湯浴みの絵は、上がった後を描く——ドガ・クルーエ・春信ほか九点
湯が熱くて、跳び上がる
八点目は、石版画である。

横長の画面である。
画面は21.3×27.2センチある。
線は黒く、太い。
背景は、灰色に塗られる。
画面の中央に、湯船がある。
湯船は長く、四角い。
縁が高い。
その中に、男がいる。
男は、体を縮める。
膝を胸まで引き上げる。
背中は丸い。
頭には、白い布が巻かれる。
顔は、口を大きく開ける。
目も見開かれる。
叫んでいる。
湯気は描かれない。
右に、椅子がある。
椅子には、黒い服が掛かる。
床には、靴が二つ置かれる。
長靴と、短い靴である。
画面の下に、文字が刷られる。
館の記録では、これは連作の十二枚目である。
連作の題は、浴びる人たちという。
これは、湯に入っている一点である。
刷られた文字にも、意味がある。
上には、連作の題と番号がある。
下には、この一枚の題が入る。
さらに、台詞らしい一行が続く。
館の記録は、その文面も控えている。
石版画は、新聞や雑誌で使われた。
絵と文字を、同じ石に描ける。
刷る手間が少なく、数を作れる。
だから、笑いの絵に向いていた。
この一枚も、笑わせるために作られている。
熱い湯に入った人の、最初の一瞬である。
九点のうち、声が聞こえそうなのは、この一点だけである。
浜に、海水浴の小屋が並ぶ
九点目は、写真である。

横長の写真である。
画面は30.8×39.1センチある。
全体が褐色である。
画面の上半分は、海と空である。
空は白く飛ぶ。
海は薄い灰色である。
水平線は、まっすぐである。
左に、丘が張り出す。
丘の上には、建物が並ぶ。
下は崖である。
画面の中央から右に、浜が続く。
浜には、細長い小屋が並ぶ。
小屋は木造で、屋根が低い。
十棟以上ある。
その手前に、柵のような列がある。
人は、小さく写る。
数人が、浜に立つ。
顔は分からない。
海に入っている人は、見えない。
館の記録では、これは海水浴場と旅館である。
ある海岸の町の水際を占めていたという。
館は、こうも書く。
同じ浜を描いた画家は、これを避けた。
写真は、その年の現在を写している。
館の記録は、そう説明している。
写真の技法についても書いておく。
原板は、ガラスに薬を塗ったものである。
そこから、鶏卵を使った紙に焼く。
卵白は、紙の表面を滑らかにする。
細かい部分まで、像が残る。
この一枚では、小屋の板の目まで見える。
空が白いのは、明るさの差が大きいためである。
海と空を同時に写すのは難しい。
この写真家は、その工夫でも知られる。
館の記録は、裏の書き込みも控えている。
鉛筆の数字と、インクの数字である。
写真にも、番号が付けられていた。
数えてみると
九点を並べ直す。
湯や水に、体を入れている人がいるのは、二点である。
湯槽の貴婦人と、叫んでいる男である。
盥から出ようとしているのが、一点である。
湯上りの場面は、四点である。
薄物の女、扇の女、縁側の娘、木立の人である。
入浴の後を題に置くのは、三点である。
湯にも人にも触れない一点が、残る。
浜の写真である。
もう一つ数える。
九点のうち、湯や盥が描かれるのは、三点である。
残る六点には、道具が写らない。
湯上りの絵は、湯を描かない。
人の数でも分かれる。
一人だけが、四点である。
二人が二点、三人以上が二点である。
さらに数える。
九点のうち、こちらを見る人がいるのは、二点である。
湯槽の貴婦人と、子を抱く母である。
残る七点では、視線が合わない。
技法でも数える。
版画が三点、油彩が二点である。
パステルが一点、掛幅が一点、写真が一点である。
色の付かない絵は、版画二点と写真一点である。
屋内が六点、屋外が三点である。
屋外の三点では、湯の道具が一つも写らない。
年でも並べてみる。
十六世紀が一点、十八世紀が三点である。
十九世紀が三点、二十世紀が二点である。
三百年以上の幅がある。
それでも、湯上りを選ぶ点は変わらない。
布については、動く布で扱った。
言えることと、言えないこと
言えるのは、湯浴みの絵が前後を描くということである。
湯に入っている絵は、二点しかなかった。
多くは、上がった後である。
扇を使い、鉢を見て、布に包まれている。
湯そのものは、画面の外にある。
外にあるから、部屋や庭が描ける。
湯浴みは、暮らしの中の切れ目として使われている。
言えないのは、湯浴みの絵が体の絵だという話である。
九点のうち、体が大きく描かれるのは四点である。
一点では、人は十分の一以下の白い点だった。
一点には、人が数人写るだけである。
一点では、湯船の男が顔だけを見せる。
体を描かない湯浴みの絵が、いくつもある。
画面に落ちる影については、落ちる影で扱った。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
ドガの版画では、二人ともこちらを見ていない。
館は、それを覗く位置と書いた。
見られていることを、絵の中の人は知らない。
九点を数え終えて残るのは、その落差である。
こちらを見る人は、二点しかいなかった。
残る七点は、見られていることを知らないまま置かれている。
知らないままの姿を、絵は残している。
湯上りが多いのは、そのためかもしれない。
湯に入っている最中は、扉の内側である。
上がった後なら、部屋にも縁側にも出られる。
出たところで、絵に入る。
九点は、その境目を選んで並んでいる。
境目の絵だから、道具が要らない。
盥も湯気も、なくてよい。
髪の濡れ方と、着物の落ち方で足りる。
九点のうち六点は、その二つだけで湯を示していた。
示すのに要るものは、思ったより少ない。
残りは、部屋や庭に使われている。
湯浴みの絵の大半は、部屋の絵でもある。
九点は、そのことを揃って示していた。









