銀行に勤めながら、台所を描く——フランシス・ウィリアム・エドモンズ
岩と、滝
八点目は、風景である。

縦長の頁である。
中央に、大きな岩が積み重なる。
岩肌には、短い線が斜めに並ぶ。
その左側に、細い水の流れが落ちる。
水は、縦の線で示される。
上部には、木立が茂る。
葉は、点と短い線の集まりである。
下部には、水面と石がある。
つまり、風景の素描である。
風俗画家が、風景を描く
エドモンズは、風俗画家である。
しかし、写生帖には風景も入っている。
理由は簡単で、風俗画にも背景が要るからである。
戸外の場面を描くなら、木も岩も水も必要になる。
そして、それらの形を知らなければ描けない。
つまり、風景の素描も仕事の一部である。
写生帖には、こうした準備の頁が混ざる。
九点の中で、風景はこの一枚だけである。
聖書の一節を、書き添える
九点目には、文字がある。

画面には、複数の人物が描かれる。
中央に、身をかがめる女性がいる。
その前に、座り込む人々がいる。
右には、立つ人物が数人。
左端にも、人が立つ。
つまり、施しの場面である。
下部には、鉛筆で文言が書かれている。
聖書の一節である。
大人数を、薄い線で
この一枚には、十人近くが描かれている。
いずれも小さく、輪郭だけである。
顔の造作は、ほとんどない。
それでも、誰が施す側で、誰が受ける側かは分かる。
立っているか、座り込んでいるか。
その差だけで、立場が示される。
構図の段階では、この情報だけで足りる。
顔を描き込むのは、油彩にするときでよい。
素描の役割が、はっきり分かれている。
主題を、言葉で記す
なぜ、文言を書き添えるのか。
構想を忘れないためだろう。
この場面が、どの主題にもとづくかを記しておく。
後で油彩にするとき、その手がかりになる。
そして、注文主に説明するときにも使える。
つまり、覚え書きである。
素描に文字が添えられるのは、こうした理由による。
図と言葉が、同じ紙の上で働いている。
宗教主題と、風俗画
この一枚の主題は、聖書に由来する。
しかし、描かれているのは日常の場面に見える。
服装も、家具も、当時のものだろう。
つまり、聖書の言葉を、同時代の場面で示している。
こうした置き換えは、十九世紀の絵によくある。
慈善や施しを、身近な情景として描く。
そして、道徳的な主題として売る。
風俗画と宗教画の境目が、曖昧になる領域である。
八点が、同じ写生帖から
素描八点の寸法を確かめたい。
いずれも、縦16.8センチ、横20.3センチである。
縦横を入れ替えて使っている頁もある。
そして、受け入れの記録も同じである。
一九八七年、同じ基金による購入。
つまり、一冊の写生帖として館に入った。
年代も、いずれも一八三八年ごろ以降とされる。
一冊が、数年にわたって使われたのだろう。
「〜年ごろ以降」という表記
年代欄の書き方に注目したい。
一八三八年ごろ以降、とある。
つまり、下限だけが示されている。
上限は書かれていない。
写生帖は、何年も使い続けられる。
だから、最初の頁と最後の頁で年が違う。
一冊に、年代の幅がある。
館は、その幅を「以降」という語で示している。
油彩と素描の距離
最初の油彩は、一八五一年の作である。
素描は、一八三八年ごろ以降。
つまり、十年以上の開きがある。
写生帖の素描が、この油彩に直接つながるとは限らない。
ただし、方法は共通している。
人物の姿勢で関係を示す。
日常の道具を丁寧に描く。
そして、場面に物語を持たせる。
素描で試したことが、油彩に生きている。
写生帖を、買うということ
八点は、一九八七年に基金で購入されている。
つまり、寄贈ではない。
館が、市場に出た写生帖を買っている。
写生帖は、まとまって売られることが多い。
一冊がそのまま取引される。
そして、館が買えば、まとまって残る。
個人が買って解体すれば、散らばる。
八点が同じ番号で並んでいるのは、その分かれ目の結果である。
素描が売買される
十九世紀の画家の素描は、いま市場で取引される。
写生帖は、まとまった一冊として扱われる。
そして、美術館や研究機関が買う。
素描の研究は、二十世紀後半に進んだ。
完成作だけでは、制作の過程が見えないからである。
どこで迷い、何を変えたか。
それは、素描にしか残らない。
八点が一冊としてまとまっているのは、研究上の価値が高い。
一枚ずつ散っていたら、順序も分からなかった。
兼業の画家が残したもの
エドモンズの本業は、銀行の仕事だった。
つまり、絵を描く時間は限られていた。
にもかかわらず、写生帖には多くの頁がある。
猫、馬、滝、そして人物の配置。
思いついたときに、少しずつ描く。
まとまった制作ができないぶん、断片が積み上がる。
そして、その断片が写生帖として残った。
完成作の数は多くないが、素描は残る。
帖の表紙
画像の隅に写る暗い帯にも触れておきたい。
これは、写生帖の表紙と背である。
黒く、厚く、角が擦れている。
つまり、よく使われた帖である。
持ち歩けば、角から傷む。
その傷みが、そのまま写っている。
作品としては余分な情報かもしれない。
しかし、道具としての性格を伝えてくれる。
飾るための帖ではなく、使うための帖である。
九点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
九点を、線の濃さで並べてみてほしい。
最も濃いのは、馬の一枚である。
次に、滝と、施しの場面。
最も薄いのは、卓を囲む場面である。
濃さの差は、目的の差である。
観察して記録する頁は、濃く描かれる。
構図を試す頁は、薄い。
つまり、線の濃さが用途を示している。
濃さを手がかりに、九点を並べ替えてみてほしい。
写生帖の使われ方が、そこから見えてくる。
一冊の中に、複数の目的が混ざっている。
それが、写生帖という道具の性格である。









