画家を知る

76センチと8センチ——ヘンリー・インマンの肖像

十九世紀前半の肖像には、二つの大きさがあった。壁に掛ける縦七十センチの油彩と、首から下げる縦八センチの象牙。同じ画家がその両方を手がけていた。写真が来る直前の九点を並べる。公の顔と、私的な顔。寸法の違いは仕事の違いでもあった。

マーティン・ヴァン・ビューレン
ヘンリー・インマン《マーティン・ヴァン・ビューレン》メトロポリタン美術館蔵

同じ画家の、二つの寸法

この記事では、寸法の話をしたい。

十九世紀前半のアメリカで、肖像画には二つの大きさがあった。

一つは、壁に掛ける油彩の肖像。縦七十センチ前後が標準である。

もう一つは、手に持てる細密画。縦八センチ前後にすぎない。

同じ画家が、その両方を手がけていた。

今回は、ヘンリー・インマンの九点でその往復を見ていく。

マーティン・ヴァン・ビューレン
ヘンリー・インマン《マーティン・ヴァン・ビューレン》1837年から38年ごろ。油彩・画布。縦78.1センチ、横64.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《マーティン・ヴァン・ビューレン》メトロポリタン美術館蔵

まず、大きいほうから見たい。

年配の男性が、こちらを向いている。

頭は禿げ上がり、こめかみのあたりに白髪が残る。

顔は丸く、頬に赤みが差している。

黒い上着を着て、白い襟が首元に見える。

背景は、ほとんど真っ黒である。

そのため、顔と襟だけが闇から浮かび上がる。

胸から上だけの、簡素な構図である。

黒の中の顔

この絵の作りは、単純そのものである。

背景に何も描かない。衣も黒で塗る。

明るいのは、顔と襟と、シャツの一部だけ。

つまり、画面の九割が暗い。

この方法には、利点がある。

まず、顔が確実に目立つ。

次に、制作が速い。背景を描く手間がない。

そして、どんな部屋に掛けても収まりがよい。

肖像画の量産には、たいへん都合のよい形式である。

画家について

ヘンリー・インマンについて、記録から書く。

1801年に生まれ、1846年に没したアメリカの画家である。

若い頃に肖像画家のもとで修業したと伝えられる。

その後、独立して肖像画を描き、名を得た。

活動の時期は、写真が普及する直前にあたる。

つまり、肖像を残したければ絵しかなかった時代の最後である。

需要は大きく、画家の数も多かった。

当サイトでも
巡回する肖像画家
サリーの肖像商売で、
この時期の事情を扱っている。

肖像画という商売

肖像画は、注文を受けて描く商売である。

値段は、寸法と、描く範囲で決まった。

顔だけなら安く、全身なら高い。

手を入れると、値段が上がる。

手は描くのが難しく、時間がかかるからである。

今回の九点でも、手が描かれているものは少ない。

多くが胸から上で止まっている。

これは画家の好みというより、注文の内容だろう。

写真が来る前

写真の技術が公表されるのは、1839年である。

インマンが没するのは1846年。

つまり彼の活動期は、写真の到来とちょうど重なる。

初期の写真は、露光に時間がかかり、値も張った。

それでも、肖像の需要は急速にそちらへ移っていく。

似ていることだけが目的なら、写真のほうが確実である。

肖像画家にとって、これは死活問題だった。

以後、画家は写真にできないことを探すことになる。

大きさ、色、姿勢の演出、そして絵としての格。

九点は、その転換の直前に描かれている。

需要の大きさ

当時の肖像の需要は、かなりのものだった。

家に一枚も肖像のない家庭のほうが、むしろ珍しかったとも言われる。

新しく力を持った商人や専門職の層が、肖像を注文した。

家系の記録として、また地位の証しとして残す。

つまり肖像画は、記録産業だった。

画家はその産業の中で働く技術者でもある。

そう考えると、九点の簡素さも理解しやすい。

一点ずつに時間をかけていては、数がこなせない。

もう一枚の大きな肖像

二点目も、油彩の肖像である。

ジョージ・ポープ・モリス
ヘンリー・インマン《ジョージ・ポープ・モリス》1836年ごろ。油彩・画布。縦76.2センチ、横63.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・インマン《ジョージ・ポープ・モリス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

先ほどとほぼ同じ寸法である。

男性が、こちらを向いて座っている。

黒い上着に、黒い蝶ネクタイ、白い襟。

髪は黒く、耳の上で膨らんでいる。

顔はやや斜めを向き、目はこちらを見ている。

背景は褐色で、右上が明るく、左下が暗い。

先ほどの絵より、背景に色がある。

そのぶん、画面がやわらかく見える。

背景の明暗

背景を真っ黒にするか、褐色にするか。

この選択は、絵の印象を大きく変える。

真っ黒だと、人物が浮き上がり、厳格に見える。

褐色に濃淡をつけると、空間ができ、穏やかになる。

同じ画家が、注文ごとに使い分けている。

依頼主の職業や立場に合わせたのかもしれない。

あるいは、単に制作時期の違いかもしれない。

いずれにせよ、型を一つに固定していない。

黒い服の時代

この二点に共通するのは、黒い服である。

十九世紀前半、男性の正装は黒が基本になった。

それ以前の、色鮮やかな上着や刺繍は姿を消していく。

肖像画の側から見ると、これは難題である。

黒は、面としての情報が少ない。

襞も、質感も、光が当たらなければ見えない。

そのため、画家は襟や襟巻きの白に頼ることになる。

九点の油彩を見ても、白い部分の描写が丁寧である。

首元の布の折り方、糊の効き具合、影の落ち方。

そこだけが、衣装の見せ場になっている。

黒い服の時代は、白い襟の時代でもあった。

何を省くか

もう一つ、省略についても書いておきたい。

胸から上の肖像では、手が描かれない。

背景も、多くの場合は単色である。

つまり、描かれるのは顔と襟だけである。

見る人の関心も、そこにしかない。

依頼主が求めているのは、顔の記録だからである。

余計な要素は、値段を上げ、制作を遅らせる。

そう考えると、この簡素さは合理の産物である。

美的な選択というより、商売の設計に近い。