作品を知る

湯浴みの絵は、上がった後を描く——ドガ・クルーエ・春信ほか九点

湯上りに扇を使う女
磯田湖龍斎《湯上りに扇を使う女》十八世紀後半。館の記録では、木版多色摺(柱絵)・紙。66.4×11.4センチ。番号はJP1711。メトロポリタン美術館蔵。磯田湖龍斎《湯上りに扇を使う女》メトロポリタン美術館蔵

きわめて細長い画面である。

66.4×11.4センチある。

高さは、幅の六倍近い。

これは柱に掛けるための版画である。

上のほうに、格子の窓がある。

格子は赤い。

窓の下に、女が立つ。

女は、こちらへ背を向けかける。

顔は横を向く。

髪は結い上げられる。

首筋が出る。

着物は、肩まで下ろされる。

背中の一部が見える。

右手に、扇がある。

扇を、体のほうへ動かす。

風を送っている。

裾は長く、床に広がる。

布の線は、細かく折れる。

足元に、猫がいる。

猫は小さく、丸まる。

画面の下の端にいる。

細長い画面に、人と猫が縦に並ぶ。

館の記録では、題は湯上りである。

湯も、盥も、描かれていない。

描かれるのは、その後の暑さだけである。

柱絵という形について、書いておきたい。

幅が11センチしかない。

人の体は、その幅に収めるしかない。

だから、体は縦に細く描かれる。

横向きにすれば、幅が要る。

斜めに立たせれば、線が長く取れる。

この絵の女も、やや斜めに立つ。

裾の広がりだけが、幅いっぱいになる。

上の格子と、下の猫が画面を留める。

細長い紙は、貼る場所も限られる。

柱に貼れば、狭い部屋でも飾れる。

形が、使い方から決まっている。

縁側に出た娘が、鉢を見る

五点目も、版画である。

撫子の鉢を見る娘
鈴木春信《撫子の鉢を見る娘》1767年ごろ。館の記録では、木版多色摺、空摺。紙は27×19.2センチ。番号は1985.304。クリーヴランド美術館蔵。鈴木春信《撫子の鉢を見る娘》クリーヴランド美術館蔵

縦長の紙である。

紙は27×19.2センチある。

画面の右に、家の柱と縁側がある。

床板は灰色で、線が引かれる。

上に、風鈴が下がる。

風鈴には、短冊が結ばれる。

短冊は、風で揺れている。

左には、水辺がある。

草が生え、葉が立つ。

館の記録では、そこに花が咲く。

画面の中央に、娘が立つ。

娘は横を向く。

着物は白く、裾が長い。

袖は肩から落ちかける。

首と胸元が、少し見える。

髪は結い上げられる。

視線は、下へ向く。

その先に、鉢がある。

鉢は小さく、床に置かれる。

中に、細い花がある。

撫子である。

館の記録では、娘は湯から上がったところである。

そして、縁側に出て鉢を見ている。

館は、そう説明している。

つまり、この絵も湯上りである。

題には、湯の語がない。

館の記録では、これは四枚組の一枚である。

四季の花を当てた組だという。

この一枚は、夏にあたる。

撫子が、その季節の花である。

風鈴も、短冊も、夏のしるしである。

湯上りは、暑さを示す場面でもある。

館は、この画家についても書く。

色ごとに版木を分けた最初の人だという。

その方法で刷った版画は、錦絵と呼ばれた。

織物の錦に、似ているからである。

この絵には、空摺も使われる。

色を付けない版木で、紙に凹凸を作る。

水の波と花に、その凹凸がある。

布に包まれた子と、母がいる

六点目は、パステルである。

入浴の後
メアリー・カサット《入浴の後》1901年。館の記録では、パステル。紙は66×100センチ。番号は1920.379。クリーヴランド美術館蔵。メアリー・カサット《入浴の後》クリーヴランド美術館蔵

横長の紙である。

紙は66×100センチある。

背景は、明るい緑である。

色は塗り残しが多い。

紙の地が、ところどころ見える。

画面の中央に、女がいる。

女は、こちらを向く。

髪は暗い色で、まとめられる。

顔だけが、細かく描かれる。

目も、口も、輪郭がはっきりする。

女の右腕は、前へ回る。

その腕に、子が抱かれる。

子は裸である。

体には、白い布が巻かれる。

布は厚く、皺が寄る。

子の髪は明るい。

顔は女のほうを向く。

画面の右に、もう一人の子がいる。

その子は、橙色の服を着る。

女の肩に、手を掛ける。

三人の体は、近く重なる。

館の記録では、この画家は顔だけを細かく描いた。

ほかの部分は、粗いままにしたという。

たしかに、服と背景の線は速い。

館の記録では、この画家はパステルを長く使った。

七十年代から、試し続けたという。

そして、こう言ったと館は書く。

パステルは、子を描くのにいちばん良い。

子は長く座っていられないからである。

速く描ける材料が、要る。

紙は大きい。

幅は一メートルある。

その上を、色の棒が走る。

線の跡が、そのまま残る。

塗り重ねると、色が濁る。

重ねずに、隣に置く。

緑の背景も、点や線の集まりである。

黒い木立の下に、白い人がいる

七点目は、大きな油彩である。

湯浴みのあと
チャールズ・ウォルター・ステットソン《湯浴みのあと》1910年。館の記録では、油彩・カンヴァス。172.5×101センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。チャールズ・ウォルター・ステットソン《湯浴みのあと》スミソニアン協会蔵

縦長の画面である。

172.5×101センチある。

人の背丈ほどの高さがある。

画面の上のほうは、空である。

空は明るい青である。

雲は薄い。

その手前に、木が並ぶ。

木は細く、まっすぐ高い。

幹は暗く、ほとんど黒に見える。

葉は上に固まる。

木は五、六本ある。

木のあいだから、遠い山が見える。

山は青灰色である。

画面の下は、水である。

水は暗く、木を映す。

映った像は、黒く伸びる。

水際に、人が立つ。

人は白い。

大きさは、画面の十分の一もない。

顔も、姿勢も分かりにくい。

布を体に当てているように見える。

題は湯浴みのあとである。

しかし、画面の主役は木と水である。

人は、その中の小さな明るい点でしかない。

画面の分け方を見る。

上から三分の二が、木と空である。

下の三分の一が、水である。

人は、そのちょうど境目にいる。

境目に置かれると、目が留まる。

小さくても、見落とされない。

木の黒と水の黒が、上下で対になる。

そのあいだにだけ、明るい草地がある。

人は、その明るい帯の上にいる。

色の設計が、人の位置を決めている。

館の記録では、制作は1910年である。

題は、湯浴みのあととされる。

しかし場所は、家の中ではない。