石の名は、色を貸す——宋旭・広重・ピサロほか九点
翡翠という鳥の名も、水晶宮という建物の名も、石そのものではなく色や光の似方から来ている。玉と水晶の九点を数えると、手に取れる石は三点しかなく、四点では石の名が別のものを指していた。名は広まり、記録がそれを訂正する。

淡い緑の器に、銀の鎖が掛かっている
小さな皿である。
全体は7.6センチしかない。
形は、浅い椀である。
縁は厚く、丸められている。
胴の壁も、厚い。
色は、淡い黄緑である。
光を通し、内側が透ける。
厚いところは、色が濃くなる。
薄いところは、白く見える。
面には、筋も斑もない。
一様な色である。
縁の上に、銀の金具が三つ付く。
金具は小さく、鋲で留められている。
金具のあいだに、銀の鎖が垂れる。
鎖は二本あり、弧を描く。
輪の一つずつは、細い。
鎖は器の外側に沿って下がる。
底は平らで、装飾がない。
面はどこも磨かれ、艶がある。
傷は見当たらない。

館の記録では、この工房は贈り物のための小さな宝物を専門に作った。
机や卓の上の贅沢な小物を作るにあたって、この地方で採れる硬い石をよく使った。
色とりどりの瑪瑙と石英、緑の軟玉、桃色の薔薇輝石、水晶、そして淡い緑のボーエナイトである。
どれも、ある山脈で見つかるという。
そして館は、その石を銀の金具と組み合わせることが多かったと書いている。
とくに、銀細工師の集まっていた工房でそうだったという。
館の記録は、そう説明している。
さらに館は、こう付け加えている。
この石は、ときに新しい玉と呼ばれる。
しかし実際には、半貴石であるという。
つまり館は、通称と分類を並べて書いている。
呼び名のほうが、値打ちを高く見せる。
記録は、その差を隠していない。
通称は売るために生まれ、分類は調べるために生まれる。
二つは、別の目的を持っている。
同じ石に、二つの名が付いている。
石の名は、九つの場所で揺れる
この一つを出発点に、玉と水晶にまつわる九点を数えていく。
硬い石は、彫るのに時間がかかる。
鋼の刃では、削れないものもある。
砂と水を使って、擦って形にする。
だから、小さなものしか作れない。
そして色が、その石の値打ちを決める。
先に言ってしまうと、九点のうち、石でできているのは三点である。
一点では、石の意匠が金属で写されている。
一点では、石の名が山の名である。
一点では、石の名が鳥の名である。
一点では、石の名が人の呼び名である。
一点では、石の名が建物の名である。
そして一点では、石が石の中に彫られている。
つまり九点のうち、石が石として手に取れるのは三点しかない。
残る六点で、石は名前か、写しか、描かれた物である。
手に取れない石のほうが、多い。
硬い石は数が少なく、値も高い。
だから、名前のほうが先に広まる。
玉が、峰の名になる
二点目は、画帖の一葉である。

ほぼ正方形の一葉である。
紙は26.4×28.4センチしかない。
画面の左に、岩の塊がある。
岩は褐色と灰緑で塗られる。
輪郭の線は細く、震える。
岩の上に、松が数本立つ。
松は横へ枝を広げる。
葉は、細かい点の集まりである。
岩の右は、水である。
水は淡く、線がほとんどない。
奥に、低い山並みが見える。
山並みは薄い墨で描かれる。
画面の右上に、文字がある。
文字は縦に数行並ぶ。
その下に、赤い印がある。
印は小さく、四角い。
文字は白く抜けている。
館の記録では、この時代には、名所を訪ねる旅が増え、絵入りの旅の本が多く作られた。
土地の景色を描くことが盛んになったという。
そして館は、この画帖について書いている。
ある湖のまわりの、二つの隣り合う県の名所を描いている。
作者は、その地方を舟で通ったので、よく知っていたはずである。
絵には、地誌のような書き込みが添えられている。
つまりこの画帖は、記念の品、あるいは旅の案内として作られたらしい。
あるいは、心の中で旅をするためだったという。
館の記録は、そう説明している。
題にある玉は、峰の名の一部である。
画面に、玉はない。
岩は褐色と灰緑で、玉の色ではない。
峰の名が、色を借りているだけである。
名の由来は、記録に書かれていない。
玉の字が、鳥の名になる
三点目は、細長い版画である。

