名画の楽しみ方

偽って署名された、と記録が書く——ホッサールト、アングルほか九点

短い署名ほど、真似やすい

偽って書かれる署名には、短いものが多い。

姓だけ。

頭文字を組んだ形だけ。

省略した形だけ。

長い署名は、真似るのが難しい。

線の癖が、どこかで出る。

短ければ、出る場所が少ない。

九点のうち、長い署名を偽ったものは一点しかない。

名と、描いたという語と、年が並ぶ形だ。

残りは、いずれも短い。

短さが選ばれるのは、そのほうが安全だからだろう。

二つの署名が、同じ絵にある

九点のうち一点は、状況が入り組んでいる。

右下に、本当の画家の署名がある。

左下に、別の画家の名が書かれている。

館は、右下を本物、左下を偽りと判断した。

つまり、一枚の絵に二つの署名が同居する。

本物の署名がありながら、別の名が足された。

足した人は、本物の署名に気づかなかったのだろうか。

あるいは、気づいていても構わなかったのか。

どちらにせよ、絵は二つの名を抱えたまま残った。

館の記録は、両方を並べて書く。

一つを消したりはしない。

ブルターニュ、ラグネの島
アンリ・モレ《ブルターニュ、ラグネの島》1890年から1895年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦72.7センチ、横92.4センチ。銘記の欄には、右下に画家の名、左下に偽って別の名が書かれているとある。番号は1970.17.46。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アンリ・モレ《ブルターニュ、ラグネの島》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、海辺の丘が広がる。

中央に、藁葺きの屋根の小屋がある。

壁は白く、屋根は褐色である。

その手前に、緑の草地が下る。

草の中に、細い道が斜めに走る。

左は、切り立った崖である。

崖の岩は、桃色と橙を帯びる。

崖の下に、青緑の海が見える。

奥に、低い岬が伸びる。

空は白と青で、雲が厚い。

左下と右下に、それぞれ文字がある。

に倣って、という作者の欄

九点のうち一点の作者の欄は、に倣って、である。

ある画家の作品をもとに描かれた、という意味だ。

写しである。

写しは、当時ふつうに行われた。

学ぶために写す。

売るために写す。

どちらも悪いことではない。

問題は、写しに元の画家の名を書くことである。

そうすると、写しが原作の顔をする。

館は、そこを分けるために欄を使う。

作者の欄に、に倣って、と書く。

銘記の欄に、偽って、と書く。

二つの欄が、同じことを別の言い方で示している。

葦毛の牡馬
テオドール・ジェリコーに倣って《葦毛の牡馬》1850年ごろかそれ以降。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦34.9センチ、横46センチ。銘記の欄には、左下に偽って名が書かれているとある。番号は1984.29.2。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。テオドール・ジェリコーに倣って《葦毛の牡馬》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の暗い画面に、馬が一頭立つ。

白い斑の入った灰色の馬である。

左を向き、首を高く上げる。

たてがみは黒く、短い。

尾も黒く、垂れる。

四本の脚が、まっすぐ立つ。

前脚の一本が、わずかに前に出る。

胴に、灰色の斑が散る。

背景は暗い褐色で、何もない。

足もとの地面だけが、やや明るい。

左下の暗い部分に、小さな文字がある。

おそらく、という留保

九点のうち一点には、留保が付いている。

おそらく偽って書かれた、とある。

言い切っていない。

なぜ言い切らないのか。

材料が足りないのだろう。

絵そのものは、その画家の作とされている。

作者の欄に、本人の名が入る。

つまり、絵は本物である。

書かれた名も、その画家の名である。

問題は、その文字を本人が書いたかどうかだ。

そこが決められない。

だから、おそらく、と付ける。

オデュッセウス
ドミニク・アングル《オデュッセウス》1827年。館の記録では、カンヴァスに油彩、板に貼られる。縦24.8センチ、横20.6センチ。銘記の欄には、右下に黒い絵具で、おそらく偽って名が書かれているとある。番号は1963.10.34。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ドミニク・アングル《オデュッセウス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな縦長の画面である。

男性の頭部が、横向きに描かれる。

顔は右を向く。

黒く濃い髭が、顎から胸へ広がる。

髪も黒く、縮れる。

頭に、円錐形の帽子をかぶる。

帽子は褐色で、縁が広い。

肩に、赤い布が掛かる。

背景は黄褐色で、塗り残しがある。

下地の色が、あちこちで透ける。

右下の暗い部分に、小さな文字がある。

有名な組み合わせ文字を、書き足す

九点のうち二点は、同じ画家の作である。

そして二点とも、同じ偽りの文字が入る。

二つの頭文字を組んだ形だ。

その形は、十六世紀ドイツの版画家のものとして知られる。

その画家の版画は、広く出回り、広く真似された。

組み合わせ文字も、一緒に真似された。

つまり、この形は当時から有名だった。

有名な印は、値を上げる。

だから書き足される。

館は二点とも、偽りと書く。

作者の欄には、本当の画家の名が入る。

悔悛する聖ヒエロニムス(右の板)
ヤン・ホッサールト《悔悛する聖ヒエロニムス(右の板)》1509年から1512年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦87センチ、横26.5センチ。銘記の欄には、中央右の小さな石の上に、偽って組み合わせ文字が書かれているとある。番号は1952.5.40。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ホッサールト《悔悛する聖ヒエロニムス(右の板)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

細長い縦の板である。

白黒の写真で写される。

中央に、上半身裸の男性がひざまずく。

腰に布を巻き、両手を組む。

右手に、小さな石を握る。

顔は上を向く。

その前に、岩の台がある。

台の上に、書物と器が置かれる。

背後は険しい岩山である。

山の上に、塔の並ぶ町が見える。

手前の石の一つに、小さな文字がある。

二百年後の絵にも、同じ文字

もう一点は、二十年ほどのちの絵である。

同じ画家が描いた聖母子だ。

こちらにも、同じ組み合わせ文字が入る。

場所は右下、衣の裾と書物のあいだ。

つまり、同じ手が二枚に書いた可能性がある。

あるいは、別々の時期に別の人が書いたのかもしれない。

館の記録は、そこまでは書かない。

書かれるのは、位置と形と、偽りであることだけだ。