絵のなかの橋——ファン・ゴッホ《春の釣り、クリシーの橋》とモネ《アルジャントゥイユの橋》
同じ川、同じ橋を、繰り返し描いた人
橋を描いた画家は、ゴッホだけではない。
むしろ、パリ近郊の川と橋は、印象派がもっとも多く描いた主題のひとつである。

明るい絵である。空は青く、雲は白い。
水面は青と白の細かい筆で埋められ、帆船の白い帆が三角に立つ。
帆は二艘分。水面には、その白がそのまま縦に映り込んでいる。
画面の右から左へ、道路橋が渡っている。橋脚は円柱で、橋桁は水平である。
橋の向こうには対岸の家並みが小さく見える。屋根は赤く、壁は白い。
アルジャントゥイユはパリの北西、セーヌ川沿いの町である。
モネは1871年末からここに住み、1878年まで暮らした。
鉄道でパリから15分ほど。休日には舟遊びの人々が集まる場所だった。
この絵の橋は、普仏戦争で破壊されたあと、再建されたものである。
つまり、新しい橋だった。当時の人にとっては、復興のしるしでもあった。
もっとも、モネがそれを主題として意識していたかどうかはわからない。
絵のなかの橋は、記念碑らしい重さを持っていない。ごく普通に架かっている。
同じ橋を、モネは天気を変えて描いている。

こちらは灰色である。空は白く濁り、水面は鈍く光る。
小舟が二艘、手前に寄せられている。人の姿は小さい。
帆は畳まれている。舟遊びの日ではない、と読める。
橋の形はほとんど同じである。位置も、画面のなかでの高さも近い。
違うのは光だけだ、と言ってよい。
同じ対象を、条件を変えて何度も描く。のちの連作につながる態度である。
モネの連作については、別のコラムで詳しく扱った。
ここで確認しておきたいことがある。
橋は動かない。天気は動く。
動かないものを画面に置いておくと、動くものの変化がはっきり見える。
橋は、変化を測るための物差しとして働いている。
物差しがなければ、二枚の絵を並べても、違いが空の色だけに見えてしまう。
もうひとつ、この二枚には共通点がある。人がほとんど描かれていないことである。
橋の上にも、対岸にも、人影は見あたらない。
舟にわずかな影があるだけで、顔も服も判別できない。
風景画でありながら、主役は人ではなく、光と水である。
同じ場所を描いても、人を入れるか入れないかで、絵の性格は変わる。
モネはここで、人を入れない側を選んでいる。
線の高さを、どこに置くか
ここで、二枚のモネを見比べてみたい。
1874年の絵では、橋桁は画面のやや上寄りにある。
水面が広く取られ、帆と映り込みが主役になる。
1876年頃の絵では、橋はほぼ同じ高さにありながら、空の割合が増えて見える。
雲が低く垂れ、明るさが上から抑えられているためだと考えられる。
つまり、横線の位置だけでなく、その上下の明るさの配分が印象を決めている。
線を高く置けば、手前の水が広くなり、見る人の視線は下にとどまる。
線を低く置けば、空が広くなり、視線は上へ抜ける。
ゴッホのアニエールの絵では、橋は画面の中ほどよりやや上にあった。
水が広く、視線はしばらく水面をさまよう。そのあいだに筆跡が見えてくる。
構図の選択は、見る時間の設計でもある。
荷を積んだ舟と、煙
橋のある風景には、たいてい産業が写り込む。

前景は暗い緑の木立である。葉が厚く重なり、光をあまり通さない。
その隙間から水面が見える。水には荷を積んだ艀が停まっている。
船体には赤と黒が使われ、画面のなかで強い色になっている。
煙突らしい細い縦の形も見える。舟は動力を持っていると考えられる。
ポントワーズはパリ北西の町で、ピサロが長く住んだ場所である。
オワーズ川が流れ、川沿いには工場と河港があった。
つまり、ここは行楽地ではない。働く場所である。
モネのアルジャントゥイユが休日の川なら、ピサロのポントワーズは平日の川である。
ピサロは、その働く水辺を繰り返し描いた。畑や市場も同じように描いている。
さらに14年後、彼はロンドンでも橋を描いている。

淡い絵である。空は白く、水も白っぽい。
画面の中ほどを、鉄道橋が横に渡る。橋の上には低い建物の影が並ぶ。
対岸には塔や建物が霞んで見える。手前の水面には小舟が点々と浮かぶ。
ロンドンの霧のなかでは、遠くのものほど色を失う。
その失われ方を、ピサロは灰と白の段階で描き分けている。
近いものにはわずかに黄と桃色が残り、遠いものは灰一色に近づく。
パリ郊外の橋と、ロンドンの橋。町も国も違う。
しかし画面での役割は同じである。奥行きを区切り、水平をつくる。
橋を境に、手前は色があり、向こうは色が薄い。
その差が、そのまま距離の表現になっている。