縦に細長い版画である。
全体は25.2×12.4センチしかない。
幅は、手のひらより狭い。
画面の上のほうに、鳥がいる。
鳥は横向きで、翼を広げる。
背は青く、腹は橙である。
嘴は長く、まっすぐである。
脚は短く、赤い。
鳥の下に、細い枝が伸びる。
枝には、青紫の花が咲く。
花は五つに割れ、星の形になる。
蕾は丸く、風船のようである。
葉は細長く、縁に細かい鋸歯がある。
画面の右上には、文字が並ぶ。
地は薄い黄褐色である。
紙の色がそのまま出ている。
背景は、塗られていない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
この鳥の名は、玉の一種を表す二字で書かれる。
背の青が、その石の色に似ているためである。
しかし画面の鳥は、青と橙である。
石のほうは、緑である。
つまり名は、色の一部だけを取っている。
腹の橙は、名に入らない。
背の青だけが、名を決めた。
見る側は、その一部を知って名を使う。
石を見たことがなくても、鳥は呼べる。
名は、実物より軽く動く。
石は運ばなければ動かない。
名は、話すだけで伝わる。
だから名のほうが、遠くまで届く。
この画家の細長い鳥の版画については、細長い版で扱った。
石の彫りを、金属で写す
四点目では、石が金属になる。

きわめて小さい板である。
全体は4.1×3.4×0.4センチしかない。
厚みは4ミリしかない。
形は、縦長の楕円である。
面には、浮き彫りがある。
右に、裸の男が立つ。
男は木にもたれ、腕を上げる。
木の枝は、上へ伸びる。
左には、座る人物がいる。
人物は膝を曲げ、前へかがむ。
その足元に、小さな人物がいる。
小さな人物は、手を差し出す。
三人とも、輪郭が丸く盛り上がる。
地の面は、暗い褐色である。
光は、盛り上がった部分にだけ当たる。
谷は暗く沈む。
館の記録では、この小さな板は、一世紀の重要な彫刻された石にもとづく。
その石は、千四百年代にある家の収集に入ったという。
そして館は、こう続けている。
その古代の紅玉髄はたいそう好まれたので、意匠は数多くの変形と材料で写された。
館の記録は、そう説明している。
さらに館は、題の物語を説明している。
笛の名手が、竪琴の神に音楽の勝負を挑んだ。
そして負けて、罰を受けたという。
つまり、もとは石に彫られていた。
それが、金属で写されている。
石は硬く、時間がかかる。
金属なら、型から何度でも出せる。
九点のうち、石が金属に置き換わっているのは、この一点である。
紅玉髄は、赤褐色の半透明の石である。
この板は、暗い褐色の金属である。
色は近いが、光の通り方が違う。
写せるのは、形だけである。
水晶の筒に、遺物を納める
五点目では、石は容れ物である。

背の高い台である。
45.8×14.7センチある。
下は、円い足である。
足の上に、細い柱が立つ。
柱の中ほどに、球形の節がある。
その上に、建物の形の枠がある。
枠は尖った屋根を持つ。
屋根の上には、小さな十字がある。
枠の左右には、細い小塔が立つ。
枠の中央は、開いている。
そこに、透明な筒がある。
筒は縦に立ち、面が磨かれている。
筒の中に、小さなものが見える。
布に包まれているらしい。
金の部分は、細かい彫りで飾られる。
小塔には、細い尖りが並ぶ。
屋根の面には、格子の彫りがある。
館の記録では、材料は四つである。
金めっきの銀、水晶、織物、そして人の遺骨。
年の欄は、二つに分かれている。
台が1433年、容器は900年から1200年である。
つまり水晶の筒のほうが、五百年ほど古い。
古い容器を、新しい台に組み込んでいる。
九点のうち、二つの年が離れているのは、この一点である。
水晶は、割れなければ残る。
金具は、時代ごとに作り替えられる。
中身と外側で、時間の進み方が違う。
水晶の玉を、役者が持つ
六点目では、水晶は描かれた物である。

