美術史・技法

板から、カンヴァスへ移す——ラファエロ《アルバの聖母》ほか

技法の欄には、材料だけでなく処置まで書かれる。板から剥がした絵具の層を、布に貼り直す。九点の欄には、その書き方が五通りある。短い一語が、絵の物としての履歴をどう運んでいるのかを読みたい。円形の板を布へ移した一点も含まれる。

アルバの聖母
ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

技法の欄に、処置が書かれる

板に油彩、カンヴァスへ移された。

これは、技法の欄に実際に書かれている一文である。

材料だけでなく、その後の処置まで記されている。

もとは板に描かれた。

その絵具の層を板から剥がし、布に貼り直した。

支持体を入れ替える処置である。

九点の技法の欄は、いずれもこの形をとる。

そして、書き方が九点で五通りに分かれる。

カンヴァスへ移された。

板から移された。

カンヴァスへ移し、板に貼った。

カンヴァスと固い支持体へ移された。

合板へ、板から移された。

なぜ、支持体を替えるのか

板絵は、時間が経つと反る。

木は湿気を吸って伸び、乾いて縮む。

その動きで、絵具の層に割れが入る。

虫が入ることもある。

十九世紀には、こうした板を救う方法として移し替えが行われた。

板を裏から削り、絵具の層だけを残す。

そこに布を貼り、新しい支持体にする。

こうすれば、木の動きから絵具を切り離せる。

いまでは、あまり行われない処置である。

危険が大きく、失われるものも多いからだ。

しかし、その時代には最善と考えられていた。

アルバの聖母
ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》1510年ごろ。板に油彩、カンヴァスへ移された。館の記録では、直径94.5センチとされる。番号は1937.1.24。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

円形の画面である。直径は94.5センチ。

中央に、聖母が地面に座る。

青い衣が膝から下へ広がる。

上半身は赤い衣で、袖が金色に光る。

膝の上に、裸の幼な子が座る。

その左に、もう一人の幼な子が跪く。

跪く子は、細い十字を差し出す。

三人の視線は、その十字に集まる。

聖母の左手には、開いた本がある。

背後には、緑の草地と低い丘が広がる。

遠くに小さな建物と、青い山が見える。

空は淡い青で、雲が薄い。

円形の中に、三角形の構図が収まる。

聖母子
アントネッロ・ダ・メッシーナ《聖母子》1475年ごろ。板に油彩とテンペラ、板から移された。館の記録では、画面が縦58.1センチ、横43.2センチとされる。番号は1937.1.30。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アントネッロ・ダ・メッシーナ《聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この一点の技法の欄は、他と違う。

板から移された、とだけ書かれる。

移した先が板であることは、冒頭に書かれている。

つまり、板から別の板へ移されたことになる。

画面には、聖母が半身で描かれる。

濃い青の外套が、頭から肩へ掛かる。

その下に、赤と金の織物の衣が見える。

膝の上の子は、母の首に手を回す。

子の顔は、母の頬に寄せられる。

母は正面をやや外し、目を伏せる。

背後の左には、緑の草地と空が広がる。

右は暗く、布らしい形がある。

手前には、緑の布を掛けた台がある。

板から板へ、という一点

九点のうち一点は、移し先が板である。

板に描かれたものを、別の板へ移した。

なぜ布ではなく板を選んだのかは、書かれていない。

考えられるのは、絵具の層の性質である。

薄く硬い層なら、布より板のほうが支えやすい。

あるいは、額に収めるときの都合かもしれない。

板なら、厚みが安定する。

いずれにせよ、選択が行われている。

同じ問題に対して、いつも同じ答えが選ばれるわけではない。

九点の五通りの書き方は、その選択の幅を示している。

館の記録は、選択の結果だけを書く。

理由は、別の記録の側にある。

五通りの書き方

九点の技法の欄を、書き方で分けてみる。

カンヴァスへ移された、が五点。

板から移された、が一点。

カンヴァスへ移し、さらに板に貼った、が一点。

カンヴァスと固い支持体へ移された、が一点。

合板へ、板から移された、が一点。

つまり、移し先が四通りある。

カンヴァス、板、合板、そして固い支持体。

時代によって、使える材料が違ったのだろう。

合板は、比較的新しい材料である。

移し替えが行われた時期の手がかりにもなる。

館の記録は、移し替えの年を書かない。

書くのは、結果として何になっているかだけである。

ジョヴァンニ・エモ
ジョヴァンニ・ベッリーニに帰される《ジョヴァンニ・エモ》1475年から1480年ごろ。板に油彩、カンヴァスへ移し、板に貼った。館の記録では、画面が縦46.9センチ、横32.6センチとされる。番号は1939.1.224。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョヴァンニ・ベッリーニに帰される《ジョヴァンニ・エモ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

技法の欄が、三段階になっている一点である。

板に描かれ、カンヴァスへ移され、また板に貼られた。

支持体が、板から布へ、布から板へと動いた。

画面には、年配の男が半身で描かれる。

体は左を向き、顔もその向きに近い。

頭には、暗い色の縁のある帽をかぶる。

顔は険しく、口が固く結ばれる。

目は前を見る。眉は下がる。

衣は金色の織物で、大きな文様が入る。

文様は花のような形が繰り返される。

背景は黒に近く、平らである。

金の衣と黒い地の対比が強い。

若者の肖像
アーニョロまたはドンニーノ・デル・マッツィエーレ《若者の肖像》1495年から1500年ごろ。板に油彩、カンヴァスと固い支持体へ移された。館の記録では、画面が縦51.5センチ、横34センチとされる。番号は1939.1.294。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アーニョロまたはドンニーノ・デル・マッツィエーレ《若者の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い男が、半身で描かれる。

体は正面を向き、顔もこちらを向く。

頭には、赤い小さな帽をのせる。

髪は褐色で、肩まで垂れる。

衣は鮮やかな赤で、前に釦が並ぶ。

袖は詰まっており、手首で終わる。

両手を、手前の縁の上に置く。

指は細く、力が入っていない。

背後の左には、建物と木が見える。

右には、青い山と空が広がる。

窓の外の景色のように配置される。

作者の欄には、二人の名が「または」で並ぶ。

兄弟のどちらかとされている。

円形の板を、布へ移す

九点のうち一点は、円形である。

円形の板を、円形の布へ移したことになる。

四角い画面より、難しい作業だっただろう。

縁の処理が、四方すべてで曲線になる。

寸法の欄には、直径だけが書かれる。

縦と横がないのは、円だからである。

額装時の欄にも、直径と厚みが書かれる。

形が変われば、書く項目も変わる。

盾の形の絵と、同じ考え方だ。

寸法の欄は、形を再現できるだけの情報を書く。