画家を知る

セザンヌのテーブルは、なぜつながっていないのか

静物という実験室

なぜ静物だったのか。

理由は身も蓋もない。リンゴは動かないからである。

セザンヌの制作は遅かった。画商ヴォラールは、自分の肖像画のために百回を超えて坐らされたと回想している。回想録の記述なので数字は割り引いて読むべきだが、異常な遅さだったことは複数の証言が一致している。

そして、果物は腐る。制作の途中で果物が傷んでしまうため、造花や蝋の果物を使ったという話も伝わっている。

対象が動かないこと。何度でも同じ配置に戻せること。静物は、その条件を満たす唯一の主題だった。

もうひとつ、リンゴという果物そのものについての逸話も伝わっている。

少年時代のエクスの中学校で、いじめられていた同級生をセザンヌがかばった。翌日、その同級生が礼にリンゴをひと籠持ってきた——という話である。

同級生の名は、のちの小説家エミール・ゾラだという。二人は長く親友で、1886年にゾラが画家を主人公にした小説を出したのを境に、関係が切れたと伝えられる。

ただしこのリンゴの逸話は、後年の回想として語られたものである。事実の確認は難しい。信じるかどうかは読む人に委ねたい。

確かなのは、彼が数十年にわたって、飽きもせずリンゴを描き続けたという結果のほうである。

条件を固定して、変数だけを動かす。ここまで来ると、モネが同じ麦の山を何度も描いた話と似てくる。

ただし方向が逆である。モネが固定したのは対象で、動かしたのは光だった。詳しくは連作のコラムで扱っている。

セザンヌが動かしたのは、見る位置と、面の置き方である。光は、むしろ二の次に見える。

ペパーミントの瓶
《ペパーミントの瓶》1893〜95年ごろ。青い模様の布が波打ち、その上に瓶、ガラスの水差し、白い布、果物が載っている。ポール・セザンヌ《ペパーミントの瓶》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

《ペパーミントの瓶》では、布が主役を食っている。

青い模様の布は、うねって渦を巻き、果物より強い形になっている。

背景は緑の壁で、腰の高さに横木が一本走る。この横線が、画面を上下に締めている。

ガラスの水差しは透けているのに、向こう側の布の模様は素直に透けていない。

透明なものをどう描くか、という問題に、セザンヌは正直に手こずっている。手こずった跡が、そのまま残っている。

人も、静物のように

同じ方法は、人物にも適用された。

赤いチョッキの少年
《赤いチョッキの少年》1888〜90年ごろ。左右にカーテンが下がり、その間に少年が立つ。右腕が、異様に長い。ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

少年の右腕を見てほしい。肘から先が、明らかに長すぎる。

手は腰よりずっと下、太腿の中ほどまで垂れている。人体としては成立しない。

しかし画面としては成立している。長い腕が、右下へ向かう対角線をつくり、垂れたカーテンの縦線と釣り合っているからだ。

人体の正しさより、画面の均衡を採った。ここでも同じ判断がなされている。

庭師ヴァリエ
《庭師ヴァリエ》1906年。晩年の連作の一枚。緑と茶の斑の中に、黒い服の男が坐っている。顔は数枚の色面でできている。ポール・セザンヌ《庭師ヴァリエ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

最晩年の《庭師ヴァリエ》になると、顔はもう似顔ではない。

黄土と緑と青の色面が数枚、重なっているだけである。それでも、老いた男がそこに坐っていることは伝わる。

晩年に顔の描き方が変わる画家の例としては、レンブラントを別のコラムで扱っている。皺を線で描くのをやめ、絵具の厚みに置き換えていった人である。

セザンヌの場合、置き換えられたのは厚みではなく、面の数だった。

死んだあとに、届いた

セザンヌが広く知られるようになるのは、最後の数年からである。

1904年、パリのサロン・ドートンヌに彼のための一室が設けられた。翌年、翌々年も出品が続く。若い画家たちが、南仏の老人の絵をまとめて見る機会がようやくできた。

1906年10月、屋外で制作中に嵐に遭って倒れ、数日後に六十七歳で死去した。

そして翌1907年、同じサロン・ドートンヌで回顧展が開かれる。この展示を見た若い画家たちの反応が、二十世紀の絵画を動かしたと言われている。

キュビスムの画家たちは、セザンヌの名を繰り返し挙げた。ピカソが彼を「私たちみんなの父」と呼んだという話も広く伝わっている。ただしこの言葉は伝聞として引かれることが多く、いつどこで語られたかは特定しきれない。

はっきりしているのは、生前ほとんど売れなかった画家の絵が、死の直後から急速に値を上げたという事実のほうである。

《リンゴの籠》も例外ではない。所蔵館の記録をたどると、ヴォラールの手を離れたあとベルリンやパリの画商を何度も渡り歩き、1926年にシカゴ美術館へ寄贈されている。

三十年のあいだに、売れない画家の実験は、美術館の収蔵品になった。

見立て——疑いを、そのまま描く

ここからは書き手の見方である。

セザンヌの絵の落ち着かなさは、下手さでも、様式でもないと考えたい。決めきらないことを、決めたのだと思う。

輪郭を一本に決めない。視点をひとつに決めない。塗り残しを埋めない。

普通、絵は「こう見えた」と言い切ることで完成する。言い切った瞬間に、それ以外の見え方は消える。

セザンヌはその最後の一手を打たなかった。だから彼の絵の前では、見ている側の目がいつまでも動き続ける。

テーブルの縁がつながらないのは、つなげなかったからではない。つないでしまえば、そこで見ることが終わるからだ——と、少なくともそう読むことはできる。

もちろん、本人がそこまで自覚していたかは分からない。日々の制作は、もっと手探りだったはずである。

ただ、五十六歳の個展に出した一枚に署名を入れたとき、彼はこの状態を「これでよい」と判断している。その事実だけは残っている。

暮らしへ——皿の上を、二度見る

家に帰ったら、食卓の皿をひとつ見てみてほしい。

まず立ったまま見下ろす。次に椅子に坐って、目の高さを果物と同じにする。

二つの見え方は、かなり違う。皿の楕円は潰れ、果物の重なり方が変わる。

普段はこの二つを、頭の中で自動的に一つにまとめている。まとめた結果だけが「見た」ことになっている。

セザンヌの絵は、そのまとめる作業を止めた状態に見える。

だから彼の絵は疲れる。そして、見飽きない。

飾るなら、静かな壁が向いている。模様のある壁紙の前だと、画面の中の揺れが埋もれてしまう。

絵の置き場所と光の条件についてはこちらのコラムで詳しく扱っている。揺れのある絵ほど、周囲は静かなほうがよい。

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