三代続けて並ぶ。

そのあとに画商が入り、財団が入り、館へ渡る。

一つの家に百年以上あった絵が、十年ほどで三度持ち主を替えている。

絵に書かれた年と、記録の年

九点のうち三点には、絵の中に文字がある。

ダッディの板には、下の枠に1333年と刻まれている。

ホルバインの肖像には、五十七歳という年齢が書かれている。

ドゥッチョの板には、預言者の言葉が巻物に書かれている。

年が絵の側にあれば、記録の年の欄は短くなる。

ダッディは「1333年」の四文字だけである。

年が絵の側にないと、記録の欄は長くなる。

ベラスケスは「1640年から1650年ごろ」と幅で書かれる。

ホルバインに至っては、二つの幅が「または」で並ぶ。

年齢が書かれているのに、年が決まらないのはなぜか。

その人物の生年に複数の説があるからだと考えられている。

絵の中の文字は、そのままでは年にならない。

外の記録と突き合わせて、はじめて年になる。

王と皇帝を、経てきた一点

ヤン・ファン・エイクの《受胎告知》は、来歴がとくに長い。

館の記録によれば、この絵はオランダ王ウィレム2世の所蔵だった。

1850年の売り立てで、ロシアの皇帝ニコライ1世のために買われている。

その後、サンクトペテルブルクの美術館に置かれた。

そして1930年、画商三社を通じて米国へ売られた。

買ったのはアンドルー・W・メロン本人である。

1931年に財団へ移され、1937年に館へ渡った。

館の記録は、この経路を淡々と並べるだけである。

なぜ手放されたのかは、書かれていない。

来歴の欄は、動いた事実は書くが、動かした事情は書かない。

受胎告知
ヤン・ファン・エイク《受胎告知》1434年から1436年ごろ。板から移されたカンヴァスに油彩。館の記録では、画面が縦90.2センチ、横34.1センチとされる。番号は1937.1.39。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ファン・エイク《受胎告知》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦に細長い画面である。教会の内部が描かれる。

左に天使が立つ。翼は赤と青と緑で、孔雀の羽のようだ。

冠には宝石が並び、一つずつに光が入る。

右に聖母が立ち、本を手にする。青い衣が床に広がる。

床は磨かれた石の模様で、遠くへ細く縮んでいく。

石の一枚ずつに、小さな場面が描き込まれている。

奥の窓には色硝子が入る。上部の壁には物語の場面が並ぶ。

金の文字が、天使と聖母のあいだの空中に置かれる。

聖母の返事の文字だけは、上下が逆さに書かれている。

上から読む者に向けた向きだと解されている。

技法の欄には、板から移されたと書かれている。

支持体を替える処置が、記録として残されている。