文字は、どこに書かれるか——マゾリーノとロットの銘記
台座、祈祷書、手紙、衣の縁、後光、楽譜、卓布。絵の中の文字を、館の記録は位置とともに写す。修復で直された綴りや、いまは失われた裏の一行まで残る。銘記の欄が何を守っているのかを、九点から読みたい。読めた字と補った字は、括弧で書き分けられる。

文字は、どこに書かれるか
絵の中に文字があると、記録はそれを写す。
銘記の欄である。
九点の銘記の欄を並べると、書かれている場所がばらばらだ。
台座の銘板。
開かれた祈祷書の頁。
折られた手紙の表。
衣の襟と、裾の縁。
後光の周り。
楽譜の紙面。
卓を覆う布の縁。
上着の縁。
絵の中のあらゆる場所に、文字が入りうる。
館の記録は、その位置を必ず添える。
何が書かれているかだけでなく、どこに書かれているかも記す。
位置を書く理由
位置が要るのは、文字の性格が場所で変わるからだ。
台座に彫られた文字は、絵の外側からの説明である。
祈祷書の文字は、絵の中の人物が読んでいる言葉だ。
手紙の宛名は、その人が誰かを示す。
衣の縁の文字は、装飾でもあり、意味でもある。
後光の文字は、その人物の名を示す。
同じ「文字」でも、役割がまるで違う。
位置を書かなければ、その違いが伝わらない。
だから記録は、まず場所を書き、次に内容を書く。

縦長の板に、女性が全身で立つ。
台座の上に立ち、こちらを向く。
衣は淡い赤で、床まで届く。
袖は暗い色で、腕にぴったり沿う。
髪は長く、肩から胸へ垂れる。
両手を前に出し、細い紐のようなものを持つ。
背後の左には、城壁と塔が見える。
右には、川と船と人々が描かれる。
台座の正面には、銘板がはめ込まれる。
そこに四行の文字が刻まれている。
自分は貞淑であったが人は信じなかった、という趣旨の詩である。
船の舳先がその証しとなった、と続く。
背後の川と船が、その物語に対応している。
文字と絵が、同じ話を二通りで語る。
括弧で、欠けた字を補う
銘記の欄には、しばしば角括弧が現れる。
読めない字や、失われた字を補うための記号だ。
九点のうち六点に、この括弧がある。
たとえば、天使の言葉を記した文がそうである。
摩耗した部分が括弧に入る。
括弧の外は、実際に読める字。
括弧の中は、文脈から補った字。
この区別は重要である。
括弧がなければ、全部が読めたことになってしまう。
読めた字と補った字を分けるのは、記録の基本である。

建物の内部が描かれる。
天井は格子状で、赤と青の色が入る。
太い柱が中央に立ち、画面を左右に分ける。
左に、翼のある人物が跪く。
金と赤の衣が、床に大きく広がる。
翼には、目のような文様が並ぶ。
右に、青い衣の聖母が座る。
手には開いた本を持つ。
顔は下を向き、本を読む姿勢である。
背後には、木の扉と壁がある。
床は幾何学の模様で埋められる。
聖母の本の頁に、文字が書かれている。
預言者の言葉である。
記録では、そのうち読めない部分が括弧に入る。
同じ文が、二度出てくる
九点のうち二点には、同じ聖書の一節が書かれている。
処女が身ごもり、子を産む、という預言の言葉だ。
どちらも同じ画家の作である。
一方は大きな受胎告知の場面、他方は聖母だけの半身像。
同じ画家が、同じ場面の同じ本に、同じ文を書いた。
これは偶然ではない。
主題が決まれば、書くべき文も決まる。
聖母が読んでいる本には、その一節を書く。
そういう約束が、当時の絵画にはあった。
見る人は、文字を読まなくても内容を推し量れる。
読める人は、細部まで確かめられる。
二重の作りになっている。
館の記録は、二点の欄に同じ文を二度書く。
同じだから省く、ということはしない。
省けば、片方だけを見た人に伝わらない。
「原文のまま」と書き添える
九点のうち一点には、変わった注記がある。
銘記を写したあとに、原文のまま、という語が挟まれる。
つまり、そこに書き間違いがある。
館は、それを直さずに写す。
直せば、絵の上の文字と記録が食い違ってしまう。
かといって、黙って写せば、記録の誤字に見える。
だから、原文のままだと明示する。
一語を足すだけで、誤字が意図的な引用になる。
この工夫は、あらゆる引用に共通するものだ。
美術館の記録も、その作法を守っている。

縦長の画面に、聖母が半身で立つ。
青い外套が頭から肩へ掛かり、金の縁が入る。
その下に赤い衣が見える。
両手を胸の前で交差させる。
顔はやや下を向き、目は伏せられる。
後光は金色で、細かい打ち出しの文様が入る。
背後の右には、黒地に金の文様の布が垂れる。
左には、赤い柱と壁がある。
下部の左に、開かれた本が置かれる。
本の頁に、細かい文字が並ぶ。
先の一点と同じ、預言者の言葉である。
同じ画家が、同じ文を二度書いている。
記録には、写しの中に書き間違いがあることが示される。
修復で、直されてしまった文字
もう一点、興味深い注記がある。
後光に記された聖人の名についてである。
館の記録は、こう書く。
もとの銘記は別の綴りだったが、初期の修復で誤って直された、と。
つまり、いま見える文字は、後の人が書き換えたものだ。
しかも、その書き換えが誤りだったという。
もとの綴りが何であったかも、記録には書かれている。
修復の跡を、記録が保存している。
絵の表面は上書きされたが、記録は上書きされていない。
こういう注記があるおかげで、変更の履歴が追える。