暮らしと名画

漁の絵に、魚はいない——歌麿・北斎・クールベほか九点

漁楽
銭穀《漁楽》1572年。館の記録では、巻子・紙本淡彩。画面は31.4×355.2センチ。番号は1977.56。クリーヴランド美術館蔵。銭穀《漁楽》クリーヴランド美術館蔵

横に長い画面である。

画面は31.4×355.2センチある。

高さの十一倍の長さがある。

紙の色は、薄い褐色である。

墨は淡く、色はほとんど付かない。

画面には、水と岸が続く。

岸には、木と葦がある。

木は細く、枝が横に広がる。

水の上に、小さな舟がある。

舟は二艘ある。

館の記録では、一艘に二人ずつ乗る。

一人が、竹の竿を持つ。

竿で、水鳥の動きを操るという。

これは鵜を使う漁である。

館の記録では、ある川の下流で見られた方法である。

鳥が水に入り、魚を捕る。

人は、鳥を操るだけである。

館の説明では、この漁の場面は別の流派の絵から借りたという。

見る角度と筆づかいは、画家自身の流派のものである。

そして館は、こう書いている。

漁師の絵は、都市の人に好まれた。

自分の力で生きる暮らしが、理想とされたからである。

つまり、これは漁を見る側の絵である。

巻物の長さについても、考えたい。

355センチを、一度に見ることはできない。

両手で、少しずつ開いていく。

開いた幅は、肩幅ほどである。

つまり、見えるのは三十センチ四方だけである。

舟の場面も、その幅の中に現れる。

現れて、また巻き取られる。

漁の場面は、長い水景の一部でしかない。

館の記録では、画家の落款がある。

ある年の秋の日に描いた、と記される。

それが1572年にあたる。

後の時代に書かれた跋文も、二つ付く。

巻物には、後から人の言葉が足されていく。

綴織の中で、網が引かれる

五点目は、大きな織物である。

春・漁の情景
ゴブラン製作所《春・漁の情景》下絵は1535年ごろ、織りは十七世紀半ばから後半。館の記録では、羊毛、絹、金糸の綴織。全体は255×266センチ。番号は1952.544.1。クリーヴランド美術館蔵。ゴブラン製作所《春・漁の情景》クリーヴランド美術館蔵

ほぼ正方形の画面である。

全体は255×266センチある。

人の背丈より大きい。

画面には、二十人以上がいる。

服の色は、赤、青、緑である。

色は今も強く残る。

画面の下のほうに、川がある。

川に、二人の男が入る。

男たちは、脛まで水に浸かる。

二本の棒のあいだに、網が張られる。

その網を、引いている。

これが、この画面で唯一の漁である。

川の上に、橋が架かる。

橋の上に、着飾った二人がいる。

二人は、川のほうを指す。

館の記録では、この二人は貴族である。

そして、別の漁師たちを指しているという。

その漁師は、この一枚には入っていない。

同じ図柄の、より広い織物にはいるらしい。

奥には、煉瓦の壁と門がある。

町へ続く橋を、人が歩く。

さらに奥では、農夫が土を耕す。

丘の木は、芽を出したところである。

館の記録では、これは春の情景である。

春は、求愛の季節ともされた。

館は、橋の上の赤い帽子の男に触れる。

隣の女の気を引こうとしているのかもしれない、と書く。

漁は、その背景として置かれている。

織物の材料も、館は記録している。

羊毛と、絹と、金糸である。

金糸は、光る場所にだけ使われる。

織りの目は、絵具の筆より粗い。

それでも、網の目まで織り分けられる。

細い線を出すには、糸を細くするしかない。

絹が使われるのは、そのためである。

年の欄は、二つに分かれる。

下絵は1535年ごろ、織りはそれより百年以上後である。

同じ図柄が、長く織り続けられた。

図柄は、繰り返し使える型でもある。

春の漁は、その型の一つだった。

舟だけが、浜に残る

六点目は、油彩である。

漁船
ギュスターヴ・クールベ《漁船》1865年。館の記録では、油彩・カンヴァス。64.8×81.3センチ。番号は99.11.3。メトロポリタン美術館蔵。ギュスターヴ・クールベ《漁船》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

64.8×81.3センチある。

画面の上半分は、空と海である。

空には、灰色の雲が横に流れる。

雲の下に、橙色の帯がある。

日の出か、日の入りの色である。

海は緑がかった灰色である。

波は低く、白い線が並ぶ。

下半分は、砂と石の浜である。

砂は褐色で、筆の跡が粗い。

画面の中央に、舟が一艘ある。

舟は浜に乗り上げる。

舳先は左を向く。

帆柱は一本立つ。

帆は、柱に巻き付けられる。

巻いた帆は、太い束になる。

綱が、何本も垂れる。

舟の左に、黒い岩がある。

右には、布らしいものが置かれる。

人は、一人もいない。

漁の道具も、魚も見えない。

あるのは、止まっている舟だけである。

絵具の置き方を見る。

砂の部分は、平たい道具で伸ばされる。

筆の毛の跡が、ほとんど残らない。

代わりに、絵具の縁が段になる。

海の部分は、横に長く引かれる。

空も、同じ方向に伸ばされる。

横の動きが、画面を通している。

その中で、帆柱だけが縦に立つ。

一本の縦線が、画面を留める。

舟の役目は、その一本にある。

漁の絵というより、浜の絵である。

港に、色の帆が並ぶ

七点目も、油彩である。

漁船のいる港の情景
ジョージ・エルマー・ブラウン《漁船のいる港の情景》1910年ごろ。館の記録では、油彩・板。26.5×35センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・エルマー・ブラウン《漁船のいる港の情景》スミソニアン協会蔵

横長の板である。

26.5×35センチある。

小さな板である。

画面の上のほうは、淡い緑の空である。

その下に、帆が並ぶ。

帆は十数枚ある。

色は、青、橙、黄、赤である。

形は縦長で、上が尖る。

帆柱は細く、林のように立つ。

帆と帆のあいだに、隙間はほとんどない。

舟は、岸に密に着けられている。

画面の下半分に、人の群れがいる。

人は小さく、黒い塊に見える。

顔は分からない。

白い帽子だけが、点のように光る。

数十人はいる。

砂浜は、薄い桃色である。

筆は速く、絵具が厚い。

輪郭は、どこも定まらない。

人が漁をしているのかどうかは、分からない。

分かるのは、帆の数だけである。

板に描かれているのも、意味がある。

板は水を吸わない。

絵具が乗ったまま、伸びる。

速く描くのに向いた材料である。

この画面の筆は、たしかに速い。

帆の一枚は、二筆か三筆で終わる。

人の一人は、一筆の点である。

それでも、群れの厚みは伝わる。

色の数を減らし、形を減らす。

減らしても、港であることは分かる。

分かるための最小の形が、帆である。