縦が、横の三倍ある——歌川広重の花鳥
九点のうち五点は、縦が横の三倍近い細長い紙に摺られている。掛けて見るための判型である。狭い紙に枝を斜めに置き、文字を上に入れ、月を白く残す。形の制約が、何を可能にしたのかを見たい。残る四点の判型も、二つに分かれる。

縦が、横の三倍
九点のうち五点は、細長い紙に摺られている。
縦は33センチから37センチ、横は10.8センチから12.5センチである。
縦を横で割ると、三倍近い。ふつうの版画の比率ではない。
残る四点のうち三点は、縦26センチ前後、横17センチから19センチである。
同じ絵師の同じ時期の仕事に、二つの形が並んでいる。
年で見ると、九点は1830年ごろから1840年代半ばに収まる。
十五年ほどのあいだ、両方の判型が使われている。
どちらかへ移ったのではない。並行している。
短冊という形
この細長い判型を、短冊判と呼ぶ。
和歌を書きつける細長い紙にちなんだ名である。
紙の形が決まれば、描けるものも決まる。横に広がる景色は入らない。
かわりに、縦に伸びるものが収まる。垂れた枝、立った茎、落ちる滝。
九点の五点は、その形の中で作られている。
館の記録には、短冊判という語が出てこない。数字だけが並ぶ。
だから、寸法を見て初めてこの判型だと分かる。
判型の呼び名は、記録の外にある知識である。
掛けて、見る
細長い紙は、掛けて見ることを想定している。
柱や壁の狭い場所に、画鋲や紐で留める。
掛け軸のように仕立てられることもあった。
九点の細長い五点は、いずれもその使い方に合う形である。
いま額に入って壁に掛かる姿は、もとの姿とは違う。
花と鳥という主題
細長い紙に最もよく合うのは、枝に止まった鳥である。
枝は斜めに伸び、鳥はその上にいる。上下が使える。
日本の絵には、花と鳥を組み合わせる長い伝統がある。花鳥という言い方をする。
九点のうち七点が、その主題である。
残る二点は景色で、同じ判型でありながら中身が違う。
花鳥の絵は、中国から伝わった主題である。日本でも長く描かれてきた。
版画で扱われるようになったのは、比較的あとの時期である。
安く手に入る装飾として広まったと考えられる。
九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
細長い判型が六点、広い判型が三点である。
主題は、花と鳥が七点、景色が二点。
年は1830年ごろから1840年代半ばに収まる。
いずれも木版で、紙に墨と色を摺ったものである。
文字が、上に入る
九点の画像を見ると、多くの紙に文字が書き込まれている。
上部の空いた場所に、細い字が縦に並ぶ。
短い詩である。花と鳥を詠んだものだと考えられる。
絵と詩が同じ紙に載る形は、日本の版画でよく使われた。
文字の分だけ、絵の面積は減る。あらかじめ余白が設計されている。
九点のうち、文字の入らない画面は一点だけである。
残る八点には、二行から四行の文字がある。
詩は絵の説明ではない。並べて味わうものである。

九点で最も細長い一点である。縦は横のほぼ三倍ある。
画面の上部に、細い枝が斜めに下がる。
枝には、薄い桃色の花が二つ咲く。花弁が大きく開く。
その下に、鳥が一羽止まる。頭を右へ向ける。
体は灰色と褐色で、腹が白い。嘴は太く、大きい。
枝はさらに下へ伸び、細い葉が数枚付く。
背景の上端は濃い青で、下へ向かって薄くなる。
中ほどから下は、紙の色がそのまま残る。
右下に、詩らしい文字が三行入る。
花弁の色は、薄い墨を重ねて作られている。輪郭線は細い。
鳥の腹の白は、塗り残しである。紙の色がそのまま出る。
摺りの回数は多くない。色は四つか五つに絞られている。
上を青く、下を白く
九点のうち五点で、画面の上端が濃く摺られている。
青か紺で、下へ向かって薄くなる。
これはぼかしと呼ばれる技法である。版木に絵具を刷毛で置き、濃淡を作る。
一枚ずつ手で加減するので、同じ版でも仕上がりが違う。
細長い紙では、この上端の帯が空の役をする。景色を描かずに空を示せる。
下端にも同じ処理が使われることがある。地面や水を示す。
上と下を締めれば、中央が明るく浮かぶ。
九点の細長い五点は、いずれもその構えである。

