画家を知る

セザンヌのテーブルは、なぜつながっていないのか

リンゴは、なぜ転がらないのか

セザンヌの果物は、置かれているというより、埋まっている。

《リンゴの皿》を見てほしい。皿の上のリンゴは、互いに押し合って動かない。手前に転がり出た一個も、テーブルに沈み込んで見える。

理由のひとつは、輪郭の描き方にある。

小さな一枚を拡大して見ると分かりやすい。

三つの梨
《三つの梨》1878〜79年ごろ。縦20センチほどの小品。梨の輪郭は青と黒でなぞられ、地の茶色は塗り残されている。ポール・セザンヌ《三つの梨》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

梨の縁には、青や黒の線が引かれている。しかも一本ではない。

同じ縁に沿って、二本、三本と線が重なっている。どれが本当の輪郭なのか決めていない。

輪郭が揺れると、形は硬くならない。かわりに、その揺れの内側に重さが溜まる。

面の塗り方も独特である。梨の表面は、平行に傾いた短い筆で埋められている。

一方向に揃った筆の跡が、面をつくる。この積み方は、後年ますますはっきりしていく。

そして地の部分。背景の茶色は、下塗りのまま残されている。絵具を置いていない場所がある。

塗り残しは、当時の基準では未完成を意味した。セザンヌはそれを画面に残したまま手を止めている。

印象派の筆と、どこが違うのか

短い筆を並べる、という点だけを見れば、印象派の画家たちと同じに見える。

実際、セザンヌは1872年から74年ごろ、パリ北西のポントワーズ近辺でカミーユ・ピサロと並んで戸外制作をしている。この時期に、黒っぽい絵具の使い方を捨て、明るい色に切り替えた。

しかし筆の役割が違う。

モネの筆は、光の変化を写し取るために置かれている。空気の状態、時刻、天候。動いているものを捕まえるための筆である。

セザンヌの筆は、面をつくるために置かれている。傾きの揃った短い筆が集まって、ひとつの平面をなす。その平面が組み合わさって、塊ができる。

だから彼の絵からは、時刻が読み取りにくい。朝なのか夕方なのか、たいていの場合わからない。

かわりに、ものがどれくらいの重さでそこにあるかが、はっきりする。

印象派が捉えようとしたのが「見えたその瞬間」だとすれば、セザンヌが捉えようとしたのは「見え続けているもの」だった、と言い換えてもよい。

ピサロとの関係は、師弟というより共同研究に近かったらしい。二人は同じ場所に並んで画架を立て、同じ景色を描いている。

年上のピサロは、後年になっても彼を高く評価し続けた。周囲がまだ相手にしていない時期から、この人は違うと言っていた数少ない一人である。

その意味で、セザンヌは完全な孤立者ではなかった。売れないだけで、見ている人は見ていた。

塗り残しは、水彩から来ている

塗り残しについて、もう少し書いておきたい。

セザンヌは晩年、水彩を大量に描いた。水彩は、紙の白を残すことで明るさをつくる技法である。塗らない場所が、そのまま光になる。

その扱いを、油彩に持ち込んだ形跡がある。

ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山
《ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山》1887年ごろ。生成りの地がそのまま空になっている。山の稜線は数本の線で置かれただけである。ポール・セザンヌ《ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この一枚では、画面の半分近くが下地のままである。空も、山肌の一部も、絵具で覆われていない。

にもかかわらず、南仏の乾いた強い光がそこにある。塗っていないことが、明るさとして働いている。

山の稜線は、青い線で二、三本引かれただけ。輪郭を決めきらない態度は、ここでも変わらない。

この山——サント=ヴィクトワール山を、セザンヌは油彩と水彩を合わせて数十点描いている。同じ対象を繰り返し描く画家だった。

見る位置を、ひとつに決めない

もう一枚、ずれの分かりやすい例を挙げる。

ミルク入れと果物のある静物
《ミルク入れと果物のある静物》1900年ごろ。手前は簞笥の引き出し。その上にミルク入れ、グラス、果物を盛った白い皿。ポール・セザンヌ《ミルク入れと果物のある静物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

白い皿は、上から見下ろしている。楕円が大きく開いている。

ところが簞笥の前面は、ほぼ正面から見ている。引き出しの取っ手が、真正面を向いている。

さらに右端では、簞笥の縁が奥へ向かって急に折れる。

一枚の中に、少なくとも三つの見る位置が同居している。

さらに細かく見ると、ミルク入れの筒も垂直に立っていない。上端の楕円と、胴の輪郭の傾きが合わない。

左手前に転がる二つのオレンジは、ほとんど真上から見た円である。その隣の白い皿の縁は、途中で角度を変えている。

どれか一つを「正しい」ほうに合わせれば、他が壊れる。だから合わせていない。

これは、対象のまわりを歩きながら見た記憶を、一枚に畳んだ状態に近い。

人はものを見るとき、頭を動かさずにいることはない。皿を覗き込み、瓶を見上げ、また下がる。

その複数の見え方を、平均せずに残す。セザンヌがやったのは、たぶんそういうことである。

ただし、これは後世の説明である。本人が「複数視点を採用した」と書き残しているわけではない。ここは留保しておきたい。

「円筒、球、円錐」の誤解

セザンヌの言葉として最も有名なのは、画家エミール・ベルナールに宛てた1904年4月15日付の手紙の一節だろう。

自然を円筒、球、円錐で扱いなさい、という趣旨の助言である。

この一文は、後にキュビスムの予告として繰り返し引用された。だが手紙の続きを読むと、話はもう少し地味である。

セザンヌはそのあとで、面を正しく置けば、消失点へ向かって奥行きが立ち上がる、という遠近の話をしている。

つまり幾何学の形に還元せよ、という宣言ではない。塊としてまず掴め、という制作上の助言に近い。

翌1905年10月の手紙では、同じ相手にこう書いている。私はあなたに絵画における真実を負っている、そしてそれをあなたに言おう、と。

言い切ってはいない。負っている、と書いている。

この人の絵が最後まで完結しないのは、この態度と無関係ではないと考えたい。