作品を知る

象牙には、上限がある——レンクハルト・プライマー・キッドほか九点

一本の牙より大きなものは作れない。象牙の九点を数えると、十人以上の人物が幅16.5センチに詰め込まれ、残る三点では象牙は物ではなく、焼き物の素地と紙と鳥の嘴の色の名になっていた。材料の寸法が絵の構成まで決めている記録である。

十字架降下
アダム・レンクハルト《十字架降下》クリーヴランド美術館蔵

一本の牙から、十人以上が彫り出されている

縦長の彫刻である。

全体は44.8×16.5×12.1センチある。

幅は16.5センチしかない。

牙一本の太さに収まっている。

中央に、十字架が立つ。

十字架は白い横木と縦木でできる。

その上に、人物が掛かる。

体は細く、腕が上へ引かれる。

頭は右へ垂れる。

十字架の下に、人が群がる。

数えると、十人を超える。

上のほうの人物は、梯子に登る。

登った人は、体を支える。

中ほどの人物は、両腕を広げる。

下の人物は、膝をつく。

一人は、顔を手で覆う。

もう一人は、上を見上げる。

顔の表情が、一人ずつ違う。

衣の襞は、深く彫り込まれる。

腕と体のあいだには、隙間がある。

隙間の奥まで、彫り抜かれている。

台の近くには、小さな道具がある。

材料の色は、淡い黄白である。

ところどころ、褐色に変わる。

十字架降下
アダム・レンクハルト《十字架降下》1653年。館の記録では、象牙。全体は44.8×16.5×12.1センチ。番号は1967.134。クリーヴランド美術館蔵。アダム・レンクハルト《十字架降下》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、これは一本の象牙から彫られている。

ある公のために作られたという。

そして館は、こう書いている。

完成までに七年かかった。

作者の知られる最後の彫刻であり、その仕事の頂点である。

聖書の記述は一致しないので、人物を正確に特定するのは難しい。

数人の名は挙げられているが、ほかにも弟子たちが嘆いているに違いないという。

館の記録は、そう説明している。

さらに館は、割れないように気を配って彫ったと書いている。

象牙は乾くと縦に割れる。

彫り抜くほど、割れやすくなる。

七年という時間の多くは、慎重さのためだったらしい。

そして館は、台の近くに小さな道具が彫り込まれているとも書いている。

象牙は、九つの場所に現れる

この一つを出発点に、象牙にまつわる九点を数えていく。

象牙は、大きな獣の牙である。

内部まで詰まっていて、木目のような筋がある。

木より緻密で、石より柔らかい。

だから、細かく彫れる。

そして磨けば、なめらかに光る。

しかし、大きさに限りがある。

一本の牙より大きなものは作れない。

先に言ってしまうと、九点のうち、象牙でできているのは五点である。

一点では、象牙は道具の部品である。

三点では、象牙は色の名前である。

つまり三分の一で、象牙は物ではない。

色の名としての象牙は、白よりわずかに黄を帯びる。

紙にも、焼き物にも、鳥の嘴にも使われる。

実物を見たことがなくても、その色は伝わる。

円筒に、使徒が並ぶ

二点目は、小さな箱である。

使徒たちのピュクシス(小箱)
三幅対の工房《使徒たちのピュクシス》980年から1010年ごろ。館の記録では、象牙。全体は25.5×17.5センチ。番号は1973.4。クリーヴランド美術館蔵。《使徒たちのピュクシス(小箱)》クリーヴランド美術館蔵

