絹は、地にも布にもなる——歌麿・牧谿・ハルスほか九点
繭からほどいた糸は、紙のように描く地にもなり、身にまとう布にもなり、版を刷る支持体にもなる。絹の九点を数えると、七百年で地が褐色に沈んだ掛幅があり、絹を売る商人の肖像があり、羊毛に混ぜられた光る糸があった。数えきれない糸をめぐる記録である。

機の前に、三人の女がいる
縦長の版画である。
37.8×24.8センチしかない。
画面の中央に、木の機がある。
機は組み立てられた枠で、柱が縦に立つ。
上には、横木が渡る。
その横木から、糸が斜めに下りる。
糸は細い線として、何本も引かれている。
線の間隔は、ほぼ等しい。
機の前に、女が一人座る。
体を前へ倒し、両手を糸に伸ばす。
顔は横を向く。
その後ろに、もう一人が立つ。
立つ女は、機の上部に手をかける。
画面の右下に、三人目がいる。
三人目は床に座り、糸を巻く。
手元に、小さな道具がある。
衣は白と藍と褐色である。
背景は淡く、何も描かれていない。
画面の上には、文字の枠がある。
枠は縦長で、右上にある。
中の文字は細く、行が詰まる。

館の札には「女性たち」と「働くこと」がある。
つまり館は、これを労働の図として登録している。
絹は、蚕の繭からほどいた糸である。
一本の繭から、千メートル近い糸が取れる。
その糸を撚り、染め、織る。
工程が多く、どれも手がかかる。
だから絹は高い。
そして軽い。
同じ重さの布なら、羊毛より薄く広がる。
遠くまで運んでも、荷にならない。
高い値と軽さが、遠くへ運ばれる理由になった。
この画家の描いた台所については、台所で扱った。
絹は、九つの場所に現れる
この一枚を出発点に、絹にまつわる九点を数えていく。
絹には、三つの役目がある。
一つは、着るための布であること。
一つは、絵を描くための地であること。
もう一つは、売り買いされる商品であることである。
先に言ってしまうと、九点のうち、絹が絵の地になっているのは四点である。
二点では、絹は織られる工程として描かれている。
一点では、絹は織物そのものである。
一点では、絹は絵の中に描かれた布である。
そして一点では、絹は人の職業を示している。
数え方によっては、重なる点もある。
織物であり、かつ絵の地でもあるものはない。
しかし、絹に刷った版画は、その中間にある。
絹を、砧で打つ
二点目も、工程の図である。

横長の紙である。
地は、薄い黄色である。
画面の右寄りに、二人の人物がいる。
二人は向かい合って座る。
そのあいだに、低い台がある。
台は四本の脚で立つ。
台の上に、白い布が広がる。
左の人物は、緑の衣を着る。
右の人物は、赤と紺の衣を着る。
どちらも髪が長く、背に垂れる。
二人とも、手に棒を持つ。
棒を上げ、布を打つ。
線は速く、震えがある。
色は、輪郭からはみ出す。
画面の左側は、何も描かれていない。
紙の黄色が、そのまま残る。
下絵なので、余白の扱いが決まっていない。
館の記録では、この作者は連作のための下絵を、透ける紙に墨と色で描いた。
その自在な写生は、完成した版の構図よりずっとゆるやかであるという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこれは、版画の下絵である。
題にある工程は、絹を柔らかくするためのものである。
織り上げた布を、台に載せて打つ。
打つと、糸がほぐれ、艶が出る。
九点のうち、絹に手を加える場面は、この一点である。
織ることと、打つことは別の工程である。
最初の一枚が織る場面で、これが打つ場面である。
二枚で、工程の前と後が並ぶ。
どちらも、女の仕事として描かれている。
絹に、金と銀を織り込む
三点目は、織物そのものである。

