番号の頭が、1937である——ナショナル・ギャラリー最初の受入
1937.1.3。館が開くより四年早く、絵のほうが先に番号を持っていた。四百七十年ぶんの絵が、一つの年号の下に畳まれている。出所の行と番号から、最初の受入に含まれた九点を読み直したい。来歴には、同じ画商の名が繰り返し出てくる。

番号は、年から始まる
1937.1.3。
ナショナル・ギャラリー(ワシントン)の作品番号は、この形をとる。
点で区切られた三つの数字が並ぶ。
最初の四桁は、受け入れた年である。
次の数字は、その年の何番目の受入かを示す。
最後の数字は、その受入の中の何点目かを示す。
だから1937.1.3は、こう読める。
1937年の、最初の受入の、三点目。
館が一般に開かれたのは1941年である。
番号のほうが、開館より四年早い。
建物が建つ前に、絵のほうが先に番号を持っていた。
作品番号の読み方そのものについては、作品番号の読み方でも扱った。
ここで見たいのは、読み方ではなく、番号が何を束ねているかである。
一つの受入に、百四十四点
1937.1で始まる番号は、144まで続く。
一度の受入で、百四十四点が入ったことになる。
九点の出所の行を読むと、いずれも同じ一行が書かれている。
アンドルー・W・メロン・コレクション。
作者も、国も、世紀も違う。それでも出所の行は一つである。
出所の行というのは、その作品がどういう資格で館にあるかを示す欄だ。
買ったのか、贈られたのか、遺されたのか。
誰の名で呼ぶべきものなのか。
番号と出所の行は、絵の中身については何も語らない。
語るのは、どこから、いつ、どうやって来たかだけである。
その一行から、九点を読み直したい。

縦に長い板である。上端は山形に尖る。
聖人が正面を向いて立つ。右手に剣、左手に本を持つ。
衣は淡い緑と桃色で、金地の前に置かれる。
顔は細く、髭は短く整えられている。
視線はまっすぐこちらへ向く。
足もとには、小さな人物が何人も膝をついて並ぶ。
その人たちは、聖人の膝ほどの高さしかない。
大きさの差が、そのまま身分の差として描かれている。
礼拝者たちの衣は白や灰で、色数が少ない。
聖人だけが色を持ち、あとは背景に沈む。
下の枠には文字が刻まれ、1333年という年が読める。
制作年が絵の側に書かれている例である。
この板は、もとは大きな祭壇画の一部だったと考えられている。
館の記録は、その出どころについて、複数の説を並べたうえで留保している。
三つの数字が、何を隠すか
番号は、受け入れた側の都合で作られている。
制作年の順ではない。作者の名の順でもない。
九点のうち最も古いのは1308年から1311年である。
最も新しいのは1786年である。
その間は四百七十年以上ひらく。
それでも番号は、1937.1.3から1937.1.99までの連番に収まる。
四百七十年の幅が、一つの年号の下に畳まれている。
番号を見ただけでは、この幅は見えない。
見えるのは、1937年という一点だけである。

金地の前に、聖母が低い位置に座る。
床に敷かれた織物の上である。玉座には座っていない。
これを謙譲の聖母と呼ぶ。地に近く座る形式である。
聖母の衣は濃い青。裏地は緑がかる。
裾は前へ広がり、床の織物を覆う。
膝の上の子は裸で、体をひねって母を見上げる。
母の右手は、子の胸のあたりに軽く添えられる。
上の左右に、天使が一人ずつ浮かぶ。
天使の衣は淡い桃色と青で、聖母の色を反復する。
背景の金は、細かい打ち出しの文様で埋められている。
光の当たり方で、その文様が浮き沈みする。
聖母の後光には文字が回る。天使の挨拶の言葉である。
来歴によれば、この板は十九世紀の末に英国の収集家の手に入った。
その後、娘へ、そして画商へと渡っている。
寸法の欄が、三通りに書かれる
九点の寸法の欄を並べると、書き方がそろっていない。
ある絵は「画面」の寸法だけを書く。
ある絵は「全体」の寸法を添える。
ある絵は「額装時」の寸法まで並べる。
ダッディの板には、画面と全体の二つが書かれている。
画面が縦224.8センチ、全体が縦233.53センチ。
差の八センチ余りは、絵の周りの木の部分である。
マッテオ・ディ・ジョヴァンニの板には、三つが並ぶ。
画面が縦69.7センチ、全体が縦79センチ、額装時が縦99.7センチ。
同じ一点が、三つの大きさを持つことになる。
どれを本当の大きさと呼ぶかは、用途によって変わる。
壁の場所を決めるなら額装時の数字が要る。
板の由来を考えるなら画面の数字が要る。
館の記録は、決めずに全部を書く道を選んでいる。
来歴の行に、同じ名が出てくる
出所の行の下に、館はもう一つ長い記述を置いている。
来歴である。誰の手をどう経てきたかを、順に並べたものだ。
九点の来歴を読み比べると、同じ名が繰り返し出てくる。
デュヴィーン兄弟商会。クネードラー商会。
いずれも当時、欧州の絵を米国へ運んだ画商である。
九点のうち少なくとも六点が、このどちらかを通っている。
そのあと、来歴は同じ一行に合流する。
A・W・メロン教育慈善財団、ピッツバーグ。
そして1937年、館への寄贈。
つまり九点は、絵として選ばれて集まったのではない。
いや、選ばれてはいる。選んだのは館ではないというだけだ。
館が受け取ったのは、すでに一つの塊になっていたものである。