円筒形の箱である。

全体は25.5×17.5センチある。

高さより、直径のほうが小さい。

側面いっぱいに、人物が並ぶ。

人物は、背の高い椅子に座る。

椅子には、座布団がある。

数えると、十人以上いる。

一人ずつ、衣の襞が違う。

顔は正面を向く。

手は、胸の前で組むか、物を持つ。

人物と人物のあいだに、隙間はない。

帯のように、ぐるりと続く。

上の縁は、細くすぼまる。

下の縁には、細い輪がある。

側面には、小さな穴がいくつかある。

蓋を留めるための穴らしい。

色は、黄白から褐色まで変わる。

上のほうが淡く、下のほうが濃い。

置かれていた場所の差らしい。

館の記録では、この箱は世界の支配者としてのキリストと、使徒たちと、聖母を、途切れない帯として表している。

すぼまった口は、いまはない蓋と噛み合うためのものだったという。

そして館は、様式から見て、ある工房の作と考えられると書いている。

その工房は、ある都で活動していた象牙彫りの職人たちである。

さらに館は、こう付け加えている。

これは、この時代から残る唯一知られたピュクシスであるという。

館の記録は、そう説明している。

つまり比較する相手がない。

一点しかないものは、年代を様式でしか決められない。

館の記録の年も、三十年の幅がある。

工房の活動期間と、ほぼ重なる。

つまり年は、工房から逆算されている。

牙の曲がりに、体を合わせる

三点目は、立像である。

観音菩薩
チューイン・ドルジェ、第十代カルマパ《観音菩薩》十七世紀。館の記録では、象牙。高さ17.1センチ、幅8.6センチ、奥行き8.9センチ。番号は1972.123。メトロポリタン美術館蔵。チューイン・ドルジェ、第十代カルマパ《観音菩薩》メトロポリタン美術館蔵

小さな立像である。

高さ17.1センチ、幅8.6センチしかない。

人物は正面を向いて立つ。

頭には、高い冠がある。

冠には、細かい飾りが並ぶ。

顔は丸く、目は細い。

耳には、大きな輪が下がる。

首には、幾重にも首飾りが掛かる。

上半身は裸である。

腕は左右に開き、肘で曲がる。

手のひらは、前を向く。

腰から下には、布が巻かれる。

布には、細かい線の襞がある。

足は、蓮の台に乗る。

台は、岩のような形をしている。

材料の色は、上のほうが淡い。

下のほうは、褐色が濃い。

台のあたりは、ほとんど茶色である。

磨かれた部分だけが、光を返す。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

作者は、ある宗派の指導者である。

つまり彫刻を専門とする職人ではない。

材料は、象牙の一語である。

色の濃淡は、牙のどの部分を使ったかで決まる。

外側は白く、中心に近いほど色が濃い。

九点のうち、色の差がはっきり見えるのは、この一点である。

牙は、円錐の形をしている。

まっすぐな材料ではない。

立像を彫るには、その曲がりに体を合わせる。

だから、姿勢が牙の形に従うことがある。

薄く削って、絵の地にする

四点目では、象牙は絵の地になる。

エリザベス・ブッシュビー
アンドリュー・プライマー《エリザベス・ブッシュビー》1804年。館の記録では、象牙。楕円で75×57ミリ。番号は26.168.59。メトロポリタン美術館蔵。アンドリュー・プライマー《エリザベス・ブッシュビー》メトロポリタン美術館蔵

