76センチと8センチ——ヘンリー・インマンの肖像
八センチの肖像
三点目から、寸法が一気に小さくなる。

縦8.4センチ、横6.8センチ。
名刺より少し大きい程度である。
黒い枠に収められ、金色の縁飾りが付いている。
その中に、男性の胸像が描かれている。
黒い上着に、白い襟。髪は明るい茶色である。
顔は正面をやや外れ、右を向いている。
背景は淡い青灰色で、上が明るい。
この寸法で、目も鼻も口も、きちんと描き分けられている。
象牙に描く
細密画の支持体は、多くの場合、象牙である。
薄く削いだ象牙の板に、水彩で描く。
象牙は白く、わずかに透ける。
その透明感が、肌の質感を出すのに向いている。
下地の白が透けることで、肌が発光して見える。
一方、絵具は乗りにくい。
表面が滑らかなので、水彩が弾かれる。
そのため、細い筆で点や線を置いていく描き方になる。
ぼかしではなく、細かい筆跡の集積で面を作る。
拡大して見る
こうした細密画は、いま画面で拡大して見られる。
原品は八センチ足らずだが、写真なら大きく見られる。
すると、描き方がよく分かる。
肌の部分には、細い斜線が並んでいる。
髪は、一本ずつではなく、束の流れとして描かれている。
背景の青灰色も、点を重ねて作られている。
肉眼では見えない筆跡が、そこにある。
もっとも、これは作り手の意図した見え方ではない。
本来は、手のひらの上で、そのまま見るものである。
拡大は、作品を別のものに変えてしまう面もある。
便利さと引き換えに、寸法の感覚が失われる。
当サイトが寸法を必ず記すのは、そのためでもある。
なぜ小さいのか
そもそも、なぜこれほど小さいのか。
理由は、持ち歩くためである。
細密画は、多くの場合、身に着けられた。
首から下げる、懐に入れる、机の引き出しに置く。
離れて暮らす家族や、亡くなった人の姿を手元に持つ。
写真が普及する前、それができるのは細密画だけだった。
つまり、これは肖像であると同時に、携帯品である。
用途が、寸法を決めている。
もう一点の細密画
四点目も、同じ形式である。

さらに小さい。縦6.4センチ、横4.9センチ。
楕円形の金属の枠に収められている。
枠には、葉のような装飾が施されている。
中には、年配の男性の胸像がある。
白髪が耳の上で膨らみ、額が広い。
濃い緑の上着に、白い襟巻き。
背景は淡い青で、雲のような白が入っている。
顔は斜めを向き、視線は横へ流れている。
枠も、作品の一部
この二点で目を引くのは、枠である。
細密画は、枠と一体で作られる。
金属の縁飾り、留め具、裏側の細工。
それらが、絵と同じくらい手をかけられている。
つまり、細密画は絵であると同時に、装身具でもある。
宝飾の職人と、画家が組んで一つの品を作る。
美術館の記録でも、枠まで含めて一点として扱われる。
当サイトでも
机の上の小さな美術で、
こうした品の性格に触れた。
紙に描いた肖像
五点目は、また別の材料である。

縦19.1センチ、横15.7センチ。
細密画より大きく、油彩よりずっと小さい。
男性の胸像が、紙に水彩で描かれている。
黒い上着に、白い襟。髪は黒く、額の上で分けられている。
顔は斜めを向き、目はこちらを見ている。
背景は塗られておらず、紙の色がそのまま残っている。
つまり、人物だけが浮いた状態になっている。
なお、この図版は当サイトが取得できた画像が白黒である。
中間の寸法
この一枚の寸法は、二つの型の中間にあたる。
象牙の細密画ほど小さくなく、油彩ほど大きくない。
紙に水彩で描く肖像は、当時よく行われた形式である。
油彩より安く、細密画より速く仕上がる。
つまり、価格帯としても中間になる。
肖像画の市場には、こうした段階が細かく設定されていた。
いくら払えるかで、寸法と材料が決まる。
九点を並べると、その段階がそのまま見える。
背景を塗らないこと
この紙の肖像では、背景が塗られていない。
紙の地色が、そのまま残されている。
水彩の肖像では、これはよくある扱いである。
紙の白を生かすことで、画面が軽くなる。
しかも、塗る手間が減る。
一方、人物が空中に浮いたように見える欠点もある。
床も壁もないので、どこにいるのか分からない。
それでも成立するのは、顔の記録が目的だからである。
場所の情報は、はじめから求められていない。
白黒の図版について
この一枚は、当サイトが取得できた画像が白黒である。
原品は水彩なので、実際には色がある。
肌の色、髪の色、上着の黒の濃さ。
それらは、この図版からは分からない。
もっとも、線と明暗は読み取れる。
顔の造作、髪の分け目、襟の形。
肖像の記録としての核心は、白黒でも残っている。
当サイトが白黒の図版もそのまま載せるのは、そういう判断による。