名画の楽しみ方

題が、音と訳と立場でできている——ジョージ・カトリンの肖像九点

音を写した名、その訳、そして立場や属する集団。三つが読点で区切られて題になる。書き留めたのは外から来た人であり、綴りはその人の耳と文字による。いまの表記との違いも含めて、題の作られ方を読みたい。名を書き留めた側の立場も見たい。

ボーダシン、部族の首長
ジョージ・カトリン《ボーダシン、部族の首長》スミソニアン協会蔵

題が、三つの部分でできている

肖像画を九点、記録の欄で並べてみる。

九点とも、同じ画家の手による。

そして九点とも、題の作りが同じである。

まず、音を写した名が来る。

次に、その名を訳した語が来る。

最後に、その人の立場や属する集団の名が来る。

つまり、三つの部分が読点で区切られる。

強く読む場所を、示す

母音の上に付く短い線は、強く読む場所を示す。

つまり、書き手は音の高低や強弱まで書き留めようとした。

これは、ていねいな仕事である。

ただし、その表記法は本人が考えたものだ。

だから、他の人が読んでも同じには発音できない。

決まった体系がなければ、共有できない。

前の回で、共有された知識の話をした。

音を写す表記も、共有されてはじめて働く。

音を、文字に写す

一つ目の部分は、名の音を写したものだ。

聞いた音を、その人が使う文字で書き留める。

短い線が、母音の上に付く。

つまり、強く読む場所を示している。

そして、語の区切りに横線が入る。

これは、書き手が工夫した書き方である。

決まった綴りがあったわけではない。

旅の途中で、書き留める

この画家は、各地を旅して回った。

そして、その場で顔を描き、名を聞いた。

紙に書き留め、あとで整理する。

つまり、走り書きが元になっている。

前の回で、帳面の走り書きが題になる話をした。

こちらでも、似たことが起きている。

その場の書き留めが、いま館の題になっている。

誰が、書き留めたか

書き留めたのは、絵を描いた本人である。

つまり、外から来た人だ。

その人の耳が聞いた音を、その人の文字で書いた。

だから、正確さには限りがある。

同じ名でも、別の人が書けば別の綴りになる。

そして、いまは各民族が自分たちの表記を持っている。

九点の題にある綴りは、その表記とは違う。

館は、当時の題をそのまま残している。

ボーダシン、部族の首長
ジョージ・カトリン《ボーダシン、部族の首長》1830年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦73.7センチ、横60.9センチ。題は、音を写した名と、その立場からなる。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・カトリン《ボーダシン、部族の首長》スミソニアン協会蔵

縦長の画面である。

年配の男性が、胸から上で描かれる。

頭に、赤と灰の布を巻く。

布は、大きく巻き上がる。

耳に、銀の飾りが下がる。

顔は、正面よりやや左を向く。

黒い上着を着る。

首元に、白い襟と黒い結びが見える。

胸に、銀の帯が斜めに掛かる。

帯には、細かい模様が並ぶ。

背景は、灰と青の淡い色である。

三つ目が、長くなる例

三つ目の部分は、長くなることがある。

立場に加えて、属する集団の名が続く。

さらに、その集団の別名が括弧で添えられる。

つまり、題が一行では収まらない。

前の回で、題が長くなる話を何度もした。

こちらでは、説明が長さの原因である。

短くすれば、情報が落ちる。

だから、長いまま残される。

立場を、書き添える

三つ目の部分には、立場が書かれる。

首長。

薬師。

戦士。

そして、属する集団の名が入ることもある。

つまり、その人が誰であるかを示す。

もっとも、これも書き手の判断である。

前の回で、記録が判断を含む話をした。

こちらでは、その判断が題に入っている。

意味のある、名前

名が意味を持つのは、珍しいことではない。

多くの言語で、名は言葉からできている。

ただし、日常では意味を意識しない。

外から来た人には、意味が見える。

だから、訳したくなる。

そして、訳すと別のものになる。

大きな波、と書けば、風景のように聞こえる。

しかし、それは人の名である。

訳は、そこを曖昧にする。

訳が、二つ目に来る

二つ目の部分は、名の意味を訳したものだ。

大きな波。

大きな帆。

戦に行く鳥。

青い薬。

黒い上着。

つまり、名前が言葉として意味を持っている。

そして、書き手はそれを英語に置き換えた。

置き換えれば、意味は伝わる。

しかし、元の言葉の響きは消える。

トートワコンダピー、青い薬、ある集団の薬師
ジョージ・カトリン《トートワコンダピー、青い薬、ある集団の薬師》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦73.7センチ、横60.9センチ。題は、音を写した名と、その訳と、立場からなる。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・カトリン《トートワコンダピー、青い薬、ある集団の薬師》スミソニアン協会蔵

縦長の画面である。

男性が、胸から上で描かれる。

頭に、赤い羽根の飾りを立てる。

飾りの上に、黒い羽根が伸びる。

顔の右半分に、青灰の顔料が塗られる。

首に、白い玉の連が幾重にも掛かる。

胸に、銀の丸い飾りが下がる。

右手に、丸い太鼓を抱える。

太鼓は、黄褐色である。

左手に、細い棒を持つ。

背景は、淡い灰と青である。

別の言語が、並ぶ

九点に登場する人々は、同じ言語を話していたわけではない。

いくつもの民族が含まれる。

つまり、九点の題には複数の言語の音が並ぶ。

そして、いずれも同じ表記法で書かれている。

一つの綴り方で、複数の言語を書く。

これも、無理のあることだ。

言語ごとに音が違うからである。

館の題は、その無理を抱えたまま残っている。

訳が同じで、音が違う

九点のうち二点は、訳が同じである。

大鹿、という意味の語だ。

ところが、音を写した名は違う。

まったく別の音である。

つまり、別の言語で同じ意味の名を持つ。

そして、属する集団も違う。

一人は、ある民族の首長。

一人は、別の民族の名高い戦士である。

同じ訳が、続く

九点の中に、大鹿という訳が二つある。

そして、大きな、で始まる訳が四つある。

大きな波。

大きな帆。

大鹿が二つ。

つまり、訳が似ている。

もし訳だけで並べれば、混乱する。

音を写した名があるから、分けられる。

前の回で、識別のための文字の話をした。

訳だけでは、区別できない

もし訳だけを題にすれば、二点が同じ題になる。

大鹿、と。

区別がつかない。

だから、音を写した名が要る。

つまり、三つの部分のうち、一つ目が識別の役目を負う。

前の回で、名が識別のために書かれる話をした。

こちらでも、同じ働きが見える。