縦長の版画である。
30.8×14.6センチしかない。
画面の中央に、人物が立つ。
体は右を向き、腰をひねる。
顔は上を向く。
髪は高く結い上げられる。
衣は黒地に、白い斑がある。
裾は長く、後ろへ広がる。
裾の内側は、赤い。
腕を高く上げる。
その手に、丸いものを持つ。
丸いものは白く、輪郭だけが描かれる。
もう一方の手は、袖を握る。
足元には、水の流れがある。
流れは、細い曲線で示される。
奥には、梅の枝が伸びる。
枝には、赤い花が咲く。
花は小さく、点のようである。
枝は画面の上で切れる。
館の札には「踊り」と「役者」がある。
題に、水晶の玉という語がある。
しかし画面の玉は、白い円である。
透明さは、描かれていない。
版画では、透明を刷る方法がない。
紙の白を残すか、線で囲むかである。
ここでは、線で囲んである。
だから、白い円としてしか見えない。
この画家の役者の顔については、役者の顔で扱った。
水晶が、人の呼び名になる
七点目では、水晶は名前である。

縦長の肖像である。
73.7×60.9センチある。
胸から上が描かれる。
顔はこちらを向く。
髪は黒く、真ん中で分ける。
分け目の左右は、赤く塗られている。
首には、色の付いた紐が幾重にも掛かる。
紐は青と白である。
衣は、淡い黄褐色の皮である。
胸元には、細かい飾りが並ぶ。
飾りは、赤と青の帯である。
袖からは、細い房が垂れる。
肩には、毛皮が掛かる。
腕は前で組まれる。
背景は、黄褐色と灰である。
地の色は、下へ行くほど暗い。
人物の輪郭が、そこで浮かぶ。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題は、名を音で写し、続けて意味を添えている。
意味のほうに、水晶の石という語が入る。
画面に、水晶はない。
首の紐に付く飾りも、青と白の粒である。
館の記録は、その材質に触れていない。
呼び名だけが、石を伝えている。
この画家の題の付け方については、二つの名前で扱った。
水晶が、建物の名になる
八点目では、水晶は建物である。

横長の画面である。
47.2×73.5センチある。
画面の左に、大きな建物がある。
建物は横に長く、平らな屋根を持つ。
面は、灰色と青灰色である。
細かい縦の線が、規則正しく並ぶ。
窓の枠らしい。
屋根の上には、旗が立つ。
旗は赤と青で、風になびく。
建物の手前は、広い道である。
道は右奥へ伸びる。
道の上に、人が数人いる。
人は小さく、点に近い。
馬車も一台ある。
道の左端には、柵が続く。
柵の向こうは、低い草地である。
右には、煉瓦の家が並ぶ。
家の屋根は、赤褐色である。
空は広く、白い雲が重なる。
雲は厚く、下端が灰色である。
空が画面の半分を占める。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題にある名は、この建物の通称である。
建物は、鉄と硝子でできている。
水晶ではない。
硝子が光を通すので、そう呼ばれた。
画面では、面が灰色に見える。
光を通しているようには、見えない。
外から見れば、硝子は空を映す。
この画面では、空のほうが明るい。
建物は、その手前に沈んでいる。
名と見え方が、一致していない。
この画家の都市と田園については、都市と田園で扱った。
この建物は、博覧会のために建てられた。
のちに解体され、別の場所に建て直された。
そして、いまは残っていない。
名だけが、地名として残っている。
石に、石の飾りを彫る
最後の一点で、石は石の中にある。