縦長の布である。
全体は53.3×104.1センチある。
地は白い。
その上に、花の文様が並ぶ。
文様は斜めに繰り返す。
一つの単位には、花が数輪ある。
花は桃色と紫で、丸く開く。
そのまわりに、細い葉が伸びる。
葉は緑と灰色である。
花と花のあいだに、細長い形がある。
蔓か、リボンらしい。
その部分だけ、金色に光る。
光る部分は、面ではなく線である。
文様の繰り返しの幅は、二十センチほどに見える。
布の縁は、切りっぱなしである。
端の糸が、わずかにほつれる。
もとは長い一反だったものの、一部である。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
材料は、錦織で、絹と金銀の糸である。
錦織とは、地の糸とは別の糸を、文様のところだけ浮かせる織り方である。
裏では、その糸が渡る。
だから表だけが光る。
九点のうち、絹に別の材料が織り込まれているのは、この一点である。
金の糸は、細い紙か腸に金箔を貼り、糸に巻いたものである。
だから金そのものは、ごく薄い。
光るのに、量は少ない。
絹の地が、七百年で暗くなる
四点目からは、絹は絵の地になる。

細長い掛幅である。
画は125.2×57.2センチある。
軸を含めると、226.8センチになる。
画面の地は、褐色である。
上下に、装飾のある裂が付く。
画面の中央より上に、龍の頭がある。
頭は明るく、地から浮かび上がる。
目は丸く、口は開く。
角は後ろへ伸びる。
首から下は、細く曲がる。
体は蛇のようである。
体の一部は、濃い墨に隠れる。
まわりは、波と霧の層である。
層は横に流れ、濃さが変わる。
いちばん下は、ほとんど黒い。
墨の濃さは、上へ行くほど薄くなる。
頭のまわりだけ、地の色が残る。
館の記録では、龍と虎は陰と陽の考えに結びつく。
龍は、波と霧の層をなす背景を占める。
その光る頭が、暗い部分から現れる。
細くねじれた体は、蛇のようである。
そして館は、こう書いている。
もとは禅の場で、この対の掛軸は中央の像の両脇に掛けられていたらしい。
絹は数世紀のあいだに暗くなった。
虎の舌と鼻のわずかな赤みは、褪せてしまったという。
館の記録は、そう説明している。
つまり地の褐色は、もとの色ではない。
描かれたときは、もっと明るかった。
墨は残り、絹の色が変わる。
九点のうち、地の変色が記録されているのは、この一点である。
そして館は、対になる虎の掛幅にも触れている。
二幅で、陰と陽をなしていた。
いまは、それぞれ別に掛けられる。
絹に、色を置く
五点目も、絹に描かれている。

縦長の掛幅である。
画のみで127×71.1センチある。
中央に、男が椅子に座る。
正面を向き、両手を前で組む。
頭には、黒い帽子をかぶる。
帽子の左右に、細い羽根状の飾りが出る。
顔は丸く、白い髭がある。
口元は、わずかに緩む。
衣は濃い緑で、袖が広い。
胸に、四角い縫い取りがある。
縫い取りの中に、白い鳥が飛ぶ。
椅子には、斑のある毛皮が掛かる。
足元には、履物が二つ並ぶ。
床には、細かい格子の文様がある。
背景は淡く、何もない。
影は、どこにも落ちていない。
人物の輪郭だけが、細い線で示される。
館の記録では、この人は濃い緑の官服を着ている。
椅子には豹の皮が掛かる。
それは、新しく任じられた者に朝廷から贈られるものである。
刺繍された階級の記章は、一羽の鶴の意匠で、この人の位を示す。
そして館は、こう書いている。
この画家は、新しく昇進した官吏のはにかんだ笑みを描いた。
そこに、将来への自信と不安の入り混じった気持ちが見えるという。
館の記録は、そう説明している。
絹の地は、色をよく吸う。
そして裏から色を差すこともできる。
紙より、色が深く沈む。
そして絹は、織り目が細かい。
細い線を引いても、にじみにくい。
顔の皺の一本ずつが、そのために描き分けられる。
館の記録も、この画家が写真から自然な描き方を学んだと書いている。
絹に、版を刷る
六点目では、絹は版画の紙になる。