小さな楕円である。

75ミリと57ミリしかない。

若い女性が、胸から上まで描かれる。

顔は正面を向き、目もこちらを見る。

髪は褐色で、額の上で細かく巻く。

耳のあたりで、巻き毛が垂れる。

目は大きく、間隔が広い。

鼻は小さく、口は閉じる。

衣は白く、肩が大きく開く。

胸元には、白い布が斜めに寄る。

背景は、明るい水色である。

上のほうは、白い雲のようになる。

下のほうは、褐色に沈む。

楕円のまわりは、金の枠である。

上には、吊り環が付く。

環は小さく、金色である。

身につけるための細密画である。

館の記録では、材料は象牙の一語である。

館の札には「肖像」と「女性たち」がある。

象牙は、薄く削ると光を通す。

その下から、白い光が返ってくる。

だから、肌が明るく見える。

白の絵の具を使わずに、明るさを作れる。

背景の水色も、下から光が返る。

そのぶん、色が澄む。

紙に描けば、同じ色でも沈む。

象牙の地については、象牙の地で扱った。

銀の器に、象牙の把手を付ける

五点目では、象牙は部品である。

クリーム入れ
カルロ・ブガッティ《クリーム入れ》1907年ごろ。館の記録では、金めっきの銀と象牙。全体は12.7×9.1×6.4センチ。番号は1980.74.2。クリーヴランド美術館蔵。カルロ・ブガッティ《クリーム入れ》クリーヴランド美術館蔵

小さな注ぎ器である。

全体は12.7×9.1×6.4センチしかない。

胴は丸く、上が大きく開く。

開いた口は、獣の頭の形である。

頭には、目と鼻がある。

口が開き、そこから注ぐ。

胴の下は、丸く膨らむ。

底は平らである。

上から後ろへ、細長い把手が伸びる。

把手は大きく反り返る。

先は細く、尖る。

把手だけが、白い。

胴は金色である。

金と白の対比が、強い。

白い部分は、全体の三割ほどしかない。

しかし目は、そちらへ行く。

曲線が長く、輪郭が目立つためである。

館の記録では、この一組は茶と珈琲の道具、盆、卓として作られた。

いまは失われた杯もあり、すべて同じ作り手の意匠である。

ある年の装飾美術の博覧会で発表されたという。

そして館は、この一組の来歴を書いている。

別の年の展覧会で、ある国から来ていた裕福な未亡人が買ったらしい。

その人が国へ帰るとき、この作り手の品を持ち帰った。

そして生涯、その国に留まったという。

館の記録は、そう説明している。

さらに館は、動物や昆虫の意匠が、伝説の獣や太古の動物の化石を思わせると書いている。

つまり把手の形は、獣の牙にも見える。

そして実際に、牙でできている。

形と材料が、同じものを指している。

九点のうち、その一致があるのはここだけである。

ほかの八点では、形と材料は別のことを言う。

象牙が、箱の中に納まる

六点目では、象牙は握りである。

収納箱付きの六銃身回転式雷管ピストル(ペッパーボックス)
イーサン・アレン《収納箱付きの六銃身回転式雷管ピストル》1842年から47年。館の記録では、鋼、金、銀、象牙、紫檀、ビロード。銃は全長17.78センチ、箱は32.84×20.78×6.65センチ。番号は1990.137a。メトロポリタン美術館蔵。イーサン・アレン《収納箱付きの六銃身回転式雷管ピストル(ペッパーボックス)》メトロポリタン美術館蔵

開いた箱が写っている。

箱は32.84×20.78×6.65センチある。

箱の内側は、赤褐色である。

内側は、いくつもの区画に切られている。

区画の形は、収める道具に合わせてある。

中央に、短銃がある。

銃身は六本で、束になる。

銃身は黒く、短い。

握りは白く、下へ曲がる。

握りだけが、白い。

その左右に、白い柄の道具が並ぶ。

上に二つ、下に二つある。

柄はどれも、同じ白である。

中央下には、金属の筒がある。

左の隅には、小さな部品が並ぶ。

部品は金属で、小さい。

弾を込めるための道具らしい。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

材料は六つで、四番目が象牙である。

銃の全長は17.78センチしかない。

つまり握りは、手のひらほどの大きさである。

小さいので、牙の端の部分で足りる。

彫刻に使えない細い部分でも、握りにはなる。

材料は、大きさに応じて用途が分かれる。

九点のうち、象牙が握るための材料なのは、この一点である。

象牙が、焼き物の色になる

七点目から、象牙は色になる。

牡丹に雲文の香炉
三代清風与平《牡丹に雲文の香炉》明治時代。館の記録では、型と彫りによる文様、淡い桃色の釉、花の透かしのある銀の蓋の磁器。蓋を含めて高さ12.9センチ、直径13.5センチ。番号は2022.204。クリーヴランド美術館蔵。三代清風与平《牡丹に雲文の香炉》クリーヴランド美術館蔵

