画家を知る

ペンとインクで、運河を引く——アンドリュー・フィッシャー・バナー

木を、一本だけ描く

風景画では、木は背景の一部であることが多い。

しかし、この二点では木そのものが主題である。

背景は白く、地面もほとんど描かれない。

つまり、木の肖像である。

こうした素描は、風景画の準備として描かれる。

大きな絵の中に木を置くとき、形を知っている必要がある。

枝の分かれ方、幹の傾き、葉の茂り。

一本ずつ観察して、帖に残しておく。

木の素描は、画家の資産である。

種類を、描き分ける

八点目と九点目を比べると、葉の形が違う。

一方は、鉤形の細かい線。

他方は、丸みのある小さな塊。

つまり、木の種類ごとに記号を変えている。

楓と柳では、葉の形も茂り方も違う。

その差を、線の形で示す。

風景画家にとって、これは基本の技術である。

木を見分けられなければ、土地が描けない。

曲がった幹

九点目を見たい。

柳、ベルポート、ロング・アイランド
アンドリュー・フィッシャー・バナー《柳、ベルポート、ロング・アイランド》1880年。黒インクと鉛筆の跡、生成りの紙。縦34.4センチ、横24.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。アンドリュー・フィッシャー・バナー《柳、ベルポート、ロング・アイランド》メトロポリタン美術館蔵

太い幹が、左へ大きく傾く。

幹の表面には、縦の線が密に入る。

樹皮の裂け目である。

上部で、枝が四方へ広がる。

葉は、丸みのある塊として描かれる。

右下には、細い枝が垂れる。

左奥には、小さな帆船が見える。

つまり、海の近くである。

下部に、題名と日付がある。

幹の皮を、描く

この一枚の見どころは、幹である。

縦の線が、幹の形に沿って曲がる。

線が密なところが、影になる。

疎なところが、光の当たる面になる。

つまり、線の密度で円柱を表している。

木の幹は、素描の練習の定番である。

円柱に、複雑な表面の模様がついている。

線だけで描くには、ちょうどよい難しさである。

九点の年代

九点の年代を並べてみたい。

一八七六年が二点、一八七九年、一八八〇年。

一八八三年が三点、一八八五年が二点。

つまり、十年ほどに散っている。

そして、場所も分かれる。

ドイツと牢の塔が一八七六年。

米国の木が一八七九年と一八八〇年。

ヴェネツィアが一八八三年と一八八五年。

旅の時期が、年代から読み取れる。

縦横の使い分け

九点の紙の向きを確かめたい。

縦長が五点、横長が四点である。

そして、主題によって向きが決まっている。

高い鐘楼や木は縦、水面の広がりや町並みは横。

対象の形に、画面を合わせている。

紙は自由に切れるし、向きも選べる。

写生では、この自由が効く。

油彩では、画布を張った時点で向きが決まる。

素描のほうが、対象に合わせやすい。

素描の日付が語ること

日付が入っている素描は、資料になる。

いつ、どこにいたかが分かるからである。

画家の伝記が乏しくても、素描が行程を教える。

九点のうち、日付が読めるものが複数ある。

そこから、少なくとも二度の欧州滞在が推測できる。

一八七六年ごろと、一八八三年から八五年ごろ。

もっとも、九点だけでは断定できない。

同じ画家の他の素描と合わせて、初めて分かることである。

素描を、作品として売る

十九世紀後半には、素描も作品として売られた。

ペン画は、とくに人気があった。

印刷物の挿絵に使いやすいためである。

雑誌や書籍の図版は、線で描かれたものが向く。

写真製版の技術が普及するにつれ、ペン画の需要が増えた。

つまり、これらの素描は習作とは限らない。

売るため、あるいは印刷のために描かれた可能性もある。

紙の縁が整えられているものもある。

縁の処理を、見る

九点の紙の縁を見比べてほしい。

ぎざぎざに切られたもの。

まっすぐ切られたもの。

そして、手で裂いたような縁のもの。

これは、紙の作られ方と、後の処理による。

手漉きの紙は、縁が自然に不揃いになる。

その縁を残すのは、装飾としての選択でもある。

額に入れるとき、この縁が見えるように仕立てる。

素描を作品として扱う姿勢が、そこに表れる。

署名と、題名

九点には、いずれも下部に文字がある。

題名、場所、日付、そして署名らしき文字。

つまり、描いた後に整えている。

現場の走り書きではなく、仕上げられた素描である。

このことも、売るための絵だった可能性を支える。

一方で、書き込みが記録として役立つのも事実である。

館の題も、この書き込みに従っている。

白と黒だけの絵

九点は、いずれも白と黒だけである。

色がない。

にもかかわらず、光の強さが伝わる。

南の町の日差し、北の町の曇り、海辺の明るさ。

いずれも、線の密度と白の残し方で示されている。

色を使わないことは、制約ではない。

線と余白に、判断が集中する。

そのぶん、判断の跡がよく見える。

一八九九年という受け入れ年

九点は、一八九九年に館へ入っている。

画家の没後二年である。

メトロポリタン美術館の設立から、三十年ほど後にあたる。

この時期、館は米国の画家の作品を集めはじめていた。

遺族からの寄贈は、その主な経路である。

素描は、売却より寄贈に向く。

まとまった数を、一度に引き受けられるからである。

九点も、その一部である。

額装と、展示

素描は、光に弱い。

インクは比較的丈夫だが、紙が変色する。

だから、長期の展示には向かない。

美術館では、期間を区切って展示するのが通例である。

そのぶん、公開画像の役割が大きくなる。

いつでも、九点を並べて見られる。

一方で、紙の質感や、インクの艶は伝わらない。

実物では、線がわずかに盛り上がって見えるはずである。

画像で見えるのは、形だけである。

九点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

九点の白い部分を、順に見比べてほしい。

空、壁、水面、紙の地。

いずれも、線を引かなかった場所である。

つまり、描かなかった場所である。

ペン画では、この選択が絵を決める。

どこを描き、どこを残すか。

線を足すことより、残すことのほうが難しい。

九点の余白の広さを見ていくと、その判断が読める。

白い場所こそ、この画家の見せ場である。

線を引かない勇気が、そこに要る。

九点は、その決断の記録でもある。

まず余白を見て、それから線を追ってほしい。

順序を変えるだけで、絵の見え方が変わる。

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