九点で最も横幅の狭い一点である。10.8センチしかない。
画面の中ほどに、太い枝が縦に伸びる。
その枝の上に、青い鳥が止まる。体は青灰色で、腹が淡い。
鳥は右を向く。嘴は短く、尖る。
枝の下には、赤い花が一つ咲く。花弁が丸く重なる。
葉は濃い緑で、厚みがある。数枚が枝を囲む。
画面の下部は暗い緑で、地面に近い部分を示す。
上部には、文字が二行入る。
紙が狭いので、鳥と花が上下に離れて置かれる。
枝を、斜めに置く
九点の花鳥を見ると、枝はたいてい斜めに走る。
縦でも横でもない。画面を斜めに切る。
斜めの線は、狭い紙の中で最も長く取れる。
しかも、動きが生まれる。垂直の線より柔らかい。
九点の七点で、この斜めの構えが使われている。
狭い紙の使い方
横幅が10センチほどしかないと、置けるものは限られる。
鳥を一羽、花を一つか二つ。それで埋まる。
だから、視線は上から下へ動く。左右には動かない。
読むように見る形になる。細長い紙は、そういう見方を作る。
九点の細長い五点は、いずれも上下の動きで構成されている。

九点のうち、鳥の出てこない花だけの一点である。
細い茎が下から上へ伸びる。途中で分かれる。
花は桃色で、五つほど咲く。開いたものと、つぼみが混じる。
葉は細長く、縁に細かい切れ込みがある。
茎には棘らしい短い線が並ぶ。
背景は上端が濃い青で、下へ薄くなる。
下部の左には、緑の帯が入る。地面である。
上部に、文字が三行ほど並ぶ。
花だけでも、細長い紙は成り立つ。茎が縦に伸びるからである。
棘まで、描く
いま見た一点では、茎に短い線が並ぶ。棘である。
薔薇を薔薇として示すには、この細部が要る。
花の形だけでは、ほかの花と区別がつかない。
版画では、こうした細部は彫りの仕事になる。細い線を彫り残す。
彫師の腕が、そのまま植物の同定に効いてくる。
鳥がいない一点
九点のうち一点だけ、鳥が描かれていない。
花と茎と葉だけである。
花鳥という言い方をするが、鳥は必須ではない。
縦に伸びる植物があれば、この判型は埋まる。
もっとも、鳥がいると視線の止まる場所ができる。いなければ、目は上下に流れ続ける。

蔓草が画面を縦に貫く。
葉は大きく、深い緑である。表と裏で色が違う。
花は三つ咲く。赤、紫、そして白がかった水色である。
つぼみが二つ、細い茎の先で巻いている。
蔓は細く、くるくると巻きながら上へ伸びる。
背景の上端は青く、下端も緑がかる。中ほどが明るい。
上部の右に、文字が二行入る。
同じ株から色の違う花が咲くのは、当時の園芸の産物だと考えられる。
蔓という形
朝顔の蔓は、細長い紙とよく合う。
下から上へ巻きながら伸びる。縦の動きがそのまま形になる。
枝と違い、蔓は自由に曲がる。画面のどこへでも導ける。
九点のうち、蔓の出てくるのはこの一点と、藤の一点である。
藤は下へ垂れ、朝顔は上へ登る。向きが逆である。
朝顔という主題
朝顔は、当時の都市で盛んに育てられた植物である。
色や形の変わったものを競う遊びがあったと伝えられる。
版画に描かれるのは、その流行と無縁ではない。
一枚の紙に三色の花を並べれば、品種の見本のようにも見える。
もっとも、館の記録はそこまで書いていない。ここでは推測にとどめる。

同じ細長い判型だが、花も鳥も出てこない。
画面の下半分に、舟が数艘並ぶ。船体は褐色で、藁を積む。
舟から細い帆柱が何本も立ち上がる。線が縦に並ぶ。
水面は青く、下端が濃い。
上部には、黄土色の空が広がる。
その空に、丸い月が白く浮かぶ。輪郭がぼやける。
さらに上には、鳥の群れが点のように散る。
右上に、題らしい文字と印が入る。
細長い紙で景色を描くには、縦の線が要る。ここでは帆柱がその役をしている。
月を、白く残す
いま見た一点の月は、塗り残しで作られている。
周りの空を摺り、月の位置だけ版木を彫り残す。
輪郭がぼやけているのは、朧月を示しているからだと考えられる。
題にも、朧という語が入る。館の題は、その語を音のまま残している。
天気や時刻を摺りで示す工夫は、この絵師の得意とするところである。
景色を、細長い紙に
横に広がる景色は、細長い紙に入らない。
そこで、縦に伸びるものを主役にする。帆柱、崖、滝、木。
いま見た一点では、帆柱が林立する。
もう一点の景色でも、崖が画面を縦に切る。
判型が、選ばれる景色を決めている。

