家に残っていた帳面——オーモンド夫人の寄贈73点、1950年
七十三点のうち七十一点が同じ一人の作である。一冊の写生帖の頁が、一枚ずつ番号を持つ。地名と日付が書き込まれ、表と裏で番号が分かれる。白紙に近い頁も一点として数えられている。番号の順が旅の順になっていることにも触れたい。地名と日付の手書きが題になっている。

家に残っていた帳面
出所の行に、こう書かれた作品がある。
フランシス・オーモンド夫人による寄贈、一九五〇年。
当サイトで公開している分だけで、七十三点ある。
そして、その中身がきわめて偏っている。
作者の欄を数えると、七十一点が同じ一人の名である。
残る二点だけが、別の画家の作である。
つまり、この寄贈の九割以上が、一人の手による。
種別は、素描が五十二点、水彩が二十一点。
いずれも紙に描かれた小さな作品である。
そして、番号を見ると、多くが同じ枝番の下に並ぶ。
一冊の写生帖である。
今回は、その帳面を九点で読みたい。

黒い線だけの素描である。
室内が描かれる。
左手に、寝台。
そこに、人が横たわる。
上体をわずかに起こし、腕を投げ出す。
垂れ幕が、寝台の上から下がる。
右手に、戸口。
そこに、頭巾をかぶった女性が立つ。
長い衣を着て、手を前で組む。
その手前に、木の椅子が一脚。
背もたれが高い。
床には、細かい線で影が引かれる。
線の密度で、明暗を作っている。
挿絵のための下絵だろう。
二人の画家
七十三点のうち、この一点ともう一点だけが、別の画家の作である。
そして、残る七十一点は、同じ一人の作である。
館の記録は、その人の生没年を一八二六年から一九〇六年としている。
姓は、十九世紀後半のアメリカ絵画でよく知られた姓である。
そして、出所の行の寄贈者の姓は、それとは違う。
女性が結婚して姓を変えれば、そうなる。
つまり、この寄贈者は、作者と血縁である可能性が高い。
館の記録は、その関係を書かない。
分かるのは、七十一点が同じ人の作で、それが一人の名で渡された、という事実だけである。
家に残っていたものが、まとめて動いた。
そう考えるのが自然である。

淡い水彩である。
紙の右半分に、女性が座る。
薄い緑がかった衣。
袖は膨らみ、裾が床へ広がる。
頭に、帽子をかぶる。
つばの上に、青い飾りが載る。
顔は横を向く。
輪郭が薄く、消えかかっている。
背景の右に、緑がかった面。
椅子の背らしい形も見える。
紙の左半分は、ほとんど空白である。
そこに、細い文字が二行。
作者の頭文字らしい。
紙の四隅に、小さな穴の跡がある。
画板に留めた針の跡だろう。
挿絵の下絵という仕事
最初の二点について、少し書いておきたい。
いずれも、同じ画家の作である。
そして、いずれも完成した作品ではない。
一点は、インクの線で描かれた素描。
一点は、淡い水彩である。
四隅に、針で留めた跡がある。
つまり、画板に留めて描かれた。
この画家は、書物や雑誌の挿絵で知られた人である。
物語の一場面を描き、それを版にして刷る。
そのための下絵が、まず紙に描かれる。
線の素描は、版にするための最終稿に近い。
水彩は、人物の姿勢や衣を確かめる段階だろう。
年の欄に、疑問符が付いている。
一八八四年から八六年ごろ、と幅を持たせたうえで、疑問符が添えられる。
つまり、その年代も確定していない。
下絵は、日付を書かないことが多い。
売るためのものではないからである。
第十七回で扱った「本画のための頁」と、同じ位置づけである。
そして、こうした下絵が家に残る。
売られなかったからである。
二つの寄贈が、一つの行にまとまる
七十三点のうち、二点だけが別の画家の作だった。
そして、その二点も同じ出所の行を持つ。
同じ寄贈者、同じ年である。
つまり、この寄贈者の家には、二人分の紙が残っていた。
一人は、家族の写生帖。
もう一人は、挿絵画家の下絵。
なぜ後者が家にあったのか。
記録は説明しない。
考えられるのは、交流があったということである。
同じ時代に、同じ地域で活動していた画家どうし。
作品を贈り合うことは、珍しくない。
あるいは、購入したものかもしれない。
いずれにせよ、家に残っていたものが、まとめて動いた。
出所の行は、その内訳を書かない。
作者の欄を数えてはじめて、二人分だと分かる。
一冊の写生帖
残る七点は、すべて同じ帳面から出ている。