ほぼ正方形の布である。
37.6×37.3センチある。
地は、灰色がかった褐色である。
画面いっぱいに、行列が描かれる。
中央に、大きな車がある。
車輪は放射状の輻を持つ。
車の上に、人物が座る。
人物は冠をかぶり、杖を持つ。
その後ろに、翼のある人物が立つ。
翼のある人物は、輪を掲げる。
車の前には、兵士が並ぶ。
兵士は槍と旗を持つ。
旗は上へ伸び、画面の外へ出る。
背景には、建物の壁がある。
色は、褐色の濃淡だけである。
明るい部分は、地の色である。
絹の織り目が、明るい部分に見える。
紙なら、平らな面になる。
館の記録では、この連作はある公の注文で作られた。
一世紀前に描かれた絵を、明暗の木版で写したものである。
古代の将軍の凱旋の行列を描いている。
そして館は、こう付け加えている。
この版画の組を持っていた人びとは、しばしばそれを壁に留めて装飾の帯を作った。
作者は、切り抜いて場面のあいだに置ける柱の刷り物も出したという。
館の記録は、そう説明している。
材料の欄には、絹に刷った木版とある。
紙ではない。
絹に刷れば、布として壁に掛けられる。
九点のうち、絹が版画の支持体なのは、この一点である。
そして金は、刷ったあとに手で加えられている。
版では、金を刷れない。
最後の一手だけが、手仕事で残る。
絹が、聖人の背後に広がる
七点目では、絹は描かれた布である。

小さな板絵である。
額なしで17.3×11.6センチしかない。
中央に、男の胸から上がある。
顔はやや右を向く。
髪と髭は、褐色の巻き毛である。
目は伏せられ、視線が下を向く。
頭の後ろに、金の輪がある。
輪には、細い線が刻まれる。
肩には、白い布が掛かる。
布は厚く、大きな襞を作る。
その下に、褐色の毛の衣が見える。
左手に、細い竿を持つ。
竿の先には、旗がある。
旗は白く、赤い十字が入る。
背景は、金と緑の文様で埋まる。
文様は、大きな唐草である。
葉が渦を巻き、面いっぱいに広がる。
文様は上下左右に繰り返す。
繰り返しの単位は、顔ほどの大きさである。
館の記録では、伝承によれば、この聖人は白い布の下に毛の衣を着る。
赤い十字の旗は、復活を表す。
そして館は、こう書いている。
それとは著しい対照をなして、背景には豪奢な金の文様のある絹がある。
そうした贅沢な布を示すことは、神を礼拝するのに最上の品を用いる古い伝統に連なるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり金の文様は、壁ではない。
絹の織物である。
九点のうち、絹が絵の中に描かれているのは、この一点である。
画面は、額なしで手のひらほどしかない。
その中で、絹の文様が面積の半分を占める。
人物より、布のほうが広い。
絹を売る人が、絹を着ていない
八点目では、絹は職業である。

縦長の肖像である。
額なしで117×87センチある。
男が、腰から上まで描かれる。
体はやや右を向き、顔はこちらを見る。
髭は上へ跳ね、口元が緩む。
首には、広く平らな白い襟がある。
襟は幾重にも重なり、円く広がる。
衣は黒で、光沢が強い。
袖には、細い組紐と釦が並ぶ。
腰には、リボンの飾りが回る。
右手は腰に当てる。
袖口から、レースの縁が出る。
左手には、白い手袋を持つ。
背景は褐色で、上が明るい。
右上には、文字が書かれている。
文字は二行で、年齢と年が記される。
書体は細く、背景に沈む。
館の記録では、この人はある町のきわめて裕福な麻と絹の商人だった。
肖像が描かれたとき、三十六歳である。
この画家は、当時の多くの画家と違い、はっきり見える筆の跡を好んだ。
そして館は、衣について書いている。
その装いは地味だが贅沢である。
袖は組紐と釦で飾られ、リボンの薔薇飾りが胴着の腰を巡る。
黒の豊かさが、広い麻の襟とレースの縁の袖口で引き立つ。
布の商人にふさわしい流行の細部であるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり絹は、この人の商品である。
黒い衣が絹かどうかは、書かれていない。
館が名を挙げているのは、麻の襟のほうである。
黒い衣は、光沢が強い。
絹であれば、その光り方になる。
しかし館の記録は断定していない。
描かれたものの材質は、絵からは決められない。
決められるのは、この人が絹を扱っていたことだけである。
この画家の筆の跡については、見える筆で扱った。
絹が、羊毛の中に混ざる
最後の一点で、絹は糸として数えられる。