小さな香炉である。

蓋を含めて高さ12.9センチ、直径13.5センチしかない。

胴は丸く、下に三本の脚が付く。

脚は短く、外へ開く。

胴の面は、淡い灰白である。

わずかに桃色を帯びる。

面には、浅い浮き彫りがある。

牡丹の花と、渦を巻く葉である。

花弁には、細い線が刻まれる。

首のあたりには、雲の帯が回る。

蓋は銀で、丸く盛り上がる。

蓋の面は、透かし彫りである。

花の形が、いくつも抜かれている。

透かしの穴から、中が見える。

中は空である。

香を焚けば、煙がその穴から出る。

穴の形が、煙の出方を決める。

銀は灰色で、胴より暗い。

磨けば白く光る。

いまは、わずかに曇っている。

館の記録では、胴に牡丹と如意の頭の形の文様が巡り、首に雲の帯がある。

どれも低い浮き彫りで、花弁と葉の細部は彫り線で示される。

銀の蓋には、百合や牡丹や菊が咲き乱れるという。

そして館は、箱の蓋の銘について書いている。

象牙色の素地の上の淡い桃色を、暁の光の磁器と呼んでいる。

作者は、ある年にその釉を考え出したという。

館の記録は、そう説明している。

つまり素地の色が、象牙にたとえられている。

九点のうち、象牙が焼き物の色なのは、この一点である。

そして館の記録は、断定していない。

この香炉がその釉の例かもしれない、と書いている。

箱の蓋の銘が、唯一の手がかりである。

器そのものには、作者の名しか記されていない。

釉の名は、箱にだけある。

器と箱が離れれば、名も失われる。

象牙が、紙の色になる

八点目でも、象牙は色である。

バ・ブレオーの老樫
アドルフ・マルシャル・ポテモン《バ・ブレオーの老樫》1865年ごろ。館の記録では、クリーム色のアジア紙に黒インクのエッチング、象牙色の織紙に全面貼付。画面は29.6×24.7センチ、版は31×26センチ。番号は1887.455。シカゴ美術館蔵。アドルフ・マルシャル・ポテモン《バ・ブレオーの老樫》シカゴ美術館蔵

縦長の版画である。

画面は29.6×24.7センチある。

画面いっぱいに、木がある。

幹は太く、画面の左右に立つ。

幹の表面には、細かい皺がある。

皺は、短い線を重ねて表される。

枝は上へ広がり、葉に覆われる。

葉は、点と短い線の集まりである。

黒が濃く、密である。

木と木のあいだに、明るい隙間がある。

隙間の向こうは、白い。

地面には、下草が茂る。

下草も、細かい線でできている。

画面の下は、暗い。

下草の線が、密に重なるためである。

幹の根元は、ほとんど黒い。

明暗は、線の密度だけで作られる。

色は、二種類の紙の色だけである。

インクは黒の一色しかない。

館の記録では、この版画は二枚の紙でできている。

上の紙は、クリーム色のアジアの紙である。

その下に、象牙色の織紙がある。

薄い紙を刷ってから、厚い紙に全面を貼る。

薄い紙は、細い線をよく受ける。

しかし、そのままでは扱えない。

だから厚い紙が要る。

館の記録は、そう書いている。

つまり象牙という語は、下の紙の色を指す。

九点のうち、象牙が紙の色なのは、この一点である。

二枚の紙の色は、わずかに違う。

上がクリーム色で、下が象牙色である。

どちらも白ではない。

館の記録は、その差を書き分けている。

色の名を二つ使い分けるのは、細かい仕事である。

どちらも白ではないと言うためである。

象牙が、鳥の名になる

最後の一点で、象牙は嘴の色である。

ハシジロキツツキ
ジョゼフ・バーソロミュー・キッド《ハシジロキツツキ》1830年から31年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。99.7×66.7センチ。番号は41.18。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・バーソロミュー・キッド《ハシジロキツツキ》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

