作品を知る

影は、どちらへ伸びているか——欧米絵画・版画・素描ほか九点

影の向きは、光の向きの裏返しである。だから、影を見れば、太陽の位置が分かる。九点で、影の長さと方向を測りたい。影をまったく描かない絵も、そのなかに混じる。影の色を何色で塗るかも、九点で分かれている。黒で塗る例は少ない。

ローマ、パンテオンの内部
ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ《ローマ、パンテオンの内部》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

光は、どこから入るか

前の回で、火という語で記録を絞った。

そして、語の一致が意味の一致ではないことを見た。

今回は、室内である。

館の記録で、室内と分類されたものを集めた。

九点のうち、七点は建物の中である。

残る二点は、森の中である。

森の内部も、同じ語で呼ばれている。

そのことも、あとで書きたい。

まずは、室内に光がどこから入るかを見ていく。

窓、戸口、天井、そして屋根のない場所。

入口が変われば、絵の作りが変わる。

ローマ、パンテオンの内部
ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ《ローマ、パンテオンの内部》1734年ごろ。館の記録では、布に油彩。128×99センチ。額を含めて144.1×114.3センチ。番号は1939.1.24。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ《ローマ、パンテオンの内部》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

第十八回で読んだクレス・コレクションの、一点である。

縦長の画面である。

上半分に、巨大な丸屋根が広がる。

内側に、四角い窪みが同心円状に並ぶ。

奥へ行くほど小さくなる。

そして、その中心に、円い穴が開いている。

そこだけが青い。

空である。

雲が見える。

穴の縁が、白く光っている。

下半分は、円い床である。

模様のある石が敷かれる。

まわりを、太い柱が囲む。

黄色みを帯びた石である。

柱のあいだに、祭壇や像が並ぶ。

床には、人が三十人以上いる。

赤、青、黄の衣で、いずれも小さい。

室内画という分野

室内を描いた絵には、長い歴史がある。

そして、その目的はいくつかに分かれる。

一つは、建物そのものを見せる絵である。

パンテオンの一点が、それにあたる。

柱の数、丸屋根の作り、窓の位置。

建築の記録として作られている。

二つ目は、そこにいる人を見せる絵である。

ロンギの訪問や、国勢調査の場面。

部屋は、人物を置くための箱である。

三つ目は、意味を持たせる絵である。

フェルメールの一点が、それである。

床の市松、吊るされた球、掛かった絵。

一つずつが、何かを指している。

そして四つ目が、光そのものを見せる絵である。

温室の一点が、それに近い。

九点を並べると、この四つが混じっている。

同じ「室内」でも、描く理由がまるで違う。

そして、その違いが構図に出る。

建築を見せる絵では、部屋の全体が入る。

人を見せる絵では、部屋の一部しか描かれない。

天井の穴から、光が落ちる

この建物には、窓がない。

光は、天井の円い穴からだけ入る。

つまり、光源が一つである。

そして、真上から落ちる。

その結果、床に円い明かりの帯ができる。

時刻によって、その位置が動く。

この絵では、床の右手が明るい。

つまり、光が斜めに差している。

真上ではない。

正午でも、真夜中でもない時刻である。

第十二回で、光源の位置が影の向きを決めると書いた。

ここでは、明かりの位置が時刻を語っている。

穴が、絵の中心になる

構図の上でも、この穴が中心である。

丸屋根の窪みが、同心円状に並ぶ。

その線が、すべて穴へ集まる。

第四回で、道の線が一点に集まると書いた。

同じ仕組みが、天井で起きている。

そして、その一点だけが青い。

まわりは、灰色と黄土色である。

色の対比でも、そこが中心になる。

つまり、明るさ、線の集中、色の対比。

三つが同じ一点に重なっている。

ポツダム近郊クジャク島の椰子温室の内部
カール・ブレッヘン《ポツダム近郊クジャク島の椰子温室の内部》1834年。館の記録では、布に油彩。135×126センチ。額を含めて155×145.5センチ。番号は1996.388。ドイツ。シカゴ美術館蔵。カール・ブレッヒェン《ポツダム近郊クジャク島の椰子温室の内部》シカゴ美術館蔵

こちらは、光がどこからでも入る。

温室だからである。

屋根も壁も、ガラスである。

画面の左に、柱が並ぶ。

青と白の模様が付いている。

その柱のあいだに、蔓が絡む。

中央から右にかけて、椰子の葉が広がる。

大きく、細長い葉が何枚も重なる。

濃い緑である。

その奥に、水と、さらに植物。

床は、白い石の通路である。

そこに、赤い敷物が敷かれている。

上に、人が二人。

一人は横たわり、一人は座る。

明るい衣を着ている。

影が、画面の大半を占める

光がどこからでも入るなら、影はできないはずである。

しかし、この絵は暗い。

葉が光を遮っているからである。

つまり、影を作っているのは建物ではなく、植物である。

そして、その影が緑がかっている。

葉を透けた光が、緑を帯びるからである。

第九回で、雪の影が青くなると書いた。

影の色は、そこに届く光の色になる。

葉を通れば緑、空からなら青。

この一点では、緑の影が画面の大半を占める。

そして、床の通路だけが明るい。

明暗の差が、奥行を作っている。

窓は、左にある

カトリックの信仰の寓意
ヨハネス・フェルメール《カトリックの信仰の寓意》1670年から72年ごろ。館の記録では、布に油彩。114.3×88.9センチ。番号は32.100.18。メトロポリタン美術館蔵。ヨハネス・フェルメール《カトリックの信仰の寓意》メトロポリタン美術館蔵

縦長の室内画である。

画面の左手前に、大きな織物が垂れている。

金と青と赤の文様が入る。

その織物が、左へめくり上げられている。

見る人は、その隙間から室内を覗く形になる。

床は、黒と白の市松である。

奥へ向かって、菱形に見える。

中央に、女性が座る。

白い衣に、青い上着。

右手を胸に当て、顔を上げる。

足もとに、地球儀と、蛇と、石。

背後の壁に、大きな絵が掛かる。

十字架の場面である。

その手前の卓に、金の器と、開いた本。

そして、画面の上、左寄りに、透明な球が吊るされている。

球が、部屋を映す

この球は、ガラスである。

そして、その表面に部屋が映っている。

窓の形も見える。

つまり、画面に描かれていない窓が、球に写っている。

第八回で、水が上のものを映すと書いた。

球も同じである。

丸いので、部屋の全体が歪んで写る。

そして、その映り込みが光源の位置を教える。

窓は、画面の左にある。

だから、人物の左半身が明るい。

床の市松も、左から光が来ている。

十七世紀のオランダの室内画では、窓が左にあることが多い。

右利きの画家が描きやすいからだとも言われる。

館の記録は、そこまでは書かない。

技法の欄に、布に油彩とあるだけである。