巨大な織物である。
351.2×424.8センチある。
縁には、太い枠の文様が回る。
枠には、果実と花の束が並ぶ。
中央の場面は、建物の中である。
奥に、丸いアーチの並ぶ壁がある。
左に、卓がある。
卓には、白い布が掛かる。
その周りに、人物が数人立つ。
右には、椅子に座る人物がいる。
座る人物は、赤い衣である。
手前の左には、大きな柱が立つ。
柱には、彫刻がある。
色は、黄と緑と褐色が多い。
赤は、一人の衣だけである。
奥のアーチの向こうは、明るい。
窓か、外の光らしい。
館の記録は、糸の数まで書いている。
経糸は、一センチあたり八本である。
緯糸は、一センチあたり十七本から三十本まで変わる。
経糸は羊毛で、太さは0.8ミリから1.0ミリである。
緯糸には、羊毛と絹の両方が使われる。
絹の糸は、二本を撚ったものを三本合わせている。
太さは0.6ミリから1.0ミリである。
そして羊毛と絹を対にした糸もある。
館の記録は、そこまで書いている。
つまり絹は、羊毛の中に混ざっている。
どこに使われているかは、書かれていない。
光る部分に使われているのが普通である。
衣の明るいところ、あるいは肌の色。
羊毛は光を吸い、絹は光を返す。
同じ色の糸でも、明るさが変わる。
その差で、面に奥行きが出る。
館の記録は、糸の撚りの向きまで書いている。
右へ撚るか、左へ撚るかが記される。
織り手を特定する手がかりになるからである。
数えてみると
九点を並べ直す。
絹が絵の地になっているのは、三点である。
墨の掛幅、色の掛幅、そして版画。
絹の織物そのものは、二点である。
錦織の布と、綴織の壁掛け。
絹を作る工程が、二点。
絹が絵に描かれているのが、一点。
絹が職業として書かれているのが、一点である。
もう一つ数える。
九点のうち、館の記録の材料の欄に絹という語があるのは五点である。
残る四点では、絹は題か説明文の中にある。
題にあるのは、織る場面、打つ場面、そして錦織の布。
説明文にあるのは、商人の職業と、描かれた背景の布である。
記録のどこに書かれるかで、絹の役目が変わる。
さらに数える。
九点のうち、絹に金か銀が加えられているのは三点である。
錦織の布、絹に刷った版画、そして描かれた絹の文様。
最後の一つは、絵の具の金である。
本物の金糸と、描かれた金が並んでいる。
言えることと、言えないこと
言えるのは、絹が「地としても布としても使われる材料だ」ということである。
紙のように、その上に描ける。
布のように、身にまとえる。
版を刷ることもできる。
九点のうち三点で、絹は絵の地だった。
そのうち二点は掛軸で、一点は壁に留める版画だった。
綴織を加えれば、掛ける布は四点になる。
九点の半分近くが、壁に掛けるものである。
絹も羊毛も、掛けるために織られてきた。
床に敷く布は、九点の中にない。
敷けば擦れて、絹は保たない。
どれも、巻いたり掛けたりできる。
板や壁に描けば、動かせない。
絹に描けば、巻いて運べる。
形式が、材料から決まっている。
言えないのは、絹の色が変わらないという話である。
七百年前の掛幅の地は、褐色に沈んでいた。
館の記録は、そこに描かれた赤も褪せたと書いている。
墨は残る。
絹は変わる。
変わったあとの色を、いま見ている。
もとの明るさは、記録の言葉からしか分からない。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
機の前で、糸が斜めに何本も張られている。
その一本ずつが、繭からほどいた糸である。
版画では、細い線として引かれるだけである。
線の数は、実際の糸より少ない。
二十本ほどしか引かれていない。
実際の機なら、千本を超える。
それでも、機に見える。
九点を数え終えて残るのは、数えきれない糸を数本の線に置き換えた、その省略のほうである。
綴織の記録だけが、糸の数を書いていた。
一センチあたり八本と、十七本から三十本。
数えた記録と、数えなかった絵が、九点の両端にある。


