表に金、裏に金なし——狩野派、英一蝶ほか両面のある屏風

金の地に、三人の人物がいる。
左に、扇のようなものを掲げた女性と、小さな子ども。
右に、坐って絵を描く人物。
膝の上に画帖を広げ、筆を持っている。
これは、肖像を描いている場面である。
つまり、絵の中で絵が描かれている。
作者の欄には、音写された名と没年だけがある。
漢字での表記は、当サイトでも確認できていない。
したがって、ここでは音写のままにしておく。
同じ番号の頭を持つ二点
九点のうち二点は、番号の頭が同じである。
五七・一五六の一と、五七・一五六の三。
円山応挙の二曲と、酒井抱一の二曲である。
作者も年代も違う。
一七七三年と一八一六年。
四十年以上の隔たりがある。
それでも、同じ受入の番号のなかにある。
つまり、一九五七年に、まとめて館へ入った。
二には別の作品があるのだろう。
同じ持ち主が、二曲の屏風を何点か持っていたということである。
低い二曲屏風を集める人がいた、ということかもしれない。
もっとも、館の記録は出所を詳しく書いていない。
推測はここまでにしておく。
番号の頭が同じであるという事実だけが、二点を結んでいる。
前の回にも、番号の頭で組を見分ける話をした。
写生帖の頁、絵本の丁、対の肖像。
いずれも、頭が同じであることが手がかりになった。
ここでは、組ではないが、同じ経路で来たことが分かる。
番号は、そこまでは教えてくれる。
屏風の一面だけが残る

分類の欄が「屏風の一面」となっている。
屏風そのものではない。
その一面だけである。
縦九二・一センチ、横三一センチ。
細長い。
面が縦長で、幅が三十センチほどということは、もとの屏風は面数が多かっただろう。
八曲か、十曲か。
朝鮮では、多くの面を持つ屏風が作られた。
画面には、牡丹の花と、蝶が描かれている。
下に大きな花、上に蝶が数匹。
蝶は、羽の模様まで描き分けられている。
そして、この一面はいま平らに仕立てられている。
画像では、周囲に白い縁が見える。
屏風の一面だったものが、掛けるか置くかできる形になっている。
前の回に見た「掛軸に仕立てられた屏風の二面」と、似た経過だろう。
面が外され、別の形になる。
家具に分類された、絵

九点でいちばん変わった一件である。
まず、分類が「家具」になっている。
絵画ではない。
そして技法の欄は「木の枠に嵌めた大理石」。
描かれた絵ではない。
石そのものの模様である。
大理石には、自然にできた縞や斑がある。
その模様が、山水に見えることがある。
中国では、そういう石を選んで枠に嵌め、鑑賞する習慣があった。
画像を見ると、赤茶の木枠のなかに、白と灰色の石がある。
石の上部に、灰色の連なりがある。
山のようにも見える。
そして、その左に細かい文字が刻まれている。
題は《卓上屏風、壁掛けに改められたもの》である。
もとは、机の上に置く小さな屏風だった。
それが、壁に掛けるものに作り替えられている。
画像の上部に、掛けるための金具が二つ見える。
作り替えられた痕跡が、そのまま写っている。
低い屏風は、何のためか
九点のうち、縦が一メートルに満たないものが三点ある。
五〇・六センチ。五五・九センチが二点。
床に置いても、座った人の目より低い。
こういう屏風には、いくつかの用途がある。
寝るときに枕元に立て、風を遮る。
茶席の隅に置き、道具の背景にする。
床の間の前に置き、掛軸の下を締める。
いずれも、目立たせるためではない。
そして、低い屏風の絵には共通の作りがある。
余白が広い。
俵屋宗理の朝顔は、蔓が上から垂れているだけである。
画面の下半分は、何も描かれていない。
円山応挙の巌と波も、画面の左右に大きな余白がある。
低い位置に置かれるものは、見上げられない。
見下ろされる。
だから、上のほうに主要なものを置き、下を空ける。
高さと構図が、直接に結びついている。
縁の幅を、数字から読む
寸法の欄が二段になっているのは、九点のうち三点である。
画面と、縁を含めた全体。
その差を計算すると、縁の幅が出る。
円山応挙の一点では、縦の差が一八・四センチ。
上下に分ければ、一辺あたり約九センチ。
横の差は五二・四センチだが、これには理由がある。
二曲の屏風なら、面と面のあいだにも枠がある。
左右の外側と、中央の二本ぶん。
合わせて四本ぶんの幅が、横の差に含まれる。
一本あたり約十三センチである。
酒井抱一の一点では、縦の差が一九・二センチ、横の差が一八・八センチ。
こちらは、横の差が小さい。
画面の寸法の測り方が違うのだろう。
同じ館の同じ分類でも、測る範囲がそろっていない。
前の回にも、同じような揺れを見た。
数字を比べるときは、何を測ったのかを確かめる必要がある。