横長の小さな頁である。
十三・三掛ける二十一センチ。
そして、ほとんど何も描かれていない。
右上に、手書きの文字が三行ほど。
地名らしい語と、日付が読める。
そして、頁の中ほどに、小さな線の集まりがある。
数センチほどの、ごく淡い形。
建物か、船か、判別しにくい。
残りは、すべて白紙である。
つまり、これは書き込みが主の頁である。
見た場所と日付を記し、簡単な形を添える。
館は、これも一点として登録している。
第十七回で扱った、一冊が百四十八点になる話と同じである。
写生帖という単位
写生帖について、あらためて整理しておきたい。
旅先や野外で、その場の景色を描き留める帳面である。
小さく、持ち運べる。
そして、描いたら次の頁へ進む。
一冊が終われば、次の一冊を買う。
だから、一冊の中身は時系列に並ぶ。
第十七回で、この形式を何度も扱った。
一冊が百四十八点として数えられる例。
同じ写真が二つの番号に付く例。
帳面に番号が振られる例。
いずれも、一冊をどう数えるかという問題だった。
今回の帳面は、枝番の付き方から見て、少なくとも数十頁ある。
そして、その頁ごとに番号が付いている。
一冊のまま数えれば、一件である。
頁ごとに数えれば、数十件になる。
館は、後者を選んだ。
理由は、頁ごとに内容が違うからだろう。
地名が違い、日付が違い、描き込みの量も違う。
一件にまとめると、その差が見えなくなる。
一方、頁ごとに分けると、一冊だったことが見えなくなる。
どちらを取るかという選択である。
描かない頁も、一点になる
七点のうち一点は、ほとんど白紙である。
書き込みと、数センチの淡い形だけ。
それでも、番号が付いている。
これは、頁ごとに数える方式の必然である。
内容の多寡で選別すれば、基準が主観的になる。
だから、すべての頁を同じように扱う。
その結果、白紙に近い頁も一点として数えられる。
第十七回でも、同じ判断を見た。
館の記録は、内容ではなく、物の単位で数える。
そして、その方針は徹底されている。
七十三点のうち、何点が白紙に近いかは分からない。
しかし、少なくとも一点はそうである。
そして、その頁にも、寸法が測られ、技法が書かれている。
紙に鉛筆、十三・三掛ける二十一センチ。
ほかの頁とまったく同じ記述である。
頁ごとに、枝番が付く
番号を見たい。
五〇・一三〇・一五〇のa。
そして、次の頁がb、その次がc。
アルファベットが続く。
さらに、一つの文字を二つ重ねた表記も現れる。
cc、というふうに。
つまり、二十六文字では足りなくなっている。
一冊の頁数が、それだけ多い。
そして、頁の表と裏で、番号が分かれる。
七十三点のうち、二十九点に表、二十点に裏という語が付いている。
第十七回で読んだ、面ごとに数える方式である。
一枚の紙が、二つの番号になる。

こちらは、しっかり描かれている。
画面の左に、丸い塔が立つ。
石を積んだ壁で、上部に狭間が並ぶ。
その右に、家並みが斜面を下る。
屋根が段々に重なる。
中ほどに、細長い鐘楼。
上部に開口があり、鐘が見える。
さらに右にも、塔と壁。
手前には、木立が密に茂る。
葉は、短い線の重なりで表される。
奥に、低い山の輪郭。
鉛筆だけで、これだけの情報が入っている。

