家具はなぜ美術館にあるのか——タウンゼンドとハーター兄弟商会
美術館が家具を集めはじめた事情
家具が美術館に入る流れには、いくつかの筋がある。
一つは、国の歴史を語るためである。

幅1.8メートルの大型家具である。
全体が淡いクリーム色に塗られ、細部が金で仕上げられている。
中央に面取りガラスの扉。左右に開いた棚。背板は赤い絹ベルベットである。
棚の中には、ガラスの器が置かれている。
つまりこれは、物を見せるための家具だ。
棚板の位置に注意したい。上段は目の高さより高く、下段は膝の高さにある。
高い棚は見上げ、低い棚は見下ろす。歩きながら見る構成になっている。
背板に赤を使うのも理由がある。ガラスや銀の器は、暗い色を背にすると輪郭が立つ。
美術館の展示ケースが濃い色の内貼りを使うのと、同じ理屈である。
所蔵館の受け入れ記録に、面白い一行がある。
この一点は1999年に購入されており、記録は「アメリカ館75周年を記念して」と記す。
逆算すると、アメリカ美術の部門が設けられたのは1924年になる。
20世紀の前半、美術館は自国の家具と室内を集める部門を作った。
絵画だけでは、その国の歴史を語りきれないと考えたからである。
19世紀のアメリカには、ヨーロッパのような古い絵画の蓄積が無い。
一方で、植民地時代からの家具と銀器と織物は残っていた。
自国の美術史を語るなら、そこから始めるほかない。
家具は、その意味で歴史の代替物として使われた面がある。
三つめの筋は、寄贈である。
当サイトが公開する家具の受け入れ記録を見ると、個人からの寄贈が目立つ。
家に代々あった椅子を、美術館に納める。そういう経路で入ったものが多い。
つまり家具の収蔵は、家の解体と結びついている。
住み継ぐ人がいなくなった家から、物だけが公共の場所へ移ってくる。
産業のための見本として
もう一つの筋は、産業である。
19世紀のヨーロッパでは、工芸品を集めて職人と製造業者に見せる館が作られた。
万国博覧会の時代である。よい見本を見せれば、製品の質が上がるという考え方だった。
つまり美術館は、意匠の教材でもあった。
家具はその中心に置かれた。木工、彫刻、染織、金具が一つの物に集まるからである。

正面から見た椅子である。
背と座は黄色の絹で覆われ、ボタン留めが等間隔に並ぶ。
肘の先には彫刻がある。渦巻きと葉の形で、木の色が濃い。
脚のあいだには、透かし彫りの飾りが入っている。尖った孔の並ぶ意匠である。
18世紀の英国の型を、フィラデルフィアの工房が作ったものだ。
同じ型の椅子は、図案集を通じて大西洋を越えて広まっている。
家具は、意匠が移動した経路をたどれる資料でもある。
図案集の役割は大きい。18世紀の家具師は、印刷された図版を見て型を学んだ。
だから同じ意匠が、ロンドンとフィラデルフィアとニューポートに現れる。
ただし、木は現地のものである。材の種類を調べると、どこで作られたかが分かる。
意匠は輸入され、材料は土地のもの。この二重性が家具の面白さである。
なお、美術館にとって家具は扱いにくい収蔵品でもある。
大きく、重く、湿度に弱い。収蔵庫の場所を取る。
それでも集めたということは、必要と判断されたということである。
「本物」はどこまでか
ここで、家具ならではの問題が出てくる。
張り替えである。

背もたれが尖頭アーチの形をしている。
中世の教会の窓を、そのまま椅子の背に移した意匠である。
左右の柱の上に、葉の彫刻が載る。座面は青い布で、白い細線の縁取りがある。
設計者は建築家である。館や邸宅を設計し、その内部の家具も描いた。
注目したいのは、所蔵館の記録の書き方である。
材料の欄に「張り地は現代のもの」と明記されている。
木の部分は19世紀、布の部分は20世紀以降。一脚の中で年代が違う。

こちらは逆の例である。記録は張り地を「当初のもの」と書く。
側面から撮られた画像を見ると、その意味が分かる。
赤い絹ベルベットは色が褪せ、擦れて地が透けている。
裾の房飾りは糸がほつれ、房の先が固まっている。
肘の下には金色の板があり、六角形に区切って螺鈿が嵌められている。
脚の先には車輪。動かして使う椅子だったことが分かる。
傷んだ布を張り替えずに残す判断は、資料としての選択である。
美しく見せることより、証拠を残すことを選んでいる。
この判断は、20世紀の後半に広まったものである。
かつては、家具を修理して「元の姿」に戻すのが当然だった。
いまは、傷みも履歴の一部として扱う。
絵画の修復でも同じ議論がある。どこまで戻すかは、いつも問題になる。
家具はその議論が布や金具の形で目に見えるため、比べやすい。