四角い石の板である。
全体は60.4×69.8センチある。
右上の角は、欠けている。
面には、浮き彫りがある。
中央に、人物が立つ。
体は横を向き、顔も横を向く。
頭には、大きな飾りが載る。
飾りからは、羽根が長く垂れる。
羽根は後ろへ流れる。
首には、丸い玉を連ねた飾りがある。
玉は大きく、一つずつ彫られている。
腕にも、同じ玉の輪がある。
手には、細長い物を持つ。
物は棒のようで、先に飾りがある。
両手で支えている。
衣は体に沿い、縁に房が付く。
板の左と右には、文字の枠が並ぶ。
枠の中には、四角い記号がある。
記号は入り組み、隙間がない。
枠は、上下二段に分かれる。
数は、片側で十を超える。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
材料は、石灰岩の一語である。
つまり首と腕の玉も、石灰岩である。
彫られた玉が何の石かは、書かれていない。
館の記録は、材料の欄に一語しか置かない。
描かれたものの材質は、そこに入らない。
入るのは、作品そのものの材料だけである。
形だけが、玉であることを示している。
丸く、大きさがそろい、連なっている。
色は、石灰岩の色である。
九点のうち、石が石を写しているのは、この一点である。
柔らかい石で、硬い石を彫る。
石灰岩は爪でも傷が付く。
だから、細かい彫りができる。
硬い石なら、この細かさは出せない。
柔らかいことが、彫りの細かさを許している。
玉は、鋼でも削れない。
硬さの違うものが、同じ面に並んでいる。
数えてみると
九点を並べ直す。
硬い石そのものでできているのは、二点である。
淡い緑の皿と、水晶の筒。
石灰岩の板を加えれば、三点になる。
石の意匠が金属で写されたものが、一点。
石が絵に描かれたものが、一点。
そして石の名が別のものを指すのが、四点である。
峰の名、鳥の名、人の呼び名、建物の名。
四つのうち、二つは玉で、二つは水晶である。
二つの石が、同じように名を貸している。
もう一つ数える。
九点のうち、館の記録の材料の欄に石の名があるのは三点である。
残る六点では、石は題か説明文の中にある。
さらに数える。
九点のうち、石が透けているのは二点である。
淡い緑の皿と、水晶の筒。
どちらも、中が見えることが要点である。
皿は光を通し、筒は納めたものを見せる。
残る一点の石灰岩は、透けない。
透けない石で、透ける石を彫っている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、石の名が「色を貸す名前だ」ということである。
鳥は、背の色が石に似ているから、その名で呼ばれる。
建物は、硝子が光を通すから、その名で呼ばれる。
淡い緑の石は、新しい玉と呼ばれた。
どれも、色か光の似方で名が付いている。
九点のうち四点で、石の名は色の比喩だった。
峰の名も、白い岩肌から来たのかもしれない。
人の呼び名も、光るものへの連想だろう。
どれも、確かめる手立てはない。
記録は、名の由来を書かないからである。
書かれるのは、材料と寸法と年である。
名がどこから来たかは、別の調べになる。
言えないのは、名前が実物を指すという話である。
館の記録は、その石が半貴石だと明記していた。
新しい玉と呼ばれても、玉ではない。
呼び名は広まり、記録が訂正する。
しかし訂正しても、呼び名は消えない。
館の記録も、二つを並べて書いている。
その二つが、同じ一行に並んでいる。
最後に、はじめの一つへ戻る。
淡い緑の皿は、厚いところで色が濃くなる。
薄いところは、白に近い。
石の色は、厚みで変わる。
削るほど、色が薄くなる。
九点を数え終えて残るのは、その厚みと色の関係のほうである。
石の色は、面の色ではない。
中まで続く色である。
絵の具は、面にしか乗らない。
そこが、石と顔料の最も大きな違いである。
削れば、絵の具は消える。
削れば、石は色を変える。
同じ削るという行為が、逆の結果になる。
石を彫る人は、削りながら色を見る。
絵を描く人は、置きながら色を見る。
見る順序が、はじめから違っている。
石は減らして色を出し、絵は足して色を作る。
九点は、その二つの側にまたがっている。
名前は、そのどちらにも属さない。
削りも足しもせずに、色だけを借りる。