木の下の場面である。
画面の上半分に、枝と葉が広がる。
葉は、斜めの線を密に重ねて表される。
その下に、人が数人いる。
いずれも小さく、輪郭だけである。
左端に、一人が立つ。
腰に手を当てているように見える。
中央に、二人が並ぶ。
右にも、座っている人影。
地面は白いままである。
右下に、手書きの文字と日付。
日付が、頁ごとに入る
七点のうち、少なくとも四点に日付らしい書き込みがある。
九月一日。
四月の二十日ごろ。
四月の初め。
つまり、描いた日が頁に記されている。
そして、地名も書かれている。
館の記録の題は、その地名をそのまま採っている。
括弧付きで、写生帖より、と添えられる。
第十七回で扱った、写生帖の頁の題の付け方である。
書かれた地名が、そのまま題になる。
そして、その地名が読み取りにくいときは、疑問符が付く。
九点のうち二点に、疑問符がある。
読めなかった、という表示である。
旅の順に、並んでいる
七点の題を並べたい。
カルパクジェラール。
ラグーサ。
カッタロ。
カッタロの山。
ドゥルチーニョ。
小アジアの海岸。
テネドス島。
いずれも、地中海の東側の地名である。
ラグーサ、カッタロ、ドゥルチーニョは、アドリア海の東岸に並ぶ町である。
北から南へ、順に位置している。
そして、番号もa、b、c、f、gと続く。
つまり、頁の順が旅の順に対応している。
さらに先の頁、ccになると、エーゲ海と小アジアである。
はるかに東へ移動している。
日付を見ると、前半が四月、後半が九月である。
五か月の開きがある。
一冊の帳面が、半年の旅を記録している。
第十七回で読んだ写生帖も、同じ性質を持っていた。
一冊の中で、場所と季節が移り変わる。
そして、そのことは頁を順に並べてはじめて見える。
一点ずつ見ていては分からない。
館の記録が枝番を順に振っていることが、それを可能にしている。
番号の順が、旅の順である。
線が、ごく少ない頁

線がきわめて少ない。
画面の右に、山の稜線が一本。
なだらかに上がり、頂で折れて下る。
その線だけで、山が表される。
内側には、何も描かれていない。
左手前に、小さな建物が二つ。
屋根と壁が、数本の線で示される。
その隣に、人影が一つ。
さらに右にも、細い人影。
地面の線が、画面を横に切る。
そして、右下に手書きの文字。
地名と日付である。
描き込みの量が、前の頁の十分の一もない。
同じ帳面のなかで、頁ごとに手のかけ方が違う。

こちらは、また描き込みが多い。
画面の中央に、岩の台地。
その上に、城壁と建物が並ぶ。
塔がいくつも立つ。
屋根の形が一つずつ描き分けられる。
台地の下は、崖である。
垂直に近い線が、何本も引かれる。
その手前に、橋のような構造。
橋脚が並び、上に道が通る。
さらに手前は、白いままである。
右下に、地名と日付。
日付は二つ書かれているように見える。
同じ場所を二日にわたって描いたのかもしれない。
表と裏で、二点になる

こちらは、鉛筆を寝かせて面で描いている。
画面の上部に、山並みの輪郭。
その内側が、灰色に塗られる。
濃淡が二段ほどある。
山の下に、細い水平線。
そこから下は、海である。
海も、淡い灰色で塗られる。
右下に、手書きの文字。
地名が二つと、日付が読める。
九月一日、一九〇四年。
線ではなく、明暗で描かれた頁である。