ここから三点は、判型が変わる。横幅が16センチを超える。
画面の上部から、藤の花が房になって垂れる。紫が濃淡で摺られる。
葉は細長く、対になって並ぶ。
その花のあいだを、燕が一羽飛ぶ。羽を大きく広げる。
もう一羽は、下の細い茎に止まる。体は黒く、喉が赤い。
背景は生成りのままで、色が置かれない。
右上に、文字が三行入る。
細長い判型と違い、左右にも余裕がある。二羽を離して置ける。
白い紙を、残す
いま見た一点では、背景に色が置かれていない。
紙の生成りがそのまま出る。上端のぼかしもない。
こうすると、藤の紫と燕の黒が強く出る。
背景を摺らなければ、版木も一つ減る。手間も費用も下がる。
九点のうち、背景を摺らないのはこの一点だけである。
幅が広がると
横幅が5センチ増えるだけで、置けるものが変わる。
鳥を二羽、離して配置できる。飛ぶ姿と止まる姿を並べられる。
細長い紙では、二羽は上下に並べるしかない。
同じ主題でも、判型で構図が決まる。
九点の三点は、その広い判型で作られている。

九点で最も鳥の多い一点である。
画面の上に、燕が二羽飛ぶ。羽を広げ、右へ向かう。
その下に、もう一羽が止まる。青と橙の体で、翡翠だと考えられる。
花は大きく、桃色の花弁が幾重にも重なる。三つほど咲く。
葉は深い緑で、掌のような形に切れ込む。
背景の上端は青く、下端も青い。中ほどが明るい。
左上に、文字が三行入る。
三羽と三つの花で、画面がほぼ埋まる。余白が少ない。
三羽の描き分け
いま見た一点には、三羽の鳥がいる。
飛ぶ二羽と、止まる一羽である。種類も違う。
飛ぶ姿は、羽を大きく広げて描かれる。輪郭が水平に伸びる。
止まる姿は、体を丸めて描かれる。輪郭が縦になる。
同じ画面に二つの形を置くと、動きの差が見える。
花の大きさ
九点の花を見比べると、実物との比率が一定ではない。
芙蓉の花は、鳥の体と同じくらい大きく描かれる。
椿の花は、鳥より小さい。
実際の大きさとは違う場合もあるだろう。画面の都合が優先される。
正確な図ではなく、見て気持ちのよい配分が選ばれている。
密度の差
九点を並べると、画面の密度に幅がある。
細長い五点は、余白が広い。紙の半分近くが空いている。
広い判型の三点は、密度が高い。花と鳥で埋まる。
紙が広ければ、要素を増やせる。増やせば、余白は減る。
どちらがよいということではない。作りが違う。

枝が下から斜めに伸び、上で二つに分かれる。
その枝に、鳥が二羽止まる。
左の鳥は緑がかった体で、嘴が細い。
右の鳥は白い腹と黒い頭で、少し大きい。
椿の花は赤く、上下に二つ咲く。つぼみも見える。
葉は濃い緑で、光沢がある。
背景は上端が青く、下端が桃色である。
右上に、文字が四行入る。九点のなかで最も文字が多い。
二羽を同じ枝に並べると、鳥の大きさの違いが分かる。
椿という花
椿は、九点のうち二点に出てくる。
冬から春に咲く花で、版画では赤く摺られることが多い。
葉が厚く、光沢がある。緑を濃く置けば、その質感が出る。
赤い花と濃い緑の葉は、対比が強い。少ない色数でも見栄えがする。
版画に向いた植物だと言える。
二羽を並べる意味
一羽だけなら、大きさは分からない。
二羽並べれば、比べられる。種類の違いが伝わる。
館の題も、二種類の鳥の名を並べて書く。
つまり、この一枚は二種を見せるための絵でもある。
図鑑ではないが、見分けの手がかりにはなる。

