画家を知る

分数が、三十二分の一まで——ヘンリー・インマン

ある一点の寸法は、もとの単位で三十二分の一まで書かれる。別の一点には分数がない。象牙を削り出すか、既製の木枠を使うか。下地の違いが、そのまま数字の細かさに出る。四つの支持体を読みたい。象牙の扱いにも、触れておきたい。

婦人の肖像
ヘンリー・インマン《婦人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

分数が、三十二分の一まで書かれる

九点の寸法の欄を読むと、書かれている分数の細かさが違う。

ある一点では、三十二分の九、三十二分の二十一という数字が並ぶ。

もとの単位で、三十二分の一まで測っている。

一ミリに満たない精度である。

別の一点では、分数がまったく使われない。

きりのよい数字が二つ並ぶだけである。

同じ画家の、同じ館の九点である。

それでも、測り方の細かさはそろわない。

なぜ、こうなるのか。

九点の下地を見ていくと、その理由が見えてくる。

婦人の肖像
ヘンリー・インマン《婦人の肖像》1820年ごろ。象牙に水彩。館の記録では、縦8.3センチ、横6.7センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《婦人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

九点の内訳

先に、九点の中身を確かめておく。

象牙に水彩が五点。

白みがかった厚紙に水彩が一点。

板に油彩が一点。

カンヴァスに油彩が二点。

下地が四種類ある。

年は1820年ごろから1842年までの二十年ほどに散る。

四つの下地を、並べる

九点の下地を、小さい順に並べてみる。

象牙が五点。縦6.7センチから11.6センチ。

厚紙が一点。縦19.1センチ。

板が一点。縦33.7センチ。

カンヴァスが二点。縦30.5センチと76.2センチ。

板とカンヴァスの一点は、大きさが近い。

しかし、その他は下地ごとにきれいに分かれている。

象牙という下地

五点の技法の欄には、象牙に水彩と書かれている。

象牙を薄く削り、その上に水彩で描く。

象牙は白く、わずかに透ける。

その上に薄く色を置くと、下から白が返ってくる。

肌の色を出すのに向いた下地である。

紙に描くより、色が澄んで見える。

十八世紀から十九世紀にかけて、細密な肖像はこの方法で作られた。

象牙の扱いについて

象牙は、いまでは国際的な取引が厳しく制限されている。

この記事で扱うのは、十九世紀前半に作られた作品の記録である。

現在の取引を勧めるものではない。

館の記録に書かれた材料を、そのまま記す。

白の使い方

象牙に描くとき、白い絵具はあまり使わない。

明るいところは、象牙の地を残して作る。

塗り残しが、そのまま光になる。

紙に描く水彩と同じ考え方である。

ただし、紙より地の白が強い。

そのため、透明な色を薄く重ねるほど効果が出る。

削り出す、ということ

象牙の板は、切り出して作る。

牙の形は決まっているので、大きな板は取れない。

薄く削れば透けるが、割れやすくなる。

そのため、細密画の象牙は小さい。

五点の縦は、6.7センチから11.6センチである。

手のひらに収まる大きさにとどまっている。

寸法が、きりの悪い数になる

象牙を切り出すとき、寸法は入れ物に合わせて決まる。

首から下げる金の枠。蓋のついた小箱。

その内側に収まるように、象牙を削る。

だから、寸法は規格の数字にならない。

削りながら合わせるので、端数が出る。

館は、その端数をそのまま測って記録している。

三十二分の一という細かさは、そこから来ている。

測る細かさの理由

なぜ、三十二分の一まで測るのか。

小さいものほど、細かく測る必要があるからである。

八センチのものを一ミリ違えて記録すれば、一割以上の誤差になる。

七十六センチのものなら、一ミリの差は無視できる。

大きさに応じて、測る細かさを変える。

これは、理にかなった扱いである。

二点の分数

九点のうち、三十二分の一まで書かれるのは一点だけである。

残る四点の象牙は、八分の一か十六分の一で書かれる。

それでも、きりのよい数ではない。

一方、カンヴァスの二点は、分数がまったくない。

三十かける二十四。十二かける十。

きれいな整数である。

婦人の肖像
ヘンリー・インマン《婦人の肖像》1825年ごろ。象牙に水彩。館の記録では、縦8.6センチ、横6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《婦人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

規格の寸法

カンヴァスは、木枠に張って作る。

木枠は、材木屋や画材屋が既製で売っていた。

売られている木枠は、きりのよい寸法で作られる。

だから、そこに張ったカンヴァスも、きりのよい寸法になる。

九点のうち二点が整数なのは、そのためだろう。

削り出す下地と、既製の下地。

寸法の欄の見え方が、そこで分かれている。

縞の肩掛け

いま見た一点の女性は、縞の肩掛けを掛けている。

青と褐色の細い縞が、胸元で交わる。

袖は大きく膨らみ、袖口で絞られている。

1820年代の衣装である。

髪は額の上で細かく巻かれ、後ろでまとめられる。

こうした細部から、年が推定される。

枠ごと撮る

いま見た一点の画像には、金の枠が写っている。

四角い枠に、細かい葉の飾りが刻まれている。

上には、吊るすための環が付く。

記録の寸法は、縦8.6センチ、横6センチ。

これは象牙の寸法だろう。

枠を含めれば、もっと大きい。

画像に写っている範囲と、記録の数字が一致しない。

枠は、作品の一部か

細密画では、枠と本体を切り離しにくい。

枠は、持ち歩くための入れ物でもある。

蓋を開けて見る。首から下げる。

そうした使い方が前提にある。

館が象牙だけを測るのは、絵の部分を記録するためだろう。

しかし、見る側にとっては、枠込みで一つの物である。

婦人の肖像
ヘンリー・インマン《婦人の肖像》1827年ごろ。象牙に水彩。館の記録では、縦7.6センチ、横5.1センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・インマン《婦人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

背景に、景色を入れる

いま見た一点の背景には、空と木立が描かれている。

小さな画面でありながら、遠景が入っている。

暈しただけの背景と、景色を入れた背景。

九点の象牙五点では、この二通りが混じる。

景色を入れると、画面に奥行きが出る。

そのぶん、描く手間は増える。

分数のない象牙

いま見た一点の寸法は、縦7.6センチ、横5.1センチ。

もとの単位では、三かける二である。

象牙でありながら、きりのよい数字になっている。

たまたまそうなったのか、その寸法で切ったのか。

記録からは分からない。

九点の中で、この一点だけが例外である。