文字は、どこに書かれるか——マゾリーノとロットの銘記

縦長の小さな板である。
中央に、聖人が全身で立つ。
緑の衣に、赤い外套を重ねる。
右手に細い旗竿を持ち、上へ伸ばす。
左手には、赤い布のようなものを持つ。
背後は暗い青地で、金の草花文が散る。
上の左右に、翼のある人物が一人ずつ。
いずれも緑と赤の衣をまとう。
三人とも、後光に文字が書かれる。
聖人の後光の文字は、綴りが直されている。
右下には、灰色の衣の人物が小さく跪く。
その下にも、部分的に読める文字がある。
修道女の名だと考えられている。

上部が尖った板である。
金地の前に、聖母が座る。
濃い赤の外套が、膝から床へ大きく広がる。
外套の縁には、金の文様が帯状に入る。
その帯に、文字が織り込まれている。
天使の挨拶の言葉である。
襟の中央にも、別の語が入る。
母、という意味の語だと記録される。
膝の上の子は、青い衣をまとう。
手を上げ、指を二本立てる。
聖母の顔は小さく、目は伏せられる。
後光は金地の中に、線で描かれる。
文字が装飾の一部として使われている。
銘記のない絵
念のために書いておくと、銘記の欄が空の作品も多い。
館の公開データを見ると、この欄が埋まっているのは一部である。
未使用の作品で数えると、千九百点あまりのうち九百点弱にとどまる。
半分に満たない。
つまり、絵の中に文字がある作品のほうが少ない。
文字が入るのは、宗教画と、一部の肖像画に多い。
風景画や静物画には、署名以外の文字がまず入らない。
九点が宗教画に偏っているのは、そのためである。
主題によって、文字の入りやすさが変わる。
銘記の欄の有無は、その作品の種類をも示している。
欄が空であることにも、情報がある。
いまは、そこにない銘記
九点のうち一点の欄は、こう始まる。
かつて裏に記されていた、と。
いまは残っていないという意味である。
裏張りをしたか、板を薄くしたか。
理由は書かれていない。
しかし文の内容は、詳しく写されている。
描かれた人の名、その地位、年齢が日まで。
そして画家の名と、1505年7月1日という日付。
これだけの情報が、いまは失われている。
記録がなければ、すべて消えていた。
過去の誰かが写しておいたから、いまも読める。

小さな板である。
画面は、太い樹によって左右に分かれる。
左は明るく、丘と空が開ける。
空には光が差し、雲が金色に光る。
その下に、裸の子どもが立つ。
道具を手にし、遊ぶ姿勢である。
右は暗く、嵐の空になる。
崩れた木の枝が、鋭く突き出る。
その下に、人物が横たわる。
近くに器がひっくり返り、中身がこぼれる。
左右の対比が、そのまま題の対比になる。
裏に書かれていた文は、この絵が誰のために描かれたかを示す。
いまは失われ、記録の中にだけ残る。
名を、絵の中で明かす
もう一点、名が絵の中に書かれた例がある。
折りたたまれた紙に、宛名が書かれている。
そこに、描かれた人の名と出身地が記される。
肖像画では、誰を描いたのかが最大の情報である。
その情報が、絵の中の小道具に埋め込まれている。
手紙を持たせるという構図は、当時よく使われた。
読める大きさで名を書けば、後の人にも伝わる。
実際、四百年後の記録が、その文字を写している。
絵の中の一枚の紙が、題の欄を支えている。

女性が立ち、こちらを見る。
首には白い襞襟が回る。
衣は青緑で、前面に金の帯が縦に走る。
袖は褐色で、細かい模様が入る。
胸には赤い飾りが留まる。
右手には、開いた本を持つ。
左手には、白い布を握る。
右下には、机がある。
赤い布が掛かり、その上に本が積まれる。
積まれた本の上に、折りたたまれた紙が置かれる。
紙には細かい文字が書かれている。
宛名の形式で、名と地名が読める。
背景は暗く、左に緑の幕が垂れる。
楽譜の文字と、額の重さ
九点のうち一点は、銘記が楽譜に書かれている。
天使が手に持つ紙である。
そこに、歌の文句が記される。
しかも、二人の天使が別々の紙を持つ。
一方には歌い出しの語、他方には声部の名が書かれる。
つまり、二人が別のパートを歌っている。
絵の中で、合唱が成立している。
この一点の寸法の欄には、もう一つ珍しい記載がある。
額装した状態の重さ、92.987キロ。
小数点以下三桁まで書かれている。
大きな板絵なので、掛けるときに重さが問題になる。

大きな板の中央に、聖母が立つ。
赤と青の衣をまとい、手を合わせる。
その周囲を、天使が幾重にも取り囲む。
数えると、数十人になる。
いずれも楽器を持つか、歌う姿勢をとる。
竪琴、笛、太鼓、そして手にした紙。
衣の色は赤、青、緑、白が入り混じる。
天使たちは雲の上に乗る。
雲は白く、下に景色が見える。
小さな街と、川と、丘。
上部には、光が広がる。
画面の密度が高く、隙間がない。
音を絵にしようとした画面である。