前の一点の、裏面である。
番号が、表と裏で分かれている。
そして、こちらには水彩が使われている。
画面の上半分が、空である。
灰色と白が混じり、雲が横に流れる。
下半分は、海。
一様な灰色で、わずかに濃淡がある。
その境目に、細長い陸の影。
右端で、少し盛り上がる。
島である。
輪郭以外、何も描かれていない。
技法の欄も、表とは違う。
表は鉛筆だけ。
裏は鉛筆と水彩。
同じ一枚の紙で、材料が変わっている。
一枚の紙が、二つの番号を持つ
第十七回で、同じ形を扱った。
見開きにまたがって描かれた景色が、面ごとに数えられて重複していた。
今回は、重複ではない。
表と裏に、別々の絵が描かれている。
だから、二つの番号が付く。
物としては一枚。
作品としては二つ。
そして、両方を同時に見ることはできない。
館の記録は、そのことを番号の末尾に書いている。
表、裏。
その一語が、紙の物理的な性質を示している。
手書きの文字を、読む
七点のうち、少なくとも五点に手書きの文字がある。
地名と、日付である。
そして、その文字は流麗な筆記体で、読み取りにくい。
館の記録の題に疑問符が付いているのは、そのためである。
読めた部分だけを写し、確信が持てないところに疑問符を置く。
第十七回でも、同じ扱いを見た。
記録は、読めなかったことを隠さない。
読めなかった、と書く。
そして、後の研究で読めれば、更新される。
疑問符は、そのための印である。
一方、この書き込みは作品の一部でもある。
画面の中に、文字として存在している。
第十六回で扱った、画面のなかの文字である。
ただし、これは鑑賞のための文字ではない。
自分のための覚え書きである。
どこで、いつ描いたか。
後で見返すために書いている。
そして、その私的な覚え書きが、いま作品の題になっている。
書いた本人は、そうなるとは思っていなかっただろう。
描いた人と、渡した人
最後に、この寄贈の性格をまとめたい。
作者は一八二六年から一九〇六年の人である。
そして、写生帖の年は一九〇四年。
つまり、七十八歳ごろの旅の記録である。
地名を並べると、アドリア海の東岸から、エーゲ海、小アジアへと続く。
船で回った旅だろう。
そして、その帳面が家に残った。
四十四年後、家族の一人が館へ渡した。
第三回で読んだ一八七七年の寄贈と、形が似ている。
あちらは、画家の妻が絵を渡した。
こちらは、画家の家族が写生帖を渡した。
いずれも、家に残っていたものである。
そして、いずれも、渡した人の名が出所の行に入っている。
鉛筆と水彩の使い分け
七点の技法の欄を並べたい。
紙に鉛筆が六点。
紙に鉛筆と水彩が一点。
七十三点全体では、素描が五十二点、水彩が二十一点である。
三対一の割合である。
なぜ、鉛筆が多いのか。
野外で描くとき、鉛筆はいちばん手軽である。
道具が一本で済む。
乾く時間も要らない。
風が吹いても、紙が濡れない。
一方、水彩は準備が要る。
絵具、水、筆、そして乾かす時間。
だから、腰を落ち着けて描くときに使う。
九点目が水彩なのは、船上か、宿でのことだろう。
空と海だけの画面である。
輪郭を取る必要がない。
面で塗るなら、水彩のほうが速い。
つまり、主題によって道具を選んでいる。
町並みや建物は、鉛筆で線を取る。
空と海は、水彩で面を作る。
技法の欄の一語が、その判断を記録している。
渡されたものの選び方
この寄贈で興味深いのは、渡されたものの性質である。
完成した油彩画ではない。
写生帖の頁である。
売り物にならないものと言ってもよい。
しかし、館はそれを受け入れ、一頁ずつ番号を付けた。
七十三点である。
なぜか。
一つには、記録として価値があるからだろう。
旅の日付と地名が入っている。
同時代の風景の記録になる。
もう一つには、作者の周辺への関心があったのかもしれない。
同じ姓の画家が、十九世紀後半に知られている。
家族の描いたものにも、その延長で関心が向く。
館の記録は、そこまでは書かない。
書かれているのは、寄贈者の名と、年だけである。
しかし、七十三点という数と、その内容の均質さが、事情を語っている。
次の回では、はるかに大きな寄贈を読みたい。
数千点が一度に館へ入った、二十世紀最大級の遺贈である。
そこには、絵画も、彫刻も、刀装具も含まれている。
そして、その寄贈者の名は、第三回ですでに一度読んでいる。
一八八八年の小さな寄贈である。
四十一年のあいだに、一つの名前がどこまで大きくなるか。
その落差を見たい。
出所の行の年を並べると、そこにも物語がある。
そして、その寄贈は一つの館では収まらなかった。
同じコレクションの名が、別の館の記録にも現れる。
一つの家の持ち物が、二つの国の館に分かれている。
その広がりも、九点から追ってみたい。