99.7×66.7センチある。

中央に、太い木の幹が立つ。

幹は縦に伸び、上で二つに分かれる。

幹には、鳥が三羽とまる。

いちばん下の鳥は、幹に爪を立てる。

体は黒く、腹が白い。

頭には、赤い冠羽が立つ。

嘴は白く、太く、まっすぐである。

その上の二羽は、上のほうにいる。

一羽は下を向く。

一羽は、体をひねる。

どの鳥も、嘴が白い。

嘴の長さは、頭の半分ほどある。

先はやや平たく、鑿のようである。

背景の下には、水辺がある。

空は青く、白い雲が浮かぶ。

遠くには、低い山の稜線がある。

水面は、灰緑である。

館の札には「鳥類」とある。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

題にある象牙という語は、嘴の色を指す。

つまり画面の白い嘴が、その名の由来である。

材料にも、象牙はない。

油彩とカンヴァスだけである。

そして、この鳥はいま見られない。

最後に確かめられたのは、ずっと前である。

つまり画面は、いない鳥の記録になっている。

嘴の色の名だけが、残っている。

館の記録は、そこまで書いていない。

書かれているのは、題と材料と寸法だけである。

札にある一語も、鳥類とあるだけである。

数えてみると

九点を並べ直す。

象牙でできているのは、五点である。

彫刻、箱、立像、細密画の地、そして把手。

握りを加えれば、六点になる。

象牙が色の名なのは、三点である。

焼き物の素地、紙、そして鳥の嘴。

もう一つ数える。

九点のうち、象牙が彫られているのは三点である。

残る三点では、象牙は削って平らにされている。

細密画の地、把手、そして握り。

把手は削って曲げた形である。

細密画の地は、透けるほど薄い。

象牙の楕円については、象牙の楕円で扱った。

平らな面と、彫った面で、使い方が分かれる。

さらに数える。

九点のうち、館の記録の材料の欄に象牙という語があるのは六点である。

残る三点では、象牙は題か説明文の中にある。

鳥の題、紙の説明、そして箱の蓋の銘。

三つとも、色の名としての象牙である。

材料の欄に入るのは、物としての象牙だけである。

欄の区別が、物と色を分けている。

読む側は、その区別を頼りにできる。

書かれた場所が、意味を決めている。

言えることと、言えないこと

言えるのは、象牙が「大きさに上限のある材料だ」ということである。

一本の牙より大きくは作れない。

だから最初の彫刻は、幅16.5センチに収まっていた。

十人以上の人物が、その幅に詰め込まれている。

箱も、立像も、細密画も、手のひらか腕の長さに収まる。

九点のうち六点が、その範囲にあった。

大きな作品を作るには、継ぐしかない。

継げば、継ぎ目が見える。

九点の中に、継いだものはない。

どれも、一つの塊から取られている。

言えないのは、象牙が白いという話である。

彫刻は淡い黄白で、褐色の部分がある。

立像は、下へ行くほど濃い。

色の名として使われるときも、白ではない。

紙も、素地も、わずかに黄を含む。

白い紙と並べれば、違いが分かる。

わずかに黄を帯びた、温かい色を指す。

最後に、はじめの一つへ戻る。

十字架の下に、十人以上が群がっている。

その全部が、一本の牙の中にあった。

彫るとは、材料の形に合わせて数を決めることでもある。

牙が太ければ、もっと入る。

九点を数え終えて残るのは、材料が決めた人数のほうである。

幅が決まれば、入る人数が決まる。

人数が決まれば、場面の描き方も決まる。

材料の寸法が、絵の構成まで決めている。

そして色の名になったときも、その温かさが残る。

物としての象牙を知らなくても、色は伝わる。

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