九点の最後は、ふたたび細長い判型である。
画面の右に、岩壁が大きくそびえる。上に木が茂る。
岩の面には、細かい線が刻まれる。地層のように横に走る。
左下は海で、白い波が大きく渦を巻く。
波の先は細かく分かれ、指のように伸びる。
奥には低い岸と、小さな帆が見える。
上部の空は橙で、上端が濃い。
左上に、赤い枠がある。中に題らしい文字が入る。
その右には、漢詩らしい文字が二行並ぶ。
波の描き方
いま見た一点の波は、細かく分かれた形で描かれる。
先端が指のように伸び、白く抜かれる。
この形は、同時代の版画で繰り返し使われた型である。
実際の波の形を写したというより、波を示すための記号に近い。
九点のなかで、波が出てくるのはこの一点だけである。
二種類の文字
九点の文字を見比べると、書き方が二通りある。
一つは、崩した仮名の続く形である。和歌や俳句だと考えられる。
もう一つは、漢字だけが並ぶ形である。漢詩だと考えられる。
前者は七点、後者は一点にある。
同じ判型でも、添える詩の種類は決まっていない。
印が、二つ入る
九点の画像には、赤い印が摺られているものがある。
一つは絵師の印である。署名の下に押される。
もう一つは版元の印で、画面の隅に小さく入る。
館の記録には、これらの印についての説明がない。
画像を見なければ、印の存在にも気づかない。
題が、館の言葉になる
九点の題を読むと、書き方に幅がある。
鳥と花の名を並べたものが六点、花だけが一点、地名が二点である。
鳥と花の名は、館が画面を見て付けた可能性が高い。
紙の上には、詩と署名しか摺られていないからである。
つまり題の多くは、絵の中身の説明であって、もとの題ではない。
年が、幅で書かれる
九点の年の欄には、いずれも、およそ、が付く。
1830年ごろ、1836年ごろ、1838年ごろ、1840年ごろ、1843年ごろ、1840年代半ば。
一年で確定しているものは一つもない。
版画には年が摺られない。年は、画風や版元の印から推定される。
推定であることが、欄の書き方に表れている。
色の数
九点の色を数えると、多くて六色ほどである。
赤、桃色、緑、青、黄土、そして墨である。
中間の色は、重ね摺りで作られる。緑の上に青を重ねれば深い緑になる。
色数を抑えれば、版木の数が減り、値も下がる。
小さな判型と少ない色数は、同じ方向を向いている。
同じ主題の繰り返し
九点には、椿が二度、燕が二度出てくる。
同じ組み合わせを何度も摺るのは、売れたからだと考えられる。
版元は、売れる図柄を繰り返し出す。
絵師は、同じ主題を少しずつ変えて描く。
九点の重なりは、その商売の跡でもある。
花鳥という商品
花と鳥の版画は、風景の版画より安く売られたと考えられる。
紙が小さく、色数も抑えられる。摺りの回数が少ない。
壁や柱に掛けて楽しむ、身近な装飾だった。
天気を主題にした大判の風景については、雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法で扱った。
同じ絵師が、判型と主題によって作り分けている。
保存の状態
九点の画像を見ると、紙の状態に差がある。
縁が不揃いのもの、上下に折れの線が見えるものがある。
色の褪せ方も一様ではない。青が残るものと、薄くなったものがある。
館の記録には、保存状態の記述がない。
ここで書けるのは、画像から見える範囲だけである。
二つの判型を、並べて
この記事では、細長い五点と、広い三点を並べた。
同じ絵師、同じ主題、同じ技法である。違うのは紙の形だけである。
条件をそろえて一つだけ変えると、その一つの働きがよく見える。
余白の量、鳥の数、枝の角度。いずれも判型に応じて変わる。
判型は、絵の外側の条件に見えて、実は中身を決めている。
判型から読む
この記事は、寸法の欄から入った。
縦が横の三倍、という比率が、この一群をまとめる手がかりになった。
題を読んでも、判型は分からない。画像の一覧でも見落としやすい。
数字を並べたときに、はじめて形の話ができる。
同じ絵師の東海道の判型については、同じ宿場が、三度出てくる——歌川広重の東海道にも書いた。








