番号の頭が、1937である——ナショナル・ギャラリー最初の受入

同じ主題が、二点続く。こちらは縦に長い。
聖母は赤い敷物の上に座る。青い衣が膝から床へ落ちる。
子は白い布に包まれ、母の腕の中で身をよじる。
顔は大きく、額が広い。子どもらしい丸みは弱い。
上の左右に天使が二人。こちらを見ずに、聖母を見る。
金地は平らで、文様は少ない。
床の下端には文字が並ぶ。天使の言葉である。
文字は画面の幅いっぱいに、点を打って区切られる。
技法の欄には、括弧つきで疑問符が入っている。
テンペラであることが、確定していないという意味だ。
館の記録は、確かなことと確かでないことを書き分けている。
この一文字の疑問符が、その姿勢を示している。
ベルリンが、手放した年
九点のうち一点だけ、来歴の最後が変わっている。
ドゥッチョの《降誕》である。
館の記録によれば、この板は1884年にベルリンの美術館へ入った。
そして1937年、そこから外され、画商との交換に出された。
同じ年に、ワシントンの館へ移っている。
一つの絵が、一年のうちに二つの都市を動いたことになる。
番号1937.1.8は、その移動の終点に付けられた。
館を出るときの記録と、館に入るときの記録は、別々の帳簿にある。
私たちが読めるのは、あとの側だけである。

横長の板が、三つに区切られている。
左右に預言者が一人ずつ立ち、巻物を持つ。
巻物には文字が書かれ、読めるように広げられている。
中央は降誕の場面である。屋根の下に聖母が横たわる。
赤い寝床に青い衣。子は左下で布に巻かれている。
同じ子が、右下でもう一度描かれる。
沐浴の場面である。一つの画面に、二つの時間が入る。
上の空は濃い青で、天使が並んで身を乗り出す。
岩山は段になって重なり、金の縁で区切られる。
枠は板と一続きで、削り出されている。
館の記録は、この板が大きな祭壇画の下部にあったと記す。
その祭壇画は十六世紀に解体され、部分が散らばった。
三つの画面が一枚の板に彫り出されている点も、記録に書かれている。

聖母は暗い青の衣をまとい、子を抱く。
子は裸で、母の指を握る。指の絡み方まで描かれる。
背後には天使の顔が、上下二段に詰まって並ぶ。
赤い翼と金の頭部が、隙間なく画面を埋める。
天使たちの目はすべて開き、正面を向く。
聖母の後光には文字が回る。天の女王への呼びかけである。
顔の輪郭は硬く、鼻筋は細い線で通される。
口は小さく、唇の輪郭がはっきり引かれる。
来歴には、英国の伯爵家の名が三代続けて並ぶ。
そのあとに画商が入り、財団が入り、館へ渡る。
一つの家に百年以上あった絵が、十年ほどで三度持ち主を替えている。
絵に書かれた年と、記録の年
九点のうち三点には、絵の中に文字がある。
ダッディの板には、下の枠に1333年と刻まれている。
ホルバインの肖像には、五十七歳という年齢が書かれている。
ドゥッチョの板には、預言者の言葉が巻物に書かれている。
年が絵の側にあれば、記録の年の欄は短くなる。
ダッディは「1333年」の四文字だけである。
年が絵の側にないと、記録の欄は長くなる。
ベラスケスは「1640年から1650年ごろ」と幅で書かれる。
ホルバインに至っては、二つの幅が「または」で並ぶ。
年齢が書かれているのに、年が決まらないのはなぜか。
その人物の生年に複数の説があるからだと考えられている。
絵の中の文字は、そのままでは年にならない。
外の記録と突き合わせて、はじめて年になる。
王と皇帝を、経てきた一点
ヤン・ファン・エイクの《受胎告知》は、来歴がとくに長い。
館の記録によれば、この絵はオランダ王ウィレム2世の所蔵だった。
1850年の売り立てで、ロシアの皇帝ニコライ1世のために買われている。
その後、サンクトペテルブルクの美術館に置かれた。
そして1930年、画商三社を通じて米国へ売られた。
買ったのはアンドルー・W・メロン本人である。
1931年に財団へ移され、1937年に館へ渡った。
館の記録は、この経路を淡々と並べるだけである。
なぜ手放されたのかは、書かれていない。
来歴の欄は、動いた事実は書くが、動かした事情は書かない。

縦に細長い画面である。教会の内部が描かれる。
左に天使が立つ。翼は赤と青と緑で、孔雀の羽のようだ。
冠には宝石が並び、一つずつに光が入る。
右に聖母が立ち、本を手にする。青い衣が床に広がる。
床は磨かれた石の模様で、遠くへ細く縮んでいく。
石の一枚ずつに、小さな場面が描き込まれている。
奥の窓には色硝子が入る。上部の壁には物語の場面が並ぶ。
金の文字が、天使と聖母のあいだの空中に置かれる。
聖母の返事の文字だけは、上下が逆さに書かれている。
上から読む者に向けた向きだと解されている。
技法の欄には、板から移されたと書かれている。
支持体を替える処置が、記録として残されている。