番号が、六つ並んでいる一件——組み合わせの甲冑、メトロポリタン美術館
補ったことを、記録に書く
ここが重要な点である。
館は、この部品が一九一三年に作られたことを隠していない。
年の欄に、はっきり書いている。
作者の名も書いている。
文化の欄も、アメリカと書いている。
そして、独立した番号と独立した記録を与えている。
つまり、この部品は「一件」として登録されている。
甲冑の一部でありながら、それ自体が一つの記録を持つ。
前の回に見た三翼祭壇画では、同じ板が二つの番号で数えられていた。
こちらでは、一領のなかの一部品が、別に数えられている。
数え方が二重になっている。
一領としての記録と、部品としての記録。
両方があるから、どこが新しいかが分かる。
一式のうちの、いくつか

題に「一式甲冑の部品」とある。
一式甲冑とは、一つの基本の甲冑に、取り替え用の部品を多数付けた組である。
馬上の試合、徒歩の試合、野戦。
用途に応じて、部品を付け替える。
もとは、何十もの部品があった。
いま残っているのは、四つである。
胸当て、背当て、右の腿当て、左の腿当て。
枝番のa、b、c、dがそれに当たる。
画像には、上半身の甲冑が写っている。
胸当てと、肩当てと、腰の板。
表面に、縦の帯が何本も走り、模様が刻まれている。
そして、この一件の題には、着るはずだった人の名がある。
ザクセン公クリスティアン一世。
一五六〇年から一五九一年。
三十一歳で没している。
試合のための、補強の板

番号が、飛び飛びである。
d、f、そしてmからpまで。
eとgからlまでが抜けている。
抜けている部品は、別の件になっているのだろう。
あるいは、失われているのかもしれない。
そして寸法の欄に「展示した状態での高さ」とある。
九四センチ。
つまり、部品をどう組み立てるかで、寸法が変わる。
絵画の寸法は、置き方で変わらない。
武具の寸法は、変わる。
だから「展示した状態で」と断る必要がある。
画像には、左胸に丸い赤い板が付いた甲冑が写っている。
その右に、肩を守る大きな板。
下に、腕を守る筒状の部品。
いずれも、試合のときに追加する補強である。

同じ番号の頭を持つ、別の一件である。
二九・一五〇の六のaとb。
前の一点はd、f、mからp。
同じ甲冑の部品が、二つの件に分かれている。
なぜ分けるのか。
兜と、それ以外の補強を分けたのだろう。
分類の欄も違う。
一方は「甲冑の部品」、他方は「兜」。
分類が違えば、件も分かれる。
画像には、横から見た兜が写っている。
顔の前に、大きな面覆いが付いている。
そこに、細い覗き穴が横に走っている。
表面全体に、細かい模様が刻まれている。
首のあたりに、板が重なっている。
重さは三八六六グラム。
四キロ近い。
これを頭にかぶって、馬に乗る。
部分だけが残る

題に「甲冑の部分」とある。
一領ではない。
一部だけである。
枝番はaからdまで、四つ。
画像には、上半身の甲冑が写っている。
胸当てと、肩当てと、腰の短い板。
首の周りに、縁の立った襟。
表面には、金の帯が縦に走り、模様が刻まれている。
そして、この件も題に人の名がある。
ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプア。
一六二七年に没した人物である。
誰のために作られたかが分かっている。
これは、甲冑の記録によく見られる。
注文主の名が、記録に残る。

こちらも、部分だけである。
そして、寸法の欄が空になっている。
数字が一つも書かれていない。
九点のなかで、これだけである。
理由は分からない。
測っていないのか、記入されていないのか。
画像には、腕を守る筒状の部品が写っている。
横に、太い襞が何本も走っている。
服の袖の膨らみを、金属で真似た形である。
これが「装飾甲冑」と呼ばれる作りである。
実戦のためではなく、当時の衣服の形を鋼で写している。
そして、少年用である。
小さい。
番号は、二九・一五八の一二一と三〇四。
離れた二つの番号が、読点でつながれている。
前の回に見た六曲一双の屏風と、同じ書き方である。
別々に受け入れたものを、あとで一件にまとめている。
一領という単位
九点を通して、単位の話をまとめておきたい。
甲冑の一件は、たいてい複数の部品を含む。
枝番のaからpまで、というような形である。
そして、その部品は別々に受け入れられていることがある。
番号が読点でつながれ、出所の行が部品ごとに分かれる。
つまり、一件のなかに複数の来歴がある。
これは、これまで見てきたどの形式より複雑である。
写生帖は、一冊が頁に分かれた。
屏風は、二隻が一件になった。
祭壇画は、三枚が一つの番号にまとまった。
甲冑は、六つ以上の別々の受入が、一領にまとめられている。
分ける方向ではなく、集める方向である。