窓の外は、三点しか見えない——ルグロ・レンブラント・モリゾほか九点
窓は外を見せるための穴だと思われている。だが九点で数えると、外の景色が見えるのは三点だけだった。窓辺に人がいるのは六点、そのうち外を見ているのは二点。窓は枠として働き、画面のなかにもう一つの四角を作る。

男が、窓の桟に肘をついている
一枚の銅版画に、窓がある。
窓は大きく開いている。
その桟に、男が肘をついている。
背を丸め、頭を垂れている。
顔は、ほとんど見えない。
外を見ているのか、うつむいているのか、判断がつかない。
窓枠は太い。
縦の桟が一本、横の桟が二本。
画面のほぼ中央で、四角い枠を作る。
枠の内側は暗い。
外側の壁は、細かい斜めの線で埋められている。
線の向きは、上下で変わる。
上の縁と下の縁には、乱暴な引っかき傷が残る。
まっすぐでない線が、何本も交差する。
館の記述によれば、この画家は銅版に直接描いた。
同じ記述は、切り落とす予定の部分に線を引いたとも書く。
つまり、あの引っかき傷は消すための印である。
版のまま残り、印画にも出てしまった。
題は《窓辺の夕暮れ》という。
夕暮れであることは、画面からは分からない。

窓は、壁に開けた穴である。
穴の縁が、そのまま四角い枠になる。
枠があれば、その内側は一つの画面になる。
つまり窓のある絵は、画面のなかに画面を持つ。
額縁と同じ働きが、絵のなかで起きている。
そう考えると、窓は便利な道具である。
外の景色を、切り取って見せられる。
光を、一方向から入れられる。
人を、そこに立たせられる。
窓は、何のために描かれるのか
九点を並べて、窓の使われ方を数えたい。
集めかたは、いつもと同じである。
館の記録の題に、窓を指す語が入るものを拾った。
拾った九点は、時代も土地もばらばらである。
十七世紀のオランダの銅版画。
十八世紀のインドの細密画。
十九世紀のフランスの水彩と、ドイツの油彩。
二十世紀のアメリカのガラス窓。
まず、いちばん単純なことを数える。
窓の向こうの景色が見えるのは、何点か。
九点のうち、三点だけだった。
残る六点では、窓の外が描かれていない。
窓はあるのに、外はない。
これは少し意外である。
窓を描くのは、外を見せるためではないらしい。
外が見える三点は、外を主題にしている
外が見える三点を、先に見る。
一点目は、ナポリの眺めを描いた油彩である。
紙に油で描き、後からカンヴァスに貼ってある。
額なしで46.8×33.5センチ。
画面は縦に長い。
手前は、部屋の床である。
赤みの強い床板が、光を反射している。
左右に、白い薄い布が垂れる。
その布が、画面の三分の一を覆う。
中央に、四角い開口がある。
開口の向こうに、明るい海と町が見える。
低い山が、右に一つ。
館の記述によれば、それは活動中の火山である。
同じ記述は、この絵の二年前に噴火があったとも書く。
だが画面の空は、静かに晴れている。
そして開口の手前に、犬が一匹立っている。
犬は外を向いている。
見る人の視線は、床から布へ、布から開口へ進む。
最後に、遠い山へ届く。
窓は、その順路の終点にある。

二点目は、十八世紀のインドの細密画である。
画面はごく小さい。
12.5×7.8センチしかない。
その周りに、広い装飾の縁が付く。
台紙まで含めると44×31.6センチになる。
縁には、花の模様が金と朱で描かれている。
中央の小さな画面に、二人の女性がいる。
一人は座り、一人は立っている。
その手前に、敷物を掛けた欄干がある。
上から、巻き上げられた日除けが下がる。
奥には、緑の木立と夕方の空が見える。
館の記述によれば、これは宮殿の窓である。
同じ記述は、見る人が宮殿の内側から外を見ていると書く。
さらに、この種の窓は王が民の前に姿を見せる場所だったとも書く。
そして館は、一つの違いを指摘している。
王の肖像では、王は窓の内側に座る。
この絵では、女性たちは窓の外側にいる。
同じ形の窓でも、誰が内で誰が外かは決まっていない。

三点目は、水彩の小品である。
紙は28.6×22.9センチ。
画面の右に、女性が座っている。
濃い青の服を着ている。
手もとを見て、針を動かしているらしい。
その左と上に、緑と赤の色面が広がる。
緑は、窓の外の庭である。
館の記述によれば、この人は画家の娘の子守だという。
同じ記述は、これが後の油彩のための下絵だったとも書く。
紙の裏には、鉛筆の書き込みが残っている。
館の記録はその文面まで写している。
そこには、庭に面した張り出し窓の前で縫っていた、と書かれている。
つまり、窓の位置は絵ではなく文字で確かめられる。

窓辺にいて、外を見ない
三点のうち、女性は外を見ていない。
手もとの布を見ている。
これは、九点全体に言えることだった。
窓辺に人がいる画面は、六点ある。
そのうち、外を見ていると読めるのは二点しかない。
残る四点では、人は別のほうを向く。
手もと、こちら、あるいはどこでもない方向である。
その代表が、十七世紀の自画像である。
画家は窓の前の台に、両腕を置いている。
手には、版と道具らしいものがある。
窓は、その左うしろにある。
光は、そこから来ている。
顔の左半分が明るく、右半分が影になる。
帽子のつばの下に、影が濃く落ちる。
そして画家は、こちらを見ている。
外ではない。
窓は、顔を照らすためだけに置かれている。
館の記録では、エッチングとドライポイントとビュランを併用したとある。
版の面は15.6×13センチ。
紙は16.5×13.6センチ。
紙の余白は、四方に一センチもない。